ラブリーマコッティとみつお君
休日の昼下がり、僕は一人店の作業机で資料に目をとおしていた。リサが経営状況などをまとめてくれたものだが、最後の『現状、経営は順調であり、地域に根ざした便利屋となるべく、新規獲得のためのホームページ作成は見送るべき』の一文を読み終えた僕は、資料を机に置いて盛大なため息を漏らした。なにせ、その後ろに『変態クソエロ眼鏡、処す』とリゼの字で書き添えられているのだから。
「構ってほしいのかな?」思わずひとり言をつぶやいてしまったが、それはあながち間違いではないと思う。現に今朝も結衣ちゃんが起きてくるまで、「膝に座らせろ」とか言っていたし……ただ、また口が臭いとか言われるのが嫌で、僕が避けているだけなんだけど。
「とりあえず、経営が順調なのと、リゼの機嫌が悪いのはわかったけど、結衣ちゃんの今後を考えたらもう少し仕事を増やしたい気持ちもあるんだよな」
僕は机の上の資料に目を落とした。たしかに不安は残るが、リサも考えた上でこうしてまとめてくれたんだろうし、いつも口頭なのに、あえて資料としてまとめたのは、彼女なりに思うところがあるのかもしれない。
「でもなー、ホームページってかっこいいよなー」僕は頭をひねる。実際のところホームページを作りたい理由は『かっこいいから』が一番大きい。名刺にホームページアドレスが書いてあるなんて、できる男みたいで憧れてしまう。
リサの意見と男としてのロマンに挟まれて苦悶していたら、チリンと小さな音が響いた。店の扉に視線を向けると、少し開いた隙間からラジカセが差し込まれすぐに閉じた。それは見覚えのある赤い本体のラジカセ。
しばらく前にリサがいじっていたときは、懐かしいものを見つけたな、などと思っていたが、いつものように商品として並んでいなかったから、気になっていたやつだ。
しかし、なぜ置いただけなんだろうとラジカセをじっと見ていたら、本体から足が伸び出てきて立ち上がった。「なんだよ……また動くやつを作ったのか?」などと思っていたら、今度は腕が飛び出して、自ら再生ボタンを押すと同時に、妙に景気がよくて頭の悪そうな、変に耳に残る軽快なリズムが流れ出す。しかし、再生させるだけなら、腕はともかく脚はつけなくてもよさそうなものだが……リサのこだわりだろうか。
直後、勢いよく開いた扉から、結衣ちゃんを先頭に、リゼ、リナ、リサが順に入ってきた。そろって腰を落とし、膝を曲げたまま、リズムに合わせて足並みをそろえ、どこか機械的に歩く四人。その無駄に息の合った動きに、僕は言葉を失った。
呆気にとられたまま座る僕の周りを、四人はぐるぐる歩き続ける。気づけば、ラジカセも加わって一緒に足並みをそろえて歩いている。
どうしたものかと考えながらしばらく見ていたら、四人が口をそろえて何かぶつぶつつぶやいているのに気づいた。耳を済ませると、「ホンダ・ホンダ・ホンダ・ホンダ」と言っているようだ……何か意味があるのだろうか。
まさか……少しずつ目覚めつつある魔女っ娘スキルを封印するための儀式なのでは……まずい、まだ不完全とはいえ魔女っ娘スキルの気配隠蔽と超感覚は、僕を取り巻く危険な環境から身を守るために必要だ……まあ、リサとリナとリゼはともかく、結衣ちゃんはそんなことしないか。
このままぐるぐる周りを歩かれるのも迷惑だし、「何やってんだ?」と声をかけたら、ピタリと音楽が止まり、四人とラジカセも歩みを止めた。
しばらくの沈黙のあと、リサが腰を落としたまま僕に顔を向けた。
「どうですか?新しく作った『ダンシングラジカセ・みつお君』は」
「えー、そっちを聞くの?」
面食らった僕は思わず口にしてしまったが、気を取り直して「いや、四人で何をしているのか聞きたかったんだけど」と言葉を続けると、四人は背を伸ばして満足げな表情でハイタッチを始めてしまった。
どうやら僕の疑問には誰も答えてくれないんだなと呆れていたら、ふいに袖を引かれた。顔を向けると満面の笑みを浮かべた結衣ちゃんが「おじちゃんもやろー!」と誘う。とても魅力的なお誘いだし、結衣ちゃんと遊ぶいい機会かもしれないが今日はそうもいかない。
「ごめんね、結衣ちゃん。これからウオノメ鮮魚店のおかみさんと会わないといけないんだ」
「マスター、不倫ですか?」
「見損なったぜ、親方」
「我をもてなさず、他の女に走るとは……処す……」
リサとリナとリゼは好き放題言ってくれたが、休日を潰して出かけないといけないのは、ほぼこの三人のせいだ。
「あのな、誰かさんたちが勝手に進めたファンクラブの件で呼び出されたんだよ」
「そうですか、そうですか。そんなに不倫したいですか」
「まったく、それならあたいが相手してもいいんだぜ」
「否、主様の相手は我に任せよ」
真面目に三人の相手をしていたら、僕の精神が持たない気がする。とりあえず結衣ちゃんの意思を確認しておこうと「結衣ちゃんはファンクラブとかできて嫌じゃないの?」と聞いてみたら、「うれしー!やー!」と両手を突き上げた。
直後、再び軽快なリズムが流れ始め、腰を落とした四人が僕の周りをぐるぐる歩き始めた。このままでは埒が明かない……
「じゃあ、僕はメランコリックに行ってくるから」
そう言い残した僕は、四人とラジカセを放置して店を後にした。
その頃、MAiD回収本部秘密基地ではエイダ、ニコラ、ゴードンの三人が深刻な表情を浮かべ、膝を突き合わせていた。
「ゴードン、大智がメランコリックに行くって情報は間違いないんだね?」
押し黙るゴードンに「ゴードン、エイダ様が尋ねていますよ」とニコラが返事を促す。ゴードンは目を閉じたまま、小さくうなずくと口を開いた。
「昼からウオノメのおかみさんと、ファンクラブのことで打ち合わせするんや……もうそろそろ向かってる頃ですわ」
「そうかい……ニコラ、首尾はどうだい?」
「準備万端ですよ。ゴードンと約束したとおり、バサットショットも超安全な構造のバサットショットMk−Ⅱに改良しましたし、大智をしばらく預かってくれる人も確保できていますから」
「ニコラ、それは誰なんや!大智はんは安全なんやろな」
声を張り上げたゴードンを見て、ニコラは呆れたようにため息をついた。
「心配いりませんよ、ゴードン。花屋で働いている薫子さんという、とても優しい女性です。大智を安全に匿ってくれる彼女へのお礼も兼ねて、空き店舗も準備しました」
「それで、作戦はどうするんだい?」
エイダが尋ねると、ニコラはぴより野町の地図を広げて、「大智が通る道は分かりますか?」と言ってゴードンに視線を向けた。
「源屋から歩いていくはずやし、通るのはこのルートや」ゴードンは地図に赤いラインを引いた。
「間違いないんだね?」エイダが問いかけると、ゴードンは「間違いないで、いつもここを通ってるのは確認しとるし、本人も今日は歩いていくと言っとったからな」と言って顔を伏せた。
ゴードンは大智と親しくしていたし、誘拐するのに反対もしていた。今は自らの心の中で葛藤しているのだろうと読んだエイダは、ゴードンの肩にそっと手を添えた。
「ゴードン……私は今日の作戦がうまくいってもいかなくても、これで終わりにしようと思ってるんだよ」
「せやな……これ以上続ける理由がワイにはわからんようになった……」
「そうですね……局長とも連絡が取れなくなっちゃいましたし、資金も底をついちゃいましたし、あたしたちが帰る場所もなくなってるような気がしますよ」
「ニコラの言うとおりだね。何も情報が入ってこないところを見ると、本国で何かあったと思うのが自然だよ」
肩を落としたまま顔を伏せているゴードンに向かって、エイダは話を続ける。
「でもね、ゴードン。大智に直接何もせずに終わるのは、任務の放棄だと思うんだよ。それはね、失敗とは全然違うんだ」
その言葉を聞いて、ニコラは深くうなずき、ゴードンは「せやな、ワイも軍人や。任務を放棄するわけにはいかん」と自分に言い聞かせて顔を上げた。
「じゃあ、ニコラ。どこで待ち伏せるんだい?」
エイダが問いかけると、ニコラは「ここですね」と地図の一点を指差した。
「ここなら、いつも人通りが少ないですし目立ちません。それに薫子さんの店まで歩いて行けますから、大智の確保に集中できます。メランコリックからの帰りを狙えば時間も稼げるでしょう」
「よし、決まりだね。さっそく行動開始だよ」
エイダの声を合図に、三人は揃って立ち上がり、いつものユニフォームに着替え始めた。
——まごころ堂源屋を出発した大智は、広い通りから一本入った道を歩いてメランコリックに向かう。途中、下りたままのシャッターの張り紙に気づいて立ち止まった。
「へえ、ここ花屋になるんだ……うちから近いし、父さんたちに供える花を買うのが楽になるな」
大智はそのまま店舗を見上げて、首を傾げた。
「いったい誰が花屋を始めるんだろうな?でも花芯堂より近いし、水無瀬さんに変に絡まれないから、こっちがいいよな……そのほうがリサも問題を起こさないだろうし」
そうひとり言をこぼした大智は、再びメランコリックに向かって歩き始める。
その後ろから、電柱や塀の影をさささっと伝いながら、怪しい人影がついて行く。腕時計に視線を落とした大智が少し歩みを早めると、その人影も慌てて後を追う。
つけられていることに気づかないまま歩き続ける大智から少し離れたところで、怪しい人影がふと足を止めた。
なぜかひょっとこ面をつけ、歩き去る大智の背中を見つめる圧倒的不審者は、「よし、ここなら大丈夫そう。準備しなきゃ」とつぶやき、方向を変えて小走りで去っていった。
——カランカラン……小気味よい音が鳴り響く純喫茶メランコリックの店内に「源屋さん、こっちこっち」と元気な女性の声が響く。
「お待たせしました」と声をかけながら、ウオノメ鮮魚店のおかみさんが待つテーブル席に腰を下ろすと、間髪入れずに「コーヒーでいいかい?」と尋ねてきた。
「あっ、はい。冷たいコーヒーで……」僕が言い終わる前に、「すずちゃん、アイスコーヒーちょうだい」とおかみさんは注文を済ませ、僕に話し始める。
「久しぶりだね。最近はリサちゃんばっかり買い物に来るから、全然見なかったね」
「はい、リサからは商店街のみなさんによくしてもらってると聞いてます。いつもありがとうございます」
「そうかい。そりゃよかったよ」
たしかに社交辞令として伝えたお礼だったけど、塩対応で返されてしまうと、微妙にへこむよな。
「それで、今日はお話があると……」
「そうなんだよ。ファンクラブの件なんだけどさ、源屋さんはよかったのかい?」
もう始まっていることを、よかったのかいと聞かれても困る……返す言葉に詰まった僕が、「まあ、今さらですよね」と答えると、「そうなんだよ。もう会員が十五人になってるしさ」とおかみさんは笑った。保育園児のファンクラブが十五人って……この町はどうなってるんだ?それに、僕はいったい何のために呼び出されたんだ?
まあ、ファンクラブについては、リサもリナもリゼも乗り気のようだし、結衣ちゃん本人も嫌がってるわけではなさそうだし、僕が何かを言える状況ではない。
「ミニコミ誌に広告も載ってましたし……僕は見守るだけにしますよ」
「そうかい、まあ安心してくれたらいいよ。変なやつは私が入会審査でバッサリ切り落としてやるから。それにしても、あの広告、よかったね」
保育園児のファンクラブに入りたいなんて言うやつは、その時点で変なやつなんだし、全員が入会審査でバッサリ切り落とされて、誰も入会できないんじゃないのか?それに、あの広告のどこがよかったんだ。口が臭いとか、僕がディスられただけじゃないか……そんなことを考えながら愛想笑いを浮かべる僕を見て、おかみさんは少し口角を上げた。
「リゼちゃんとキスしたんだってね」
おかみさんから放たれたひと言に僕が反応する前に、「えーっ!」と悲鳴にも似た声が店内に響いた。その声の主である蒼井さんが「源屋さんの浮気者」とか言いながらアイスコーヒーをテーブルに置くと、おかみさんは「すずちゃんも源屋さん狙いって亭主に聞いたよ」と大声で笑う。
「そうなんですよー、源屋さんってお金持ちなんでしょ。一生楽できそうじゃないですか」
「何を言ってるんだよ、この子は……そんなんじゃ、一生結婚できないよ」
「そんなことありませんよー。ねー、源屋さん。私を専業主婦にしてくださいよー。料理は苦手で掃除も嫌いですけど、せめて邪魔にならないように、部屋の隅っこでずっと寝て過ごしますから」
蒼井さんは僕に迫ってくるが、今の話のどこに僕が蒼井さんを専業主婦にする理由があるんだろうか?
そんなことより、逸れ始めた話を元に戻そうと思い、蒼井さんを残念な目で見ているおかみさんに、「ところで、今日の要件は?」と話を振ると、ハッとした表情で僕を見た。
「そうだったよ。ファンクラブの会報を出すからさ、寄稿してくれないかい?」
えー、超面倒な話じゃないか……なんとかして断れないものか……あっ、そうだ、適任者がいるじゃないか。
「えっと、リサかリゼに頼んでもらえませんか?僕は作文が苦手なので」
「それでいいのかい?またいい加減なことを書かれたりするかもしれないよ?」
おかみさんの言い分はとても正しいと思うが、何を書かれたところで今さらでしかないし、「構いませんよ」と応じると、おかみさんは「じゃあ、リサちゃんに相談してみるよ」とうなずいた。
話は終わりだろうと思い、アイスコーヒーに手を伸ばした瞬間、「それより、すずちゃん。あんたも座りな」というおかみさんの厳しい声が響き、僕は思わず手を引っ込めてしまった。蒼井さんを見ると「えー、お説教ですかー。嫌ですよー」と顔を背けている。
まずい、早く退散せねばどうでもいい話を延々と聞かされる。今は僕の魔女っ娘的直感に従うべきだろう。
おかみさんが「いいから座りな」とさらに口調を荒くすると、「ぶー」と不満げに腰を下ろした蒼井さんは、僕のアイスコーヒーをすっと手に取り一口飲んでしまった。
「あっ、源屋さん。アイスコーヒー貰っていいですか?」
飲んでから言うなよ、と突っ込みたい気持ちを押さえこみ、「どうぞ……僕は帰りますので、ごゆっくり」と声をかけて席を立ち、そそくさとレジに向かう。
なんだかいろいろ腑に落ちないが、お代を払っているとき、マスターが「ごめんね、源屋さん」と言ってくれたのが唯一の救いになった。
——うつむき加減の大智は、「結局、なんだったんだ……コーヒーたかられただけじゃないか……」とぶつぶつと愚痴をこぼしながら、来たときと同じ道をゆっくりと歩いて帰っていた。
「ちょっと待ちな」
突然聞こえた女性の声に顔を上げた大智は、大きなため息をついた。
「なんだよ。またお前らか」
大智の前には、赤いエナメルハイレグスーツのエイダを中心に、青色のエナメル全身タイツのニコラ、緑のエナメルタンクトップのゴードンが立ちはだかっていた。
「お前らって失礼だね、挨拶くらいしたらどうだい?」
エイダの言葉を聞いた大智は「たしかにそうだな……」とこぼして、三人に視線を戻した。
「おはようございます」と丁寧に挨拶した大智に、三人組も「おはようございます」と挨拶を返す。
「それで、今日は何の用だよ」
めんどくさそうに問いかけた大智を見て、エイダは腕を組み体を斜めに構えると眉をピクリと動かした。
「あんたにはしばらく雲隠れしてもらうよ」
「雲隠れ?どういうことだよ。今日はいろいろ疲れたし、帰ってくつろぎたいんだ」
「心配しなくていいですよ。素敵な女性があなたにくつろぎの時間を与えてくれますからね」
ニコラの言葉にあった『素敵な女性』を聞いた大智の表情が期待に満ち始める。しばらく店から離れて素敵な女性に世話をやかれる……悪くない気がしてきた大智にゴードンの声が届く。
「大智はん、よかったでんな。薫子さんとかいう、いい女らしいでっせ」
「薫子……?水無瀬さんのことか……おい、ゴードン、冗談じゃないぞ……」
この三人が『童貞のまま三十歳を迎えた男が魔女っ娘に進化するのを阻止する正義の国際組織』の構成員なのは知っている。しかし、魔女っ娘への進化を阻止するために、童貞を奪われる相手が水無瀬さんとなると話は別だ。魔女っ娘以上に大切なものを失いそうな気がする。大智の中で恐ろしい未来が駆け巡り、彼は思わず後ずさった。
「じゃあ、私が面倒見てあげようかねー」
そう言って、エイダが豊満な胸を強調して見せると、うろたえていた大智が背筋を伸ばして、ため息をついた。
「お前は小豆沢さんと結婚しろよ」
「結婚……何を言ってんだい……そりゃまあね、伸餅がプ、プロポーズでもしてくれれば……そうだね……」
ひとり言を言いながら体をくねらせるエイダを、呆れた目で一瞥したニコラは大智に向けてバサットショットMk−Ⅱを構えた。
「じゃあ、覚悟してくださいね。薫子さんとの幸せな生活が待っていますよ」
ニコラがバサットショットMk−Ⅱを発射すると、大智は本能的に両腕で顔を庇う。水無瀬さんとの恐ろしい新婚生活が頭を過ぎり、震え怯える大智の体にロープが巻き付いた。「ん?」大智がロープに気づいた直後、彼の体が勢いよく後方に引きずられ、バサットショットMk−Ⅱは空を切った。
「何をやってんだい!」エイダの焦る声が響く中、ニコラは「あれは……グルクルワインダーじゃないですか」と声を上げた。
「ゴードン、追うんだよ!」
「任せるんや!」
駆け出したゴードンの目に、縛り上げた大智を軽自動車の後部座席に押し込むひょっとこ面の圧倒的不審者が映った。
「待つんや!」ゴードンの制止する声を聞いた圧倒的不審者は、大智を後部座席に蹴り込むと、慌てて運転席に乗り込んだ。その直後、タイヤを唸らせて急発進する軽自動車を、ゴードンは必死に追いかけた。
——チリチリチリバーンと勢いよく開いた扉から、ゴードンが「大変や!」と声を上げ、まごころ堂源屋に駆け込んできた。
流れる汗を拭うことなく息を切らし、肩を大きく上下する彼は目を見開いた。
結衣、リゼ、リナ、リサ、それにラジカセがそろって腰を落とし、膝を曲げたまま、リズムに合わせて足並みをそろえ、「ホンダ・ホンダ・ホンダ・ホンダ」とつぶやきながら、どこか機械的に作業テーブルの周りをぐるぐる歩いている。ラジカセから流れる、妙に景気がよくて頭の悪そうな、軽快なリズムがやたらとゴードンの耳に残る。
呆気にとられていたゴードンが気を取り直し、「大智はんが拐われたんや!」と叫ぶと、四人とラジカセはピタリと止まった。
「ふざけているのですか?どうせあなたの仲間の仕業でしょう」
リサがゴードンに呆れた視線を向けると、リゼは「うむ……まずはこの男を処す……」と敵意むき出しの目で睨んだ。
「待て待て、ワイらやないで……まあ、横取りされてしもたがな……」
「だったら、親方は誰に拐われたんだ!」
リナがゴードンの胸ぐらを掴み揺さぶると、彼は敵意がないことを示すように両手を上げた。
「知らんがな!ひょっとこの面をつけたやつや……そや、グルクルワインダーを持っとったわ!」
ゴードンを解放し「何だそりゃ?」と首を傾げるリナに、彼が「リナはんとワイを縛り上げたロープや」と説明すると、結衣とリサとリゼは表情を曇らせた。
「リナ、そんな卑猥なことをしていたのですか……」
「うむ……不潔……」
「リナおねーちゃん、ふけつだね」
「なに勝手な想像してんだ?しかし、結衣に言われるとこたえるぜ……」
そう言って肩を落としたリナだったが、すぐに気を取り直し顔を上げる。
「そういえば、あれは肉屋のおっさんが外したんだったな。あの後どうなったんだ?」
「知らんがな。肉屋に置いていったんとちゃいますか?」
「なるほど……あの変態肉屋なら、マスターをさらってわいせつ行為をしかねません」
「リサ……それはない……あの肉屋はロリコン……」
「とりあえず、肉屋のおっさんに聞いてみようぜ!」
「そうですね……結衣隊長、ホンダシティウォーカーズの初出動です!」
リサが声をかけると、結衣は「やー!しゅっぱーつ!」と両手を突き上げ、ぴょこんと飛び跳ねた。
リサが結衣を抱き上げ、リゼがダンシングラジカセ・みつお君を手にすると、四人はのんびりと店を出て、しっかり店に鍵をかけた後、ピクニックにでも行くかのように、キャッキャとはしゃぎながら一番星号、仏恥義理・愛三輪、白百合・コルサパレットに分乗した。
四人の様子を見ながら「焦っとったのは、ワイだけやないか……」と愚痴をこぼすゴードンを置き去りにして、三台は走り去っていった。
——ひょっとこ面をつけた圧倒的不審者に拐われた僕は、どこかのアパートの一室に連れ込まれ、ロープで縛り上げられたまま椅子に座っている。なんとなくいい香りが漂う、とても綺麗に片付いた……というより殺風景なその部屋で、ひょっとこ面は拐ってきた僕を放置して、鼻歌交じりでなぜか料理を作っている。
周囲を見回していたとき、ふいに「おじさん、カレーは好きですかー?」とキッチンから届いた声を聞いて、僕の推測は確信に変わった。
「あの、三浦先生?いったいこれはどういうことですか?」
僕が声をかけると、キッチンで何かが落ちる大きな音がして、ひょっとこが僕の方を振り向いた。
「だだだ、誰ですか、三浦先生って、私はそんな美人じゃないですよ」
両手を振って懸命に否定しているが、焦りながらも自分を美人と言ってしまうあたり、あのひょっとこ面の中身は三浦先生で間違いないだろう。でもここは、とぼけて相手をするのもよさそうだ。
「えっと……じゃあ、あなたは誰なんですか?」
「へっ、私ですか?えっと私は……私は……私……そう!ラブリーマコッティです!」
ラブリー……マコッティ……いや、それじゃあ、ひょっとこ要素がゼロじゃないか……
「そんなことより、カレーは好きですか?」
ラブリーマコッティがはぐらかすように尋ねてきた。なぜカレーなのかわからないが、「ええ、まあ……」と答えると、手を胸の前で組んだラブリーマコッティは「よかったー。料理教室で教わったんですよ」と声を弾ませた。でも顔はひょっとこだ……
そう言えば、三浦先生は料理教室に通うとか何とか言ってたな……料理教室で教わるカレーってどんなんなんだろう?やっぱり本格的にスパイスから作ったりするのだろうか?なんて思っていたら、ラブリーマコッティが冷蔵庫からカレールウを取り出すのが見えた。
「料理教室で教わらないとできないものか?作り方は箱の裏に書いてあるだろ」
そんなことを言えるわけもなく、ただぼんやりと椅子に座っていたら、カレーのいい匂いが漂ってきた。もうすぐ完成かな?
「お待たせしましたー!」
嬉しそうな声のラブリーマコッティが僕の前にカレーを出してくれたが、やっぱり顔はひょっとこだ。それよりも重大な懸念が目の前にある。皿に山盛りに盛り付けられた料理がカレーに見えない。
どこか赤みを帯びたどす黒いルウはやたらと粘度が高そうで、時折、マグマのように気泡を吐き出す。大きめに切られた野菜の間を何か細長いものが這うようにうごめいているし、刺激を加えると「プシャー!」と触手が飛び出してきそうだ。外見上はとても食べ物と思えないが、匂いはしっかりカレーのそれだ。
「ちょっと辛口ですけど、おじさん食べられますか?」
向かいに座ったラブリーマコッティの期待と不安の混じった声が聞こえたが、辛口とかいう問題じゃないと思う……
「料理教室で教わったレシピをアレンジした、おじさん専用の『ラブリーカレー』なんですよ」
ラブリーとはどういう意味なのだろうか?「これは食べ物ですか?」と聞いてみたいが、せっかく作ってくれたのに失礼だろう……幸いにして僕はロープで縛られているから、カレーを食べることができない。これからも、今日ほど縛られていてよかったと思える日は、二度と来ないと思う。
「あ、そうだ。食べられないですね」
そう言って席を立つラブリーマコッティを見て、僕の背中を冷たい汗が伝う。ロープを解かれたら、このラブリーカレーを食べないといけないじゃないか……
ラブリーマコッティは焦る僕の隣に腰を下ろすと、スプーンを手に取った。まさか……
恐怖に怯える僕なんかお構いなしに、「男の人に食べさせるの初めてなんですよ」なんて言いながら、ラブリーマコッティはスプーンでラブリーカレーをすくった。「はい、おじさん。あーん」という甘い声と共に近づいてくるラブリーカレーとひょっとこ……
覚悟を決めて開けた口に、容赦なく押し込まれるラブリーカレー……広がる粘りっこさと、辛さをも凌ぐ生臭さ……でも、作っているときに味見はしているはずだ。だから食べても問題はないと思うけど、なぜだろう、飲み込んではいけない気がする。
生命の危険すら感じる味のラブリーカレーを口に含んだまま葛藤する僕に、小首を傾げて近づいてくるひょっとこ……恐怖を覚えた僕は、意思とは無関係にラブリーカレーを飲み込んでしまった……
——ゴトンと音を立てて、大智がテーブルに突っ伏した。慌てたラブリーマコッティがのぞき込むと、口から泡を吹いて白目をむいている。
「あっれー、おじさんどうしちゃったんですか?」
ラブリーマコッティは大智の頬を指でつついてみるが、動く気配はない。
「失神するほど、美味しかったんですかー?おーい、おじさーん」
肩を揺すってみても、大智はピクリとも動かない。
「おかしいなー」と首をひねりながらひょっとこ面を外し、ラブリーマコッティから、世を忍ぶ仮の姿、三浦真琴に戻った彼女は、ラブリーカレーをスプーンですくうと、ためらいなく頬張った。
「んんっ」と唸る声と同時に真琴の顔から血の気が引いていく。目に涙を浮かべ「おえー」とえづきながら吐き出したラブリーカレーが、大智の頭にかかってしまった。
「これはまずいとかいう問題じゃないなー。教わったレシピを少しアレンジしただけなのに、危険物になっちゃいました」
真琴の視線は、再び大智に向けられた。
「雑誌で見つけた精力増強サプリとか、エッチなビデオの男優さんが愛用してるって言ってたエナジードリンクとか、いろいろ混ぜてみたのに、これじゃ童貞を奪うどころじゃなくなったな……せっかくリサさんを出し抜こうと思ったのに……」
ぶつぶつとひとり言をつぶやく真琴の前には、グルクルワインダーで縛り上げられ、テーブルに倒れ込み、白目をむいて、口から泡を吹き出し、頭からカレーをかぶった大智の姿がある。
「やばー、これどうしよう……山に捨てちゃおうかな……」
——その時、ガチャッと玄関が開く音が響いた。「やばい、おじさんを隠さなきゃ」と焦る真琴が玄関にちらっと視線を向けると、扉の隙間からスーッとラジカセが差し込まれるのが見えた。
「何あれ?」唖然とラジカセを見ていると、本体から足が伸び出てきて立ち上がった。「えー!」と驚く真琴の声を合図に、本体から飛び出した腕が再生ボタンを押すと、妙に景気がよくて頭の悪そうな、変に耳に残る軽快なリズムが流れ始める。
真琴がラジカセに気を取られていると、扉がゆっくりと大きく開き、結衣ちゃんが顔をのぞかせた。
「結衣ちゃん?」驚く真琴を見て、にっと微笑んだ結衣ちゃんは、腰を落とし膝を曲げた。続けて「してぃー!」とかわいらしく声を上げて、リズムに合わせてどこか機械的に真琴に向かって歩き始めた。
結衣ちゃんの後ろから、リゼ、リナ、リサが順に入ってくる。そろって腰を落とし、膝を曲げたまま、リズムに合わせて足並みをそろえ、大智と真琴の周りをぐるぐる回る。いつの間にかラジカセも加わり、文字どおり機械的に歩いている。
真琴が呆気に取られる中、リゼが大智を抱えあげると、結衣ちゃんは玄関の方へ進路を変えた。四人は足を止めることなく、「ホンダ・ホンダ・ホンダ・ホンダ」とつぶやきながら部屋から出ていく。
何が起こったのか理解できない真琴が開けっ放しの玄関から顔を出すと、四人とラジカセは振り返ることなく去ってしまった。
真琴は玄関を閉めると、へたれこむように腰を下ろした。
「ふーっ、山に捨てなくてよかったな」
山に捨てられるというピンチから大智を救い出したホンダシティウォーカーズは、仏恥義理・愛三輪に彼をくくりつけて、ぴより野町を疾走する。
ロープが緩んだせいで、途中から大智を引きずっていたが、そんな些細なことは気にしてはいけない。この町の平和を担うのは、我らホンダシティウォーカーズなのだから。
ホンダシティウォーカーズは、懐かしのホンダシティのCMを、ほぼそのまま下敷きにしました。私、5速MTのカブリオレが手に入るなら欲しいです。
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