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俺と掃除、そして事の始まり

 昔ながら、という言葉が最も良く似合うであろう日本家屋。

その一室、畳張りの部屋の中央で、優雅にお茶を飲みながらお茶請けとして出された饅頭に片手を伸ばす年若い少女。

その少女はどこか現実味のない、整いすぎていると言っても過言ではない美貌を有しており、畳の上に座る彼女はその外見も手伝ってよく祖母宅にある怖い人形のようにも見えた。

「あの、甘原少女」

「千里」

「……ハイ、千里」

 ついついいつもの呼び方の癖が出てしまい、間髪入れずに修正されてしまう。

何故か苗字で呼ばれることを嫌う彼女は、俺の呼び方に対して結構厳しかった。

「あの、いつになったら仕事になるんですか」

 俺の質問に対して、彼女は目を伏せてお茶を飲みつつあっさりと答える。

「そのうち」

 しかしその解答は、俺の望んだものではなかった。

答えは得られているではないか、と思う方がいるかもしれない。

だが、俺と甘原少女はかれこれ30回以上、同じやりとりをしているのである。

「その『そのうち』は一体いつ来るんですか!」

「そんなの私に言われても分からないって言ってるでしょ。絶対いつか来るから、それまで待つしかないの!」

 流石に堪忍袋の尾が切れかけているのか、比較的強い語尾で言い返される。

まず、この状況の発端は、甘原探偵事務所にとある依頼人が訪問したことから始まったのだ。



「これ捨てで、こっちは綴じて、それとあれとこれは送り返して」

 ポイポイポイッ、といつも通り俺に指示をしつつ大量の書類を投げて寄越す彼女。

俺は頭の中で指示を反芻しつつ投げられた書類を空中で受け止めた。

そして反芻している最中に、俺の頭の片隅にとある言葉が引っかかる。

「……送り返すんですか?」

 そう聞きながら、『返送』の判断を下された書類たちを繁々と眺める。

これ個人依頼じゃなくて警察から来てる依頼ではなかろうか。

「条件がなめ腐ってる。受ける価値なし」

「あ、本当だ。わかりました。一言添えます?」

 言われて見てみれば、激務の割に報酬がしょっぱすぎる。足元を見ている、と言う範疇を悠に超えていた。

「『慈善事業じゃないんだよ馬鹿野郎』で」

「把握しました」

 指示を仰いでから、業務に戻る。いつもと同じ雰囲気、いつもと同じようなやり取り、いつもと同じ作業風景……と、思った時にいつもは聞こえない音が聞こえてきた。

凄い勢いで、事務所の扉をノックする音。

というか、勢いが凄まじすぎてノックではなくもはや破壊のための殴打に近いかもしれない。

そんなのんびりとした昼下がりにはあまりにも不適当な音が響き渡り、俺も甘原少女も眉間に皺を寄せた。

「出ます」

「いや、私が出るから」

「……はい」

 そのやり取りの後、甘原少女がデスクからゆっくりと立ち上がる。

彼女一人分の体重を支えていた革張りの椅子は彼女の体をかたどるように少し凹んでおり、妙な不安感を誘った。

真っ直ぐに、尋常ではない音を鳴らす扉に向かって行く甘原少女。

そして一つ呼吸を置き、彼女は扉を開いた。

その瞬間、俺たちの視界に飛び込んできたのはあまりにも情報量多い映像。

今時では珍しいとてもしっかりした和装の男性が、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした状態で呆然とその場に立ち尽くしている。

その男性の手は扉を叩くために固く握られており、両拳からは強く叩き続けていたせいで血が流れていた。

……なかなかに惨状である。

甘原少女も同じことを思ったらしく、人を迎えるために笑顔を浮かべようとしていたであろう顔が凍りつく。

「取り敢えず、中へどうぞ」

 甘原少女はそう言って、男性に中に入るよう促す。

流石にご近所さんの目もあるのだ、この不審者は私たちと関係ありませんと突っぱねるわけにもいかない。

優しく男性を招き入れ、救急箱を手に取りながら椅子に座るよう扇動する。

彼女はその一連の行動をしながら、俺の方にめちゃくちゃ鋭い視線を投げてきた。

何がしたいのかは分かる。と言うかわかってしまう。

「玄関と扉の清掃お願い」と言いたいのだろう。大丈夫、そう来ると思って既にモップとバケツ、掃除用具一式を装備している。

甘原少女が男性の手の治療を開始すると同時に外に出る。

そして掃除するべく扉を閉めて……思わずうわ、と言う声を出してしまった。

血みどろである。扉も床もだ。

特に血はなかなか落ちないのだ。錯乱というか、焦っていたというのは様子から察することはできるが、それにしてもやめてもらいたい。

「まあ付いて間もないみたいだし、案外あっさり落ちるかな?」

 ごっしごっし、と洗剤や文明の利器をフル活用して血を落とすべく奮闘する。

その結果、ずいぶん綺麗に落とすことができた。比較的汚れたのが直近だったのも幸いしたんだろう、それにしても良かった。

乾拭きしながら汚れる前と変わらぬ美しさになったことを確かめ、掃除用具を大まかにまとめて室内に戻る。

遮音性の高い扉を開いた瞬間聞こえてきたのは、いい大人の情けない男泣きの声であった。

驚いて視線を声の方に向ければ、両手に応急処置を受けた男性が顔面をぐしゃぐしゃに汚しながら甘原少女に縋りつこうとしていた。

因みに甘原少女は、流石にぐっちゃぐちゃに汚れた顔面で擦り寄られるのは嫌らしく器用に距離を保っている。

しかも何か必死に訴えかけているのだが、喉が枯れている上に涙ぐんでいる鼻声なので、何を言っているのかさっぱり分からない。

「一度落ち着いてください」

「〆〒$÷>°♀♭」

「一回思い切り泣きましょう、ね?」

 因みにこの男性が人の言葉を取り戻すまでに小一時間を要したのである。


「いや……本当にお恥ずかしいところを。失礼しました」

「ええ、そうですね」

 常日頃であれば、「そんなことはありませんよ」などある程度フォローを入れるのだが、今回はさすがに疲労や事実も含めてフォローすら入れなかった。

お恥ずかしいという言葉をそっくりそのまま肯定されてしまったのが地味にショックだったのか、男性がピシリと硬直した。

「それで、ご用件はなんでしょうか?」

 淡々と話題を発展させようとする甘原少女。だがその態度が気に食わなかったのか、男性は接客態度が悪いと食い下がってきた。

「探偵事務所と言えど接客業のようなものでしょう!?もっといい態度になれないんですか!?こんな事務所祖父に行って潰してもら……」

 側から聞いていてもなかなか痛い発言であったが、本人はどこか誇らしげに言葉を紡ぐ。

だがしかしその声は、最後まで発されることなく途中で急停止することになる。

男性の眼前には万年筆。彼女が長いこと愛用しているそのペン先は、長年使われている割には結構鋭い状態を保持している。

「ご用件は?」

 にっこり、と綺麗に微笑んで圧をかける甘原少女。なるほど、最初の惨状もあって結構ご立腹らしい。

まさか眼球スレスレまで万年筆を突きつけられると思って居なかったらしい男性の肌には、側から見ても一目瞭然なくらい大量の冷や汗と脂汗が浮かんでいた。

そりゃ怖いだろう。世の中には先端恐怖症なんて言葉があるくらいなんだから。

「よ、要件は……」

「はい」

 ごにょごにょ、とよく聞こえない声でしばらく何かしら呟いていた男性だったが、呟いているうちに思い出したのか、また泣き出してしまった。

甘原少女の顔が結構露骨に顰められる。

今のこの表情を見れば、誰でも彼女の心情を汲み取ることができるだろう。

それ即ち、『めんどくせぇ』である。

そんな彼女は、非常に不本意そうながらも再び男性を宥めた。

宥めなければ話が進まないからだ。

「つ、妻を……妻を探してください!」

  自分より二回りほど年下の少女に凄まれ気圧され挙げ句の果てには宥められ、男性はようやく用件を切り出した。

ここに至るまで所要時間約二時間。正直とてつもなく面倒臭い客である。

しかも依頼内容は人探し。その言葉に、甘原少女は片眉を少し上げた。

「人探しですか?」

「……はい」

「あの、でしたらまずは警察に届け出た方が。お話を聞く限り、書き置きも何もなかったようですし。妖怪の仕業と断定できるようなものもなかったのでしょう?」

 そう、人探し。

男性から得られた情報は非常に少なく……またそれゆえに非常に単純でもあった。


・妻が書き置きも何もなく居なくなった

・妖怪とかは特にないと思う


まとめると、以上。そう、以上なのだ。

この状況であれば、警察に届け出た方がまだまともに捜索できるであろう。

書き置きがあり、家出等の決意があったならまだしもそれもない。

ならば「家庭内の問題」と片付けられてハイおしまい、という事態にもならないはずなのだ。

極々まともなアドバイスをしたはずなのだが、やけにヒステリックに男性は拒絶した。しかもその内容と言うのがなかなかになかなかなものであった。

「父が警察には届けるなと言ったんです!じゃなきゃこんなところに来るわけないでしょう!」

「……はあ、左様ですか」

 まさかの父親が警察に届けるなと言われたからここに来た、と言う超理論。

奥さんを見つけたいのか父親の言いなりになりたいのかよく分からない。

「で、妻はいつ見つかりますか!?」

 何故かもう奥さんが見つかることはこの人の中では確定事項らしい。

いつ見つかるのかいつ見つかるのか、と此方を急かしてくる男性に、甘原少女は辟易した表情を浮かべかけ、ギリギリで留まった。

そして男性に対してこう切り返す。

「あの、見つかる探す云々以前に情報が少なすぎるんです。よろしければ失踪する直前まで奥さんがいたであろう場所にお伺いしてもよろしいですか?」

 ここまで見てきた男性の不安定さを恐れてか、腫れ物を触るような態度で許可を得る甘原少女に対して、男性は何故か誇らしげに胸を張りながらこう答えた。

「まあ別に構いませんよ!あ、私は皮倉三武郎と言います」

「……甘原千里です」

 今更過ぎる自己紹介に、甘原少女は静かに脱力した。

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