前編
一部センシティブな内容があります。女性の体に関する話です。ご注意ください。
「レブリック・クヴェルテュール様。あなたとの婚約をこの場で破棄いたします」
聞き覚えのある声。トゲのある声色。睨めつけるような目に血の気が引いた。
ここは学園内にあるカフェテリア。放課後は生徒同士でおしゃべりをしたり待ち合わせをしたりお茶をしながら読書をしたりと各々自由に過ごしている。
ただ現在は学園に在籍している第二王子が側近や学友達と共に女生徒一人を囲んで楽しく話していたところに別の女生徒が乱入し婚約破棄を突きつけたのである。
殆どの男子生徒はポカンとしたが紅一点の女生徒だけが真っ青な顔で呆然と女生徒を見返していた。
それを忌々しげに睨みつけた女生徒は踵を返すと少し離れた場所にいた高位貴族令嬢達がいるテーブルに行き、「よくやったわ」、「正々堂々言えて素晴らしかったわ」と労われていた。
「またお前かピッグテーヌ。我々の憩いの時間に水を差すな」
「ごきげんよう。エイマール第二王子殿下。お茶会がなさりたいならわたくしとのお茶会にも来てくださればよろしいのに」
痛いところを突かれたのかエイマールは苦々しく歪めていた顔をわざとらしく背けた。そんなエイマールにピッグテーヌが扇子を広げ冷え冷えとした目をこちらに向けた。
「御学友と親睦を深めるのは結構ですが一人不相応な者がいらっしゃるのでは?彼女一人で皆様をもてなすことはとても難しいと思いますが」
「レプリカは僕の相談相手であり親友だ!使用人扱いするな!!」
底冷えする睨みに肩を竦めればエイマールに肩を引き寄せ守るように声を張り上げた。それを見て更に顔色を悪くするとピッグテーヌはハッと鼻で笑い「自覚もなく高位貴族にケンカを売るなど愚かな」と吐き捨てた。
「殿下もくだらない火遊びはわたくしの目が届かないところにしてくださいまし。これ以上目に余るようでしたらわたくしから婚約破棄を告げねばなりません」
よろしいですね。と言い残して取り巻きの令嬢らと去って行った。
「ネチネチと小言ばかり言う忌々しい女め!レプリカ、気にすることはないぞ!キミのことは僕が守る!」
「い、いえ、私のことは構わずどうか婚約者様と仲直りを…」
「ああ!あんな蛇のような目で睨んできたあの女を気遣ってくれるなんてレプリカは優しいな!」
肩に手を回したまま感激するエイマールに顔を引きつらせたまま女生徒はピッグテーヌらと一緒に去って行った女生徒の後ろ姿を思い出し悲しそうに眉をひそめた。
「なんてことをしてくれたんだ!!」
ダン!と執務机を強く叩く父上に思わず肩が跳ねた。
「貴様のそのふざけた格好のせいでサルマージュ子爵家から抗議の手紙が来ているのだぞ!?わかっているのか?!」
「お父様。状況はもっと悪いですわ。サルマージュ子爵令嬢が王子殿下や侯爵令嬢の前で婚約破棄を宣言しました」
「はぁ?!」
姉の言葉に父が顔をしかめ「婚約破棄だと?子爵は何を考えているのだ!」と怒った。令嬢にとって婚約破棄は非がなくても女性側の疵になる。それを宣言したとなれば社交界で噂にもなるだろう。学園でもだ。
「折角取り付けた婚約だったのになんてことをしてくれたんだ。このままでは我が家も後ろ指をさされ肩身が狭くなるだろう。はぁ。被害が大きくなる前に除籍するしか…」
「それは難しいでしょうね。コレは第二王子殿下のお気に入りですから」
「……………はぁ。そうだったな」
兄の言葉を受けて頭を抱えた父は「暫く一人にしてくれ」と言って子供達を部屋から追い出した。
「ブリジット嬢に私のことを話したのは兄上と姉上ですよね?」
廊下で兄姉を引き留めれば似た顔の二人が可笑しそうにニヤリと笑った。
「別に悪気があって話したんじゃないのよぉ?ただ婚約者会えないって泣くブリジットがあまりにもかわいそうだから本当のことを教えてあげただけでぇ」
「このことは王家から他言無用と言われていたはず。それをなぜ!」
「そうカッカするなよ。婚約者なのに真実を知らないのはかわいそうだろう?」
「だからそれは!」
王家に逆らうことで!と叫ぼうとしたら兄に頭を掴まれた。折角メイドが結ってくれた髪型が兄の手が動くごとに崩れていく。撫でるというより髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜられた。
「お前の婚約者は呪いで婚約者がいる王子に侍るような品性も欠片もない女に変えられたのだと教えて何が悪い?お兄ちゃんはお前とサルマージュ嬢のために教えてやったんだぞ?少しは感謝しないか」
「そうよぉ。このままいけばブリジットはもっと深〜く傷ついたかもしれないもの。人の親切をそんなふうに怒るのはいけないことだわ」
めっ、よ。と姉に頬を掴まれ「やだ!不細工!!」と笑われた。
私には婚約者がいた。同い年のブリジット・サルマージュ子爵令嬢だ。この体になるまではいい関係を結んでいたと思う。そうだと思っている。
今は留学をしているということにして手紙のやり取りだけしていたが彼女がそこまで追い詰められていたなんて知らなかった。
そんな内容は手紙に書かれていなかったし学園で見かけた時もそんな陰りのある表情はなかった。
弱気な姿を表立って見せるような人ではないから自分があずかり知らぬところで泣いていたのかもしれない。でも婚約者なのだから少しくらい打ち明けてほしかった。
しかし彼女の隠しごとよりも自分の隠しごとのほうがブリジットを深く傷つけたのは確かだろう。
事情をそのまま伝えればあんな場所で婚約破棄なんて言わないだろうし、その前に確認してくれるだろう。この兄姉は確実に破談になるような嘘を混ぜて話したに違いない。
ちゃんと伝えていたら『呪い』なんて言葉は出てこないはずだから。
口止めをされていたけどブリジットには事情を説明できるよう王家と交渉すべきだったかと落ち込んでいれば、姉がニタリと笑って兄に耳打した。それを聞いた兄も姉と同じような顔で笑ったのだった。
「先日は無礼な態度をとってしまってごめんなさいね」
「…………いえ、」
王宮に呼び出され渋々向かえば上機嫌のピッグテーヌ・コールスマン侯爵令嬢が出迎え手ずからお茶を淹れてリザーブしてくれた。
そして斜め前に座り、その反対隣には第二王子がニコニコと座っている。それを見て溜め息を噛み殺した。お二人の仲は良好だ。こちらが本当の姿で学園では演技をされている。
私と王子殿下が出逢ったのは側近や友人を見定めるお茶会だった。
その頃の私はどちらともつかない更に中性的な顔立ちで天使のようだととくにご夫人達から褒めそやされた。
家族からは特別扱いを受けていなかったので不思議な気持ちで見ていたがエイマールの側近候補兼友人に選ばれるとなぜかエイマールの婚約者候補になったピッグテーヌが私に強い興味を示した。
出だしは私を仲介して二人の関係を深めていったが、そのうちピッグテーヌが「レブリックはお人形さんみたいね」と言って自分のドレスを着るよう命令するようになった。
王子の婚約者候補のドレスを着るなんてとんでもないと断ったが侯爵令嬢の命令に逆らうことができず「これっきりですよ」と言って仕方なく着たのが地獄の始まりだった。
一回が二回、二回が五回と増えていき、気付けば着せ替え人形のように遊ばれエイマールではなくブリジットの付き人のようなことをやらされるようになっていた。
その頃はまだ伯爵家としてのプライドもあったので幾度となく断ったり苦言を呈したりしたが、ピッグテーヌには仔犬が戯れてる程度にしか見えていないのか適当にあしらわれるばかりだった。
だが自分よりも仲睦まじく見えたらしいエイマールが嫉妬したことで一時期二人の関係が悪化し、婚約破棄寸前や私も側近候補をクビになるところだった。
だがそれはエイマールの所業でなかったことになる。
『そんなに女の格好をしていたいのなら男をやめればいい!』
その日もピッグテーヌの着せ替え人形をさせられていたのだが、エイマールが大人の護衛といきなりやってきて私を羽交い締めにすると途轍もなく不味くて臭い液体を無理やり飲ませてきた。
見た目の悪さに魔法薬だとすぐに分かったが、熱さと骨格を弄くられるような痛みと気持ち悪さに悶絶した。
落ち着いた時にはお気持ち程度だが柔らかい胸が存在し男の象徴がなくなっていた。
それに気づいた私はたまらず悲鳴をあげたが、ピッグテーヌは怒りも悲しみもせず『丁度よかったわ。最近骨格がはっきりしてきて喉仏も出てきていたから嫌だったの』と喜んだ。
てっきり自分の婚約者が私に恋心を抱いていると思い込んでいたエイマールは拍子抜けしたようだが、女性となったレブリックが可愛く見えたようでピッグテーヌと一緒に愛でるようになった。
たまったものじゃないのはクヴェルテュール伯爵家である。
レブリックを売りにして事業拡大を狙っていた伯爵はサルマージュ子爵家が持っている販路に期待していた。
それがなくなりレプリカが実は女装癖があるレブリック・クヴェルテュールだとバレれば個人と家の両方に泥を塗ることになる。
しかもこのことは王家から『他言無用』と指示が出ていたのだ。王子が癇癪を起こして治験もしていない魔法薬を無理やり飲ませたなどと世間に知られれば王家の沽券に関わる。
故に婚約者にもひた隠しにしてきたのにこんなことになってしまった。
今日の呼び出しは婚約者に漏らした叱責と家への罰の話かもしれない、そう思っていたのだが二人の様子を見るにそんな重々しい雰囲気はない。
というかいつも以上にご機嫌だ。なぜ?と訝ればとんでもない提案をされた。
「は?今、なんと…」
「だからな。卒園したら僕の愛人になってほしいんだ」
「は?」
「エイマール様。それでは順番がおかしいですわ。わたくし付きの使用人となって殿下が婿入りしてから愛人にすると言ったでしょう?」
「は??」
爆弾発言に呆然とすればエイマールが「そうだった、そうだった」と笑った。
二人はなぜか私が婚約破棄されたことをいたく喜んでいて、フリーになったのだから心置きなく愛人になれるだろう?と言ってきた。
「レブリックにはブリジット嬢は似合わないと思っていたのよ。あの方は野暮ったいし色も顔も三流以下だもの。あなたにはもう少し顔の整った方がお似合いだわ」
「それ以前に女性同士では結婚できないよ」
「……殿下。私は殿下の側近候補で、いずれ元に戻る薬を用意してくださると仰っていたはずですが」
私が変わってしまった自分の体にショックを受け絶望していた時にエイマールは謝罪と共に元の男に戻せるよう努力するからそれまでは女性として耐えてくれ、と言っていたはず。
それがなぜ使用人や愛人に?と彼を伺えば、ピッグテーヌに目配せし「そろそろ話してもいいか」と居住まいを正した。
「実はな。ずっとお前のことが好きだったんだ。異性としてお前を抱きたいと思っている」
「…は?」
「暫く思い悩んだがこの気持ちに嘘はつけない。勇気を出してピッグテーヌに打ち明けたんだ。そしたら愛人ならばお前を手元に置いてもいいと言われてな」
「他の女性だったならお断りでしたけどあなたなら許せると思ったの。元々わたくしの使用人として引き取るつもりでしたし」
「は?」
「だってあなたに着せたい可愛い服がまだまだあるのよ。お揃いの衣装でパーティーにも行きたいし三人の衣装を合わせるのもいいと思わない?きっと皆さん驚くし華やかになるわ!
ならいっそのこと貰い受ければいいんじゃないかって思って」
「どうせお前は次男だったし…今は次女か。どちらにしても家を継ぐ必要はないからいずれは平民に落ちるだろう?修道院やどこか適当な家に嫁がれる前に引き取りたいんだ」
「引き取る…」
「これから伯爵に連絡してあなたを引き取れないか聞いてみるつもりよ。慰謝料を代わりに支払ってあげればゴネることもないでしょう」
「そうなれば僕達はずっと一緒にいれるんだ!レプリカも嬉しいだろう?!」
そこからの記憶は曖昧だった。気付けば街で名所の心臓破りの階段のところに一人で座っていた。
「……なんで?私は、男なのに、」
夕日が眩しいのかよくわからないが目から涙が零れ落ちた。
「私は男だ!!」
ポロポロと涙がとめどなく零れ落ちる。
少なくても心は男のままだ。いつか戻れると信じて粛々と過ごしてきた。なのに。なのに!!
「私はもう、元の体に戻れないのか…?」
「戻りたいのか?」
顔を上げるとすぐ横にちょこんと座っている女の子がいて吃驚した。その子は夕日に照らされた大きな瞳をこちらに向けコテンと首を傾げた。
その際両側で結い上げたボリュームある髪の毛がしなるように揺れた。
「あなたは、誰ですか?」
「わたしか?…ああ、名乗っていなかったな。わたしはレイン。レイン・メルクルディールだ」
「メルクルディール…侯爵家の?」
驚き目を瞠れば肯定で返された。
「話を戻すが元の体に戻りたいのか?」
「戻りたい…え?私が男だと知っているんですか?!」
「いや、さっき自分で私は男だ!と叫んでいただろう?」
「………………あ、」
こんな公共の場で叫ぶなんて、と顔を真っ青にさせれば顎を取られレインと向き合わされた。
「ふぅん。たしかに高位貴族が気に入りそうな顔をしているな」
「なっ…」
「だがキミはそれが嫌なんだな?」
「…嫌に決まってます。だって、あれじゃまるで」
お金で買われたみたいじゃないか。
それに私は女性が恋愛対象だしエイマールに対して恋愛感情を抱いたこともなければ抱かれたいと思ったこともない。考えただけで鳥肌がたつし吐き気もする。
彼はあくまでも主従関係で友人でしかない。それを愛人だなんて!思い出しても寒気がするし気持ち悪くて腕を擦った。
ピッグテーヌも同じだ。人を着せ替え人形にして遊ばれるのがずっとずっと嫌だった。
オーダーメイドで作るからと必要もないのに私を裸にして恥ずかしい部分をわざと見てはクスクス笑われてとても嫌だった。
この体になった後も『なかなか大きくなりませんわね』と無遠慮に胸を揉んだり、必要な知識だからと生理で汚れた彼女のものを使用人と一緒に片づけさせられたりして何度泣きそうになったか。
ああ、思い出した。記憶が曖昧だった中でピッグテーヌはこう言ったのだ。
『妊娠しないよう同衾する場合は避妊薬を飲ませますわね。下手にできれば争いのもとになりますし、妊娠すると産後も含めて体型が崩れますから。
レブリックはこの子供のような体型がいいのですからくれぐれも気をつけてくださいましよ』
気持ち悪い。心底気持ち悪くて思わず手で口を覆った。
「私にだって矜持があります。これ以上尊厳が傷つけられるくらいなら貴族を捨てたっていい」
死んでもいい、とまでは大見得をきれなかったがレインは大きく頷くと「わかった」と答えた。
◇◇◇
本日は社交シーズン最初の大きなパーティーが行われていた。その場にはレブリックもおり、一人ポツンと壁際に立っている。
「やあレプリカちゃん。こんなところにいたのか」
そこへやってきたのは兄のカストル・クヴェルテュールで、ニヤニヤした顔で声をかけてきたが彼の隣を見て顔を強張らせた。
「ごきげんよう。レプリカ様。このようなパーティーでも女装とは怖いもの知らずですわね。気色悪い」
隠しもしない嫌悪した顔を向ける元婚約者のブリジットに挨拶を返そうとして動きを止めた。まるで憎むような目つきに肩身が狭くなる。
真実を話さなかったことをそこまで恨まれていたのかと胃がキリキリと痛くなった。
「カストル様。よろしいのですか?こんな者を放置しておけばクヴェルテュール家の名に傷がつきますよ」
「仕方ないよ。父上がコイツを甘やかしてるんだから。でもそれもブリジットが俺と結婚するまでだから」
結婚したら即娼館にでも売り払うからそれで許してくれないか?と笑う兄に怖気がしたが、それを聞いたブリジットが私を見て鼻で笑い「わたしの前から消えてくれるならなんでもいいですわ」とニヤリと口許をつり上げたのを見てショックで頭が真っ白になった。
二人が去り少し泣きそうになっていると腕を絡ませた姉のアルペナが私を引っ張り「エイマール様に会いに行くわよ!」と無理やり歩かせた。
「嫌です!行きたくありません!」
「何を言ってるのよぉ!これからエイマール様が婚約破棄されるのにレプリカちゃんがいなくてどうするのよ!」
「はぁ?」
婚約破棄??
「そんなことよりも姉上は知っていたんですか?その、兄上とブリジットが…」
「ああ、あの二人?婚約したわよぉ」
「でも!ブリジットは後継ぎで、兄上にも婚約者が…」
「その子とは別れたわよ。飽きたんですって。まぁ男爵家だし貧乏だったから仕方ないんじゃない?」
デートの時も服装や肌に気を使わなかったみたいだし。捨てられて当然よね。と平然と言う姉に愕然とした。その男爵令嬢に長年尽くしてもらっていたのに。結婚まであと十カ月だったのに。
ブリジットはそのことを知っているのだろうか?先程の嘲笑を思い出すと身が竦む想いだが兄の蛮行は看過できなかった。
「兄上はブリジット嬢を、サルマージュ嬢を幸せにしてくださるんですよね?」
自分で言っていて不安がかき立てられるが藁にも縋る気持ちで姉を見ると「さぁ?」とどうでもよさげに返した。
「だけどもしブリジットが不幸になったらレプリカのせいかもねぇ」
「え、」
「だってカストルはあなたの顔が大好きだもの。家族より執着してる相手を見ると奪いたくて仕方なくなっちゃうのよね」
それを聞いて血の気が引いた。
そうだ。この兄姉は私の大切にしているものを尽く奪い壊してきた。
最初は文房具だった。それがペットになり人になった。さすがに人を害したことはなかったけど私と仲良くした使用人は軒並み辞めさせられ爵位が低い友達も気付けば遠巻きにされていった。
この体になってからはエイマールとピッグテーヌくらいしか友人と呼べそうな相手はできなかった。
いつの間にか友人ができないのはこの体のせいだと思っていた。でもそうじゃない。兄姉のせいでもあったんだ。
「ねぇ。エイマール様とピッグテーヌ様が婚約破棄したらわたしにレプリカの席を譲ってよ」
なんだか泣けてきて頭が痛くなってきたところに姉がありえないことを囁いた。意味がわからず彼女を見ると悪魔のように笑った。
「あの二人、あなたのせいで破局秒読み前なんでしょ?あれだけケンカしてれば当然よね?」
「…ちがっ…あれは、」
「でもあなたは嫌いでしょ?婚約なんてしたくないわよね?だったらお姉ちゃんが身代わりになってあげる」
何を言っているのか理解できない。兄にいるのだから姉にもいるのだ。婚約者が。その人はどうするつもりなんだ。
いやそれ以前にあの二人は破局なんかしない。破棄だってしない。学園での二人は仲が悪そうに演技してるだけなのだ。
第一王子を立太子させるために不出来な弟を演じているに過ぎない。それはピッグテーヌも理解した上でのことだ。
これは勿論側近候補だから知り得た情報で外部に漏らしてはならない。だから話すことはできないけど勘違いをしている姉には言わなくてはならない気がした。
「姉上!それは無理です!上位貴族の婚約に物申すなど!それに姉上の婚約者はどうするのですか?!」
「あ、それ?解消したから問題ないわ」
「はぁ?!」
とんでもないことを平然と言う姉に思わず声を張り上げたがすぐに口を閉じた。
目の前にはエイマールとピッグテーヌが並んで立っている。お互いの色を纏った衣装につけ入る隙など微塵も感じさせない。
これを見て正気に戻ってほしいのに姉は「あの二人を解放してあげなさい。あとはわかるわね?」と背を強く押した。
「……あら。何その格好。まったく似合っていませんわよ」
なんとか転ばず踏みとどまると二人の前でカーテシーをした。しかし許可を得る前にピッグテーヌが不機嫌な声で私の格好にダメ出しをしてくる。
彼女に指定されたドレスではないからだ。そのドレスは届いた当日に姉が奪い手直しして今日纏っている。
エイマール色のドレスだ。たしかにあれを着て出ていたら婚約破棄をした時次の相手だと勘違いされていただろう。
「やめろ。レプリカが怯えるだろう?」
「順番を守らず不躾にやって来たほうが悪いのではなくて?」
先に挨拶するのは上位貴族だ。伯爵位はもっと後になる。そう言いたいらしい。
「僕に会いに来てくれただろう?可愛いじゃないか」
「ええ。これが犬猫ならば、ですが」
「人間だって可愛いだろう?キミだって人形遊びをするじゃないか」
「いつの話をしているんですか?くだらない話をしないでください」
ツン、と顔を背けるピッグテーヌにエイマールはやれやれと肩を竦めやっと許可を出してくれた。
「カーテシーも様になったな」
「…はい。ありがとうございます」
女にならなければ覚えることもなかったことをあてこすりするように言ってくるエイマールに目を伏せて返した。見たら睨んでしまいそうだった。
「何を言っているのですか。その年でこの程度なら入園前の令嬢のほうがまだできていますよ」
「そうかもしれないが、キミはレプリカに厳しすぎるんじゃないか?」
「殿下こそ毛色の違うだけの小リスに随分と甘いのではなくって?」
「ははっ小リスか!レプリカは小リスだってさ」
肩を抱いてくるエイマールに鳥肌が立って身を固くすると「殿下。未婚の令嬢に無闇に触るのはおやめください」とピッグテーヌが苦言を呈した。
「少しくらいいいじゃないか。彼女は令嬢じゃないんだから。それにどうせ」
「ここは公の場ですよ」
どうせ僕達が貰うんだから周りにどう思われようとどうでもいいじゃないか、と言いたかったのだろう。
けれどさすがにここでその発言をされては問題があると気づいたピッグテーヌが言葉を遮った。
視界の端では姉が婚約破棄はまだかと嬉々とした顔で見守っているのが見える。胃が捩じ切れそうだ。
「それにどうせ、とはなんだ?」
早く解放してほしい、終わってほしいと身を固くして耐えていれば重々しい声が降ってきて驚き顔をあげた。が、すぐに深く頭を下げた。
「いえ、あの…」
「エイマール。学園から最近のお前の素行について苦情が入っているぞ。少したるんでいるのではないか?」
「あ、兄上…」
やってきたのは国王陛下と第一王子でエイマールがタジタジになりながら後ろに下がった。合わせて大きく下がろうとすれば下がらなくていいと護衛に止められ驚く。
開催の挨拶を終えると第一王子が前へ出て貴族達に聞こえるように声を張り上げた。
「今日は王家が主導している研究に長年協力してくれた者へ褒賞を与えたいと思う」
前へ、と促され驚いたが恐る恐る国王の前へ進み出た。
「長年仮初めの姿でよく勤め、よく耐えてくれた。そなたのお陰で魔法薬学は更に発展、進歩することだろう。儂からも礼を言う」
労るような声に鼻が痛くなり涙が出そうになった。
「そなたの願いは元の体に戻りたいとのことだが合っているか?」
「っはい。合っています」
涙声になりそうになるのを必死に堪えながらはっきりと答えた。
「レイン・メルクルディール小侯爵。例のものをこちらへ」
振り向くと長身の成人男性がゴブレットを乗せたトレイを持ってこちらに近づいてくる。
他の貴族も初めて見る者が多いのか至る所で黄色い悲鳴が聞こえるくらい顔が整っていた。なぜか姉も「やだイケメン」と頬を染めている。
彼がレイン・メルクルディール?
記憶とは違う姿に驚いたが彼の目はあの夕日と同じ色だった。
「ま、待ってください!レプリカ!まさかそれを飲まないよな?元の体に戻ったら僕と一緒にいれなくなるかもしれないんだぞ?」
「控えろエイマール。王の前だぞ」
第一王子が前へ出てレブリックににじり寄ろうとしたエイマールを制した。彼が私に元の体に戻れる薬を用意しなかったのは戻す気がなかったからなのかと理解し唇を噛んだ。
「大いに結構。あなたと一緒にいれなくなるなら喜んでこれを飲みましょう」
ゴブレットを手に取ればそれを叩き落とそうとエイマールが迫ってきたがレインと第一王子に阻まれた。
「エイマール。お前は結婚もしていないのに未婚の令嬢に愛人になれと言ったそうだな?」
「な、なぜそれを…っ」
「お前の勘違いで不幸にした女性に対しその心を踏みにじり辱め尊厳を傷つけたお前を許さないと母上はお怒りになっている。私や父上にまでとばっちりがとんできたくらいだ。お前にはもっと厳しい罰がくだるだろう。覚悟しておけ」
「そ、そんなぁ……」
へなへなと座り込むエイマールを確認しレインが頷いたのでゴブレットの中身を一気に飲み込んだ。
「…まずっ」
「味はこれでも改良したほうだ。我慢してくれ」
ヘドロというか喉に引っ掛かるというか味もひどい。これのどこが改良したのかわからないがなんとか飲みきると体が熱くなりゴブレットを落とした。
全身が酷い筋肉痛になったような痛みに耐え抜くとふと痛みがおさまった。
「いやああああああっ!!わたくしのレブリックがぁああぁっ!!!」
息を整えながらゆっくりと立ち上がると視線が長身のレインや国王陛下達よりも高いことに気がついた。
足下に台などはなく床スレスレだったドレスのスカート丈が膝下になっており腕も胸もがっしりしていてドレスがパンパンにはち切れそうだった。
その姿を見て悲鳴をあげたのはピッグテーヌで「嘘よぉぉぉっこんなのありえないわ!夢よ!きっと夢よぉぉっ」と叫んでいる。
レインにどんなふうに変わったのか聞けば今の私は肉体労働者のようながっちりムッチリのマッチョになっているらしい。
そして顔は眉が太く顔も角張っていて目つきも悪い、可愛さがひとつもない顔になっているそうだ。
祖父のような感じだろうか。
自分が生まれた時には故人になっていた祖父は熊みたいな人だったと祖母が言っていたから。
父も兄姉も祖父の血が濃く、そちら寄りの顔つきだったが私は母の要素が濃く出ていたので美女と野獣とか私だけ養子なのだと言われることも多々あった。
「……そ、それが本当の姿、なのか?」
「はい。これが本当の姿です」
さすがに無理があるんじゃ、と言いたげな第一王子に私は力強く頷いた。だってこのムキムキな手足に憧れがあったから。




