野望
ヘスペリエは穏やかな日々を過ごしている。今までに経験した事の無い穏やかさだ。そんな中で、エリシオンとクレウテの同盟軍がティフォン族と交戦したと聞いた。
「・・・お兄様」
恐らく、先頭に立ち、戦った筈。ゆっくりと噛み締める様に心の中で呟く。
マウォルスが教えてくれたのはそれだけでは無かった。父が倒れたのだと、言葉を選んで伝えてくれた。
彼女が驚いたのは、必死に自分を傷付けない様に王子の立場である人が心砕いている事。
それも、奴隷の彼女にである。本来ならあり得ないのだ。王族や貴族、高い地位を得た者は大抵、下の者を見下す。それは彼女自身が肌で感じてきた事だった。
マウォルスはヘスペリエを大切にしている。それを実感していると、家族への思いは強くなる。
彼女にとって家族は立つ場所の違う存在だった。彼らが同じ場所に降りてくれたから、彼女は近くに居られていた。そんな優しい家族に何が出来るだろう。
考え込むヘスペリエを呼ぶ声がした。
「此処に居たんだね」
マウォルスが近付いて来る。彼が浮かべる笑顔が彼女は好きだった。
「ごめんね、不自由にさせて」
申し訳無さそうに言うマウォルスだが、彼女はそうは思わない。いつだって、よくしてくれた。願いを叶えてくれた。
ヘスペリエは微笑む。
「いいえ。不自由など・・・感じません。それに、届けてくれました。私が贈りたいと思った、美しい花を」
感謝しているのだと、言葉を尽くして伝える。自分の感謝が伝わっているだろうか、ヘスペリエは心配になる。
「そっか・・・でも、ヘスペリエは俺の我儘で居て貰ってるんだ」
マウォルスは彼女の微笑みに同じ様に笑みを返す。優しさを感じたヘスペリエは更に笑みを深める。
「ヘスペリエ、俺はヘスペリエが好きだよ。働き者の手も、優しい笑顔も」
マウォルスの突然の告白に受けた本人は一瞬、目を丸くする。彼女は初めて受ける告白に顔が熱くなるのを感じた。
ただ、真っ直ぐ彼女を見つめて、そんな事を言ってくれる男性は居なかった。それは、彼女が奴隷だから。たったそれだけの理由で、奴隷であるヘスペリエには自由が無かったのだ。当たり前の様に。
でも、彼の眼差しはヘスペリエが味わってきたものを包み込む。優しく、そして、強く。
「・・・マウォルス様」
「『様』はやめて」
「・・・・・・」
彼の願いに彼女は悩んだ。奴隷がその様に上の立場の者を呼ぶ事は許される事では無い。奴隷である事が彼女の妨げになっている。
マウォルスはそんな彼女を笑顔で待つ。ヘスペリエの声で、呼んで貰いたいのだ。
「・・・マウォルス?」
「うん」
呼べば嬉しそうに笑う彼にヘスペリエは溜息を吐いた。
「・・・傍に、居たいです」
ヘスペリエはささやかな、でも、大きな意味を持つ願いを口にする。その願いにマウォルスは微笑んで応える。
二人の願いは同じだった。そして、叶えられるのは、お互いだけ。
マウォルスには、野望がある。
それは、成長していく中で生まれ、使命に等しい程に大きくなっていた。そして、彼にとって、必ず果たす事なのだ。
「ヘスペリエ、聞いて」
マウォルスは愛しい少女を抱き締めながら語る。彼の言葉に目を見開くヘスペリエ。
そして、ヘスペリエは彼の言葉に微笑んだ。彼なら出来ると思ったから。
ガラティア川の上流。エリシオンの者達に見付からない様にそこを通るのは、ティフォン族だった。
族長が不敵な笑みを浮かべる。
「同盟など、もう意味は無い」
ティフォン族はただ襲うだけが得意なのでは無い。狡猾さも持つ。
「・・・打ち破ってやるわ」
待っておれ、エリシオン。族長の呟きにティフォン族は静かに闘志を漲らせた。彼らの視線の先には美しい楽園の光景が広がっているだろう。
彼らは二手に分かれた。一方はエリシオンへと向かう。そして、もう一方は彼らの狡猾さを示す。
エリシオンにとある報が入る。
「アトラス様。どうやら、ティフォン族が動いたようです」
「そうか・・・同盟軍に知らせろ」
アトラスは直ぐ様、同盟軍を向かわせる事にした。彼に出来るのは、エリシオンの地に居て行える事だけであった。
それが、アトラスには不安でならない。
同盟軍が準備を始める。その中には勿論、ウルカーヌスも居た。
彼は決めていた。もう、兄の命令を聞く人形では無いと。従うのならば、イリアス王アステリオスでは無く、その息子・マウォルスだ。
マウォルスは若く、未来がある。それも、強い光を放つ未来が。
それに対して、アステリオスはどうだろう。恐らくは、明るい物では無い。彼の進む道を共に進もうとは思えなかった。
だからこそ、彼は決めていた。
「決めたか」
いつの間にか彼の隣には、アイアコスが居た。アイアコスの言葉は確認だ。ウルカーヌスは迷い無く頷く。
今の彼は、大切なものの為に野望を果たす強い意志の持ち主なのだ。
アイアコスは、ウルカーヌスの瞳を見て微笑む。
「行くぞ」
ウルカーヌスはただ頷く。力強いそれを見たアイアコスは、彼の決意を思い知る。




