犬神と呪術 4
そうと決まれば、あとは早い。
夜も深まり、それなりに満腹になっていたオレたちは、軽く飲んでから解散した。明日もまた、先輩の店に集まる約束をして。
他の医師団のメンバーも公務員だが、当然ながらオレみたいに職場に住み着いてるヤツはいない。ある者は奥さんや子供の待つ家へ、ある者は両親と住む実家へ、またある者は待つ人のいない一人暮らしの家へと、帰っていく。
オレは役所行きのバスに乗るために、バス停へと向かった。さすがに夜も遅くなれば、バスの本数も少なくなる。時刻表を見れば、バスはまだしばらく来ないようだった。
少し離れた場所にあるコンビニまで行き、時間をつぶすことにした。
しばらくコンビニの中をウロウロし、それに飽きると外に出て喫煙場所を探す。現世同様、ここでも喫煙者の肩身は狭い。
敷地内の隅に目当ての場所を見つけて移動する。
上着のポケットからタバコを出すと、一服する。肺の奥深くまで、タバコの煙を吸い込み、吐き出す。至福の時間。
一本吸い終わると、吸い殻を片付けてバス停へと戻った。ちょうど道路の向こうからバスがやってくるのが見えた。
バスに乗り、来たときと同じように揺れる体をバスに預けた。
翌朝、と言っても昼にはまだ時間がある遅い時間。いつも寝ているソファの上で目を覚ました。
それと同時に感じる、圧倒的な存在感。たぶん力は抑えているんだろうけど、犬神が三匹もいたんじゃなぁ……。さすがに圧倒される。体を起こして、来訪者を確認する。
ソファの足元に、ゆったりと体を伸ばして寝そべる仁。
オレのデスクの向こう、後ろを向いたイスの背の端から薄い灰色の尻尾が見えている。たぶん昇華がイスで寝てるんだろう。窓辺で意外に暖かいからな。昼寝には絶好の場所だ。
ところが、見回してみても刻水の姿が確認できない。気配はする、ような気がするのに。
オレが起きたのに気付いたらしい仁が体を起こして、その場に座ってこちらを見上げた。
「話はまとまったか?」
「え? あぁ、うんまぁ。ちょっと仁に確認したいこともあるんだけどね」
答えながらも辺りを見回す。いるような気がするのに姿が見えないのは、なんだかとても居心地が悪い。気のせいなら気のせいと、ハッキリさせたいんだ。
「刻水なら昇華の足元だ。場所を取られて泣いておった」
仁の言葉に立ち上がって確認すると、なるほど確かにイスの下に寝そべる刻水の姿があった。力関係は昇華の方が上らしい。
「それで、私に確認したいこととは何だ?」
オレがソファに座り直すのを待って、仁が口を開く。
「昨日な、医師団の連中と話し合ったんだよ。捕獲というか動きを封じる方法。で、色んな案が出たには出た。が、しかし」
「何だ?」
オレが意味ありそうに言葉を切ると、仁が先を促す。
「どれが効果的か、さっぱりわかんねぇんだよな。残念ながら。バロンの力を計りきれないないでいる。それで、仁に昨日出た提案を見てもらって、どれが効きそうか教えて欲しいんだ」
瞬間、仁は呆れたような顔をした――ような気がする。
仕方ないだろ。今まで犬神と一緒に仕事したこととかないし、その力は未知数なんだから。そりゃな、仁とは頻繁に会ってるというか、いつの間にかいるけどさ。いっつも力を押し隠してるじゃねーか。
心の中で、言い訳なんてしてみる。
「では、その案というのを教えたくれ」
オレの密かな言い訳が伝わったのかはわからないが。とりあえず聞いてはくれるらしい。
昨晩、店で出た意見を書き留めた紙を見ながら、順番に読み上げていく。仁はじっと目を閉じて聞いていた。
オレが全てを読み上げると、仁は少し身じろぎをした以外は動かない。寝てはいないと思うし、読み上げた案を聞いてたと思う。考えてるだけだろう。
デスクの方からイスの動くような音が聞こえて、オレは視線をそちらに移した。
イスからひらりと飛び降りた昇華が、体を伸ばしながらこちらへと来る。昇華が飛び降りた瞬間、なにやら小さな悲鳴が聞こえたような気がするけれど、……気のせいだと願いたい。
……刻水がかわいそうに思えてくる。
その刻水も、昇華の後ろに続いて、自分の体を見回しながら来る。一通り見回して、ケガとかもなかったらしい。仁の隣に座った昇華から、一匹分あけて座った。
「僕ね、アレがいいと思うよ。面白そうだし」
面白そうって……。刻水の発言に、オレはがっくりとうなだれた。そんな理由で決めるか? 決めないだろ? 普通は。それより『アレ』ってなんだよ。
「そうね。アレは良さそうだったわ。他と比べれば、だけれど」
相づちを打つように言った昇華は、刻水が何を指して言ったかがわかっているらしい。微妙に引っかかる言葉がないでもなかったが、冷静そうな昇華の言うことならまだ信頼がおける。
「仁はどう思う?」
昇華は仁に話題をふる。
「術者次第だろう。だが、悪くはない」
仁も同意したみたいだし、『アレ』で決定か。
「で、アレってどれだ?」
オレの質問に返ってきたのは、昇華の冷ややかな視線だった。
夜、昨日と同じ時間に同じ場所で。医師団のメンバーは集合した。まずは軽く腹ごしらえ。肉体労働がメインの仕事をしているヤツらもいるからな。
ひとしきり、雑談をしながら腹を満たして、本題へとうつる。
「で、なんて言ってたんだ? 仁て犬神は」
「あぁ、仁たちの意見は一致してて、術者次第ではあるけれど、これが一番いいだろうって」
オレは昨日の紙を出して、その案を指さした。
全員の視線がオレの指先に集まる。
「マジで?」
その意見はもっともだ。
「僕、冗談で言っただけなのに……」
言い出したヤツからして、こうなのに。
オレの指先のさす場所には、走り書きでこう書かれていた。
――『呪術』と。
呪術を否定するつもりはない。現世と違ってこちらでは、呪術は有効だと認識されているし、それを生業にする者もいる。
決して怪しい手段ではない。ただし、術者の腕によって成果がかなり違うが。
「それでだ。仁たちがこれを選んだからには、これで進めたいと思うんだが。――誰か術者を知らないか?」
オレも仕事柄、というか医師団の仕事上、簡単な術式は使えるし知識はある。だがオレができるのは、せいぜい結界を張るくらいだ。
互いの顔を見合わせたり考え込んだりして、しばらく。
「あ、あそこならできるかも」
ジパングの、海に近い地域の役所に勤めるヤツが、片手をあげた。
「俺の管轄にある託児所なんだけど……」
託児所と呪術がどう繋がるんだよ。
誰もが同じことを思ったらしく、全員の視線がそいつに集中する。
「託児所なんだけど、スタッフって言うのかな? 大半が呪術者なんだよ。託児所が表向きの仕事で、術者は裏の仕事って感じかなぁ」
呪術を生業にしている者もいれば、副業や小遣い稼ぎとして呪術を行う者もいる。単なる趣味でやっているような者も。
「それにしても、託児所と呪術って、珍しい組み合わせ」
誰かがポツリと呟く。まったくその通りだと思う。
「詳しいことは知らないけど、近所では人気のある託児所ですよ」
他の連中も一生懸命思い出してみるものの、目ぼしい術者の名前は上がらず。
こういう仕事をしていると、自然と呪術者の知り合いができそうなのに、意外にいないもんなんだなぁとか思ったりして。そういうオレにも、知り合いはいないんだけど。
最終的に、オレが明日にも託児所に出向いてみることにした。どんな人物なのか知りたいし、術者としてどれくらいの力があるのかも知りたかった。
翌日、頑張って朝から起きたオレは、軽く仕事を片付け、遅い朝食を食べると役所を出た。向かった先はもちろん、昨晩聞いた託児所だ。
昼間だし酒を飲むこともないだろうと、オレは珍しくエアバイクを引っ張り出してきた。現世にあるスクーターとかいうヤツとそっくりなこいつは、オレが昔住んでたアパートから通勤するのに使ってた。役所で寝起きするようになったこともあり、最近はほとんど使ってないけど。
エアバイクにまたがると、海の方へと向かった。昨日のうちに詳しい場所は確認しておいた。
オレが住んでる役所からそこまでは、少し距離があった。一日中ずっと役所にいることも少なくないオレは、ちょっとしたお出かけ気分でエアバイクを走らせる。
空気にうっすらと潮のにおいが混ざり始めた頃、ようやく目的地についた。
明るい色使いで、花や動物の描かれた壁。描かれた花に埋もれるように『ひだまり園』と書かれている。ここが目的地。
園庭とでも言うのだろうか。広い庭に、子どもたちが遊んでいる。子どもたちに交じって、やわらかなオレンジ色のエプロンをつけた男たちが見える。
託児所って言うから女性を想像してたが、そこにいる大人は全員、男だった。中には逞しい体つきの人もいる。
どうしたものかと、しばらく門の前に佇んでいると、園庭にいたうちの一人がこちらに気付いてやってきた。
「何かご用でしょうか?」
あまり愛想が良いとは言えない、ガタイのいい男だった。
「えーっと、こちらの責任者の方は?」
「あぁ、どうぞお入り下さい」
あまり抑揚のない声の男に促されて、中へと足を踏み入れた。
通されたのは、食堂と言えなくもない場所。広い部屋にテーブルとイスが並んでいた。
カウンターで仕切られた向こうに厨房があれば、まさしく食堂。そんな場所だった。
男は、ちょっとお待ちを、と言って出ていってしまって、なかなか戻ってこない。
窓からは園庭が見渡せて、子どもたちが元気に遊んでいる様子が見てとれた。
何というか、普通の託児所だ。どこでどう呪術と関わりがあるのか、不思議になるくらい、普通の託児所。普通と違うのは、スタッフが見る限り全員男ということくらいか。
後方から扉の開く音が聞こえて、振り返る。
少し線の細い体をし、車イスに座った男性が入ってきた。器用にイスやテーブルの間を縫ってこちらへとやってくる。
「すみません、遅くなってしまって。どうぞ座ってください」
言われるがまま、目の前にあったイスに腰掛ける。
「私が、責任者の南部です。今日はどういったご用件でしたでしょうか」
軽く自己紹介をして、バロンと仁のことについて説明する。できれば早く、術者を決めてしまいたかった。これまでの惨事を考えると、早々にけりをつけてしまいたい仕事だったから。
南部という責任者は、バロンのニュースについて知っていたようだが、事件の概要を説明する時には眉間に深い皴が刻まれていた。
「それで、ですね。今回、バロンの動きを封じるにあたって、呪術の力を借りようということになりました。こちらに術者の方がいると聞き、協力していただけないかと来た次第です」
それまで黙って聞いていた彼は、組んでいた腕を解き、オレに視線を合わせた。
「バロンの事件については、知っていますし、痛ましく思っていました。協力できることであれば、協力したいとは思っていますが、我々の力で足りるかどうか……」
そうなんだ。オレが心配しているのもそこ。バロンの力は確実に強いうえに、その力の強さは未知数。生易しい呪術じゃ、全く効かないに違いないと、オレはそう思っている。
「どうしましょう? と言うか、我々が呪術を扱っていること、よく知ってましたね。一応は託児所を経営していますし、知っている人はごく僅かなんですよ」
言いながら器用に車イスを操り、壁につけられた受話器へと近づく。受話器をとりあげ、何ごとかを告げた。
しばらくすると扉の向こうに複数の足音が聞こえ、バラバラに止まった。
何だろうと思った次の瞬間に扉が開いて、四人の男性が入ってきた。
「彼らも呪術をします。それぞれ得意分野は異なりますが、大抵のことは私たち五人でなんとかなります」
イスから立ち上がると、それぞれに軽く頭を下げた。相手も軽く頭を下げてくれて、てんでバラバラに近くのイスに腰かけた。
オレも再びイスに腰かけると、南部が軽く説明を始めた。そして説明が終わると、意見や提案を求めていた。
オレの存在なんて完全に無視して、五人であーでもない、こーでもないと、議論を交わしていた。オレにとってはあまり知識のないこと。黙ってイスに座って聞いていた。
黙って聞いていたせいか、時間の流れがゆっくりに感じる。ぼんやりとしていると、扉の向こうから今度は賑やかな子ども達の声が聞こえてきた。
その声を聞いてハッと時計を見た南部は、慌てて四人の話を遮る。
「いったん止めて、昼食にしましょう。辻村さんも、一緒にいかがですか? 大まかな方向性は決まりました。昼食後に、もう少し煮詰めたいと思います」
言い終わるや否や、子どもたちが扉からなだれ込んで来た。その後ろから数人の男性――たぶんスタッフだろう――も入ってきた。
子ども達に囲まれて昼食をとるという、オレにとっては珍しい経験をすることになった。
すぐ隣に厨房があり、そこで数人のパートのおばちゃんが昼食を作っているらしい。配膳は当番の子どもとスタッフ一人が担当。まるで学校の給食の時間みたいだった。懐かしい。
出来立ての食事はなかなかうまくて、遅めの朝食は急いで食べてきたせいか、恥ずかしながらおかわりまでさせて頂いた。
食事が終わると、膳を下げる子どもたちに交じって、オレも片付けを手伝った。なんだか新鮮な体験だった。
子どもたちが部屋を出ていくと、そこに残ったのはさっきの五人とオレだけ。もう少し内容を検討したいと言うので、またイスに座ってぼんやりとする。
子どもたちはこれから昼寝をするらしく、五人の話し声が聞こえる以外はとても静かだった。