9 たくさんの溝
「やかましいと思ったら、やはり貴様らか」
演奏者の生徒達は勢いよく現れた男子生徒とその連れに驚いてはいた。
そのせいで音程がずれたのは素人の耳にも分かった……が、彼らは演奏を止めなかった。
折角の登場なのに無視をされて、ほんの少し可哀そうだった。まぁ、お客の生徒はざわついてはいたが。
「……良い度胸だ。そのまま演奏していろ」
その男子生徒……緑のネクタイだから三年生か。
彼は据わった目で静かに剣帯に差していた武器を取り出した。
その体の中で魔力の起こりを感じた。
(これは、本気だ)
横柄な生徒は決意に満ちていた。
その手に宿った装飾が施された剣が、手前の方で金色の楽器を吹いていた少女に、振りかぶられようとしていた。
その時、本当に僕は気が緩んでいた。
この演奏を自分が止める訳には……そうやって、腰が重くなっていた。
だから、一人の少年が飛び出していたのをこの瞳がはっきりと捉えた。
音楽とは別の、耳障りな甲高い音が反響する。少年……演奏を止めラレシアンの女生徒を庇い、その剣を受け止めていた。
アルフィーの手にはいつの間にやら、先端に青輝石が付いた両手杖が収まっていた。
歯を食いしばりながら剣を防ぐその姿に、さすがに演奏は止められる。
「何をするんですか……!」
「ようやく止めたか。始めから聞いていればよかったのだ」
演奏どころではなかった。
この騒ぎを制していたのは、横やりを差してきた生徒の方だった。
特別教室の両側の扉を取り巻きで固め、退路を塞いでいた。
「……またなのかシーランス。どうしてそんな……」
「いい加減に懲りろ、貴様らが身の程をわきまえない限り潰すまでだ」
さっきまで進行をしていた痩身のラレシアンが楽器を持ったまま、やって来たアイランダーの先輩……シーランスに対峙していた。
「……何故だ」
「何故も何もない。ラレシアンが音楽なんぞ……黙って本にでもかじりついていればいいものを……」
その言いぶりに、アルフィーの纏う空気ががらりと変わった。目が完全に据わり、皮膚が震えるような怒りが離れていても感じられた。
「これだから嫌いなんだ……これだから、支配者気取りは」
その独り言のようなアルフィーの言葉は、決して聞こえないほどの声量ではなかった。
お客の中にいた、彼の言うアイランダーに当てはまるヒトはびくりとした。
怨嗟の声にも似た、煮えたぎった怒りが吐き出されていた。
「オマエ達がそんなだから、おれ達は爪はじきにされる……!」
突如、アルフィーの耳の先端……考玉が輝いた。そして連動するように両手杖の青輝石が輝き、魔力がうねりをあげていた。
先端から青い光が灯り、炸裂する。
水属性破壊法術、アクアフィスト。
水の魔力が杖から放たれ、シーランスの前で炸裂する。
反撃されることを予想していなかったシーランスは、衝撃に思い切り体をのけぞってしまう。そこで、彼は飛び出していた。
「っ!」
放たれた矢のようにアルフィーは杖を構え、そのまま振りかぶった。
のけぞってしまい反応できなかったシーランスの顔面を、思い切り殴り飛ばしたのだ。
音楽室の床に転がるシーランスは頬を押さえながら、明らかに狼狽していた。
「ア、アルフィー君、君は何を……」
狼狽していたのは、なにもシーランス達だけではなかった。
演奏していた面々も明らかにうろたえていて、アルフィーの行動に目を疑う者ばかりだった。
「こんな事言われて……黙っていられません!」
「だ、だが、こんなことをすれば……」
「あぁそうだ。まさか手をあげる者がいるとは思わなかったぞ……!」
起き上がりながら、シーランスは剣先をアルフィーに向けていた。
さっきまでの尊大な態度は怒りに染まっていた。見れば、彼の後ろに控えていた取り巻きの生徒達も武器に手にしていた。
「シーランス・フロイドの名の元に、貴様らは許さない。今更どんな許しを請おうとも、貴様らがこの学院で平穏な生活を送れることはなくなったぞ!」
後ろに控えていた生徒達の視線が、アルフィーだけでなく他の演奏者にも向いた。いや、ロビン達お客の方にも向いていた。
「掛かれおまえ達! 無謀なラレシアン共と、それに群がる下等な平民共に見せてやれ」
あぁ、もう駄目だ。
何度抑え込もうと思ったか。
そもそもアルフィーが飛び出す前から我慢はしていたんだ。
というか、この流れを見ていてどうしたいかなど、考えるまでもない事だ。
「聞きたいことがある」
だから立ち上がってしまった。音楽室中の視線が集まることもお構いなしに。
「……は?」
勢いよく言い放ったシーランスにも聞きたいことはあるが、恐らく彼の言い分は信じることが出来ない。
なんというか、そういうのに答えてくれる手合いではないように見えたからだ。
「アルフィー。この音楽室の使用許可は取ってあるのか?」
いきなり呼ばれたアルフィーも面食らっていたが、彼は戸惑いながらも痩身の、この演奏者達のリーダーの方を向いた。
「あ、あぁ……一昨日の入学式の時点で、既に教師には許可を貰ってあるが……」
なるほど。それが聞きたかった。それならば……もう迷いはない。
この学院では常に武器の携帯が義務付けられている。常在戦場だとか、貴族の誇りがどうのこうの。
故に、いつでも戦いなど勃発する。
視線などお構いなしに躍り出た。
「誰かは知りませんが悪いのはそっちだ。
いきなり良く分からん事言って妨害して、挙句に無抵抗のヒトを切ろうとした」
稲渡りによる高速移動。
瞬時に魔力で速度を上げながら刀を握る。
抜刀の要領で放った柄尻をシーランスの鳩尾にねじ込んだ。
「……え!」
驚いたのはアルフィーだけではなかった。
ほとんどの生徒がこちらの行動を目で追っていた。
僕は柄から手を離し、同じような動きで裏拳を顔面に叩き込んだ。
……ちょうどさっき、アルフィーが殴った頬とは反対の方を殴りつけていた。
シーランスはまた、予想もしていなかった僕の登場と行動に反応が出来なかった。
そのまま後ろに吹き飛びながら、取り巻きの生徒に突っ込んでいった。
「……何をしてるんだ、ロビン?」
呆然と尋ねてくるアルフィーに、ロビンはこれ以上ないくらい真面目な顔で答えた。
「加勢。この人数相手は大変だろう?」
迷いはなかった。
自分の行動が何を引き起こしているのは理解していた。
だが、この発言が何を意味し、何を敵にするのかを伝えないと思ったからだ。
「……ふざけた事を抜かすな、そこの平民! お前もアイランダーだろう! どうしてそちらに立っている、どうして私に手をあげるのだ!」
シーランスは取り巻きの肩を借りながら立ち上がり、こちらに怒りのこもった声をあげる。
明らかに敵意がこちらに向いているのを見て、思わず笑いそうになった。
「どう考えても悪いのはそっちだ!
僕の初めての音楽鑑賞を邪魔して……ヒトを理由もなく傷つけようとする奴が、正しい訳あるか!」
抜刀。
刀を構え、魔力を練り上げるた僕を横で見ていたアルフィーが、薄く笑った気がした。
隣で魔力が高まっていくのを感じて、僕もまた笑った。
「……上等だ、お前は徹底して叩き潰そう」
シーランスは言い切った。剣を構え、歪んだ顔で今かと号令をあげようとしたその瞬間、
「お待ちなさい!」
音楽室の扉が勢い良く開かれ、一人の女生徒が現れた。
さっと現れ、ロビン達とシーランスの間に立ったのは……豊かな金髪に気品のある声。
見覚えしかなかった。
「ヴィクトリア? なんで……」
どうしてこんな所に。
こんなタイミングで……
尋ねる前に、教室には見覚えのある生徒が武器を構えながら突入してきた。
シーランスの取り巻きを平然と越す取り巻きを連れて、まるで悪党を成敗する正義の団体のように登場した。
「……なんだこれは? 私がフロイド家の者と知っての狼藉か?」
怪訝な顔で、苛つきを隠さないままにヴィクトリアを威嚇した。
しかし、そういうのが効くような相手ではないだろう。
「そちらこそ、今貴方はオルウィン家の娘に剣を向けているという事にお気づきかしら?」
次の瞬間、それまで不遜だったシーランスの顔が見るからに歪んだ。
血の気が引くような、冷や水をかけられたような……
言葉を失ったシーランスに、狼狽える彼の取り巻き達。
状況がどちらに傾いたなんて、言うまでもないだろう。
「……くっ、しゃしゃり出やがって」
本当に小さな声だったが、シーランスの悪態は聞こえないほどでもなかった。
ヴィクトリアは聞かない振りをしたらしい。
行くぞ。短く言って取り巻きを引き連れて、彼は教室から出ていこうとした。
「そこの色男、名前は?」
去り際にシーランスはこちらをぎろりと睨んだ。
「呼ばれてるぞ?」
「絶対おれじゃない」
ヴィクトリアも頷いていた。
いい加減気づきなさいなと嘆息していたが、どういう意味かは分からなかった。しかし、呼ばれているのなら答えなくては。
「ロビン・ダリルブラント」
「……ダリルブラント、覚悟しておけ。貴様はいつか叩き潰す」
そう言い残し、シーランスは去った。
嵐が去ったような感覚に、周りのお客だった生徒は安堵の声をあげた。
演奏していた者も明らかに安心したような顔で。
「……また、タイミングの良いことで」
「いえいえ。丁度通り過ぎようとして、偶々ですよ」
白々しい。
こんな人数を揃えて、織り込み済みのような動きで介入……してやられた感じが気に食わなかった。
「それにしても驚きましたわロビンさん。あんな人数を前に啖呵を切るだなんて!
……勇ましいこと。ますます貴方の事が気になりますわ」
口元を隠しお淑やかに笑う姿は、まるで見目麗しき乙女の恥じらいに見えた。
……それが彼女の得意な顔というのはもう分かったから、惑わされることはないが。
「では、私はこれで。……今度はわたくしを助けてくださいね」
そう言い残し、ヴィクトリアも取り巻きを連れて音楽室から出て行った。
さっきまで生徒で溢れかえっていた音楽室が、ようやく元の広さに戻った気がした。
こちらもようやく落ち着いて刀収められた。
(借りを強引に作らされたな)
これからのヴィクトリアは、今回の助力を盾にして何か言ってきそうだ。
げんなりしそうだった。
アルフィーも両手杖を壁に立て掛けながら、
「ロビン、やっぱりお前はオルウィンと関係があるのか」
「関係ってなんだよ……」
妙に晴れやかな顔をしている少年に、溜め息をついた。
「……ありがとう。まさか、一緒になって戦おうとしてくれるなんて思わなかった」
「気にしないで。この演奏会のお礼にでもなれば」
そんなことを言いながら、二人は席に戻ろうとした。
僕は客席、アルフィーは簡易ステージに。
……戻ろうとして、じっと見られていることに気が付いた。
「……アルフィー、どうして君はあんなことを」
「何が、ですか?」
痩身のラレシアンは頭を押さえていた。
まるで、取り返しのつかないことをしてしまったみたいな
……何かを言いづらそうにして、
「……ぼくらは絶対に歯向かわないように、目をつけられても、害はないと思わせていたのに……それなのに、君は」
その時の彼の様子は、背中しか見えていなかったからよく分からなかった。
何を思って、何を言おうとしたのかなんて、出会ったばかりの僕には到底分からない。
「……そうですか」
アルフィーはそうこぼして、すたすたと歩いていく。
荷物と、さっきまで自分の弾いていたヴァイオリンを持って、教室から出て行った。
あまりに突然のことに、誰も何も出来なかった。
「……僕も行きますね。とてもいい演奏でした、ありがとう」
「……君は」
ロビンも鞄を持って、すぐにその背を追った。教室を出ていく時に呼び止められたような感じがしたが……聞こえない振りをした。
「……すまなかった」
……聞こえない振りをした。
それを伝える義理はない。確かに助けはしたが、それ以上は踏み込みたくなかった。
彼が自分から言わなければ。
僕は彼のことを意識から無理やり追いやり、少年の背を追うのだった。