女子会と着せ替え人形
「おはようございます!」
「おはよーございます!」
挨拶をしてはりもぐら組に入ると、結衣ちゃんは保育園かばんを棚に放り込み、窓側に走っていってしまった。
慣れない眼鏡を指で押し上げて見ると、璃久くんとスミレちゃんと絵美花ちゃんの四人で輪になってなにか話している。きっと、今日何をして遊ぶか相談しているんだろう。
子どもはああして友達同士で遊ぶのが仕事なんだよな。その中で学ぶことも多いだろうし、次第に親友と呼び合う友達ができるのだろう。
でも、僕にそんな友達はいなかった……不思議だ、何故か目が潤んできた。
涙をこらえながら僕は結衣ちゃんの着替えを棚に片付ける。すっかり慣れたこの作業の間、保育室にあふれる園児たちの声が、つらい思い出を通り越して、僕に活力を与えてくれるご褒美だと信じている。
「おじさま、きょうのめがねはかっこいいです」
ちょっぴりセンチメンタルな気持ちになってしまった僕の顔を、絵美花ちゃんがのぞき込んできた。「おはよう」と声をかけると、絵美花ちゃんはにこにこしながら、なぜか僕の膝に座ってしまった……片付けられねーよ。
「おっちゃん、おっす!」
「おはようございます」
どうやら、璃久くんとスミレちゃんも来たようだ。もしかして、さっきは僕と遊ぶ相談でもしてたのか?どうしたものかと固まる僕の膝に座る絵美花ちゃんを、結衣ちゃんが指差した。
「あー、えみかちゃん。そこ、リゼちゃんのところなんだよー」
結衣ちゃん、そこは結衣ちゃんのところだと言ってほしかった。なんでリゼのところになってるんだ?僕は結衣ちゃんに嫌われているのか?
「いまはえみかのところですわ」
「ねえ、ゆいちゃん。リゼちゃんって、おともだち?」
「リゼちゃんは、いつもあそんでくれるの」
「ゆいは、ともだちいっぱいいるんだな」
早く片付けを済ませて仕事に向かいたい僕は、保育園児四人に完全に包囲されてしまった。
「はい、みんな。おじさんの邪魔をしたらいけませんよ」
三浦先生に声をかけられ、子どもたちが一斉に振り返る。そして僕には悪寒が走る……
ラブリー・マコッティにラブリー・カレーを食べさせられて以来、ふいに三浦先生の声が聞こえると、冷や汗が出て体が震えるようになってしまった。
「わー、まことせんせーがでたぞー!」
「真琴先生が出たってなんですか!」
一斉に駆け出して行った子どもたちに、三浦先生はプリプリ怒っているが、できれば僕も逃げ出したい。
「おじさん、おはようございます」
「お、おはようございます……」
振り返って挨拶を返したら、三浦先生は一瞬顔をそらした。いつもと違う眼鏡だからだろうか、これ一つで印象が大きく変わるからな。
「あの……おじさん。はむはむ祭りは来るんですか?」
はむはむ祭り?なんなんだ、その何のひねりもない祭りは……ひょっとこ面でもつけて踊るつもりか?
「えっと、なんですかそれ?」
「毎年、春と秋にある、保育園のお祭りです」
「へー、二回もあるんですか……春はパン祭りですか?」
「春はお祭りっぽく先生たちの出店があって、秋はお遊戯会とか園児の絵を展示したりとかなんですよ」
「そ、そうなんですか……」
「私は、かものはし組の先生と、カレーのお店を出すんです」
か、カレーだと……三浦先生のカレーは僕の意識を一瞬で刈り取れるほど暴力的な味だ……そんなものを他人に振る舞っていいのか?
「な、なんだか楽しそうですね……結衣ちゃんと相談してみます」
「はい。結衣ちゃんも楽しみにしてるので、おじさんも来てくださいね」
そう言って三浦先生は園児たちのところへ向かったが、今の話の何を楽しみにしろと言ったのかわからなかった。でも、結衣ちゃんが楽しみにしてるなら参加しないと、本当に嫌われてしまいそうな気がするし、嫌われないためなら、僕は三浦先生のカレーも喜んで食べる。もしかすると、カレーと呼ばれる新たなレクリエーションかもしれないんだし、今から考えても仕方がない。
カレーについては一旦保留として、祭りの件は帰りに結衣ちゃんと相談することにした僕は、久しぶりに一人での仕事に向かった。
——チリンチリン。ひと仕事終えた僕を労うように、店の扉が優しい音を奏でる。
「おかえりなさいませ、マスター」
いつもはカウンターに陣取っているリサが、今日は出迎えてくれた。だが、その顔に薄笑いを浮かべている。はむはむ祭りの話をしようと思っていたが、気勢を削がれてしまった。
「なんで、にやけてるんだ?」
「いえ、けっしてマスターの眼鏡がダサいからではありません。他に笑う要素もありませんが」
「仕方ないだろ、これしか眼鏡がないんだから」
ダサいのは分かってる。ミステリアスで知性派な印象の自分になりたかった高校生の頃の僕が買った、やたらと大きい丸眼鏡なんだし。それで女にモテるって信じていた頃の眼鏡なんだし……モテるどころか誰も寄り付かなくなったけど……
「親方、そんな眼鏡よりコンタクトのほうがいいんじゃないか?」
「嫌だよ、なんか怖いし……」
「ふっ、主様のヘタレ……」
「ヘタレって何だよ」
「そのヘタレマスターは、いつまでそんな痛い子の眼鏡をかけているのですか?」
「いや、リサが壊したからこれしかないんだろ」
いったいなんなんだ?帰ってくるなり寄ってたかって眼鏡いじりか?褒めてくれたのは絵美花ちゃんだけじゃないか。
「リサが修理してくれるんじゃなかったのか?修理が無理ならこれから買いに行くよ」
「そんな困っているマスターのために——」
そう言いかけたリサは、スカートから眼鏡ケースを取り出して、僕に手渡してきた。
「修理と改造が終わりましたので、これを進呈します」
「ちょっと待て、改造ってなんだよ……これも歩きだしたりするのか?」
「そ、そんな……嫁入り道具だなんて……」
なに言ってんだこいつは……呆れる僕をよそに、リサは両手で顔を隠して、もじもじしているけど、恥ずかしいなら言わなきゃいいだろ……
「あのさ、どんな改造をしたか教えてくれないと、かけられないだろ」
「にひひひ、親方、ビビってんのか?」
「べ、別にビビってないし……眼鏡をかけて洗脳されたりしたら嫌なだけだし……」
「うむ、その手があったか……主様を眼鏡で支配すれば、全人類は我の支配下も同然……」
「リゼ、本気でやめろよ。もう膝に座らせないぞ」
「むむ……それは困る……猫ポジションたる我にとっては死活問題……」
リゼはなぜそこまで僕の膝にこだわるんだろうか……最近は結衣ちゃんと遊ぶときも僕の膝に座るようになったんだけど、普通逆だろ……結衣ちゃんに譲る気はないんだろうか。
このままじゃ埒が明かないと思って、眼鏡ケースを開けてみたら、僕の愛用の眼鏡がそのまま入っていた。
「手も足もついていないな……今から飛び出すのか?」
「マスター、失礼です。その眼鏡は服が透けて見える以外、至って普通の眼鏡です!」
「おい、リサ……今、なんて言った」
「服が透けて見える……そうです、マスターの眼鏡は透視眼鏡『見えてる君(普及品)』に進化しました」
「なっ、なんだってー!」
これは全世界の僕の憧れの品じゃないか……待てよ、この眼鏡をかけたら何を見ても人の全骨格が見えるようなインチキ商品じゃないよな……いや、レンズは普通のレンズだ……
服を消すのに調整が難しくて、結局見えないような代物じゃないよな……いや、調整するようなツマミもスイッチもついていない……
「ほ、本物なのか……」とつぶやきながら眼鏡を手に取った僕を見て、リサは含みのある笑みを浮かべた。
「もちろんです。使い方は簡単、いつものとおりかけるだけ……アレなマスターでも簡単に使えます」
アレが何か気にはなるが、今の僕はなぜか心臓がバクバクしている。手にしている眼鏡をかければ、パラダイスが広がるのか……僕の良心は一瞬も顔をのぞかせず、煩悩を満たすために湧き上がった勇気に後押しされ、本能の赴くままに眼鏡をかけてみた。
目の前には——いつもと同じリサが立っている。
「普通の眼鏡だけど……」
リサを上から下までじっくり見てみたが、さっきと何も変わらないままだった。
なぜか急に恥ずかしくなってしまった僕の顔から、リサが眼鏡を外した。
「そんなことはありません」と言って眼鏡をかけたリサは、僕を見て頬を染めた。
「マスターのそれは……もう少し大きくなりますか?」
眼鏡を外したリサは横目で僕を見ているけど、いったい僕の何を見てそう言ったんだ?
「おい、リサ。あたいにも貸せよ」
リサから奪い取った眼鏡をかけたリナが、僕をじっと見た。
「——リゼも見るか?」
リナは外した眼鏡をリゼに手渡したけど、なんか言ってくれないか?
眼鏡をかけてじっと僕を見ていたリゼは、大きなため息をついた。
「だめだこりゃ……」
そう漏らして、リゼは外した眼鏡を僕に返してくれたけど、いったい僕の何に対して言ったんだよ。
僕も、もう一度眼鏡をかけてリサを見てみるが、さっきと変わったのは、恥ずかしがっているくらいだった。
「主様……それは、ただの眼鏡……」
「じゃあ、なんで僕を見たリサが恥ずかしがってるんだ?」
「親方がその眼鏡をかけてリサを見たからだろ」
「いや、でもさ……リサは僕にもう少し大きくなるかとか言っただろ?」
「主様……それは服を着ていてもわかる……」
なっ、しまった……そういうことだったのか……勝手な想像で興奮して体は先走ってしまっていたんだ……最悪だ、恥ずかしすぎる。
「それより親方……なんでリサだけ見て、あたいとリゼは見なかったんだ?」
「うむ……処す」
リナ、指をポキポキ鳴らすのはやめろ。それと、リゼ、胸元から取り出した小瓶の蓋を開けるんじゃない……
じわじわと迫りくるリナとリゼから逃げ出そうと、振り返った瞬間、僕の背中が幸せな感触に包まれた。
「マスター、私の裸が見れなかったからといって、早まってはいけません。命は大切にしてください」
リサはいったい僕が何をすると思ったんだ?——いや、違う。完全に捕まってしまった……身動きできない僕を背中から抱きしめたまま、リサはリナとリゼを振り返った。
「そんなことより、二人とも改めて見てどう思いましたか?」
「か、かわいかったな……」
「うむ、気づいてはいたが、改めて見ると……いい……」
「やりますか?」
リサの不穏な問いかけに、リナとリゼはコクリとうなずいた。心なしか二人とも、嬉しそうな恥ずかしそうな微妙な表情をしている。
「おい、リサ。何をする気なんだ?」
「眼鏡を外したマスターがかわいいのです。そして、マスターは魔女っ娘になりたい……と、そういうことです」
どういうことだ?——あと、その意味不明なことを、なぜ耳元で囁いたのかもわからない。
「僕に理解できるように説明してくれないかな?」
「にひひひ、あたいが教えてやるぜ」
リナは僕の前に立つと、上目遣いで僕を見つめて、小さくうなずいた。いったいどんな話をされるのか不安が募る。
「親方、今日は暇だろ?だからだぜ!」
おい、リナ……僕の不安を無駄にしないでくれないか?
「いや、全くわからないんだが……あと、暇じゃないぞ。結衣ちゃんを迎えに行くまでに片付けておきたいこともあるんだから」
「主様に化粧をして、魔女っ娘になったらどうなるか試してみる……」
横から割って入ったリゼの説明が一番理解できた。というか、リゼの説明しか理解できなかった。
「僕に……化粧?」
「そうです。突然魔女っ娘になると、毎日の化粧が面倒になったマスターが悶死するかもしれません」
「そうだぜ。イメージと違いすぎて、親方が魔女っ娘になるのを諦めるかもしれないと思ってな」
「化粧をした主様の写真を飾って、毎日崇め奉ってやる……」
三人の意味不明な説明を聞かされて呆気にとられている間に、僕は椅子に座らされ、ロープでくくりつけられてしまった。
——僕は人生最大のピンチを迎えているのかもしれない……眼鏡を外した僕の顔をリサ、リナ、リゼの三人がニヤニヤしながらのぞき込んでいる。
「あのさ……化粧はまだ早いんじゃないかな?って思うんだけど」
「エロ眼鏡……静かにしろ……」
「そうだぞ、親方。これで一日の気分が決まる神聖な儀式なんだぜ」
「マスター、お化粧中はじっとしていてください。でないと、首が飛びます」
く、首が飛ぶような儀式なのか?女性は毎朝命がけの儀式をしているのか?ということはだぞ……厚化粧の婆さんと怪人ザマスは歴戦の勇者なのかもしれない。
リナが何かを染み込ませたコットンで、不安にひきつる僕の顔を丁寧に拭き始めた。冷たさに耐える僕の顔がさらにひきつるのがわかる。
「息はしても大丈夫なのか?」
「仕方がありません……それくらいは許しますけど、死にたくなかったら目を閉じてください」
今度は何やら上等な見た目のスポンジを手にしたリサに脅されて目を閉じると、柔らかい感触が僕の顔に押し当てられた。慣れない匂いが漂い始め、思わず息を止めてしまった。
「想定以上に素材がいいですね……」
リサはため息まじりにそう漏らしたが、素材って何だよ……なにか訳のわからない機能を僕に搭載するつもりなのか?怖くなって目を開けたら、口紅を持ったリゼが僕に迫ってきた……
「やはり……影の支配者たる主様にはこの色が似合う……」
リゼがつぶやくと、リサとリナも大きくうなずいた。いったい何なんだ……すごく気になるけど、動いたら死んでしまう……
「なあ、リサ。もう少し目元をはっきりしたほうがいいぜ」
「チークは明るめのほうが似合いそうですね。あと、目が大きくなるようにしましょう」
「それなら、まつげも少し派手なほうがいいな」
「待て……それでは、主様がギャルになってしまう……」
三人は僕の顔から目を離さないまま、何か相談をしながら見たことのない道具で次々と僕を改造していく……命が惜しい僕は何もできず、時々ため息を漏らす三人に身を委ねるしかなかった。
「できました……」
リサのその声で、僕は命の危機を脱したことを知り、胸を撫で下ろした。
「想像してた以上の出来だぜ……」
「うむ……これはいい……気に入った」
「後は衣装ですね……」
リサのその言葉に僕の魔女っ娘の才能が逃げろと警告する。だが、椅子に縛り付けられた僕にはどうすることもできない。——そうだ、衣装ということは一瞬だけでも椅子から解放されるはず。そのときに逃げ出せばいいじゃないか。
「リナ、お願いします」
「任せろ」
僕のわずかな希望は一瞬で潰えた……リナにガッチリ掴まれたまま、リゼがロープを解くと、無理やり立たされた。
目の前でリサがスカートから次々と衣装を取り出してテーブルに並べる。なんというか、ラノベに出てくる魔女っ娘というより、ドラクエの女魔法使いみたいな衣装だが、なぜ女性用の下着まで並べられているんだ……
「リゼ、いきますよ。覚悟はいいですか?」
「ためらっては主様のためにならない……」
両手をワキワキとくねらせながら、リサとリゼが僕に近づいてくる。やばい、この二人——完全に本気だ。
「や、やめろ……これ以上はだめだ……」
僕の警告など聞こえないかのように、飛びかかってきた二人は、服を剥ぎ取り始めた。逃げ出そうにも、しっかりと僕を掴むリナを振り解けるはずもない……
「やめろー!こ、これだけは、ぱ、パンツだけは許してくださいー!」
それは、心の中の大切な何かを守るための死闘……尊厳を賭けた必死の抵抗で、我が防御部隊は最後の砦を死守することができた。
——三人にされるがままに化粧をされ、着せ替えられた僕は今、キラキラとした目で見つめられている。
「こ、これは……心ときめくほどに麗しいです」
「ああ……親方が魔女っ娘になりたがっていた理由がわかった気がするぜ」
「うむ……これは我が主としても、影の支配者としても相応しい容姿……」
どうやら褒められているようだが、僕は到底納得できない。
「これじゃまるで、着せ替え人形じゃないか……気が済んだだろ、着替えるよ」
「ちょっと待ってください、マスター」
そう言うとリサはスカートから姿見鏡を取り出して僕の前に立てた。
「どうですか?イメチェンどころの騒ぎではないでしょう」
だ、誰なんだこれは……クリっとした大きな瞳に、計算され尽くしたようなカーブを描くまつげ。禿げてないのにロングヘアのかつらをかぶせられたときは嫌だったけど、不思議なことに、ひと目見ただけで気分が変わった。
「め、眼鏡を返してくれないか?」
僕が頼むとリサが眼鏡をかけてくれた。
——どこか透き通るような肌に、ほんのり色づいた頬が健康的な明るさを自然に馴染ませ、少し派手目なラメ入りの赤い唇と相まって、少し背伸びした魔女っ娘っぽい。
「……か、かわいい」
「おい、親方。まさか自分に惚れたんじゃないだろうな……」
「そ、そんなことはないぞ……」
「エロ眼鏡が眼鏡美少女に変貌を遂げた……ふっ、支配される人類が羨ましい……」
リナとリゼの後ろに立っていたリサが、盛大なため息をついた。
「本当は、下着まで完璧にしたかったのですが……」
リサの気持ちはわからないでもない。ここまで美少女になりきったんだから、完璧を目指すのもありかもしれない。しばらく目を伏せて考えてみた結果、僕の覚悟が決まった。
「り、リサ……その……さっきの下着、貸してくれない?着替えてくるよ……」
三人の表情が一気に華やぎ、リサは何も言わずに下着を手渡してくれた……魔女っ娘のミニスカートからチラ見えする白いパンツ……いいじゃないか、早速着替えよう。
部屋に戻ってパンツを履き替えた僕が店に戻ると、テーブルにお茶とケーキが用意されていた。
「マスター、せっかくなので女子会をしましょう」
女子会……何なんだその神聖な響きは……いいのか?僕が参加してもいいのか?心の迷いで立ちすくむ僕に、リサが微笑んだのを見て、その神域に足を踏み入れてみることにした。
テーブルにつく前に、もう一度鏡に映る自分を見てみる。やっぱりかわいい……完璧な魔女っ娘じゃないか……
「親方、気に入ったみたいだな……」
「いや、そんなことはない。なんか新鮮なだけだし……かわいいなんて思ってないし……」
ニヤけるリサとリナの視線を感じながら席につくと、リゼは早速、僕の隣を占拠した。
「リゼ、ずるいですよ。マスターの隣は私です」
「いや、違う。あたいが親方の隣だ」
「何を言っている……我はリサとリナが、主様の顔を見て話せるように席を譲った……」
その一言で、リサとリナは嬉しそうに向かい側の席に腰を下ろした。二人とも、本当にそれでいいのか?
——何だろう、お茶とケーキと他愛もない会話が折り重なって紡がれる、この優雅な時間は……普段の会話でしかないはずなのに、僕の話題が出てもどこか他人事のように聞こえる。
やたらと美しい振る舞いと淑やかな表情のリサ。ボーイッシュな見た目のリナも、今は少女のように瞳を輝かせ、リゼに至っては外見の痛い子的かわいさより、漂う上品さが勝っている。
そうか……インスタに優雅なひとときを載せている人たちは、贅沢している自分たちを自慢したいんじゃなくて、この優雅な世界に浸ることで変貌を遂げた姿を見せたいんじゃないだろうか……まあ、どっちにしても僕には理解できないが。
「ところで、マスター……帰ってきたときになにか話そうとしていませんでしたか?」
「あっ、そうだった。保育園で……」
「ちょっと待て、親方」
リサに答えようとしたところで、割って入ったリナが少しムッとした顔をしている。
「せっかくきれいになってんだぜ、言葉遣いも気をつけろよ」
リナは今の言葉を本気で言ったのか?それを言うなら、まず自分の言葉遣いを直さないといけないだろ。まあいい、そんな野暮なことを口にして、この雰囲気を崩しては台無しだ。今は僕が変貌を遂げるときなんだ……
「ん、うん……今度、保育園でお祭りがあるらしいの。みんなで行きませんか?」
「へー、祭りか。面白そうだな……よし、みんなで行こうぜ」
「うむ……結衣姫の尊さに感謝する祭り……いいと思う」
なぜだ……リゼの独自な解釈が気にならない。それどころか、自然に返されたことが小っ恥ずかしくて耐えられない気持ちになる……なんだか自分がいたたまれないのは気のせいだろうか……
どことなく罰ゲームを受けているような気分で、ケーキを一口頬張る僕をじっと見つめていたリサが、ふいに首を傾げた。
「ところで、そのお祭りは何をするのですか?」
「えーっと、わからないけど……三浦先生はカレー屋さんをするって言ってましたよ」
優雅な雰囲気に包まれていた部屋が、一気に殺伐とした気配で満たされ始めた。
「おい、あれを子どもたちに食べさせる気なのか?」
「うむ……あれは匂いだけで食べてはいけないものだとわかった……」
「マスターの意識を失わせる代物です……いったい何の祭りをする気ですか」
「えっ、ぼ……じゃなかった。私に聞かれてもわかりませんわ。でも、隣のクラスの先生と一緒にやるみたいですから、大丈夫じゃないですか?」
その言葉で殺伐とした空気が急に緩み、優雅な雰囲気の女子会へと戻る。
「そうだな、それなら安心だぜ」
「うむ……そもそもあれはカレーどころか食べ物ですらない……」
「私は隣のクラスの先生も知っていますが、常識的な方でした。滅多なことはないでしょう」
「そ、そう……それなら私も安心です。あれはもう二度と食べたくありませんから」
そして再び他愛もない話題に戻り、あははは……うふふふ……と、どこからともなく上品な笑い声すら聞こえてきそうな女子会は続く。
華やかでありながら飾らない雰囲気に浸り、酔いしれるように紅茶を一口含んだ時、隣から「よし……」と呟く声が聞こえた。
椅子から降りて、にんまりと笑ったリゼが、おもむろに僕のスカートをめくり上げた。
「きゃっ、リゼ……なにを……」
思わず悲鳴にも似た声が漏れてしまった。恥ずかしい……スカートをめくられるのがこんなに恥ずかしいものだったとは……でも、なぜだろう、ちょっと興奮した。
呆気に取られている間に、リゼは僕の膝に向かい合わせに座り、目を閉じて心持ち顎を上げている。頭を撫でろってことだな。
「もう、リゼったら……いたずらはだめですよ」
僕が注意すると、リゼは目をうるませてコクリとうなずいた。あざとさも見え隠れするリゼの髪をそっと撫でると、彼女は嬉しそうに喉を鳴らす。完全に猫じゃないか……もふもふはしてないけど、気持ち良さそうに撫でられる様子を見ているだけで、なぜか幸せな気分になる。
猫モードになったリゼを膝に載せたまま、紅茶を嗜む午後のひととき……BGMなんて野暮なものは必要ない。淑やかながら楽しげに紡がれるリサとリナの会話が、贅沢な時間を演出してくれる。
でも、普段は見えないところで、二人ともたまに商店街に行ったり、メランコリックに行ったり、印刷屋の親父をからかったりしているようだ。ときどき相槌を打ちながら話を聞いていたが、僕は少し二人のことを勘違いしていたのかもしれない。二人はしっかり街に溶け込んでいるようだ。
その二人の話から、リゼも毎日のように商店街に出かけているようだ。結衣ちゃんの教材を探したり、紅巴里で結衣ちゃんのおやつに駄菓子を買ったり。自由気ままに過ごしているように見えるリゼだが、しっかり考えてくれているようだ。
それにだ、これだけ街の人と関わりながら、三人とも僕の仕事も手伝ってくれている……もし、僕一人だったら……もう音を上げていたんじゃないか。
「おい、親方。結衣を迎えに行かなくていいのか?」
頬ずりをし始めたリゼを目を細めて撫でていたら、不意にリナから声をかけられた。時計を見るといつもならもう保育園に着いている時間になっていた。
「やばい、すっかり女子会の雰囲気に呑まれてしまった……」
リゼを膝から下ろして急いで迎えに行く。店の扉を開けて一度振り返り三人に声をかける。
「今日は楽しかったから……また、女子会に誘ってくれ!」
感謝の気持ちを伝えた僕は、外に出て急に恥ずかしくなった……本当は三人が一緒にいてくれることに感謝しているのに、照れくさくなって女子会への感謝にすり替えてしまった。そんな照れを隠すかのように、僕は無心になってバッカル三号を保育園へ飛ばした。
——保育園に着いたらいつもより遅いせいか、お迎えのお母さんたちが多いように思えた。そして、なぜかお母さんたちが、僕にチラチラと視線を向けているような気がする。
いつもこんなに見られることなんてないから気のせいだと思うけど、何となくバッカル三号をかっこよく駐輪場に停車して、降りるときに気がついた……スカートを履いている……
さ、最悪だ……魔女っ娘の格好で迎えに来てしまった。着替えを忘れるなんて、女子会の魔力は侮れない……あと、園児の手を引くお母さんたちの視線が、急に生暖かくなった気がする。
「ど、どうしよう……着替えに帰る時間もないしな……」
そんなひとり言で焦ってみても仕方がない。覚悟を決めた僕は、魔女っ娘のまま園舎に向かった。
「結衣ちゃんに変に思われるかな……」
小さくつぶやき、顔を伏せて、そろりと園舎に入った途端、ドスドスと駆ける足音が近づいてきた。
「大ちゃあん!素敵よー!」
この声は……園長先生だ……最悪だ、目立たないようにこっそり入ってきたのに、そんな大声で名前を呼ぶとか……察してくれよ。
「園長先生……こ、こんにちは……」
「そう、そうだったの大ちゃん。へー、そうだったの……お化粧もバッチリ、かわいいわよ。はあ、眼鏡の向こうのキレイな瞳にあたしが映ってるわ……ス・テ・キ」
そうだ、化粧もしてたんだ……園長先生にバッチリと言わしめる化粧をして、魔女っ娘の格好のまま僕はバッカル三号をぶっ飛ばして保育園まで来たのか……
ところで、この人はなんで、僕の瞳に映った自分を見て素敵とか言ったんだ?なんと応じればいいか分からず苦笑している僕の両手が園長先生にしっかりと握りしめられた。
心なしか潤んだ目をキラキラと輝かせ、『ようこそ』って歓迎するような笑顔で僕を見つめている。あと、周りの園児とお母さんたちの目が冷めている……職員室からはさらに呆れた視線を感じる。
「ねえ、大ちゃん。どうして隠してたのよー、もうっ。どう?勇気を出したら世界が変わったでしょ?」
「い、いえ、そういう訳じゃないんです……なんというか、女子会の魔力にやられたというか……なんというか……」
「そう、集会に参加してたのねー。今度あたしたちの集会にも招待しちゃうわー」
集会って何だよ……どこのサバトなんだ?——そんなことより園長先生には完全に勘違いされている。園児にも、お母さんたちにも、他の先生にも違う方向で勘違いされている……ここははっきり断らないと。
「園長先生、これには事情があるんで、そういう趣向ではないんです」
「わかってるわよー、もうっ。そうよね、あたしもそうだったのよー。最初は誰だってそんなもんなのよ。次の集会のときは誘うから待っててね」
そう言い残して園長先生は満面の笑みで手を振りながら去っていった。散々煽りちらして去っていくなんて殺生だろ……取り残されたら取り残されたで、いたたまれない魔女っ娘が佇んでいるだけになってしまったんだが……
「こ、こんにちは……」
小さな声で挨拶をして保育室に入った僕は、誰にも見つからないように結衣ちゃんの荷物をこっそり片付け始める。息を潜ませ、そう文字どおり呼吸すら最小限にして、音を立てないよう細心の注意を払う。
「おじさま?」
……み、見つかってしまった。いや、気のせいだ今の僕はどこからどう見ても魔女っ娘のはずだ。おじさまなんて声をかけられるはずがない。
自分にそう言い聞かせ、魔女っ娘のスキル全開で気配を消し、残りの洗濯物をかばんに入れようと伸ばした僕の腕の下を小さな体がくぐり抜けた。
「おじさま、すてき……えみかをだきしめてください」
「え、絵美花ちゃん。どうしたの?」
「えみか、おじさまみたいになりたいですわ」
ほんのり頬を染めて、僕の顔をチラチラ見てくる絵美花ちゃんにどう答えたものかと手を止めていたら、「えっ……」と悲鳴にも似た声が背後から聞こえた。
「お、おじさん……何してるんですか?」
三浦先生にも見つかってしまった……もう弁解のしようがない、こうなったら奥の手を使おう。
「三浦先生、こんにちは。今日もありがとうございました」
「は、はい。それはいいんですけど……どうしちゃったんですか、その格好……」
「ん、何の話ですか?」
開き直った僕に怖いものは何もない、こうなったら何事もなかったかのようにいつもどおり振る舞ってやろうと決め、テキパキと片付けていたら、三浦先生が思わぬ言葉をつぶやいた。
「はむはむ祭りの仮装の練習?」
「はい、そうです。みんなの意見を聞いてみようかと思って」
ここぞとばかりに話に乗った。というか、いい話を聞いた。園長先生もこれで押し通せるんじゃないか?
「そ、そうなんですか……でも、ちょっと気が早いような」
「絵美花ちゃん、どうかなこの格好?」
「すてきです、えみかはおじさまとけっこんするときめました」
「そんなに褒めてもらえるとうれしいな」
絵美花ちゃんに無理やり笑いかける僕は、背後から何となく恐ろしい気配を感じて笑顔が引きつる。首を傾げる絵美花ちゃんから目をそらして振り向くと、結衣ちゃんがジト目で僕を見つめて立ち尽くしていた。
「結衣ちゃん、帰ろうか……」
「いや!」
「どうして?リサもリナもリゼも結衣ちゃんを待ってるよ」
「いや!」
窓側に走って行ってしまった結衣ちゃんを、絵美花ちゃんが追いかけていった。そして、二人で何やらひそひそ話し始めた。どうやら僕は完全に嫌われてしまったようだ……もう、魔女っ娘になるのを諦めようかな……
ぼんやり絶望に浸っていたら、絵美花ちゃんが僕に駆け寄ってきて、僕の手をしっかりと握りしめると、にっこりと微笑んだ。
「おじさまはえみかがもらっていいそうですわ」
いったい何の話をしてそんな結論に至ったのかはわからないが、それほどまでに結衣ちゃんから嫌われてしまったのは理解できた。だからといって、絵美花ちゃんにもらわれるわけにもいかない……
「おじさま、ゆいちゃんはリサおねえさまにきてほしいそうです」
そういうことか……それはそうだよな、魔女っ娘の格好をした僕と一緒には帰りたくないだろう。というか僕が結衣ちゃんの立場なら、同じことを思う。しかたない、リサに来てもらおうか。
——結局、その日から一週間、結衣ちゃんの送り迎えはリサが担当することになった。それどころか、リゼが言い聞かせて誤解を解くまでの間、結衣ちゃんは僕と一言も話をしてくれなかった。
あと、夜中にこっそり魔女っ娘の衣装を着ているところを、リナに見つかってしまった……
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