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タンスの秘密と譲れない男

まごころ源号が今日も晴れ渡ったぴより野町を走る。助手席で姿勢を正して座っているリサが、ふいに僕の方を振り向く。「マスター、クラッチをつなぐ前に吹かしすぎです」「こうしないと、ノックすることがあるんだ」

もう古い軽トラックだし、これくらいの不具合は出るものだろう。「そうでしたか、あとで修理しておきます」そう言って、リサは再び正面を見据えた。「車も修理できるんだ……」「当然です。据え膳を食わぬどころか、怖気づいてしまうマスターと一緒にしないでください」あー、あの夜のことをまだ根に持っているんですね。

結衣ちゃんを保育園に送ったあと、僕はリサを連れて実家に向かっている。僕も結衣ちゃんも相続を放棄するので、結衣ちゃんの日用品のすべてと写真類を持ち帰るためだが、実家に立ち入れるのは今日が最後になる。あと、結衣ちゃんのタンスは持ち出してもいいが、雛人形は資産価値があるかもしれないため、持ち出せないことになった。それと、両親と兄夫婦の普段着などを処分するつもりだ。さすがに普段身につけていたものを残したまま、他人に引き渡すのは気が引ける。


まごころ源号を停めると、リサはさっさと降りて、実家を見上げた。「マスター、なぜここに住まないのですか?ここなら私たち夫婦と結衣さんが快適に生活できそうですが」

どこの夫婦のことを言っているのかは知らないが、分からない部分は無視しておこう。「ここは結衣ちゃんが生まれたときに建て替えたんだけど、そのローンが残っていて、僕の収入では払えそうにないんだ」「お金の問題でしたか……たしかにマスターは裕福そうに見えません」「——悪かったな」

「ですが、私にお任せください」ガチャッ、重い音が響いた。リサに目を向けると、右手に拳銃を持ち、銃口を上に向けて顔の高さに掲げ、スライドに左手を添えている。

「なにそれ?」「H&KのP7、私のお気に入りです」そんなことを聞いたんじゃないんだけど……「えっと、それで何するの?」「ちょっと銀行に行ってきます」「へー、そうなんだー。でも、やめておいたほうがいいんじゃない?」

「ご安心ください。マスターの家まで逃げたあとは、この銃をマスターにプレゼントしますので」「それって僕が捕まる?」「はい」まったく安心要素はなかった。

「魔女っ娘になるにはとてもいい環境で生活できます。良かったですね、マスター」あの夜のことを、よほど根に持っているのだろうか?

「やめてくれないかな?実家の片付けもしたいし」「マスターがそうおっしゃるなら仕方がありません」リサはスカートの中に銃をしまった。本当にあのスカートはどうなっているのだろうか?っていうか、前と違うスカートを履いているけど、あれはリサ自身の能力なのだろうか。

「マスター、見ますか?」じっと見つめていたリサのスカートの裾が少し持ち上がった。「いや、遠慮しておくよ」「そうですね、このような屋外では変態にもほどがあります」いや、場所の問題じゃないんだ。


実家に入った僕は、リサを兄夫婦の部屋に案内した。結衣ちゃんの部屋のものはタンス以外は持ち帰ったから、あとはこの部屋に残る結衣ちゃんの服と写真だけだが、探すのはいろいろと気が引けて後回しにしていた。

「結衣ちゃんの両親の部屋なんだけどさ、ここにあるものの分別をお願いしたいんだ」リサは部屋を見回して、僕の方を振り向いた。「どのように分別するのでしょうか?」「結衣ちゃんの私物と写真類はこの箱に入れてほしい。持って帰るからね。それ以外は捨てるから、このゴミ袋に入れて。でも、高価そうなものはそのままここに置いておくから注意して」

リサはうんうんとうなずいて小さく拳を握った。「任せてください……しかし、なぜ写真なのですか?」「今は無理かもしれないけど、結衣ちゃんがもう少し大きくなったら、懐かしんで見られるかもしれないだろ」「それは理解しています」

リサがテーブルの上を指さした。「それなら、あのパソコンを確認すべきではありませんか?いくらマスターが時代遅れのバカでも、それくらい分かると思いますが」「パスワードが分からないんだよ。てか、バカって何だよ、今日は毒づくよな」リサは僕を無視して部屋に入った。「では、さっそく始めます」「頼んだよ。僕は一階の両親の部屋にいるから」


両親の部屋でタンスの中のものを出していたら、アルバムを見つけた。何気なく開いてみると、少し色あせた写真の中で、幼い頃の僕と兄さんが両親に囲まれている。父さんが写真を撮っていたから、母さんばかり写っているが、中には、母さんが撮ったのだろう、父さんと僕たち兄弟の写真もある。「懐かしいな……これは兄さんの小学校入学式の写真だな。母さんに抱かれているのが僕かな?」ページをめくるたびに思い出がよみがえる。

「マスター、見てください!」突然ドアが開き、リサが入ってきた。その手で濃い紫色のパンツを広げている。

「このように股の部分が大胆に開いているパンツは、パンツとしての役割を果たさないのですが、いったいどのように使うのですか?」「知らないよ!」「あっ、失礼しました。童貞マスターに聞いたのが間違いでした」コイツ、わざわざ悪態をつくために来たのか?

「しかしながら……なぜか魅力を感じてしまいます。マスター、これを買ってもらえませんか?」「勝手に買えばいいだろう!」リサは深々と僕にお辞儀をする。「ありがとうございます、マスター。では私は作業が残っておりますので、暇人の相手はここまでにします」——いったい何だったんだ……。部屋を後にするリサを見て、思わずため息をついた。


まごころ源号の荷台にゴミ袋と段ボール箱を積み終わった僕たちは、庭に腰を下ろして、リサがスカートの中から取り出したお茶で一息ついていた。

「あとは、結衣ちゃんのタンスだけだな」「あれは持って帰ってもいいんですか?」「うん、一応、弁護士さんに聞いたけど、結衣ちゃん専用だし資産価値もないから持って帰っていいって」「結衣さんの衣類が片付きますね」僕は黙ってうなずいた。そして、眼鏡を指で押し上げて実家を見上げる。

「——将来のためにせっかく建てた家だったのにな……」その横顔をリサがじっと見つめていたのに、僕は気づかなかった。

「マスター、タンスを運びましょう」リサの元気のいい声に励まされた僕は腰を上げた。「そうだね。僕はロープを取ってくるよ」

まごころ源号のダッシュボードに入れていたロープを探すが見当たらない。「どっかで使ったんだったかな……」荷台を見ると、ロープが転がっていた。「さっき出したんだった」ロープを手に取り、振り返ると、二階の窓にタンスが見えた。

「マスター、投げますので、壊れないように受け取ってください!」「ちょ、ちょっと待て!受け取れるわけがないだろ!」僕の声が聞こえたのか、タンスの横からリサが顔をのぞかせた。「受け取れないのですか?」「当たり前だろ!」——リサはタンスを窓から下ろした。「じゃあ、早く上がってきてください。待っていますので」

二人でタンスを二階から下ろし、まごころ源号に積み込んだ。玄関の鍵をかけようとしたところに、「マスター、少しいいですか?」とリサが声をかけてきた。

「なにかあった?」振り返った僕を見たリサは少し悲しい微笑みを浮かべた。「二階の部屋には結衣さんの描いた絵がたくさんありました。探せばマスターが描いた絵もあるのではないでしょうか?」僕は小さくうなずいて、玄関に向き直って鍵をかけた。

「もういいんだ。これだけで……」僕は実家に別れを告げて、まごころ源号に乗り込んだ。


ゴミ処理場からの帰り道、信号待ちの交差点で前に停まったトラックに目を奪われた。金太郎のような派手な絵と『日本全国一人旅』の金縁文字が車体に書かれている。何より、電飾の派手さとピカピカのシルバーで縁取られた車体、そしてカスタムされたバンパー。すべてが整っている。「かっこいいよな」思わずつぶやいた僕に、リサが冷めた口調で問いかける。「あれのどこがかっこいいのですか?」

おっと、これは話し合いが必要なようだ。「リサ、古い映画だけど、一番星号ってトラック、知ってる?」「トラック野郎ですね。もちろん知っています」「あのシリーズのトラック、どれもかっこいいよな」「それは理解できません」

信号が変わって、トラックがマフラーからド派手な音を上げて発進した。僕も後を追うように、まごころ源号を発進させた。「そっかー、リサには分かんないよなー。男のロマン」「ロマンですか……マスターはそんな古い映画をご存知なんですね」

僕はハンドルを握り、横目でリサを見る。彼女は興味深そうに僕を見つめている。「父親が好きで、小さい頃よく一緒にビデオを観てたんだ。今は規制が厳しいから見ないけど、もっと派手なトラックも走ってたんだって……憧れるよなー」「なるほど、マスターにとっては思い出と憧れとロマンが凝縮された存在なのですね」「そうかもしれないなー」


店に戻った僕たちは、真っ先に結衣ちゃんのタンスを運び込んだ。残りの段ボール箱を僕が運び、リサがタンスに服を片付けている。「なにか手伝おうか?」全部運び終えて声をかけると、「邪魔になりますので、店番でもしておいてください」と部屋から追い出されてしまった。

店のカウンターに腰を下ろしたところで、ポケットの中でスマホが震えた。着信画面を見ると、印刷屋の親父からだ。「チラシができたのかな」電話に出ると、いつもの無愛想な声が聞こえてきた。

「お前さんに頼まれたチラシ、できてるよ」「これから取りに行きます」「いや、ちょっとお前さんに頼みたいことがあるからよ。三十分後にメランコリックまで来てくれ」わざわざ店の近くの喫茶店まで来てくれるほどの相談なのか?「分かりました。三十分後ですね」あの無愛想な親父の親切さに、嫌な予感しかしない。


しばらく店番という名のネットサーフィンをしていたら、リサが店に入ってきた。「マスター、そんなにいやらしいものがご希望なら、私がいくらでもお見せしますのに」——どこをどう見てそう言ったのか分からないが、無視して答えておこう。「見てのとおりだよ。同業者のホームページを見てたんだ」

リサが僕の隣に腰を下ろし、画面をのぞき込んだ。「何のためにそんなことをなさっていたのですか?」「いや、ホームページ作るのもいいかなって思ってさ。まあ、検討段階だけどね」「そうでしたか。お茶を淹れましょうか?」そう言って、リサはスカートを少しまくり上げる。

「いや、ちょっと出かけるから、店番をお願いするよ」「分かりました。気をつけていってらっしゃいませ」僕はズボンのポケットを触り、スマホと財布を確認して店を出た。


——純喫茶メランコリック。意味を知って付けたのかは分からないが、なかなか鬱になるような名の喫茶店。四十代前半のマスターは影が薄く、店を訪れた客が無人だと思って帰ってしまうため、元気のいいアルバイトの存在が大きい。ちなみに夜はマスターが一人でスナック営業をして、この近所のおっさん連中の憩いの場になっている。

カランカランと音を立てて扉を開けると、カウンターに座っている女の子が振り向いた。「いらっしゃいませー!あっ、源屋さんじゃないですかー。しばらくぶりでしたね」「お久しぶりです」明るい雰囲気を壊すように、「おう、こっちだ!」という声が響く。

奥のテーブル席で手を上げる印刷屋の親父だ。「僕はホットコーヒーで」「まいどありー!」ここまで店のマスターはまったく存在を感じさせない。もはや達人芸ではないだろうか。

席に着くと、親父はすぐに話しかけてきた。「お前さん、大変だったらしいな」「ようやく落ち着きましたよ」「そうか。まあ、気を落とさずに頑張れや」と言って、紙袋を手渡してきた。中をのぞくと、頼んでいたチラシが入っている。「ありがとうございました。またお願いします」親父はうなずいて、カップを手に取り、コーヒーを啜った。

「それで、相談って?」親父はカップを戻すと、少し身を乗り出してきた。「お前さん、浦島の爺さん知ってるだろ?」「知っていますよ。この間、市役所で会いました。また迷子になったんですか?」「いや、そうじゃない。あの爺さんがな、ぴより野町のミニコミ誌を発行するんだ」

そういえばあの爺さん、この町が大好きで徘徊してるって言ってたな。「浦島さんらしくていいんじゃないですか」親父はさらに身を乗り出す。「それでだ。お前さん、広告出してくれ」「広告?」「ああ、スポンサーってやつだ。月一回発行で、最低五百部は配る。どうだ、出してくれないか?ていうか、出しやがれ」何だよこの親父は。嫌な予感的中だったな。

テーブルにそっとコーヒーが差し出された。「うちの店も広告出すんですよ。ねー、マスター」「うん……ほとんど強制だけどさ……」マスターいたんだ。「うちの店は一番小さいサイズですけどねー」

「でもこの小さい町で、月一回発行できるほどのネタがありますか?」印刷屋の親父はにやけた顔で僕を見る。「それがあるんだよ。この間も、そこのドブ川で、きれいな女がドジョウすくってたらしい」——ん?

「あー、それ私見ましたよー。すっごくきれいな女の人が、スカートを太ももまでまくり上げて、ドジョウすくってました。あんな汚い川のドジョウをすくってどうするんですかねー」ものすごく心当たりがある。きっとその汚いドブ川のドジョウは僕が食べました……

「そ、そうなんですか……」リサは僕になんてものを食わせたんだ。「なっ、月に一回くらいはそんなネタがあるんだよ」とりあえず深呼吸をして心を鎮める。「どうせ僕に断らせないつもりなんでしょ?」

印刷屋の親父はソファーに深く腰を掛けた。「よく分かってるじゃねえか」「じゃあ、うちも一番小さいやつでお願いします」「それは無理な相談だ。もう空きがない」「なら、できるだけ小さいやつで」「一番小さくても見開きだ。それしか空いてない」はめられた……

「ちょっと待ってくれ。いくらするんだ?」親父は両手を広げた。「月十万だ」「出せるわけないだろ……」

僕はカウンターに向かって声をかける。「ここの店はいくらなの?」「マスター、いくらなんですか?」あの子はマスターの通訳もしているのだろうか?

「六段で月三千円だそうです」ということは、一ページ一万八千円……「おい、親父……」「もうバレたか……月三万だよ」「セコいことすんなよ」コーヒーをひと口飲んで、冷静に考えてみる。やっぱり高いよな……でも、浦島の爺さんには世話になってるから、断りにくい。

「値引きしてやったんだから、決まりだな。また、浦島の爺さんがお前さんとこに電話するからよ」印刷屋の親父は店を後にした。「なにが値引きだよ……普通の料金になっただけだろ……」

「源屋さんも大変ですねー。でも、源屋さんの広告楽しみですよー」と差し出された伝票に視線を落とす。——あの親父、コーヒー代まで僕に回して帰りやがった……


印刷屋の親父にすっかりカモられて、帰路についた僕は、紙袋の中のチラシに視線を向けた。「ミニコミ誌に広告出すなら、これ、要らなかったな……早めに配ってしまうか」ミニコミ誌の広告の件はリサに相談してみよう。メランコリックのマスターの話だと、写真撮影には来てくれるらしいから、リサならうまくやってくれるだろう。

メランコリックから徒歩三分の道のりが終わる頃、店の前にまごころ源号を停めて、リサが何かしている。指で眼鏡を押し上げて見ると、まごころ源号のルーフに派手なライトをつけようとしていた。

僕は焦って駆け出す。「リ、リサ!なにやってんの?」リサが笑顔で振り向く。「あっ、マスターおかえりなさいませ。見てのとおり、修理したついでにデコレーションを施しております」「いや、ダメだよ」「でも、マスターの思い出と憧れとロマンを実現すれば、今夜には私が床上手になれそうですが」——何言ってんだコイツ……

ため息をついた僕は、まごころ源号を見上げる。ルーフに取り付けられたフレームに投光器が三つ等間隔で並んでいた。「でも、夜の作業に役立ちそうだな……リサ、これはスイッチで点けたり消したりできるの?」「そのようになっておりますが……」リサは少し不安そうな表情で僕を見ている。「そうか、このまま使うよ。便利そうだし。ありがとう、リサ」彼女の顔から不安の色が消え、笑顔で僕に抱きついてきた。女の子は感極まると抱きつく生き物なのだろうか?

「マスター、不安にさせないでください。これを怒られたら、あれをどうしようかと心配になったじゃありませんか」と、僕にしがみついたリサが車庫を指さす。そこにはド派手なデコチャリが停めてある。

「すごいデコチャ……おい、まさか……」顔を上げたリサが微笑む。「はい、マスターの愛車『バッカル二号改Ⅱ』です」バサッと乾いた音を立て、手から紙袋が滑り落ちた。「おい、嘘だろ……」「現実です。マスター」僕はリサにもたれかかるように崩れ落ち、地面に膝をついた。


「ああ……僕のバッカル二号改Ⅱが……」気の抜けた声しか出せない僕は、リサに無理やり起こされる。「マスター、新しいバッカル二号改Ⅱの説明をしますので、立ち上がってください」「ああ……僕の……僕のバッカル二号改Ⅱが……」念仏のように繰り返しつぶやく僕は、リサの肩を借りてバッカル二号改Ⅱの前に引きずられた。

「まずはこのフロントです。前出しフロントバンパーは地面ギリギリを攻め、その先端で派手に点滅する三色のフォグランプはLEDを採用しています。運転席はシルバーにゴールドを差したフレームで覆い、強化アクリルで安全性を高めました。雨でも雨具なしで操縦可能です。さらに同じデザインのステーミラーで後方確認も万全にしてあります。もちろんルーフにはホーンの間に輝くネオン、『御意見無用』の内照看板も装備しています」——これは、すでにバッカル二号改Ⅱの面影すら残っていないな。

リサはさらに僕を引きずる。「限界まで伸ばした背もたれ付きのシートもかっこいいですね。それよりもここです。弱点となるペダル部分をサイドバンパーで覆ったことで、突然の襲撃にも万全です。当然、ここにも電飾を仕込みました」いったい、僕は何から狙われているんだ?

「そして、最も高い安全性が求められる結衣さんのシート部分は、箱車風に三方と上部を厚さ二ミリのステンレスで覆い、サイドは荒れた海に吠える熊の口からまさかの『まごころ堂源屋』のセリフ。そうそう、この熊の目は威嚇のために光ります。バックは結衣さんの健やかな成長を願って、絵巻風の昇り鯉をあしらいました。もちろんリアバンパーも含めて、可能な限りの電飾を施しております」——リサは力説しているが、後方に行くにつれて、ネタ化していないか?

「マスター、コックピットも見てください。上部にはお約束の行灯提灯、さらにカーステレオを搭載しました!」ここまでやられると、もう諦めるしかない……ため息をついたとき、ハンドルにぶら下がっているマイクのようなものが目に入った。「これ、何?」「これは無線機のマイクです。残念ながら飾りです」「何に使うの?」リサはマイクを手に取り、口元に当て、スイッチをカチッと押した。

「ジョナサーン」——何言ってんだコイツ……「このように使います」「なんだよ、ジョナサンって」リサが驚いた顔を見せる。

「マスター、『やもめのジョナサン』をご存じないのですか?『キンキンケロンパ』のケロンパじゃないほうです」「キンキンのほうじゃダメなのか?」リサは顔をそらして、「どっちでもいいです」と呟いた。

「ともかくです。これでマスターは思い出と憧れとロマンを手に入れて、気分は星桃次郎。そしてトラック野郎にはマドンナがつきもの。今夜の私は床上手で、全てがうまくいくわけです」誇らしげに胸を張るリサに「僕は乗らないよ」とだけ伝えて店に向かう。


「ちょっと待ってください、マスター。どちらに行かれるのですか?」「結衣ちゃんを迎えに行かなきゃ。今日は歩きだし、早めに出るよ」「バッカル二号改Ⅱ一番星仕様に乗っていってください」

僕はバッカル二号改Ⅱ一番星仕様を一瞥した。「重そうだし、僕には運転できないよ」「たしかにそうですね……申し訳ございません。マスターのためと思い、余計なことをしてしまいました」目に涙を浮かべるリサを見て、不思議とすべてを許せる気持ちになる。

「いいよ。もう古かったし新しいのを買うから」「マスター、この一番星仕様はどうします?」「それはリサにあげるから、大事に使ってくれないか?」

リサが涙を拭きながら近づいてきて、僕を潤んだ瞳で見つめる。「じゃあ……床上手にしてくれます?」甘えた声で何を言ってるんだ?「しないよ」「じゃあ、一緒に結衣さんを迎えに行きます」それはダメだ。絶対に面倒になる。「いや、ひとりで行くから」「じゃあ、床上手にしてください」……引き下がるつもりはなさそうだな。

「絶対に面倒を起こさないって約束できる?」リサの表情がぱあっと華やぐ。「もちろんです!マスターがお仕事でお忙しいときは、私が迎えに行かなければと思っておりました」

ん?たしかにリサの言うことには一理あるな。「そうだね。そうしてもらえると僕も助かる……じゃあ、一緒に行こうか」僕はご機嫌なリサと一緒に、片道三十分の道のりを歩いて保育園に向かう。


「こんにちはー」声をかけて保育室に入ると、結衣ちゃんがこっちを向いて、いつも以上の笑顔を見せる。

「あー!リサママだー!」駆け寄ってくる結衣ちゃんを、リサが抱き止めた。「結衣さん、保育園は楽しいですか?」「うん!」「お友達もたくさんいるようですね」「そーだよ!すみれちゃんと、りくくんと、えみかちゃんと……いーっぱい」リサは結衣ちゃんの相手が上手なのだろうか、僕と話すとき以上に、結衣ちゃんがおしゃべりになる。

洗濯物を確認して、登園かばんに詰めている僕の後ろで、リサと結衣ちゃんのおしゃべりは続いている。こういうのもいいものだ……

「その人は誰ですか?」冷めきった声が背中に突き刺さる。うん、聞こえなかったことにしておこう。「結衣ちゃんのおじさーん、この女性はどなたですかー?」僕の額から汗が吹き出しているのを見て、リサが静かに立ち上がった。

「はじめまして、私はリサと申します。まごころ堂源屋で住み込みで働く美しい従業員です。お見知りおきを」深々と頭を下げるリサを、三浦先生は冷たい目で見る。「なんですか?住み込みの従業員って!」今の言葉は明らかに僕に向けられてるよな。

「住み込みの従業員とは、仕事の手伝いから料理、洗濯、夜のお世話まで愚痴ひとつこぼさずこなす、恋人以上、妻未満の都合のいい女のことですが、ご存じなかったのですか?」

リサ……もうやめてくれ……。冷や汗が頬を伝う僕の顔を、結衣ちゃんがのぞき込んで、「おじちゃん、だいじょうぶ?つかれた?」と気遣ってくれる。「うん、大丈夫だよ。早く片付けて帰ろうねー」「うん!」

「おじさん。私にプロポーズをしておきながら、こんな女と同棲していたのですか!」プロポーズなんてしていないし、同棲したくてしたんじゃないけど、今そんな話をしたら、火に油を注ぐだけだ。黙っておこう。

黙々と片付ける僕の後ろで、リサが鼻で笑った。「私は『こんな女』ではございません。『ママ』『奥様』『お母様』、好きな名前で呼んでください」

うつむいた三浦先生が震える声を絞り出す。「それは……それは、私が呼ばれたいです……」リサは胸を張って、余裕の笑みを浮かべた。「残念でしたね。今夜の私は床上手ですから」

「と、床上手……?いったいおじさんに何をする気ですか?」「マスターに何をするのではなく、ナニをされるのです」まずい、話が変な方向に向かい始めた……

「ちょ、ちょっと二人とも、子どもたちもいるんだし、少しは控えて……」「おじさんは黙っていてください!」


「都合が悪くなると大声を出すなんて下品です。マスターがそのような女性を相手にすると思いますか?」

「あなたのようなすれた女はおじさんに似合いません!」

「ではどのような女性がマスターに似合うのですか?」

「私のような未経験でうぶな女性です。あなたの出る幕はありません」

「私だって新品です。それに今日はマスターの実家に伺って、ご両親の遺影にご挨拶してまいりました」

「なっ……」三浦先生は言葉に詰まった。——それとリサ、両親の遺影は店の方に置いてあるだろ。

「どうしました、マスターに対する私の深い愛に怖気づきましたか」

「いくら……いくらおじさんが童貞でも、あなたには騙されませんよ!」

「たしかに童貞マスターで、得意技はセクハラ発言と高速箱ティッシュ三枚抜きですが、すでに私の優しさに溺れています」

——なに、その芸名みたいな『童貞マスター』と、隠し芸みたいな『高速箱ティッシュ三枚抜き』って。それと、童貞童貞って言い過ぎだろ。

「ええ、たしかにおじさんは私にいやらしい視線を向けますが、それもかわいいんです。童貞だからってバカにするあなたは、おじさんにふさわしくありません」

「マスターは童貞のくせに、仕事用のパソコンにいかがわしい画像を分類・整理して保存している変態ですが、私にだけは優しいのです。これは私を伴侶に選んだ証拠でしょう?」

「いいえ、童貞のくせに、プロポーズしたのは私が先です」

——ねえ、その会話に『童貞』って必要ですか?てか、二人とも僕をバカにしていませんか?

「マスターは三十歳まで童貞を守って魔女っ娘になると意気がっているバカですが、あなたにプロポーズするはずがありません」

「たしかにおじさんは、自転車に名前をつけて疾走するバカですが、あのプロポーズは本気でした」

——もう、二人とも『バカ』って言っちゃってるよね。


張り合う二人を、いつの間にか子どもたちが囲んでいた。「あー、このひとしってるー。どじょうすくいのおねーちゃんだ!」「ほんとだー、どじょうすくいのひとがきたー」どうやらリサはいろいろなところで有名になっているようだ。

準備ができた登園かばんを脇に置いて、ため息をついたところで、僕の頭が優しく撫でられた。「おじちゃん、だいじょうぶ?」「ありがとう、大丈夫だよ」微笑んだ僕に、結衣ちゃんが抱きついてきた。「おじちゃん、だいすき」なぜか胸が熱くなる。

そうだよな、言い争っている二人より、結衣ちゃんが一番だよな……「ありがとう、結衣ちゃん。もう、リサは置いて帰ろうか」「うん!」僕は結衣ちゃんの手を引き、保育室を後にした。

デコ演出は、私の大好きな映画『トラック野郎』シリーズへのオマージュです。リサが三号線を爆走する日も近い……?


お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。

毎週土曜日投稿予定。よければブックマーク・評価のひと手間を。誤字は各話末の『誤字報告』からお願いします。

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