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バッカル三号と泥棒猫

リサがバッカル二号改Ⅱをデコチャリに改造したせいで、ここ数日は徒歩で結衣ちゃんを保育園に送り迎えしている。聖はむはむ保育園まで大人の足なら三十分だが、子どもの足では一時間以上かかってしまう。

もちろん、そんな長時間歩かせるわけにもいかないから、ほとんど僕が結衣ちゃんをおぶって通った。——だが、それももう終わりだ。今日は新しい愛車となる『バッカル三号』が引き渡される。


「源屋さーん、ちょっとちょっと!」ふいに声をかけられ、周囲を見回すが、誰もいない……「気のせいにしては、はっきりと聞こえたな」——もしや、これは魔女っ娘としての才能が開花する予兆ではないか?

「源屋さーん、こっちだよ。どこ見てるんだい、まったく」眼鏡を押し上げ、声のした方を見ると、厚化粧の婆さんが手招きしていた。目覚めつつある魔女っ娘の資質が「早く逃げろ」と訴える——が、婆さんは何やら焦っているようだし、話だけでも聞いてみよう。

僕は婆さんの元へ行き、「おはようございます。どうしたんですか、こんなところで」と笑顔で声をかけた。しかし、明るいところで見ると、この婆さんの化粧はすごい。ひび割れしないかと心配になってしまう。

「源屋さん、あれだよ。何とかしておくれよ」そう言って婆さんが指さす先で、木の上に猫が座っていた。「あの猫ですか?」問いかけながら、木に登った猫を何とかしろと言われてもな……と首を傾げる。「そうだよ。降りられなくなったんだよ。かわいそうだし何とかしておくれよ」

じっくりと木の上の猫を見るが、あくびをしたくらいで特に変わった様子はない。「そのうち降りてくるんじゃないですか?」「かわいがってるあたしが呼んでも降りてこないんだよ。降りられなくなったに違いないよ。あんな子猫が落ちたら大変だろ」——婆さんの顔が怖くて木の上に逃げただけじゃないのか?

「ねえ、源屋さん、頼むよ。少しはお金も払うからさ」困ったな……放っておいても解決することにお金を払うと言われても……


迷った僕の心に先代の言葉がよみがえる。『いいか、大智。金をもらえて喜んでもらえることなら断るな。それがたとえ一円でもだ』ふうっとため息をつき、婆さんに笑顔を向ける。「分かりました。この木なら登れそうなので、僕が登って降ろしますね」「本当かい。助かるよ、源屋さん」

僕は木の幹をしっかりと持ち、足をかける。「よっと」掛け声一発、最初の枝に手が届いた。「源屋さん、気をつけておくれよ」「大丈夫です。もし落ちたら危ないので、木から離れていてください」腕で体を引き寄せ、枝に足をかけてよじ登る。「もうちょっとだよ」婆さんの声を聞き、見上げると、猫は「シャーッ!」とうなって警戒している。子猫のくせに一人前なんだな。

少し体を伸ばせば手が届きそうだ。「怖がらなくていいから、こっちにおいで」優しく話しかけ、手を伸ばすと、逆立っていた毛が落ち着いたように見えた。「よーし、いい子だ。こっちにおいで」と子猫に触れようとした瞬間、「フニャッ」とジャンプした猫が、僕の顔を踏み台にして、木から降りていった。「いってー!」咄嗟に手を顔に当てると、視界から木が遠のいていく。——あっ、落ちる……

ドスン、と背中に伝わる衝撃で息が詰まる。「あーっ、大丈夫かい、源屋さん」「……痛い……」自分の声が聞こえて、大事はなかったと分かった。目を開けると、厚化粧の婆さんが心配そうに僕をのぞき込んでいるが、近くで見ると『すごい』を通り越して、恐怖すら覚える。

「大丈夫です。子猫は?」婆さんはどこかを指さし「走ってどこかに行ったよ」と教えてくれた。

体を起こそうとすると、「源屋さん、立てるかい」と婆さんが背中を支えてくれた。ほんのわずかな気遣いに胸が温かくなる。「すみません。何とか立てそうです」「心配だね……そうだ、娘が近くに住んでるから、そこで看病させるよ」木から落ちたとき以上に息が詰まった。振り向くと、婆さんはしてやったりと言わんばかりの笑顔で僕を見ている。

反射的に立ち上がった僕は、婆さんの目の前で軽くジャンプをしてみせる。「ご覧のとおりピンピンしています。じゃあ、僕は仕事があるのでこれで」立ち去ろうとする僕を婆さんが呼び止める。「源屋さん、お金、お金」「はははー、子猫が自力で降りたので代金は結構です。また仕事があればお願いしまーす!」笑顔で振り向いて応じたが、なぜか足は止まらなかった。

——我が身かわいさに先代の教えを破ったことに心が痛む。


「まったく、朝からひどい目に遭ったな」ひりひりする頬を撫でながら店への道を歩く。「まあ、婆さんも喜んでたみたいだし、良かったと思っておこう。しかし、あの婆さんはことあるたびに娘をねじ込もうとするな……」

ブツブツと愚痴っていると、ふと厚化粧の婆さんのいち押しがどんな娘なのか想像してしまう。「ふう……会ってみたいと思う要素が何ひとつ浮かばないよな……」

まあいい、今日は草刈り機を試運転して、頼まれている庭木の剪定の下見と打ち合わせを済ませたら、バッカル三号を引き取って、結衣ちゃんを迎えに行こう。——そうだ、せっかくの新車だし、紅巴里までドライブしよう。「結衣ちゃん、喜んでくれるかな……」ささやかな楽しみは、いやな出来事を忘れさせ、思わず足取りが軽くなる。


チリンチリン……店の扉の開く音が朝までとは違って驚いた。「おかえりなさいませ、マスター」カウンターでリサが顔を上げ、こっちを見る。

「ただいま。これはリサが付けたの?」僕は扉に取り付けられた可愛らしい鈴を指さす。「はい、引き戸を修理したら静かになりすぎたので、倉庫で見つけた鈴を付けてみました」「かわいい音がしていいね。ありがとう」リサは何も言わず、にこっと微笑んだ。

カウンターをのぞき込むと、何やらバラバラになった機械が置かれている。「これは、何をしてるの?」「ジュースミキサーを見つけたので、修理しています」たしかに、言われてみればガラスの容器やブレードが転がっている。分解された本体の花柄から、相当古いものだとうかがえる。

「よく見つけたね。これは修理できそう?」「もちろんです。最新のものに見劣りしない機能を搭載するつもりです」すごいな、修理だけじゃなく、改造もできるんだ。

しばらくリサの作業を見ていたが、何をしているのか僕にはさっぱり分からない。「完成したら売るの?」と聞くと、リサが顔を上げて首を傾げた。「ダメでしょうか?」「いいけど、危ないものは売らないでほしい」リサはほっとした表情を浮かべる。「ご安心ください。安全性を確認してから販売いたします」リサの口から出る『安心』が本当に安心だったためしは少ないような気がするが……

「裏の倉庫にはこのようなものがたくさん入っております。しばらくは楽しめそうです」いつの間にか、いろいろ探したのだろうか?「楽しみはいいけどさ、倉庫は雑な積み方してるし、けがしないようにしてね」「ありがとうございます。ところで……」リサは僕の顔を冷たい目で見つめる。

「その顔の傷は、どこの泥棒猫のしわざですか?お帰りも遅かったようですが」僕は頬を撫でた。「傷ついてる?」「はい、しっかりと爪の痕が……さぞかしかわいい猫ちゃんだったのでしょうね」リサはうつむいてため息をついた。

あれ、なにか勘違いされてる?「帰ってくる途中で、婆さんに木から降りられない子猫を助けてくれって頼まれたんだけど、登って手を伸ばしたら、引っかかれて木から落ちたんだ」何をどう勘違いされているのか分からない僕は、とりあえず正直に伝えるしかできない。

リサは僕の方に振り向き、微笑んだ。「消毒しますので、そこに座ってください」僕が椅子に腰を下ろすと、リサはスカートの中から救急箱を取り出した。手際よくコットンに消毒液を染み込ませ、僕の頬をそっと撫でる。

「マスター、そんなに子猫ちゃんと戯れたいのでしたら、私がいつでもゴロニャンして差し上げます……にゃん!」

か、かわいい……さっきの照れた顔で『にゃん』って言った瞬間のリサは、僕の知り得る女性の中で群を抜いてかわいかった。「どうしました、マスター?じっと見つめられると、恥ずかしいです」「さっきのリサ、かわいかった……にゃん」

スカートの中に救急箱をしまったリサが僕の手を取った。「二人でにゃんにゃんって言ったので、次は一緒ににゃんにゃんするにゃん!」なんなんだ、この今までに経験したことのない甘美な雰囲気は。世の男性は親しい異性とこのような空間を日夜楽しんでいるのか?

——はっ!……『にゃんにゃん』という言葉が具体的に男女のどのような行為を表現しているのか想像もつかないが、このまま流されると僕の魔女っ娘になる夢が潰えてしまうのではないか?

「待ってくれリサ!」僕は店の隅に放置されている草刈り機に視線を向ける。「僕はどうしても草刈り機の試運転を終わらせなければいけないんだ……」

リサははっと目を見開き、僕を見つめた。「分かりました……マスターがその大役を終えられるまで、リサは心静かにお待ち申し上げます」リサは僕の胸にそっと寄り添う。「でも、決して……リサのことを忘れないでください。マスター……」——なんだこれ……。


店を出た僕は、草刈り機に燃料を入れてスターターグリップを引くが、始動する気配がない。「あれっ、おかしいな……」プライミングポンプを押してみるが、空気は完全に抜けきっている。チョークを引いて再度スターターグリップを引いても燃料の匂いが漂うだけで、エンジンはかからない。「くそ、こうなったらかかるまでやってやる」やけになって何度もスターターグリップを引くが、そんなことでエンジンがかかるわけがない。

「マスター、おにぎりを作りましたので、一緒に食べませんか?」声の方へ振り向くと、リサが不思議そうな顔をして僕を見ていた。

「いったい、何をなさっているのですか?」「エンジンがかからないんだ。ちゃんと整備しなかったのが悪いのかな……」リサは静かに腰を落とし、草刈り機のスターターグリップを引いた。少し期待していたが、やはりエンジンはかからない。

「分かりました。明日までに修理しておきます」そう言って、リサは草刈り機を手に店へ向かう。「助かるよ、リサ」僕もリサについて店へと向かう。

「まったく、やけになってもダメなものはダメなんです。あんなことをしたら、試運転どころか壊れてしまいます」小言を聞いていると、ふいに背後からの視線を感じ、振り向いた。「どうしました、マスター」「いや、誰かに見られたような気がして……」「誰もいませんよ。お昼ご飯を食べましょう」チリンチリンと小気味いい音を立てて店の扉が閉まる。


店の打ち合わせテーブルに、おにぎりが並べられていた。「マスター、たくさん食べてお昼からも頑張ってください」そう言うと、リサは笑顔でスカートの中からお茶を出してくれた。「——これ二人で食べる量じゃないと思うよ」軽く三十個はありそうなおにぎりを前に思わずつぶやく。

「そうですか?マスターは二十個くらい食べると思いました」「いや、三個で十分だから」「では、残ったら腐らないようにスカートの中に保管しておきます。気になさらず食べたいだけ食べてください」——スカートって、そんな機能までついてるのか?

おにぎりを一つ手に取り、かぶりつく。「あーっ、すごく美味しい」もうひと口かぶりつく。手作りってこんなに美味しいものなのか……。コンビニのおにぎりとはもう別物だな。「そんなに慌てなくてもたくさんあります」リサにそう言われても、うまいものは早く食べたい性分なんだ。

ふとリサを見ると、美味しそうにおにぎりをほおばっている。——しかし、どこからどう見ても普通の女の子だよな……本当にアンドロイドなのだろうか?「どうしました、マスター?にゃんにゃんしたくなりましたか?」それ、まだ続いてたんだ。

「いやさ、アンドロイドなのに普通にご飯を食べるんだなって思って」「今さらそんなことが気になったのですか?食物からエネルギーを得るのは人間と変わりません。ただ、変換方法がまったく異なるので、エネルギーへの変換効率は人間よりもはるかに高いです」なるほど……これ以上は聞いても僕には理解できそうにない。


突然、和やかな空気を壊すように、チリチリチリチリチーン!バーン!と激しい音を立てて店の扉が開いた。「えーっ……」驚いて振り向くと、オレンジのパーカーにデニムのショートパンツ、スニーカー姿の青年が立っていた。「い、いらっしゃいませ」と引きつった笑顔で声をかけるが反応はない。かき上げショートの赤い髪を揺らしながら、大きな瞳で店内を見回している。

僕は立ち上がり、青年の前に歩み寄った。「あの、どうかしましたか?」僕の問いかけに青年はにこりと微笑む。——この子、女の子だ。「みつけたぞ!」かわいらしい声でそう叫ぶと、突然僕に抱きついてきた。「やっと、やっとみつけたー!」しっかりと抱きつかれて、離れそうにない。そしていろいろ柔らかいから、やっぱり女の子で間違いない。

駆け寄ってきたリサが、僕を背中から引っ張って引き離そうとする。「離れなさい、この泥棒猫!」その声からも、力を込めているのが分かる。しかし、女の子は必死に抱きついていて離れない。……というか、僕を後ろから引っ張っても女の子も一緒に引っ張られるだけで、離れるわけがない。「絶対離さないぞ!」心配するな。離れるはずがないのだから……不思議と心に優しさが芽生える。

しばらく僕を引っ張り合っていたが、「いいかげん、離れなさい!」とリサが力を込めた瞬間、「おう、分かった!」と女の子が僕を離したせいで、僕とリサは豪快に倒れた。

「——いってー、急に離すなよ」仰向けに転倒した拍子にリサは僕の下敷きになってしまっている。「リサ、大丈夫?」「大丈夫です。マスターは?」「大丈夫……」言いかけたところで、女の子が笑顔で僕を見下ろしているのに気づいた。「にひひひ」と不気味な笑い声を上げながら、彼女は僕に覆いかぶさってくる。

「ちょっと、何する……」抵抗する間もなく抱きついた女の子は、僕の顔に頬ずりをする。——女の子のほっぺたって張りがあるのに柔らかくて、不思議だな……あと、いい匂いがする。「やめろー、離してくれー」——なぜか、心にもないことを口にしてしまった。

「離れろ、この泥棒猫」つぶやく声と同時に、リサの腕が僕の首に回り、一気に締め上げられる。「ちょっ、マジで離して……」前後からしっかりと押さえつけられ、もがくことすらできない。意識どころか命まで刈り取られそうな僕の耳元で「にひひひ、マスター会いたかったぞ」と囁かれた声に、リサが「えっ!」と驚きの声をあげた。


ひとまず落ち着きを取り戻した僕たちは、打ち合わせテーブルに腰を下ろした。僕の隣に座り、女の子をじっと見つめていたリサが「あなた、さっき『マスター』と呼びましたね?」と問いかける。

「おう、マスターだからな!」——そう答えながら、女の子の目はおにぎりを捉えて離さない。僕は『マスター』という単語に、嫌な予感しかしない。リサはすっと立ち上がり、女の子の隣に腰を下ろした。

女の子に向き合ったリサが、「口を開けなさい」と言うと、女の子は「こうか」と大きく口を開けた。次の瞬間、リサの右手が女の子の口に勢いよく差し込まれる。

「お、おい、リサ。何してんの!」目の前で起きている、心配一割と恐怖九割の出来事に思わず声をあげるが、リサは構う様子も見せず、何度か口の中で手をひねったあと、ゆっくりと引き抜いた。その手には何か小さなものが握られていたが、リサがすぐに握り潰してしまった。

「まったく、位置情報発信装置を付けたまま来るなんて、非常識すぎます」「そうか?外し方が分からなかったんだ。なんかスッキリしたぞ」「ついでに自爆装置も解除しておきました」「にひひひ、これであたいは自由の身だな」黙って二人の会話を聞いていたが、次々と出てくる言葉に聞き覚えがある。どうやら嫌な予感は的中したようだ。


「あのさ……君は誰で何をしに来たのかな?」女の子は僕の方を向き「あたいはリサ、マスターが名前を付けてくれたんだ」と笑顔を浮かべた次の瞬間「リサは私です!」と、いつの間にか僕の隣に戻っていたリサが声を張り上げた。——たしかにリサはリサだな。結衣ちゃんも『リサママ』って呼んでるし……おっと、そうじゃない。

「えっと、とりあえず『リサ二号』って呼ぶよ。それで何をしに来たの?」「マスターの仕事を手伝いに来た」彼女は自信満々で胸を張るが、僕には迷惑でしかない。

「念のために聞くけど、リサ二号は何かの任務を放棄したりしてないよな?」「もちろんだ。放棄しないとマスターのところに来られないだろ」さも当然と言わんばかりだけど、僕にとっては不安でしかない。

「なあ、マスター。話が終わったんなら、これ食べてもいいか?」リサ二号は再びおにぎりを見つめている。「ダメです!それはマスターのために愛情とか、いろいろ混ぜ込んだものですから、あなたが食べるものではありません!」リサの怒りに満ちた声が、僕を不安のどん底へ突き落とす。

「……リサ、何を混ぜたんだ?」僕の震える声に、リサは「乙女の秘密です」とそっぽを向いた。


不安のどん底で深くため息をついた僕が「それを食べながらでいいから、落ち着いて話を聞いてくれないか?」と言うと、「おう、分かった!」とリサ二号は勢いよくおにぎりを食べはじめた。

「それでね、結論から言うけどさ、それを食べたら帰ってくれないかな?」「イヤだ!」「この家に一国を滅ぼせるアンドロイドが二体なんて……だいたいなんで二体いるんだ?」「マスター、ViELで構築されたAIを搭載したアンドロイドが二体作られただけです」リサがそっと耳打ちしてくれたが、不安のどん底から這い上がれる気がしない。「まあいい、そんな兵器が僕の近くにいるとさ、僕の身も危険にさらされるだろ。だから帰ってくれないかな?」「イヤだ!」

もう、ため息しか出ない。「なんで分かってくれないんだよ……」「一体いても二体いても一緒だからな」あっ、たしかにそうだ——返す言葉がない。よし話を変えよう。

「じゃあさ、君はここにいて何ができるんだ?」「今からマスターのことを『親方』って呼んで仕事を手伝うんだ。親方が話してくれた仕事の話が楽しそうだったからな」ふっ、罠にかかったな……「でも、それはもう僕の隣にいるリサがやってくれるんだ。それにリサは家事も上手だしね。君がここにいてもできることはないよ」リサが僕に寄り添って頬を染めた。「マスター、私はそのほかにもゴロニャンやにゃんにゃんもできます」

——ややこしくなるから、その話はいったん置いておこうか。


夢中でおにぎりをほおばるリサ二号を見て、再びため息をつく。「困ったな……どうやったら帰ってくれる?」「どうやっても帰らないぞ。なあ、頼むよ親方、一緒にいろんな仕事をしたいんだ」そう懇願されてもな……「なあ、親方……セクハラしてもいいからさ、一緒に仕事させてくれよ」それって、仕事にならないし。

——まさか、セクハラからなし崩し的に、僕の魔女っ娘になる夢を壊す……いや、僕と結衣ちゃんが影から人類を支配する計画を阻止するつもりじゃないのか?これは何としても断らなければ……

次の言葉を選ぶ僕に、「もう、週に一度は空想上の美少女を落とすテクニックで悩む男なんて、人に言わないからさ、頼むよ親方」と、両手におにぎりを持ったリサ二号の猫なで声が届く。いったい、いつの話をしてるんだ?……ちょっと待て……「まさか……誰かに言ったのか?」僕の焦りを見抜いたのか、リサ二号はにやっと微笑んだ。

「場所が分からなくて、親方の名前も忘れたから、駄菓子屋の婆ちゃんに聞いただけだ」それ、紅巴里じゃないよな……「そしたら、その婆ちゃんが『巴里ママって呼んだら教える』って言って、ここを教えてくれたんだ」

——最悪だ、紅巴里で間違いない……だいたい、なんであの婆さんは、『週に一度は空想上の美少女を落とすテクニックで悩む男』で僕だと分かるんだ……今日は紅巴里に行くのをやめよう。ごめんね、結衣ちゃん。


「マスター」とリサに声をかけられて、僕は我に返った。「彼女のことは結衣さんに決めてもらいましょう。今のマスターに勝ち目はありません」何の勝負かはわからないが、負けたのは理解できる。

「そうだね。今日は早めに迎えに行くよ」「その前に『リサ』は私だけです。この大食いの泥棒猫に適当な名前をつけてください」テーブルを見るとおにぎりがすべてなくなっていた。

名前をつけろと言われても、そう簡単には思いつかない……「適当な名前ね……」懸命に考えるが『ポチ』とか『タマ』しか思い浮かばない。犬や猫じゃないんだから、さすがにまずいよな。

ふいにリサに太ももをつつかれ、視線を落とすと、スカートがまくり上げられ、なまめかしい太ももが露わになっていた。その上には、リサが絵本だと言っていた『ぴょんぴょん学園の保健室、いけないリナ先生』がある。

「……リナ?」思わずつぶやいたその名に、リサ二号は目を輝かせ「いいなそれ!あたいは今から『リナ』だ!」と喜んでくれた。その様子を見てリサは笑いをこらえている。——リサ二号改め『リナ』、本当に申し訳ない……その謝罪は言葉にせず、心にしまっておいた。


リナはご機嫌な様子で立ち上がって僕に微笑んだ。「親方!腹いっぱいになったし、仕事行こうぜ!」腰に手を当て、胸を張って僕を見下ろす。これじゃあ、どっちが親方かわからないし、そもそも勘違いしている。「あのさ、これから先のことは結衣ちゃんが決めるんだ、おとなしく、ここで待っていてくれ」

「結衣って誰だ?」リナは首を傾げる。「説明したいところだが、僕は打ち合わせに行かないといけない、詳しいことはリサに聞いてくれ」リサに目を向けると、めんどくさそうな表情で、小さくうなずいた。「リサ、あとは頼むよ。そろそろ出ないと遅れそうなんだ」「お任せください。彼女にはきっちりと教え込んでおきます。気をつけていってらっしゃいませ」多少の不安は残るが、リサに任せて、僕は店を後にした。


——「では、来週お伺いいたしますので、よろしくお願いします」深々と礼をすると、家の主人は「じゃあ、頼んだよ」と明るく声をかけ、見送ってくれた。「よし、行くぞ!」僕は弾む足取りで自転車屋へ向かう。「紅巴里には行けなくなったけど、結衣ちゃんを乗せて走るのが楽しみだな……」こだわりのチャイルドシートを搭載した新車を早く見たい。

バッカル三号を頼んでいた、自転車屋『サイクルこしあん』の前に『ご成約車、まごころ堂源屋様』と札が貼られたママチャリが停めてある。

「おおっ、かっこいい」思わず声を上げた僕に、自転車屋のお兄ちゃんが近づいてきた。「お待ちしておりました」そう言って下げた頭は相変わらず金髪のモヒカンだ。

「いやー、やっぱりこの色にして良かったです」「そうですか、防犯登録も済ませておきました。お支払いをお願いします」見た目によらず腰の低いお兄ちゃんと店内に入る。

支払いを済ませ、「ありがとうございましたー!」と元気な声に送られ、サイクルこしあんを出た僕は、ついに我がものとなった『バッカル三号』をまじまじと見る。

前より少し深くなった前カゴ、ダークブルーの車体に黒のハンドルとサドル、そしてペダル。何より後ろに搭載された高安全性能の黒いチャイルドシートがツートンカラーを際立たせている。さらに、この『バッカル三号』は電動アシスト付きなのだ!

「くーっ、やっぱり三号ともなると機能が充実してるよなー」バッカル三号にまたがり、眼鏡を押し上げる。「よし!結衣ちゃんを迎えに行きますかー!」


保育室に入ると結衣ちゃんが駆け寄ってきた。「おじちゃん、ばっかるできた?」「うん。バッカル三号で来たよ」浮かれる僕に対する三浦先生の視線が冷たい。

今日の僕が浮かれているからというより、リサが三浦先生と揉めてから、ずっと僕には冷たい。そんな視線をものともせず、荷物をまとめ終えた僕は結衣ちゃんの手を取る。

「結衣ちゃん、早く帰ろう。結衣ちゃんにお願いしたいことがあるんだ」「うん!リサママのごはんたのしみー!」結衣ちゃんの明るい声に、三浦先生が僕に向ける視線は、凍りつくような冷たさを放った。

「おー!かっこいいー!」バッカル三号を見た結衣ちゃんは目を輝かせ、「はやくのせてー」両手を上げる。結衣ちゃんを抱え上げ、チャイルドシートに乗せ、シートベルトをつけている間も結衣ちゃんはご機嫌で、真新しいヘルメットをかぶせると、にこっと笑い「いきますかー」とかわいい声をあげた。

「結衣ちゃん、行くぞー!」「いくぞー!」バッカル三号は軽快に走り始める。浮かれる僕はいつもよりスピードを上げてみるが、ペダルを軽く踏むだけで加速する。バッカル三号の新機能『電動アシスト』は実にいい仕事をしている。

「おじちゃーん。すごいー、すごーい!」なんだか僕がいい仕事をしているかのような歓声を振りまき、バッカル三号はぴより野町を突っ走る。


扉がチリンチリンと鳴り、結衣ちゃんが「あー!」と声を上げた。「音が変わったね」「うん、かわいーね」僕が「ただいまー」と声をかけるが反応はない。

結衣ちゃんが「ただいまー」とかわいく帰宅を告げると、リナが駆け寄って結衣ちゃんを抱き上げた。「結衣、あたいもここに住んでいいか?」「うん、いいよー」……一瞬で結論が出た。

「あたいは『リナ』、よろしくな」「うん。リナおねーちゃん」いろいろ言いたいことはあるが、結衣ちゃんが喜んでいるから、よしとしよう。「結衣、着替えてからご飯ができるまで、あたいと遊ぼーぜ!」「やったー!リナおねーちゃん、なにしてあそぶ?」「着替えてから決めよーぜ」そんな話をしながら、二人は部屋に消えていった。

「マスター、おかえりなさいませ。どうやら結論は出たようですね」リサの落ち着いた声が僕を出迎えてくれた。「うん、結衣ちゃんを取られるようで、なんか寂しいな……」リサがくすっと笑い、僕の頭を撫でた。「かわいいところもあるのですね」

「そうかな?まあ両親を失ってから結衣ちゃんも頑張ってるんだし、あれくらい元気な相手がいてもいいかもね」リサも小さくうなずいた。「歳の離れた姉妹のようです」たしかにリサの言うとおりだな……

「リサ、僕も着替えたら夕食の支度を手伝うよ」リサは少し伏せていた顔を上げて、にこりと微笑んだ。「マスター、お待ちしております。手はきれいに洗ってきてください」「分かったよ」僕の笑顔にリサが頬を染める。


部屋に向かう大智の背中を見るリサの表情が少し曇った。『リナの位置情報発信装置をこの店で破壊してしまった失態は黙っておきましょう』リサは台所へと向かう。『この店が某大国を敵に回しただけのことです。——なんとでもなるでしょう』

リサは顔を上げて、小さく拳を握り締めると「それはそうと、マスターとの共同作業が楽しみです」そうつぶやいて冷蔵庫をのぞき込んだ。

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。

毎週土曜日投稿予定。よければブックマーク・評価のひと手間を。誤字は各話末の『誤字報告』からお願いします。

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