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ルインシールサーガ 二章 奴隷紋は光らない  作者: 宮下しのぶ
第四章 「奴はすこぶる、貧乏だった」

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「奴はすこぶる、貧乏だった」 2


 と、まあ。


 以上がここに訪れるまでの事の顛末である。まあ、顛末もへったくれもなく強引に連れてこられただけの話なのだが。

 カーリアリア女王陛下はブーランジェリースフィールで提供される、黒水晶のように澄んだ清流のせせらぎのような珈琲が飲みたかったので、近隣の井戸水を汲んで雑に淹れたドブ沼のような珈琲を飲ませられて、さぞご立腹であった。

 そこで、あの家主の癇に障る言葉である。そりゃあ正直に感想を言うものであろう。正直こそ美徳である。まずいと感じる物をまずいと言って何が悪い。はっきり言って、クソ酸っぱかった。腐ってんじゃねえの?知らんけど。

 しかし家主はカーリャの失礼極まりない雑な感想に腹を立てることなど無く、逆に、「ふむ、なるほど」と、妙に納得してぽつりと言葉を漏らす。

「やっぱり、古くなっていたのかしらね」

「いつの、飲ました!」

「ねえ。あなた、珈琲豆の使用期限ってどれぐらいか知ってる?三年ぐらい持つの?結構、賞味期限長いって聞いてたけど」

「ちょっと待て。その三年という数字はどこから出た!一体、どれぐらい前のを飲ませた!」

「珈琲豆って、腐らないらしいから大丈夫よ。でも、古くなると酸っぱくなるらしいわよね。やっぱり捨てようかしら」

 フィリア=フェルトは残念そうに呟いた。明確に毒見役を任せようとしてる。油断も隙もあったものじゃねえ。

 赤毛の髪の少女は、ナチュラルに期限切れの飲み物を味見させようとしたことを気にする素振りもなくカーリャの対面の椅子に座ると、先ほど彼女に出した珈琲と同じ物を注いだマグカップを手に取り、一口含んだ。そこで、酸っぱそうな顔をして。

「確かに、飲めたものじゃないわね」

 と、顔をしかめる。カーリャはいつものように眉間にしわを寄せて。

「客に出す珈琲ぐらいちゃんと用意しておきなさいよ。私の舌は繊細なのよ。舌がおかしくなったらどうするのよ」

「飲めればいいじゃない。胃に入ればなんだって同じよ。まあ、これは少々、というかかなり論外な味だけど」

「ミシューに豆、分けてもらったら。あの子、店で良い豆卸しているから。淹れ方も教えてもらうと良いわ。おかしなビジネスの教本読み漁ってるより、よっぽど有意義な時間だと思うけど」

「随分と、言うわね」

 と、言葉を途切れさせ。

「随分と、ミシューと違うタイプなのね」

「あんな、能天気な小娘がそこかしこにいたら、年がら年中春が来て、季節が狂うわ。ああいうのは、一人いればいいのよ」

「確かに」

 フィリアはそこで、クスクスと笑う。

 実際に、こうして対面で話していて意外であった。ミシューをハラムだとかいう正体不明な集団に勧誘した諸悪の権化だと思っていたので、もっと性根の腐った、品性のねじ曲がった人間を想像していたが、話してみると案外普通だった。

 一年以上にも及ぶ王宮での暮らしは、カーリャの審査眼を養った。直感的に人の良し悪しを判別しなければ、自分の倍以上の年輪を重ねた一癖も、二癖もある貴族連中を捌き切ることはできない。腹に一物抱えている人間が行う特有の微細で違和感の残るような挙動がフィリアにはなかった。つまりは、良くも悪くも裏表のない人間だという事である。

 カーリャは会話を空虚な伽藍洞としない為にも、何か気の利いた話題が無いかとしばし思案した。しかし、今日初めて会った相手に気に入られるような面白い話題など思いつかなかった為に、代わりに差しさわりの無い疑問を投げかけてみた。

「随分と、質素なところに住んでいるのね」

「失礼な」

 フィリアは口をとがらして見せる。どうにも相手の癇に障ったらしい。ぼろいものをぼろい取っただけなのに何が悪いのだろうとカーリャは思った。正直が美徳であるとは限らないと理解するにはまだ若すぎた。

「立地も最悪だし、見てくれも貧相だし、正直、馬小屋か何かだと勘違いしてしまったわ。冬が来る前に、もっと良い所に引っ越すことをお勧めするわ」

「海外からの急な転居者には、これぐらいしか住める物件がなかったのよ。特に若くて、保証人の無い平民の娘にはね」

 フィリアはそう言いながらも嘆息する。我を突き通して好き勝手に生きている性格かと思えば随分と苦労しているようだ。人は見かけによらない。好き勝手に生きるのは良く解らない小麦風船屋の小娘だけだということであろうか。

 カーリャは、さりげなく気になった事を聞く。

「ちなみに、家賃はいくらなの」

「これだけ」

 そう言いながら指を三本突き出す。

「ちなみに、大銀貨換算ね。小金貨なら一枚でいいと言われているわ」

「絶妙な値段ね」

 王都の中層で一戸建てならば、月に大銀貨三枚は破格である。中層で正式にこの規模の戸建ての物件を賃貸するとなるとどれほど安くても大銀貨十枚辺りが相場だとカーリャは感覚的にとらえていた。立地によっては二十枚取られてもおかしく話である。大国の首都の戸建てである。安く住めるはずがない。

 けれども、環境が悪すぎる。すでに老朽化が進みすぎて、建て替えが必要な程に古びているし、大通りや門など、中層の主要な施設から悉く離れている。

 ただ、本当の意味合いでの貧困層は、一部屋しかない集合住宅に複数人で居住するような事例も存在する。当然ながら、不特定多数の人間が共同生活を行う際には様々な問題が発生するのが通例である。

 更に酷い状況になると、特定の住居すら得ることができない事例もある。そういった外国人居住者は必然的にスラムと揶揄されるような地に足を踏み入れることになる。そのような地区は本当の意味で不法地帯なので、実際に生き延びる事すら難しい。

 本当に十八区画で構成されていればよかったのに。この国の闇は深い。

 ちなみに三層のヴォフト区ならば、小金貨一、二枚も出せば中々に小奇麗な住居を賃貸することができるが、下層は何かと治安が悪い。ならば、多少不備で値が張るような物件でも、中層に住居を構えた方が勝手が良いのかもしれない。ヴォフト区とクリュール区では周りの見る目も違う。


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