犬神と呪術 6
先輩が用意してくれた菓子の中から、無意識に甘いのばかり選んで食べていたらしい。
「辻村さんて甘いの好きでしたっけ?」
ふと気付いたヤツに声をかけられる。
「脳ミソ使うとな、甘いもんが食いたくなるんだよな」
答えながら、いったん紙から目を離した。
しばらく菓子を食べるのに集中して、それから再び紙とにらめっこを開始。何気なく、仁の経歴に目を通した時だった。
「お? おお?」
「辻村さん、どうしました?」
突然声をあげたオレに驚いたらしい。
「これ、ちょい見て」
バロンの出没場所と、仁の経歴からよくいた場所を書き出す。
ジパングの地形は、現世の日本列島に似ている。大きさは、たぶんジパングの方が小さい。ジパングってのは、国としてのジパング。ややこしいな、全く。
オレらが住むジパングと呼ばれる街は、日本で言えば東京の西部地区に広がる地域。
ジパングの西部、特にジパングの外にある近隣の村といえば、現世日本の長野県辺りに位置している。
「同じ地域ですね、これ」
地理に強いヤツが呟く。
そうなんだ。昔、仁が住んでた場所、よく出没した場所に該当する地区にバロンは現れていた。現世とこちらという違いはあっても。
ジパングの街の外は、たいていは田舎。昔懐かしい景色の村がたくさん存在する。
そのせいか、現世からこちらへと住処を移した神々の多くは、現世と同じ地域にいる傾向が高い。
バロンが、仁がそうして住処を決めていると考えてもおかしくはない。
「ちょっと待ってくださいね」
なんて言いながら、壁際に置かれた自分のカバンから、何か折り畳まれた紙を出してくる。
テーブルの上に広げられたそれは、ジパングの国土地図だった。
そこへ、バロンの出没場所に、出没順に印を書き込んでいく。全てを書き込むと、今度は仁の足跡と照らし合わせる。
「ここ以降の場所は、まだ行ってないみたいですね」
それは、あの春とかいう少女たちと一緒にいたという場所。
「仁は、ここの後に、バロンが分離したと言っていた」
「バロンが仁の一部だった時の記憶を辿って回ってるのかな?」
「だとしたら、次に現れるのは、ここしかないんじゃない?」
その意見に同意して、オレはうなずく。
「次に現れるのがここだとして、いつ? それもわかんないと」
一人が呟く。
「今までの頻度からいくと、いつ現れてもおかしくないと思うけど」
全員で考え込む。いつ現れてもおかしくないということは、今日かもしれないし、明日かもしれない。
「明日、やろう」
オレは決心して口に出した。
「役所に戻り次第、榊さんから場所の承認を受ける。南部たちにも連絡する。今日ではなく明日、バロンが現れてくれるように祈るしかないが。明日にかけてみたいと思う」
真剣に聞いていた他の連中は、オレが口を閉じると大きく頷いた。
それで全てが決まった。
今日来られなかったヤツらへの連絡担当。南部たちを手伝う担当。場所の許可が出しだい、その周辺の整備や警備をする担当など、あとは決まるのが早かった。
明日の集合時間を決め、榊さんから場所の許可が出たら連絡することを確認する。
「先輩、ありがとうございました」
座敷を出て、いまだ下ごしらえをしているらしい先輩に声をかける。
「いいってこった。解決したら、今度は飲みに来いよ。しっかり売り上げに貢献してもらうからな」
手を休めることなく、先輩は冗談ぽく笑う。
「もちろんです」
それぞれが先輩に深く頭を下げて、店を出た。
「それじゃ、明日」
とか口々に言いながら、解散する。それぞれの職場や自宅へと、歩みを進める。
オレはエアバイクにまたがり、役所へと急いだ。
役所へ戻ると、すぐに榊さんに連絡をする。ちょうど昼休憩直前で迷ったが、榊さんは在室だった。
急いで榊さんの部屋へと向かった。なんか最近、よく榊さんの部屋に行くなぁ、なんて思いながら。
明日、予定している内容を告げると、榊さんは快諾してくれた。
今回のように、周りに被害が及ぶ可能性がある場合、場所や時間を申請することにより、周辺住民への事前通知がなされる。余計な被害者を出さないための処置。
なのだが、今回選んだのは、人里離れた廃寺。南部たちが陣を描くのに十分なスペースが確保できる。人里離れているとは言っても、ジパングのすぐそばで、移動にも都合がいい。
滅多に人が訪れることはないと思うが、相手はバロンだ。念には念を入れる。
バロンが現れると予測される地域にも、事前通知が出されることになった。
「それでは、よろしくお願いします」
一礼し、榊さんの部屋を出た。とっくに昼休憩が始まっていて、オレはそのまま食堂へと足を向けた。
まずは腹ごしらえでもしないとな。
昼休憩とは言え、窓口業務は交代でとったりして、食堂がすごく混むということはない。昼休憩が始まって時間の経った今ならなおさらだった。
「おばちゃん」
昼食の載った皿を受け取りながら、オレはふと思いつく。
「犬でも食べれそうなの、なんかない?」
本当は犬じゃないけど。
「何かあると思うよ。辻ちゃんが食べ終わるまでに用意しとくから、まずは自分の腹でもふくらませな」
仲良しの豪快なおばちゃんが、理由も聞かずに請け合ってくれる。
仁が何か食うのかもわかんねぇけどさ。腹減ったりするんじゃないかと、急に思いついてしまった。
思いついた以上は、何か飯でも用意しないと、自分が気持ち悪いんだよな。そういう性分なんだと思う。
周りがどんどん席を立って食堂を出ていく中で、オレは昼食を載せたトレーをテーブルに置いて、席についた。
そういや、南部のとこで食べた昼食もうまかったなぁ、なんて思い出しながら、食器を空にする。
食器を返却しに行くと、さっきのおばちゃんが「これ、持ってきな」と、何か包みをくれた。たぶん、犬でも食べれるもの。
おばちゃんにお礼を言って、自分の部屋へと帰った。
「仁、いるか?」
自分の部屋のドアを開けながら、中に声をかける。中で動く気配がしたので、どうやらまだ待っていたらしい。
オレの位置からは、仁の姿が見えない。
「食堂でさ、お前が食えそうなもん、もらってきたから。腹減っただろ? 食えよ」
言いながら部屋の中を移動する。
やっと仁の姿が見えたと思ったら、なぜかいる刻水と昇華。
三匹の姿と、手元にある包みを見比べる。三匹分は、……さすがにないよな。どう見ても。
あの二匹のことをすっかり忘れていたオレは、思わずガックリと肩を落としながら、仁の前に開いた包みを置いた。
「僕たちはもう食べたから、仁が食べればいいよ」
興味もなさそうに言う刻水の言葉に、心底ホッとしたのは秘密だ。
「お前らって、何食べてんの?」
素朴な疑問を投げかけてみた。
「何って言われてもねぇ。ご主人様の中にいる時は、別にいらないし。外にいる時は、ご主人様が食べてるものとかから適当に気を頂いてるわ」
こちらも仁に差し出した食べ物には興味のなさそうな昇華が答える。
そっか、ふーん。
仁に視線を移すと、差し出した包みの中身を食べていた。やっぱり腹減ってたんだな、こいつ。
仁が食べ終わり、ついでに毛繕いするのを待ってから、オレは用件を切り出した。
「決行は明日の夕方。仁には朝からちょっと動いてもらいたい」
仁の耳がピクリと動く。
「半分は賭けみたいなもんで悪いんだけど」
仁は何も言わない。刻水と昇華も静かにしている。
オレは概要を、三匹に向かって説明した。うまくいくのかと懸念するより、うまくいくのだと確信した方が、物事はうまく進む。
そんな詭弁とも言えそうな言葉を織り込んで説明する。
だが、そんな小細工は不要だっただろう。
仁は、仁たちは、少しの可能性にもかけてみようと、それで早く解決するかもしれないのならばそうしようと、そう思っているみたいだった。
「それで、」オレは言葉を続けた。
「まず最初に、仁のにおいをつけて欲しいんだ」
「におい?」
「そう。出没場所の予想はついただろ。で、そこからどうやって南部たちの待つ場所まで誘導するか考えたんだ」
そう。一生懸命考えたんだが、これ位しか思いつかなかった。
犬神は元々は犬だったり狼だったり。つまりは鼻がいい。バロンが仁のにおいに気付かないはずがない。
「仁のにおいが残っていれば、バロンはそれを辿ると思わないか?」
それがオレの狙い。
誰かに被害が及ぶ前に、においでバロンを釣ってしまえばいい。
「確かにそれはやる価値があるわ。バロンが現れたなら、確実に仁の匂いにつられるでしょうし」
昇華が静かに口を開いた。仁と刻水は、昇華の言葉に小さく頷く。
言わなくても通じる仲って感じがする。
「それじゃ、私と刻水は帰るわ」
「え、何で? いいじゃん、ここで仁と一緒にいようよ。明日も一緒にいれば、役に立つかもしれないよ」
刻水は心底驚いたようで、不満を口に出した。
そういうところは、意見が分かれるんだな。こいつら。
「何を言ってるの。仁だけでいた方が、仁のにおいが強く残るでしょう。私や刻水がいたら、私たちのにおいが、仁のにおいを分かりづらくしてしまうかもしれない」
小さく唸っていた刻水は、それでも昇華の言葉に納得したようだった。
「じゃ、明日の夜、ここに来て待ってるから。仁、絶対にバロンを捕まえて取り込むんだよ! 僕たち、待ってるからね」
人間ならガッツポーズでもしそうな勢いで、刻水は仁に言葉をかけた。そして昇華に引きずられるようにして、二匹で部屋を出ていった。
「仁」
仁が目だけで「何だ」と答えているようだった。
「刻水はかわいいな」
ふっと目元を緩めた仁の顔は、なんだかとても優しく見えた。
翌朝、いつものようにソファの上で目が覚める。ソファの足元では仁が寝ていた。
いよいよ決戦の日。南部たちも朝から、陣の準備をするはず。
あちこちで、それぞれの役割を着実に確実にこなす。それが今のオレたちの使命。
窓から外を見ると、今日も良い天気らしい。
軽く体を動かして、ソファの上で固まった筋肉をほぐす。その間に仁も起きてきた。
「朝飯食ったら行くから。仁の飯、もらってくるか?」
仁は軽く頷いた。『腹が減っては戦は出来ぬ』って言うしな。飯は大切だ。
「じゃ、オレは食堂が開く前にちょっくら仕事してくるから。お前は……、適当に部屋ん中で待ってろ」
言いながら部屋を出ると、オレは魂保管庫へと向かった。
魂のチェックなどをすると、食堂の開く時間に合わせて食堂へと向かった。
おかずを受けとるついでに、仁の飯を頼む。昨日とは違うおばちゃんだったが、快く用意してくれた。
食堂のおばちゃんは皆、いい人ばっかだ。
急ぎすぎないように急いで食べると、仁の飯を片手に自分の部屋へと戻った。
仁が食べてる間に、動きやすい服装に着替えた。
白衣も好きだ。別に必要ないのに白衣を着てることが多いのは、単なる趣味。
だが、外で動き回るには、時として白衣は不便だったりする。
今日は何が起きるかわからないから、動きやすさ重視。着潰して、今ではたまに寝る時に着てるくらいだが、ちょっとどころじゃなくヨレヨレの、いわゆるジャージ。
着替えたオレを見て、仁は少し変な顔をしたが、何も言わなかった。
言いたいことは何となくわかるけどな。動きやすいからいいんだ。
まだ仁が食べているので、ついでに軽く体もほぐす。
あんまり運動しないからな。あとで痛い目を見ないために、念入りに行う。
悲しいかな。思いっきり動くと、日をあけて数日が経ってから体に痛みを感じる。オレももうオッサンなのかと、嘆き悲しみたくなる瞬間だ。
仁が食べ終わるのを見計らって、二人――じゃなくて一人と一匹で役所を後にする。
エアバイクを引っ張り出して跨がると、後ろの荷台にちょこんと座る仁。でかいから、全然ちょこんって感じじゃないが。
――これって二人乗りにはならないよな?
でかい分、やっぱり重たい仁を乗せたオレは、ヨロヨロとエアバイクを発進させる。
最初のうちこそかなり運転が怪しかったが、それもそのうち慣れてしまい、快適に田舎道を進んでいく。
たまに行き交う人が後ろに乗った仁を見てビックリしているのには、気付かないふり。
さすがにスピードが出せなくて、当初の予定より少し遅れて目的地に到着した。
エアバイクを停めると同時に仁は荷台から飛び降りる。そのまま二、三歩進んでから、周りを見渡しながら立ち止まる。
ゆっくりと見回したあと、仁は小さく息を吐き出した。
郷愁。
いや違う。自分の過去を思い出しているのかもしれない。
春と呼んでいた彼女との思い出と、彼女の最期を。
仁の様子を見て、オレは声をかけるか悩んでいた。
オレたちが立っているのは小さな村の入り口。一本道を少し進むと、昔ながらの外観をした、現世では『日本家屋』とでも呼ばれそうな、小さな家々が建ち並んでいる。
あの時、奥さんのナカで見たよりもずっと新しくて近代的な家屋が、同じ場所ではないのだと語っている。
村から視線を戻すと、もう一度仁の様子を伺う。仁の視線は、先にある村に固定されたまま。
それでもしばらくすると、ようやく視線をそらして俯いてしまった。
なぜだか声をかけてはいけないような気がして、ただ黙って仁の様子を伺っていることしかできない。
「これから何をする?」
じっと待っていたオレに視線を移した仁が、すぐに口を開く。
「本当は村の中の様子が知りたいが……」
そう言うだろうとは思っていた。
「さすがに村の中に仁のにおいを残すのは、危険じゃないか? バロンがなんとかなってから、もう一度来よう。村人を危険に晒すわけにはいかない」
「――そう、だな」
もし万が一のことがあった場合、例えば今目の前にある村が壊滅的な被害を受けたりしたら、仁がどうなってしまうのか。オレは心配で仕方ない。
なるべく心配の芽は摘んでおきたかった。村が無事なら、いつでも何度でも訪れることができる。
その為の今日の作戦なんだから。




