親衛隊とヘルイヤー・甚六君
「さて、今日も行きますかー!」「いきますかー!」
——平穏な朝、今日も結衣ちゃんとバッカル三号で保育園に向かう。柔らかな日差しと、僕たちを心地よく包む朝の空気を爽快にかき分けながら進むだけで、保育園に送っていくだけなのに自然と胸が高まる。結衣ちゃんも同じ気持ちなのだろうか、背中のチャイルドシートから可愛らしい鼻歌が聞こえてきた。
「結衣ちゃん、保育園は楽しい?」「うん、いーぱいあそべるのー。でも……」珍しく、結衣ちゃんの言葉が詰まった。——まさか、いじめられてるのか?「まことせんせーは、おじちゃんのはなしばかりするのー」——三浦先生は何をやってるんだか……「困った先生だね……」「ばんちょうもー!」「ばんちょう?あー、園長先生か……」「うん、おじちゃんのはなしばかり」——そっちのほうが問題じゃないか?
保育園の近くまで来たところで、僕はふと視線を感じた。振り向くと電柱の影に隠れる怪しい影……が見えたような気がする。「気のせいかな……」つぶやいた僕の後ろで、結衣ちゃんが「あー、まことせんせー」と声を上げた。
見上げると二階から三浦先生がこっちに手を振っている。思わず手を振り返しそうになったが、あれは結衣ちゃんに手を振っているのだろう——僕が手を振り返したら、『自転車に名前をつけるおじさんが手を振るなんてきもいです』なんて言われかねない。
そうか、さっき感じたのは、三浦先生の視線だったのかもしれない。魔女っ娘の才能に目覚めつつある僕は、やっぱり感覚研ぎ澄まされているようだ。このまま成長し続ければ、人類支配計画を実行に移す頃の僕は、とんでもないスキルに目覚めているのではないだろうか。
——夕方、結衣ちゃんを迎えに保育室に入ると、三浦先生が「おじさん、もうすぐ親子遠足があります。連絡帳にお手紙が入っていますので、ちゃんと読んでくださいね」と声をかけてきた。「僕が行ってもいいものですか?」「おじさんしかいないでしょ。まあ……夫婦で参加してもいいんですよ。例えば私とか……」何を言ってるんだ、この人は……「先生は引率があるんじゃないですか?」「ま、まあ、そうなんですけど……」
歯切れの悪い返事だったけど、特に深い意味はないだろうし、僕は三浦先生に「結衣ちゃんと相談してみますね」とだけ伝えておいた。結衣ちゃんの遠足なんだし、結衣ちゃんの意見が絶対だろう。
「でも、おじさん。お弁当とかどうします?」「リサに相談してみますよ」「むむむ……」もしかして、三浦先生は僕に参加してほしくないのか?そうか……三浦先生の中で僕はゲイだと思われている可能性があるんだった……たとえそうだとしても、結衣ちゃんの意見が最優先なのは変わりない。
結衣ちゃんをバッカル三号に乗せると、「おじちゃん、べにぱりいく?」かわいく首をかしげる。その姿に僕の心は紅巴里に向かいそうになるが、「今日は紅巴里に行かないよ。シチューだから早く帰ってくるようにって、リサに言われてるんだ」と心を鬼にする。「シチュー!やー!」喜んでくれる結衣ちゃんの姿に、僕の荒みかけた心は救われた。
保育園の門を出たところで、電柱の後ろの怪しい動きに気づいた。「あれ、ゴードンじゃないか?」やつはとっさに身を隠したつもりだろうが、僕の超感覚から逃れることなどできない。あえて気づいていないふりをして、その電柱の脇をバッカル三号でゆっくり通ってみた。……やっぱりゴードンだ。
「あーっ、ゴンちゃん」「んー?ゴードンがいたの?」白々しい返事をすると、結衣ちゃんは「うん」と嬉しそうに答えた。——やつは隠れているつもりかもしれないが、結衣ちゃんにまで見つかっているようではダメなんじゃないか?
少し進んだ交差点でまた視線を感じた……感じたというか、正面の塀の上に顔の半分がのぞいて、こっちを見ている。目出し帽の上からサングラスという、どこからどう見ても不審者にしか見えないスタイルだが、僕の直感が気づかないふりをしろと告げてきた。
ゴードンがいた時点でなんとなく気づいていたが、こいつらはメイド回収チームで間違いないと思う。隙をついて僕が魔女っ娘になるのを阻止するつもりだろう。
だが、そうはいかない。僕にだって野望はあるんだ。人類を影から支配する魔女っ娘と結衣ちゃん……下僕のリゼ、まあコイツはおまけだが。「くーっ、かっこいい」——しまった、思わず心の声が漏れてしまった。まあ、僕の計画を阻止したい気持ちは分かる。なにせ僕が魔女っ娘になったら、こいつら全員が僕の支配下におかれるんだ。
交差点を直進して、僕はバッカル三号をまっすぐ店へと進める。今日は結衣ちゃんの大好きなシチューだし、どじょうは入れないようにリサに念押ししておいたから、僕も楽しみだ。心なしか、バッカル三号のスピードが上がる。——が、道路脇のマンホールの蓋が少し浮いている……その隙間からこちらをうかがう怪しい視線——さすがに気味が悪くなってきた僕は、バッカル三号をさらに加速して店に向かった。
チリンチリン——小気味よい音にもすっかり慣れてしまっていたが、今日はこの音が安堵を与えてくれる。「おかえりなさいませ、マスター」「ただいま」「結衣さんもおかえりなさいませ」「リサママ、ただいまー。シチューは?」「まだ、夕食には少し早いですね。リゼがお部屋で待っていますよ」「うん!リゼちゃんとあそぶのー」結衣ちゃんは靴を脱ぎ捨てて部屋に向かった。
結衣ちゃんの靴を揃えながら、「結衣はリゼが大好きだな」とリナが笑う。「最近は、お風呂も寝るときもリゼばっかりです。そろそろマスターも私と一緒にお風呂と寝るのを覚えたほうがいいと思います」また始まった……いつもなら聞こえないふりをして逃げるところだが、今日はリサに相談しなければいけないことがあるんだ。
「リサ、ちょっと相談があるんだけど」「はい、溜まっているのですね。いつもどおりお任せください」いったいリサの中の僕はどんな人物になっているんだ?それに一度もそんなこと頼んだことはないだろう。
「——違うよ。今朝からずっとつけられているみたいなんだ」僕の言葉を聞いたリサの表情が曇った。「いったいどこの女ですか……私のマスターにストーカーとは」僕は女だなんて言っていないし、何なら一人は男だったんだが。
「女じゃない。一人はゴードンだった。結衣ちゃんも気づいたから間違いない」「ということは、あの連中ですか?」「たぶんな……」リサとリナの表情が深刻になる。「僕一人ならいいんだけどさ、結衣ちゃんも一緒だからなんとかしたいんだ」
「許せない……」震える声に振り向くと、いつの間にか居間から顔をのぞかせたリゼが怒りの表情を浮かべ、「結衣姫がいると知りながらの愚行……万死に値する」と右目の眼帯を押さえた。
「リゼの言うとおりだ。やつらは僕が魔女っ娘になるのを阻止することなんだから、狙うにしても結衣ちゃんがいないときにしてほしい」リサとリナとリゼが顔を見合わせたあと、一斉に僕に振り向いた。三人は何か不思議そうな表情で僕を見つめている。
「マスター、それは本当なのですか?」「えっ、あいつらは魔女っ娘から世界を救う秘密の組織なんだろ?」僕が答えると、三人は再び顔を見合わせ、大きく頷いた。
「そ、そのとおりです。マスターには秘密にしておくつもりでしたが……さすがは私のマスターです。も、もう気がつきましたか……」「親方はやっぱりすごいな……うん、すごい。あたいなんてリサに言われるまで気づかなかったんだぜ」「主様……我の叡智をも凌駕する思考の持ち主……」どうも褒められているような気がしないのはなぜだろう。
「僕が魔女っ娘になるのを阻止する存在は、リサだけじゃないということだ」「失礼です、マスター」失礼も何も、僕は事実を述べたまでだ。「にひひひ、リサは昨日も親方の部屋に忍び込もうとしただろ」懲りないやつだな、リナが阻止してくれたんだろう。感謝しなきゃ。「主様……我らの計画のために、主様の部屋を鉄格子で覆うべき」リゼ、それじゃ刑務所みたいじゃないか……
いけない、話がそれてしまった……「ともかくだ。結衣ちゃんの安全を第一にしたいから、なにかいい案はないかな?」「全員、我が闇の力で地獄に送ってやる」「リゼ、それは物騒すぎるぞ」「あたいが毎日親方と保育園に行けばいいんだ」「それやると、毎日保育園でトラブルが起こるだろ」「マスター、まずは相手が何のためにつけているか知るべきです」さすがはリサだな。こんな時の冷静な判断は目を見張る。
「リサ、何か策はあるのか?」リサがドヤ顔で胸を張った。「明日の朝までに準備をしておきます。まずは、今日のお風呂は私と一緒に入ると約束してください」リサはついでに欲望をねじ込んでくるよな……
「いや、意味がわからないんだけど」「明日の朝までに準備をすると言っただけですが。いくらマスターでも理解できるでしょう」何だよその言い方……「そこは理解できてる。そのあとだ」「そこに意味なんてありません。命令です」「じゃあ、命令は却下で……」「なっ……」絶望の表情を浮かべたリサが床に膝をついた。「そうですか、そうですか。やはり私はマスターにとって都合のいい女でしかないのですね」リサ、たぶん『都合のいい女』の使い方を間違えているぞ。
——翌朝、リサの手伝いをしようと台所に向かうと、笑顔のリサが僕に抱きついてきた。「ちょっと、どうしたの?」「マスター、聞いてください!」「何かいいことあった?」「昨晩マスターの部屋に忍び込もうとして気づいたのですが、リナはマスターの部屋の前で姿を消しているのです」そっか、リナが寝ている僕にキスしたことを、軽く注意したから、気にしてるのかな?
「そこで、ひらめいたのです。ドアがダメなら窓から入ればいいじゃない!」——あっ、それを僕に言っちゃうんだ。「そっか。すごいね」「マスター、やっと私たちは結ばれます」何言ってんだコイツ……リサは嬉しそうに僕の胸に頬を擦り寄せているが、僕はそんなことを望んでもいないし、頼んでもいない……リナが部屋に入ることを許そう。
しばらく僕に抱きついていたリサが、いきなり僕を両手で突き放した。「マスター、セクハラです」——本当になんの嫌がらせなんだ?「いや、自分が抱きついてきたんだろ……」「そうでした……さっきの話はリナには内緒にしてください」「わ、わかったよ……」まあ、今日中にリナに伝えないと、リサは窓を壊してでも侵入してきそうだ。
「そんなことより、マスター、保育園に行くときに、これをつけておいてください」そう言って差し出したリサの手には、小さなイヤホンが乗っていた。「これは、イヤホンかな?」「違います。これはどんな小さなささやき声も聞こえてしまう、『ヘルイヤー・甚六君』です」——地獄耳ね……『甚六』って誰だよ。何か深い意味があるのだろうか……リサのセンスに首を傾げながら手に取ったそれは、とても軽くて、高性能な機械とは思えない。
「なんと、装着者に関係する声のみを拾う選別機能付きです」リサは得意げに胸を張っているが、これがなんの役に立つんだ?「これをつけて保育園に行くといいことがあるのか?」「マスターを付け狙う奴らの会話を聞けば、目的が推測できるじゃないですか」そ、そういうことか……さすがリサだな。
バッカル三号に結衣ちゃんを乗せて、チャイルドシートのシートベルトを締める。ヘルメットをかぶせたところで、ふと思い出し、半信半疑ながらも、僕は甚六君を装着した。
「こちらデ、デルタ……対象がA地点を出発する……なお、随行者はなし……」——えー!さっそく何か聞こえてきた。ぜったい監視されているよな……きょろきょろと周囲を見回していた僕に、「おじちゃん、どうしたの?はやくいこー」とかわいい催促が聞こえる。「そうだね。じゃあ、今日も保育園に行きますかー!」「いきますかー!」
僕は指で眼鏡を押し上げ、気合十分でバッカル三号を発進させる。結衣ちゃんは、保育園で覚えた歌を歌っている。よほど気に入ったのか、リゼにも教えて二人で歌っているから、僕も覚えてしまった。
さて、結衣ちゃんのおかげで気を取り直したが、よく考えてみればきょろきょろするのは、相手に聞こえていることを教えてしまうのではないか?いつもどおりに振る舞わなければ。
昨日マンホールが浮いていた場所に近づくと、「こちらチャーリー、対象がB地点を通過する。まっすぐにG地点に向かう模様。ベータはE地点で待機せよ」……完全に僕を監視してるよな。まあいい、これだけ聞こえるなら行動を起こされる前に察知できるだろう。しかし……この甚六君は、リサが胸を張るだけあって高性能だな。
昨日、圧倒的不審者が塀の上から顔を出していた交差点で停車し、ゆっくりと安全確認をしてみる。「こちらベータ……対象者がE地点に到着、アルファ警戒態勢を」やっぱり聞こえてきた……警戒態勢っていうくらいだから、今日は何もしてこないんじゃないかな?おそらく、僕の行動を把握する段階なのだろう。国際的な組織だけあって、さすがに用意周到だ。
——ここまで来て気づいたんだけど、全部どこかで聞き覚えのある声なんだよな……それに、この間来た三人組では人数が合わない。ということは、他にも協力者がいて、僕の魔女っ娘人類支配計画を阻止する体制を整えているのだろうか?ある日突然連れ去られて……いや、待てよ。エイダはサイクルこしあんに入り浸っている……ということは、他に女性の協力者がいるのかもしれない。気を引き締めなければ。
保育園の門の前まで来たら、また声が聞こえてきた。「こちら、アルファ。対象がG地点に到着。朝の任務は終了やで」今の声は絶対ゴードンだな。なるほど、やはり僕の動向を探っているわけだな。でも、狙うなら帰り……いや、帰りは寄り道したり、そのまま仕事に行ったりするから、狙うなら保育園から出るときか、保育園に入るとき。——ヤツら、相当なやり手だな。
駐輪場にバッカル三号を停め、結衣ちゃんのシートベルトを外していたら、また声が聞こえてきた。「あっ、おじさん来た」これは、三浦先生の声だよな。「今日もかわいいな」えー、何言い出すの?
振り向くと三浦先生がこっちに手を振っている。「あー、まことせんせー!」結衣ちゃんも気づいて手を振り返している。それに気づいたのか、三浦先生は満面の笑みを浮かべた。
「おじさん捕獲器で気絶したところを襲っちゃおうかな」——僕の顔から血の気が引くのが分かる。かわいい笑顔でなんてことを言っているんだ……これ以上聞くと、僕の心が萎えそうなので甚六君を外そうとした瞬間、「あら……大ちゃんじゃない——」もっと不吉な声が聞こえた。
「大ちゃん、少し顔色が悪いわよ」出たな百貫デブ……いや、園長先生。「おはようございます。なんか昨日からつけられているようで、気味が悪いんです」園長の顔がオネエから本職に変化した……「許せないわ。あたしの大ちゃんにストーカーなんて」あー、表情は変わってもオネエ口調は変わらないんですね……それと、僕はあなたのものではありません。
「結衣ちゃん、おはようございます」「あー、まことせんせー。おはようございます」かわいいお辞儀をする結衣ちゃんに、園長に少し怯えた僕の心は癒やされ、表情は自然と緩む。
「あら、園長先生におはようは?」「あー、わすれてたー、ばんちょーもおはようございます」「もうっ、園長先生よ。結衣ちゃん」「はーい!」園長の表情が一瞬で本職からゆるゆるの笑顔になった。結衣ちゃんの笑顔はすべての大人を腑抜けにしてしまうんじゃないのか?
「ところで、なんの話をしてたんですか?」三浦先生が問いかけると、園長は困った表情を浮かべた。「聞いてよ、真琴ちゃん先生。大ちゃんにストーカーよ、ストーカー。つけられてるんですって」ストーカー……ちょっと違うと思うけど、訂正するのは骨が折れそうだし、放置しておこう。ふと三浦先生を見ると、怒りの表情を浮かべ、体を震わせていた。
「許せません、おじさんにちょっかいを出すなんて」三浦先生、それなら先に園長先生をなんとかしてもらえませんか?「僕はなんとでもなるんですけど、結衣ちゃんもいるので心配で……」園長は軽く腕を組み、手を顎に添える。「んー、たしかにそうね。分かったわ、あたしも注意しておくわ」見た目も相まって、とても心強い言葉だ。
「助かります。でも、無理はしないでくださいね」着流した着物の袖をまくった園長が、「大丈夫よ。園児を守るのも園長の務め、こう見えてもあたし強いの」と笑顔で鼻息を荒くする。世間一般にはどう見えるのか知りませんけど、僕には強そうにしか見えませんよ。
「私も気をつけますから、おじさんも気をつけてくださいね」潤んだ瞳で僕を見つめる三浦先生を見ると、本当に心配してくれてるんだって分かる。さっき聞こえた声は気のせいだったのかもしれない。そう思っておいたほうが、僕の精神衛生上好ましい。
「ストーップ!真琴ちゃん先生、保育園でいちゃいちゃしたら、ダ・メ・よ」何言ってんだコイツは……「じゃあ、今度おじさんの家に行きますね」「そこまでよ、真琴ちゃん先生」「分かりました。結衣ちゃん、行こうか」「はーい!」手をつないで保育室に向かう二人の後をついていくが、なんか、僕と三浦先生の関係を勘違いされていないか?他の保育士もチラチラ僕たちの方を見てるし……
——帰りも念のため甚六君を装着しておいたが、行きとは違って何も聞こえなかった。少し安心したが、それはそれで気味が悪い。帰ったらリサに相談してみよう。
店に着くと、リサとリナとリゼが待ち構えていた。僕もテーブルにつくと、リサが「マスター、ヘルイヤー・甚六君を貸してください」と出した手に、僕は耳から外した甚六君をのせた。リサはじっと甚六君を見る。「汚い……」「——ほっといてくれよ」
リサがつまみとった甚六君を器用に操作すると、今朝僕が聞いた音声がそのまま再生され始めた。「録音してたのか?」問いかける僕に、リサは「当然です。マスターのアレな頭ですべてを記憶するのは不可能でしょう?」と微笑んだ。——不可能でしょう?って聞かれてもな、たしかに不可能かもしれないが、「アレな頭ってなんだよ」とだけ反論しておいた。
すべての再生が終わったあと、三人は顔を合わせた。「どうやら、マスターにとって一番の脅威は、保育士の皮をかぶった獣ですね……」「そうだな、真琴が一番やばいぞ……」「我が主様を力ずくで襲う計画を立てている……」やっぱりそうなったか……
「でもさ、それは今回の目的と違うんじゃないか?」「いいえ、マスターは脇が甘いです」話を戻そうとした僕の声は、一瞬でリサに否定された。「そうだな、親方、この間の三人組が真琴を取り込んだらどうなる?」リナ、それは絶対にない。三人組のうち二人を倒したのは三浦先生だぞ。「主様の人類支配計画は真琴に潰される……」リゼは少し考え過ぎなんじゃないか?その件に関してはリサの方が脅威なんだが。
まあ、リサの件はリナにお願いしたらなんとかなる。問題は監視されていることだが、僕にはどうすればいいのかさっぱりわからない。悩んでいると、「早めに行動を起こしましょう」とリサが口を開いた。「早めにって、どうするのさ」「このヘルイヤー・甚六君は録音した位置の情報を記録しています。今日の夕方、マスターが結衣さんを迎えに行く時間に、その位置で待ち伏せて捕えます」
捕えるって……物騒だな。「にひひひ、面白そうだな」まずい、リナが乗り気になった。「結衣姫のため、我も力を貸す」「魔女っ娘人類支配計画のためじゃないんだ……」思わずつぶやいた僕を、リゼが鼻で笑った。
「主様の計画はどうでもいい、結衣姫がすべて」「あたいもどうでもいいな。できれば真琴とくっついてほしいぞ」「マスター、意見が一致しました。今夜こそ私と一線を超えるべきです」あれ?おかしいな……目的は全然違うのに、僕の計画がどうでもいいってのは一致してる。
「なんだよ、結局僕の周りには敵しかいないじゃないか」「冗談です、マスター」「そうだ、冗談だぞ」「我も少し冗談が過ぎた……」みんな冗談って言いながら、顔をそむけるのはなぜかと問い詰めたい——
「でもさ、相手は少なくとも四人だろ、三人でどうするのさ」「にひひひ、親方、最後の一人は誰か分かってるんだろ?」リナの声にリサとリゼがうなずいた。「たしかに、あれはゴードンで間違いないな」「マスター、分かっている相手を捕らえる必要はありません。残りの三人で十分です」こういうときのリサは頼りになるんだよな、普段のポンコツさはわざとなのだろうか?
「なるほどな、みんなに任せるよ」三人は小さくうなずいた。「マスターはいつもどおり、まぬけな顔でバッカル三号に乗るだけです。でも、今日は紅巴里に向かってください」リサにはいろいろ言いたいことがあるが、「分かったよ」とだけ答えて、僕はリナと一緒に、今日の仕事に向かった。
——「おじちゃーん!」夕方、保育室に入ると結衣ちゃんが駆け寄ってきた。「べにぱりいく?」「そうだね、紅巴里でおやつ買って帰ろう」「やったー!まことせんせー、べにぱりいくのー」「よかったねー、結衣ちゃん」「うん!」三浦先生は何か言いたげだったけど、「今日もありがとうございました」と礼を述べ保育室を後にした。
バッカル三号に結衣ちゃんを乗せて、いよいよ作戦決行。とはいっても、僕はまぬけな顔をして、バッカル三号で紅巴里に行くだけでいいらしい。
——大智が保育園を出る頃、まごころ堂源屋の近くの路地で耳に手をあて、なにかに聞き入る男が電柱の影に身を潜めた瞬間、「いてっ……」と小さな声を上げて崩れ落ちるように倒れた。「ここがお前の墓場……我闇の手にかかれば容易いもの……」注射器を片手にほくそ笑むリゼが、倒れた男を見下ろす。「あとは、紅巴里に連れて行くだけ」
一方、道路を機嫌よく歩くリナは、ふいに立ち止まると、おもむろにしゃがみ込み、マンホールの蓋を勢いよく開けた。「にひひひ、こんなところで何やってんだ、おっさん」「なっ、お前は源屋の……」
リナは腕を伸ばし、男の首根っこを掴むと、マンホールから引きずり出した。「当たりだ。親方の一番弟子で、毎晩のチューを許されたリナだ」「なんだそれ……」呆れる男を、リナは「おっさん、ついてきてもらうぞ」と引きずって歩き出した。
民家の塀の裏で身を潜める、目出し帽にサングラスの圧倒的不審者。腕時計に目を落とし「そろそろ時間だ」とつぶやいたとき、背後から「はい、時間です。またストーカーですか?大将」と声がかかった。振り向いた男は、見下ろす女性を見て声にならない声を上げた。
「私の次はマスターにストーカーですか?」微笑む女性を見て、男は後退りする。「リ、リサちゃん……ストーカーなんてしてないだろ」「今の状況でよくそんなことが言えますね」「てか、なんで俺だって分かったんだ?」「適当に言ってみたら、大将が自白しただけです」「なにっ、はかりやがったな」リサはスカートの中からロープを取り出し、「ちょっとついてきてもらいます」と不敵に笑った。
——その頃、大智が帰った後の聖はむはむ保育園周辺では大捕物が繰り広げられていた。「真琴ちゃん先生、そっちに行ったわよ!」大声をあげる園長にしずかにうなずいた真琴が、「えいっ!」とかわいい掛け声とともに突き出した腕が逃げていた男に触れた瞬間、ジジジッと不気味な音をあげて、男は倒れ伏した。
「真琴ちゃん先生、殺しちゃダメよ」「死んでいませんよ。これで、えいってやっただけです」満足げに微笑む真琴の手には、おじさん捕獲器が握られている。「何それ?スタンガン?」「おじさん捕獲器です」
真琴に呆れる園長が倒れた男を見下ろす。「これ、どうしようかしら?」「おじさんは紅巴里に行くって言ってましたから、連れていきませんか?」「そうね、後は他の先生にお願いして、大ちゃんのところへ行きましょうか」
——紅巴里に着いて結衣ちゃんを下ろすと、すぐ店に駆け込んでいった。「まっ、いつものことだけど。ここでリサたちを待っていればいいのかな?」僕も店に入ると巴里ママが待ってましたとばかりに、近づいてきた。
「さっき保育園から電話があって、ここで待ってくれって言付かったよ。また、なにかやらかしたのかい?」またってなんだよ。それに、この婆さん、にやけた顔で何を期待しているんだ?
「いや、何もしてないけどな……」「どうせ、先生とか、よその子の母親をいやらしい目で見たんだろ」「なっ!」思わず声が詰まった。たしかに、そんなことは全く無いとは言わないが、保育園から叱られるようなことはしていないぞ。「それ見ろ、私の読みどおりだね。結衣ちゃん、今日はゆっくりお菓子を選びなよ」「はーい!」
まったく、この婆さんは僕をなんだと思ってるんだ……その直後、店の扉が開きリナとリゼが入ってきた。その後ろに引きずられてくる男に、僕は驚いた。
「おい、二人ともなんなんだこの状況は……」「親方をマンホールの下で監視してた男だ」これは見覚えがあるとかいうレベルじゃない……僕が言葉にする前に、巴里ママが「忠太郎、何やってんだい?」と印刷屋のオヤジを呆れた目で見つめる。
それにリゼが連れてきた方だけど……どこからどう見てもメランコリックのマスターだ。「マスター、何やってるんですか?」「いや、忠太郎さんたちに誘われて、断れなくてさ。ごめんね」こんなに存在感のあるメランコリックのマスターは初めて見たかもしれない。
「いったい、何やってるんですか?」とてもこの二人が僕の計画を知って行動したとは思えない……「いやな……」印刷屋の親父が言いかけたところで、再び店の扉が開き、リサが笑顔で入ってきた。
「マスター、ストーカーを捕まえました」リサが手に持つロープには肉屋の大将が繋がれている。でも、なんで亀甲縛りにされてるんだ?「なあ、リサちゃん、逃げねーから解いてくれないか?」やっぱりリサの仕業だったのか。もしかして、この格好で引きずってきたのか?さすがにかわいそうだろ。
「なんだい、これは?うちの店で何を始めるんだい?」何が始まるか僕にも分からないが、巴里ママの気持ちは分かる。おかしな格好をしたおっさん二人と、亀甲縛りのおっさん一人がうちの店に来たら、きっと僕も同じことを考える。
直後、外で車が停まる音が聞こえ、店に三浦先生が駆け込んできた。「三浦先生?」僕の声を無視した三浦先生は、僕に抱きつくと、「おじさん、私怖かったです」と涙目で僕を見つめる。
「あんた、保育園の先生とできてるのかい?ちょっとは自重しな」巴里ママの呆れた声の直後、店の扉が開き園長先生が抱えてきたゴードンを足元に転がす。彼は動かないが、意識はあるようだ。
「あー、ゴンちゃん」気づいた結衣ちゃんが、ゴードンに近づこうとするのをリゼが止めた。「結衣姫、こんな汚いのに触っちゃダメ」——ひどい言われようだな……「いったい何があったんですか?」と尋ねると、園長先生は「大ちゃんのストーカーを捕まえたのよ」と笑顔を浮かべた。
「すみません。迷惑かけちゃって……」「あたしはなんにもしてないわ。捕まえたのは真琴ちゃん先生よ」「えっ、三浦先生が?」「そうよ、スタンガン……違ったわね、おじさん捕獲器で一撃よ」三浦先生は相変わらず涙目で僕を見つめているが、抱きつかれているのが正直怖い。この大勢だと、いつスタンガンで一撃食らわされるのかわからない。
呆れと諦めの巴里ママが「何があったか話な」と僕に詰め寄るが、僕は本当にこのおっさんたちの関係がわからない。三浦先生に抱きつかれたまま「僕が聞きたいよ」とつぶやいた僕を鼻で笑うと「まったくこの色男は……忠太郎、あんたが話な」と今度は印刷屋のオヤジに凄む。
深くため息をついた印刷屋のオヤジが「あれは一週間前だったかな、スナック営業中のメランコリックでよ……」と思わせぶりにゆっくりと話し始めた。
——「お前さん、駅前のアパートに越してきたやつだろ?」カウンター席で静かにグラスを傾けていた男に、忠太郎が声をかけた。「そうですねん。ワイ、ゴードンって言いますねん」「そうか、俺は忠太郎だ。印刷屋をやってるから、用があれば頼むぜ」「印刷屋でっか……」言葉が詰まったゴードンに忠太郎が「なんかあんのか?言ってみろよ」と声をかけた。
しばらく黙っていたゴードンが小さな声で「ワイ、結衣様のブロマイドがほしいですわ」とつぶやいた。「結衣様?誰だそれ」首をかしげる忠太郎に、「おい、まさか……源屋さんの姪っ子じゃないだろうな」とカウンターの奥から声がかかった。振り向いた忠太郎は「おい、肉屋。それはないぜ」と訝しむ。
「まっ、いくらなんでもな……」肉屋の大将がつぶやいてグラスを手にしたとき、「そうですねん。あの子は天使や……写真を神棚に飾って毎日お供えしたいんですわ」とゴードンのささやくような声が響く。
「おいおい、お前さん……頭は大丈夫か?」と忠太郎が怪しむような視線をゴードンに向けたとき、「印刷屋、お前、結衣ちゃんの神々しさをしらねーのか?そのゴードンの言うとおり、あの子は天使だ」と肉屋の大将が口を挟んだ。
「肉屋……お前……でも、たしかにそうだな。あの子の笑顔は、なんていうか……眩しいな」と深刻な表情で、忠太郎はグラスを傾ける。ゴードンは「ワイはあの笑顔に救われましたんや」と一気にグラスをあおる。その様子を見ていた肉屋の大将も「その気持ち、分かる」と小さくうなずいた。
マスターがゴードンのグラスに水割りを作りながら、「あ、あの……たしかに結衣ちゃんはこの世のものとは思えぬ何かを持ってますけど、ブロマイドはダメだと思いますよ」と釘をさすと、ゴードンは「そうでんな、なんかあの子のためにできることはないですやろか」と小さくため息をついた。「俺らみたいなおっさんが近寄るだけで捕まりそうだがな」「結衣ちゃんを見守るくらいしかできねーな」「それですわ!」
「おい、なんだ?急にでかい声出しやがって」忠太郎が驚いて顔を向けると、ゴードンは目を輝かせていた。「結衣様を隠れて見守るんですわ」「うん、まあそれくらいなら許されそうだな」忠太郎の声に肉屋の大将もうなずいた。「そうだな……隠れて通園時間の安全を守るってのはどうだ?」その言葉におっさん三人は深くうなずく。
「な、何も隠れなくてもいいのでは?」マスターの良識ある言葉は、「いや、こんなおっさんが朝夕、にこにこして声をかけたら、それだけで通報されそうですわ」とゴードンに一蹴され、肉屋の大将も「たしかにそうだ……よし、週明けから決行だな」と乗り気になる。「結衣様親衛隊、結成ですわ!」と息巻くゴードン。
忠太郎は「俺も入るんだ、お前も親衛隊に入れよ」とマスターを勧誘する。「い、いや……僕は遠慮……」「あー、なんだと?」「は、入ります」……こうして、唯一の良識も失われてしまった。
——「て、まあ、そんなわけだ」印刷屋のオヤジの話が終わると、紅巴里の店内に盛大なため息が漏れた。「なにが、そんなわけだい……おっさんがそろってこそこそしてるだけで、気味悪いだろ」巴里ママがそう言ってうなだれると、店内が静かになってしまった。たしかに巴里ママの言うとおりなんだよな……
「そうだわ!」突然声を上げた園長先生に全員の視線が集まる。「その親衛隊の活動のついでに、通園時間に見回りをしてくれないかしら?」「見回り?」印刷屋の親父が問いかけると、「そうよ。実を言うと、通園時間に園児たちを隠し撮りするようなやつもいるのよ」と園長は困惑の表情を浮かべる。「そんな気色悪いやつがいるのか?」と吐き捨てた肉屋の大将のロープを、「気色悪いのは大将も同じです」とリサが引っ張る。
「そこで、巴里ママ?に相談があるんだけど、親衛隊のお目付け役をやってもらえないかしら?」「そんなことしなくても、犯人はそこにいるじゃないか」と巴里ママは僕を顎で指した。
「マスター……見損ないました」「親方、あたいたちに手を出さないと思ったら」「我は気づいていた」「おじさん……ゲイじゃなくてロリコン?」おいおい、なんで女性全員から犯人扱いされてるんだ?
「違うわよ!」園長の声で店内に静けさが戻った。「大ちゃんが好きなのは、あ・た・し」髭面から飛んできたウインクを、僕はとっさにかわす。
「マスター……見損ないました」「親方、あたいたちに手を出さないと思ったら」「我は気づいていた」「おじさん……ゲイでロリコン?」この女性たちの中の僕はどうなってしまうんだ?
「冗談はここまでにして、巴里ママ、お願いできないかしら?」手を合わせる園長先生に、巴里ママは「仕方ないね。保育園の子たちはうちの大事なお客さんだし、やってやるよ」と笑顔を浮かべた。
「じゃあ、決まりね。詳しいことは明日にでも決めましょう——真琴ちゃん先生、あたしは帰るから、今日は大ちゃんの家に泊めてもらいなさい」そう言い残して、園長先生は店の扉を開けた。
「今日こそものにするのよ」その言葉を残して、園長先生は店の扉を閉めた。えっと、三浦先生、そのサムアップはどういう意味ですか?「三浦先生、園長先生と帰ったほうが……」「おだまり!クソガキ。女をそんなに抱きしめておいて、今夜一人寝させる気かい?」なぜ、僕は巴里ママに怒られたんだ?
「マスター、その獣、私が駆除して差し上げます」「ダメだ。真琴、お前は親方と先に帰れ」「結衣姫、おやつ決まった?」「まだー」「じゃあ、我と選ぼう」「うん、リゼちゃんはなにがいい?」「ちょっと待って」「うん!」「主様、忠実なる下僕の我に財布をよこせ」「なんでだよ」「結衣姫のため、渡すか死ぬか選ばせてやる」「これのどこが主様なんだよ」「さ、おじさん、先に行きましょうねー」三浦先生の手に握られたおじさん捕獲器に屈した僕は、三浦先生に引きずられるようにして紅巴里を後にした。
——残されたおっさん四人がどうなったのか、僕は知らない。
お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。
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