坪江合戦_弐
あけましておめでとうございます。
本年も皆様にとって良い一年でありますように!
「なんだあの無礼な男は。」
陣屋を出てすぐ、前を歩く北村のオッチャンに声をかける。
「小泉殿は奉行衆の一人。大殿の傍仕えで政から戦の陣立てまで口出ししている男だ。」
「戦上手を自称しておるがその実、戦に出たことのない腑抜けよ。」
重光はまだしも、北村のオッチャンまで吐き捨てるような乱暴な言いぶりをするのは珍しい。よほどの嫌われ者なのだろう。よくわかる。松明を片手に今日の仮宿となる商家に向かって三人で歩きながら愚痴を言い合う。
「大殿の薦めで本陣付きとなった。まるで目付のような言いようで辟易としておる。杉本殿はよく辛抱強く対応されておるわ。」
重光がまた腹立たし気に言葉を吐き捨てる。杉本のオッチャンもなかなかに爆発直前って感じだったけど大丈夫だろうか。小泉って男がどれだけ有能なのかは知らんが、短気な武士ばかりの環境であんな態度取っていたら早々に陣中で不審死が起きそうだ。
「なんでわざわざ本陣付きなんて送って来たんだ。敦賀攻めの時にはいなかったじゃないか。」
「さてな、大方、あの小枝のような男が殿の敦賀攻めの采配に文句でも言ったのだろう。『某ならもっと上手く攻め落としましたな。』とか嘯いているのであろう。」
「理由は分からぬが、大殿からの下知とあっては双方断る訳にはいかぬ。余計な口出しをされぬようどうにかせねばな。」
愚痴を言いながら夜道を歩く。殿様のいる陣屋は府中の手前にある集落、川沿いの商家を借りている。周辺は敦賀勢が固めており、武将格は商家や寺社に。それ以下の兵は野営といった感じだ。俺や海次郎、幸千代は重光と安広が割り当てられた小さな商家に居候している。川を挟んだ反対側には一乗谷勢が陣を張っており、こちらも庄屋などを借り受けて仮宿を構築しているようだ。
今回の戦、九郎兵衛は留守居となった。萩原爺さんと一緒に敦賀城に詰めている。
留守居を申し付けられた時は無表情だったが、俺達の出陣を見送るその眼差しは羨望二割、怨嗟八割といったところだろうか。言葉を交わすこともなく敦賀城を立ってしまったのを少し悔やんでいる。
帰ったらちゃんと話そう。何を話すのか分からないけど、今が良い状態じゃないのは確かだ。
北村のオッチャンと別れて宿に着くまで、重光と言葉を交わすことは無かった。
・・・
大野屋と看板が掲げられた商家の二階。狭い二部屋に男五人が車座になって夕餉を囲んでいる。今日の夕餉は玄米の握り飯と味噌、厨を借りて暖めた味噌汁だ。
「こうして見るとお主らも大きくなったな。」
「飯の量だけは食っているからな。」
「武は食いすぎだ。」
「海次郎だってよく食べてるじゃないか。」
「幸千代。あなたは食べた分以上に動いた方が良い。そうでないと身が締まりませんよ。」
わいわいと話しながら飯をほうばる。肉が食いたい。一乗谷は周囲を山に囲まれているから猪や鹿なんかも多い。どこかで三吉と協力して狩猟でも出来ないだろうか。そんなことを考えていれば話は妙法寺の一件に移っていた。
「で、武は何で一揆勢に気が付いたんだ。」
「木々の隙間から覗き見てただろ。そりゃ気になるさ。」
「幸千代は気が付いたか?」
「ううん。荷駄を押すのに一生懸命で周りなんて見てなかったや。海次郎は?」
「俺も気が付かなかった。気を配ってたつもりなんだけどな。」
「コイツは獣並みに嗅覚が鋭いだけだ。お前らは気にするな。」
グイと味噌汁を煽りながら重光が言い切る。失礼なやつだ。
「で、今は北村殿が調べておられるのですか。」
「あぁ。明朝、俺と武も合流して妙法寺に向かう。事と次第によってはこちらから仕掛けるのも許されておる。」
盃のように味噌汁の椀を持った重光がニヤリと笑う。それは過大解釈では?と思いつつ小突かれるのも面倒なので無心で飯を食う。
「妙法寺が敵となれば五十を超える僧兵と戦うことになりますよ。」
「フン。それくらい何てことないわ。敦賀攻めでは小次郎殿に先手を取られたからな。此度の戦功一番乗りはこの高間重光が貰い受ける。」
「功を急いては事を仕損じます。無理はしないように。武、重光に釣られて先走ってはいけませんよ。」
安広は呆れたような心配したような口ぶりでため息をつく。手柄と聞いて付いて行きたがっていた海次郎は少し居心地悪そうに握り飯を頬張っていた。
「加賀の国境はどうなっているのかな。」
これまた不安げな声で幸千代が呟くと、安広が空気を換えるように一つ咳ばらいをして話し始める。
「まだ知らせは届いていないようですが、そろそろ一向宗も動き始めているでしょう。朝倉軍が動いていることは向こうも察知しているはず。恐らく神宮寺城、西谷城などをけん制しつつ南下しているでしょうね。」
「此度の戦、どこまで狙ってくると思う。」
「大将は朝倉元景殿。そして合力するのは甲斐家や斯波家の残党。となれば越前の奪還を掲げているでしょう。越前全土とまでは難しくとも、九頭竜川以北は最低でも抑えたいと思っているはず。」
「それに一向宗が乗ってくるのか。」
「恐らくは。問題はどこまで本気で乗ってくるか、です。武家が大将である以上、此度の戦で土地を得たとしてもその土地は武士のもの。一向宗の分け前は少ないでしょうね。私が一向宗なら此度の侵攻は助力程度に納めます。」
「儂が一向宗なら朝倉家を打ち破った後に武家を皆殺しだな。さすれば戦功も土地も一向宗のものよ。」
えげつないこと考えやがる。
顔を顰める俺と安広をよそに重光が続ける。
「しかし武家が一向宗を統率出来るのであれば厄介この上ない。死を恐れずただ愚直に命に従う。それに将の策謀が加わってみろ。切り崩すのは難しいぞ。」
「そうですね。ですが恐らくそうはならないでしょう。話に聞く限り、武家と一向宗は一体とはなっていません。恐らくは武家は武家として。一向宗は一向宗として一塊になって戦に挑むでしょう。個々に対峙すれば勝機はあります。」
「敵は強いのか?」
重光と安広の間に海次郎が割って入る。安広はうーん、と少し考えていたが重光がズイと身を乗り出す。
「数は多い。しかし烏合の衆だ。対する我らは殿の下で統制が取れておる。恐るに足らん。」
「一方で朝倉家は精強ですが過信してはいけません。一向宗は恐らく一万は下らないでしょう。対する我らは六千。数では負けています。しかし地の利と兵の質で利があります。これを活かして策を練るのが戦というものです。」
「そう。数で負けておる。だからこそ後顧の憂いは断っておきたい。だからこそ明日、儂と武が妙法寺を叩きつぶしに行くのよ。」
「まだ叩きつぶすと決まったわけじゃないぞ。」
酒も入っていないのに顔を朱に染めて熱弁する重光をなだめながら、鎧兜を枕に眠りについたのは夜も大分更けた時間だった。
・・・
明朝。
朝日を浴びながら俺は重光と並んで妙法寺の前に立っている。寺の門は閉じられており、周囲は朝靄が音を隠してしまったように静かだ。
北村家の調査によって妙法寺は黒確定。ついでに近隣の庄屋三軒がこれに賛同する起請文を出していることも分かった。庄屋の方は杉本勢が展開し、数の少ない北村勢は妙法寺に集中させてたらしい。門前に並ぶのは俺と重光、北村勢が十名。北村のオッチャンは裏手の指揮を執っている。総勢三十名で妙法寺を囲っているようなのだが、人数比で負けていることを分かっているのだろうか。
「重光。寺の中に五十人の僧兵がいるとしたらこの人数は心もとないぞ。」
「案ずるな。戦は数だけでは決まらぬ。それに杉本殿も間もなく駆けつけよう。」
それ以上の問答を許さない勢いで重光が門扉を叩く。
「朝倉家、朝倉宋滴が家臣。高間重光である!御坊に謀反の疑いがある!直ちに門を開けられよ!」
なんだか門の内側でゴソゴソ動いているような気配はあるが、重光の問いかけに対して返答は無い。
「開けられぬか。ならば押し通るぞ!」
重光が最後通告を行うがそれでも返答は無い。あぁ。一足先に戦か。重光が合図すると五本の梯子が用意され、門の左右の壁に立てかけられた。恐らく裏門でも突入準備をしているはずだ。妙法寺の門を打ち破るだけの時間は無い。城と比べて背の低い壁を梯子で超えてしまえば良いだけだ。
「武、踏み入ったら大声を上げてまず一人討て。その後は囲まれないように駆けまわれ。最初の一人以外は討たんでも良い。」
瞳孔の開き切った重光が舌なめずりをしてそう呟く。ノルマ一人ってところは重光なりの優しさなのだと信じたい。
重光と俺の他、合わせて五人が手槍を片手に梯子に足を掛ける。
「かかれ!」と重光の声に合わせて一気に梯子を駆けのぼって壁を越え、境内に飛び込んだ。
・・・
飛び込む直前に思ったことがある。敵が梯子を察知していて、槍衾を作っていたらどうしよう。飛び込んだ先が深い池で溺れたらどうしよう。
そういえば俺、内部構造を全く知らないぞ。
勢いそのままに梯子の最後を踏み抜き、一気に壁を越えて境内に飛び込む。その先に広がっていたのは大きな本殿と広い庭。そして数人の僧兵だった。着地と同時に転がるようにして衝撃を和らげる。着地の衝撃でズレた兜の影から驚いている二人の僧兵が見えた。転がった勢いのまま手にした槍を僧兵に突き立てる。
突いた槍は僧兵の腹部を突き刺し、低い叫び声を生み出した。鎧に防がれると思った一撃は確かに肉を突いた。僧衣の下に鎧を着込んでいるように見えるのだが、気のせいだろうか。
いや、考えるのは後だ。すぐに槍を引き抜いてその隣にいる僧兵を突くが躱される。が、勢いに気圧されたのか二人目は避けた勢いで尻もちをついて倒れ込んだ。この好機は逃がさない。両手で槍を握り直して僧兵を突く。穂先は僧兵の股ぐらを捉え、これまた大きな叫び声が響いた。
「武!走れ!」
バッと振り返ると五人の僧兵がこちらに駆けて来ている。どうやら僧兵のほとんどは門扉にとりついて破られないよう守りを固めていたようだ。門を破らず壁を越えてきた俺達に向かって抜刀した僧兵達が迫りくる。
重光に言われた通り、倒れた二人を飛び越えて本殿に向かって走り出す。「たわけ!」と重光の怒号が聞こえたがそれどころじゃない。正面の本殿から抜刀した僧兵が走り込んで来たので心配は後回しだ。
雄叫びを上げながら横なぎに太刀を振るってくるが遅い。それに振り方もただ振り回すような戦い方で素人丸出しだ。槍を構えて腹部に一突き、胸に一突き入れる。最初の僧兵同様、法衣の下には鎧を着込んでいないようで穂先は肉を断ち、穂先を赤く濡らした。
後続の一人は腰が抜けたのか、太刀を構えたままへたり込んでいる。コイツは放っておいても良いだろう。
崩れ落ちる僧兵の前を駆け、簾を槍で振り払って本殿の中に飛び込むと大きな仏像が待っていた。そして仏像の前に一人、紫色の法衣を来た坊主が背を向けて読経している。部屋は広く、本堂なのだろうか。端にはいくつか座布団のような物も積まれておりこんな時でなければ厳粛な雰囲気の一つでも感じたのかもしれない。
「乗覚様に、近づくな!」
一瞬止まってしまった俺目掛けて背後から怒号が響く。振り返りざまに槍を横なぎに振るえば一人の僧兵とぶつかった。僧兵の右肩が歪むがそんなことお構いなしに残った左手で俺の胸倉を掴む。
「この仏敵め!妹だけでなく乗覚様まで手に掛けるのか!」
「なんの話しだこのクソ坊主!」
突っ込んで来た相手の勢いを利用して巴投げで後方へと投げ飛ばす。起き上がれば追ってきていた僧兵が二人、目前まで迫っている。槍は手から離れている。重光からもらった小太刀を抜き中腰に構える。
「乗覚様!」「乗覚様、いまお助けいたします!」
叫びながら新手が二人突っ込んで来る。俺の後ろにいる紫坊主、乗覚様がよほど大事らしい。二人とも太刀を大きく振りかぶって走ってきており隙だらけだ。中段に構えたまま一気に飛び込み、先頭を走っていた僧兵の首を貫く。肉が固まる前に即座に引き抜き、後続の僧兵が振るう一刀を転がって躱す。
首を突かれた僧兵はその傷を両手で抑えて倒れ込む。そちらに目線が行ったのが運の尽きだ。下段から小太刀を振り抜いて残る一人の腕を斬り飛ばす。野太い絶叫が最後の叫びだった。腕を抱えて丸まったことで露わになったその首を叩き落とし、本堂は少しの静寂を取り戻した。
小太刀に着いた血を振り払い乗覚様と呼ばれていた紫坊主の方を振り返ると、庇うようにして一人の僧兵が太刀を構えていた。
「光明様、円泉様を、よくも、よくも。」
僧兵の太刀は怒りに震え、白い頭巾で覆われた目元からは涙が溢れている。
「てめえらが敵対した結果だ。槍を構え、太刀を抜き、人を殺めようとするのに身内が殺されるのは許されないってか。随分と甘ちゃん坊主だな。」
「黙れ外道!畜生道に落ちた飢えた鬼め!」
「餓鬼道ってやつか、懐かしいな。比叡山で聞いたことがある気がするわ。」
「比叡山。貴様、叡山の一派か。」
「元一派だ。とりあえず今は朝倉家の家臣。どちらにしろお前の敵だよ。」
血を拭き終わった小太刀を納刀し、転がっていた槍を拾って僧兵へと向ける。
「元であっても御仏の教えを学んだ者がどうしてこのような惨いことを!」
「やめよ光照。これ以上の問答は無用ぞ。」
いい加減鬱陶しいと感じて来た時、紫坊主が口を開いてくれた。ゆっくりとこちらを向いて座りなおすのに合わせて、光照と呼ばれた僧兵が横にズレて俺と紫坊主こと乗覚と相対する。歳は六十を超えているだろうか。深い皺が刻まれ、シミだらけの顔だがどこか優し気な雰囲気を感じさせる老僧だった。
「この妙法寺の末席に座します、乗覚と申します。」
「朝倉宋滴が家臣である。」
ここでカッコいい名乗りが出来れば良かったのだが、「武」って一文字だと何となく締まらない気がして名乗らずに終わってしまった。元服しておけばよかったな。
「表も裏も、大層なことになっておりますな。」
「そらあんたらがやろうとしていた事をし返されただけだ。もう間もなく収まるさ。降伏するなら沙汰までの猶予はやる。」
坊主でも大将は打ち首にするのだろうか。分からないので言葉を濁して降伏を促すと乗覚は悲し気に俯いた。
「拙僧は争いを好みません。」
「その割には随分と大ごとになっているぞ。」
「それは乗覚様の御意思ではない!空覚様が勇んだせいで!」
「光照。仏前です。静かに。」
光照と呼ばれた僧兵は苦々しい表情をして口を結ぶ。
「失礼をしました。空覚は拙僧の愚息でしてな。妙法寺を取りまとめております。これが何やら企んでいることは勘づいておりましたがそれを止めることが叶わず。このような事態を招いてしまうとは。」
「乗覚様。乗覚様のせいではございませぬ。責は空覚様を止められなかった我らと一向宗、ひいては攻め寄せてきた朝倉家にございます!」
勝手な事言いやがって。身内で揉めてたってことは何となく見えた。が、どちらにしろ抵抗勢力は討たねばらなん。
「戦う気が無いなら武器を置いて降伏しろ。少なくとも今すぐ叩き斬るようなことはしないはずだ。」
「まだ息のあるものがいるならこの老僧が説いてみましょう。光照、肩を貸しておくれ。」
床に拳を突いて震える光照だったが、その拳で溢れる涙を拭って立ち上がる。乗覚を支えるその手に、太刀は握られていなかった。
次回は1月10日(金)18:00投稿予定です。