高坂の囲い_肆
武雄達が荒木砦、高峠城で朝倉家と接触してから十日も経たない内に桑山城への来訪者があった。
いつもの桃色羽織を着た私が上座に座り、朝倉家の使者が下座で頭を下げている。
本来なら私が下座、せめて対等な位置に…と思っていたのだが、周囲の反対もあってこの席次になった。朝倉家の顰蹙を買わないと良いけれど。
下座で頭を下げているのは邑山寺で会った溝江冬光さん。
幕府からの使者である畠山長貞さんの護衛は他の朝倉兵に任せて単身、桑山城まで来てくれたとか。
入室から着座まで丁寧な所作で周囲を見惚れさせるその姿は、パリッと折り目の付いた装いに鮮やかな薄青色の小袖。腰に差す脇差は柄の部分には美しい彫刻が見えた。やはり相当の身分なのか、それとも朝倉家、溝江家がお金持ちなのかしら。
溝江さんと比較すると、高藤家の面々の服装がかなり質素に映る。
これでも精一杯着飾っているのだけど、こればかりは致し方ないわ。
そんな嘆きをここで吐きだしても仕方ないので、まだまだ冷たい空気を一口吸ってから声をかける。
「溝江殿。本来であれば当家から伺うべきところをこうしてお越し頂けて感謝いたします。」
「もったいなきお言葉。この話しは当家からの申し出にございますれば、私がこうして参上するのが礼儀と言うもの。むしろ返答を急かしてしまうような真似をしてしまい申し訳ございません。」
溝江さんは頭を下げたまま朗々と話す。
「どうか顔をお上げください。我ら高藤家は朝倉家と好を通じることが出来ると知って大層浮かれているのです。喜びの場にそのようにかしこまられると、どうしたら良いのか分からなくなってしまいます。」
私が困った声色で話しかけてようやく溝江さんは顔を上げてくれた。
月明りで見た時にも思ったが、やはり綺麗な顔立ちをしている。現代なら男性アイドルとしても十分活躍できるくらい綺麗な顔立ちだ。
まじまじと顔を見ていればゴホンとお爺様の咳払いで我に返る。
「失礼しました。では改めて。此度の朝倉家よりのお話し、当家としてお受けしたいと思います。越前一国を治める朝倉家からのご配慮への感謝と共に、数多の困難を打ち破るために協力して行ければと思います。」
なんだか政治家みたいな言い回しになってしまったけどこれで良かったのかしら。
荒木砦が焼け落ち、高峠城は事実上朝倉家の物となった今、私達としても協力体制を強化することに異論はない。
むしろ一向宗との戦が始まった今だからこそ、朝倉家と連携して領土の安定化を図るのは良策でしょう。
私の玉虫色の返答に対して溝江さんは一度丁寧に頭を下げてからにこりとほほ笑む。
「お話しを受けて頂き感謝申し上げます。殿もお喜びになりましょう。早速国元に伝えさせます。」
うん?ご自身で伝えるのではなく、伝えさせる?
言葉尻が気になって小首を傾げれば、溝江さんは背筋を正してまたも頭を下げる。
「つきましては一つ、私のお願いをお聞き届け頂けませぬでしょうか。」
「朝倉家ではなく、溝江殿個人としてのお願いですか。」
私が確認すると溝江さんは小さく頭を下げる。
「はい。私事となり恐縮でございますが、暫くこちらに逗留させて頂けませんでしょうか。」
「逗留。」と呟くと溝江さんはコクリと頷く。
「越前を出てからこれまで多くの事を学べました。国や武家が違えば民も変わる。ましてやお雪様のようなご当主が治める国とは如何なるものかを学ばせて頂きたく。」
「そ、そんな学ぶようなことは。」
申し訳程度のお世辞に隠された真意を推察する。逗留と言うけれど、高藤家ひいては越中の情報収集が目的でしょう。
村一つ治めるだけだった高藤家がここまで大きくなれた理由を知り、朝倉家に活かそうとしているとか。あるいはその情報を持って高藤家を活かすか潰すか判断するのか。どちらにせよ、私が実施した改革なんて微々たるものだけど技術を外に出すのは憚られる。だけど断るのは心象が悪い。
どうしたものかと悩んでいれば、お爺様がポンと膝を打った。
「良いではないか。これより好を通じる相手に何を隠すことがある。当家の力を知り、お主の手腕を見せる機会ぞ。」
ニコニコ笑顔のお爺様。背後に「嫁にいけ」って書いてあるわよ。
武雄に聞いた話では、溝江家は元は朝倉一門らしく、朝倉家の中で大きな力を持っている家なんだとか。溝江冬光さんは他家からの養子縁組で溝江家に入ったと言うけれど、いずれは更に分家でも起こせるだけの家格はあるでしょう。
お爺様からしたら眉目秀麗で大身朝倉家とも繋がれる良い人材だと太鼓判を押すところね。
最早断れるような空気ではなくなってしまったこともあるので、溝江さんの逗留については認めることにしましょう。
「ありがたき幸せ。ご迷惑にならぬよう努めさせて頂きます。」
「寝起きするなら福光屋の一室を使ってくれ。悪いが桑山城に空いてる部屋が無くてな。」
武雄が割って入ると溝江さんは小さく笑って頷く。
なんだか私に向けた笑顔とはちょっと違って見えるのが、なんだか心をざわつかせた。
・・・
夜。
月明りが差し込む福光寺に四人が集まった。
光源は高窓から差し込む光と手元にある小さな火鉢。
「お招きいただき、感謝申し上げます。」
下座で頭を下げる溝江さんを武雄が制する。
「堅苦しいのは無しだ。ただでさえそこにいる光興が堅物なんだ。これ以上堅物が増えたら息苦しくて敵わん。」
「某は分を弁えているだけで堅苦しいわけでは…」
「はいはい。言い争いする前に乾杯しましょ。溝江さん、お酒は飲めますか?」
私が濁り酒の入った徳利を傾けると、溝江さんが恭しく盃を持ち上げる。
「堅苦しいのはこの一杯までです。私も堅苦しいのは苦手ですから。」
あれ。光興さんはどうしてそんなショックな顔をしているのかしら。
気にせず私が笑いかけると、溝江さんは少し困ったような表情をしてからクスリと笑う。
笑顔のまま一息に盃を空にするとグイと口元を手で拭った。
「お心遣い、忝うございます。私も旧知の仲である武の前ではやりづらさを感じておりました。」
「そうか?いつもと変わらないように見えたが。」
「『いつも』っていつの話しよ。そう言えばちゃんと聞いていなかったけど、二人は朝倉家で一緒だったの?」
「まぁな。つっても身分は大分違ったが。」
濁り酒をあおり、つまみに用意したお煎餅を齧る。
意図的にぼかされた箇所はあったけど、溝江さんのお父上が戦で亡くなったこと、その後に溝江家に養子へ入ったこと。溝江家は既に嫡男がいて居候のような待遇になっていること。溝江さんの弟さんが仏門に入ったこと。そして九頭竜合戦のこと。沢山の話しを聞かせてくれた。
「武は無鉄砲でいつも方々を困らせていました。」
「師匠面してた重光に似たんだよ。」
「おや、三段崎殿もお師匠筋ではありませんか。三段崎殿のような冷静さはどこへやら。」
「安広は真面目すぎるんだ。まだ薬作りに熱中してるのか?」
「ええ。ですが先日所帯を持たれたとか。お子にも恵まれたと聞きましたよ。」
「マジかよ。相手は誰だ?」
「確か宋滴様の奥方に仕える女中だったかと。宋滴様は笑ってお許しになられましたが、三段崎家のご当主は大層ご立腹になられたとか。」
溝江さんと武雄は旧知の話しで盛り上がっている。
私としては武雄の過去を聞けて楽しいけど、光興さんにとっては退屈な時間だったかも。でもこの人選は武雄によるもの。
溝江さんと二人で呑めば良かったのに、なぜか私と光興さんも同席するように言ってきた。なんでも溝江さんから話があるかららしいけれど。
公的な場で話せない話しなのかしら。と、二人の賑やかな話しの合間に溝江さんを観察していれば、ふと目が合った。
「申し訳ございません。つい話し込んでしまいました。」
「いえ。積もる話もあると思いますので。何でしたら私と光興さんは席を外しましょうか?」
親切のつもりで少し腰を浮かせる姿勢を見せたところで溝江さんはグイとこちらに向かい直った。
「内々にお伝えしたき事がございます。」
先ほどまでの笑顔はどこへ行ったのか。端正な顔が引き締まり室内の空気がシンと張る。
「私もまだ調べきれていない筋にございます故、過ちがありましたらご容赦を。」
「わかりました。」
福光寺の周囲に人はいない。
和尚の円順さんと僧兵の明範さん達は城端に泊りがけで出かけている。
外には十兵衛と清隆、錦之助と弥五郎が見張りに立ってくれているけど、ここの声が漏れるようなことは無いでしょう。
ジリと四人の距離が近づき、溝江さんが低い声で話す。
「申し上げます。神保家と一向宗が和議を結びました。」
私と武雄、光興さんの頭上にはきっと疑問符が浮いていたと思う。
和議を結んだ?いくらなんでも早すぎる。まだ一戦しか交えていないのに手を引く理由が見当たらない。
「和議に伴い神保家当主の神保慶宗殿の養女と下間家の間に婚姻が結ばれた模様。」
「それは潰えた話しでは。」
「再び持ち上がったようです。和議には高木場御坊の明け渡しも含まれているようで、早速門徒が移動を始めております。」
「ちょっと待て。何がどうなってそうなった。」
武雄が頭を掻きながら聞くと、溝江さんは盃と皿を並べだす。
「土山城の北には越中一向宗の拠点である高木場御坊があります。ここは恐らく神保家の物となりました。この高木場御坊を明け渡した一向宗は東の瑞泉寺に向かっているようです。」
「一向宗がたった一戦で負けを認めたってことか。」
「そうなりますね。」
「早すぎる。一体何故。」
光興さんが唸ると、溝江さんは別の盃を取り出して土山城のはるか南東に置いた。
「朝倉家による加賀侵攻が間もなく始まる、と加賀ではもっぱらの噂です。越中で神保家と争うのは得策ではないと考えたのでしょう。」
「それは本当なのか。」
「半分は。宋滴様は越中で一向宗と神保家が争っている間に加賀へ攻め込もうとしておりました。これに賛同する山崎殿が配下を使って荒木砦や高峠城を落とした。ここまでは宋滴様の目論見通りです。宋滴様の目論見が外れたのはここから。」
溝江さんは別の盃を土山城の北に置く。
「神保家内では反一向宗派が多数を占めていました。が、当主の神保慶宗殿と家老の寺島職家殿が仕置を行い、半ば強引に一向宗との結びを強められました。これにより越中国内での戦が終わり、越中一向宗は加賀の守りを固めに行くでしょう。」
「随分と強引にまとめたのね。でもどうして朝倉家が加賀に侵攻すると漏れたのかしら。」
「恐らく越前に残る一向宗徒からの知らせかと。家中の何某かに信心深い者がいてもおかしくはございません。」
越前では九頭竜合戦の前後で一向宗との戦があったと聞いている。以降、一向宗派の主だった寺社は破壊され、門徒の多くは加賀へ逃げるか改宗したはず。だけど、隠れキリシタンのように隠れて信仰を続け、裏で繋がっていてもおかしな話しではない。
ただ、情報を流したのが農民ならまだしも、武家の中にいたとなると問題が大きくなる。
「目星は付いているのか。」
「そこまでは。ですが事が露呈したのは確かでしょう。既に越前に近い加賀の砦には多くの兵と兵糧が集まっています。」
「いつも以上に準備万端ってことか。で、殿様は攻めるのか。」
武雄が聞くと溝江さんは首を振る。
「攻めないでしょう。支度の整った敵陣にかかれば多くの兵を失います。暫し耐え時かと。」
「その間に一向宗が力を付けるってことも考えられるだろ。」
「無論です。それを防ぐためにも此度の話しがあるのですから。」
「我らに一向宗を倒せと。それは土台無理な話しにございます。ましてや神保家が一向宗と結んだ今、当家だけで事にあるのは無理難題にございましょう。」
眉間に皺を寄せた光興さんに賛成。
神保家と一向宗が結んだとなればこの盤面で越中一向宗を倒すなんて相当難しい。
「それこそ朝倉家からの援軍が無ければ…」
と呟いてみて、その実現性について考えてみる。
地理にはそこまで詳しくないけれど、越前からここ砺波まで兵を送るなんてことは可能なのかしら。
「援軍があれば立てますか。」
「冬光。無理な話しはやめておけ。数人の山越えと数百数千の行軍じゃ話が違い過ぎる。」
「おや、武雄は無理だと思っているのかい。」
からかうような溝江さんの声に武雄は笑って返す。
「無理だな。福光屋の連中でさえ北陸道を使わず越前に行くことは出来ないって嘆いているんだ。荷駄隊の無い行軍なんて三日が限界。どうやってもここには来れねぇよ。」
「確かに朝倉兵を送るのは難しいでしょう。ですが、朝倉の将と朝倉に味方する兵を送ることは出来ます。」
「何が言いたい。」と武雄が問えば、溝江さんは武雄を正面から見る。
「隣国の飛騨に味方をつくります。飛騨からであればこちらまで援軍を送ることは容易いはず。兵の指揮に不安があれば我ら朝倉家から将を出しましょう。」
「飛騨に知り合いでも居るのか。」
「山崎殿の知己が居ると。」
「アイツほんとあちこちに手を伸ばしてんなぁ。」
「お雪様。加賀の守りが薄くなれば越前より兵を出します。守りが硬い内は方々に味方をつくり、その時まで力を蓄えて頂きたいのです。今後、神保家が無理難題を申してくるかと思いますが、それに屈せず、兵馬を揃えて頂きたい。」
「それは言われなくても。私達の方でも軍備は進めますが、朝倉家の足並みに揃うとお約束はできません。」
タイミングによっては孤立無援の戦になりかねないからね。
兵を起こす時期くらいは私達にゆだねてほしい。
「かしこまりました。しかと伝えます。」
綺麗な所作で頭を下げる溝江さんを見て、上手く乗せられたことを自覚した。
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次回は5月19日(火)18:00投稿予定です。




