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楽園物語  作者: 如月瑠宮
第二章 戦争
13/30

破れる

「父様・・・」

 アイグレーはぽつりと呟いた。一人だけの部屋は暗く、彼女の心を映しているようだ。アイグレーは必死に涙を堪える。

 遣る瀬無い。アイグレーの胸中はそんな思いでいっぱいだった。どうしたら良いか、彼女には分からない。

 屋敷で働く人々の様子が時折目に入る。彼らにいつもの元気は無かった。

 悲しみで満たされている屋敷の中で、アイグレーは震える。

 足音が彼女の耳に入った。何故か心地良いと感じる足音。それは彼女の部屋までやって来る。

「・・・ウルカーヌス」

 彼の手には果実水と菓子があった。気を利かせてくれたのだろう。アイグレーの胸に喜びが広がる。彼の優しさが嬉しい。

 でも、痛くて仕方が無いのだ。喜びと同じ様に広がる痛みに彼女は顔を歪める。

「・・・・・・お願い、一人にして」

 彼女には拒絶するしか出来なかった。まだ幼い心が、家族を襲う不幸に苦しむのと、初めての恋の喜びで引き裂かれそうだった。

 一人になり、この気持ちを整理したかったのだが、彼は去ってくれない。その優しい眼に哀れみを持って彼女を見ている。アイグレーはそう思った。

「お願い・・・本当に、一人にして」

 アイグレーは閉じ籠ろうとしている。ウルカーヌスにはそう感じられた。

 彼はそんな彼女を抱き締める。彼女の身体が強張るのを感じたが、ウルカーヌスは力を弱めない。

 アイグレーは再び感じた温もりに身体が反応してしまったのが恥ずかしかった。

 それでも・・・彼女は目を閉じる。拒絶しても、彼にだけは傍に居て欲しかったのだ。こうして抱き締められたかった。

 アイグレーは自分の強い想いに驚く。このウルカーヌスを自分だけのものにしたいと思っていた。彼女は自分にこれ程の感情がある事を痛感した。

 抑えられない。抑えられる筈が無かったのだ。

 ウルカーヌスは唇に感じる柔らかさに驚いた。しかし、それは一瞬だけ。彼は直ぐに彼女の唇に応えた。

 今、二人にあるのは互いの存在だけ。

 触れていた唇が離れると寂しさが胸に広がる。

「・・・・・・」

 無言で見つめ合う。二人の想いを堰き止めるものは破れてしまった。その感情はもう止まらない。


 少女は一面に咲く花を見つめた。花は全て赤と白の斑。少女の視界を埋め尽くす。

 そして、彼女は思い浮かべる。此処に来た日の事を。


 ぼんやりとした視界。徐々にはっきりと彼女の目に映る光景。それは見知らぬ部屋だった。

「此処は・・・?」

 ヘスペリエは首を傾げる。自分はクレウテに輿入れした筈だと考えていると、辺り一面を染めた赤を思い出す。その赤は血だ。

「あ・・・私は・・・」

 連れられて来たのだ。此処に。

 ヘスペリエが理解した瞬間から、身体が震えだす。自分の身が父を、家族を、エリシオンを追い詰めかねない状況だった。

 彼女は彼女がすべき事を考える。しかし、何も浮かばないのに焦った。こうしている間にも、守らなければいけないもの達に危険が迫っているかもしれない。

「・・・どうしたら・・・?」

 ヘスペリエの呟きは静かな部屋に響いた。自身の呟きの余韻が寂しく感じる。彼女は涙を堪える。

 その彼女の耳に聞こえてきた足音。恐怖で身体が強張る。無意識の中に何かを握り締めた。掛けられている布、それがヒマティオンだと気付く。

「気が付いた?」

 ヘスペリエは部屋に入って来た彼を知っている。あの血溜まりの中で、彼女を助け、そして、連れ去ったのだ。そんな彼はヘスペリエに笑い掛ける。

 混乱する頭で彼女は必死に考えた。彼が敵なのか。

 敵と考えるのが普通だった。でも、ヘスペリエには出来ない。何故なら、彼に助けられているから。

「大丈夫だよ。此処には君を傷付けるものは無いから」

「・・・貴方は、誰なの?」

 ヘスペリエの声は不安に揺れていた。その様子を見た彼は溜息を吐く。そして、少し離れた場所に腰を下ろした。

「俺はマウォルス。此処は、イリアスの離宮・・・今の主は王太后だから、落ち着くし」

「・・・イリアス」

 マウォルスと名乗った彼はヘスペリエの言葉に頷く。

「王太后・・・プロクリス様と彼女に仕える侍女しか出入りしない離宮。今はヘスペリエを匿って貰ってるけど、普段は殆んど客人は居ないかな」

「匿う・・・?」

 ヘスペリエは首を傾げる。匿って・・・貰ってる・・・・・・・彼は王太后にそんなお願いが出来るのか。彼は一体何者なのか。

「・・・ヘスペリエ、出来るだけこの部屋だけで過ごしてね」

 優しい笑顔だった。ヘスペリエは知らない相手、それも若いとはいえ男性に親しげに呼ばれて驚く。

 マウォルスは不安げに揺れ、潤んだ瞳を美しいと思う。アトラスの娘は美人揃いだと聞いていたが、彼にはヘスペリエが一際、綺麗に見えた。

 だから、人目に触れさせない。彼女は自分の立場の弱さを自覚しているのだ。相手から命令されたら、断れない様になってしまっている。それは、奴隷としての正しさだろう。

 しかし、マウォルスは彼女を奴隷として扱う気は無かった。そして、従うべき相手に従う気も無いのだ。

「貴方は・・・誰?」

 ヘスペリエの、マウォルスにとって一番美しいと思う顔に浮かんだ表情。それは、彼が望むものでは無いが、それでも嬉しかった。

「父はアステリオス・・・イリアスの王。イリアスの王位継承者だよ」

「・・・イリアスの王子」

 聞いた事はあった。彼女とはそんなに齢が変わらない、異国の王子。ヘスペリエは混乱を強めた。何故、そんな人が自分を攫ったのか。

 だが、恐怖は無いのだ。彼女を攫いながらも、彼は彼女を大切にしている。それが、彼女自身にも分かる。

「・・・・・・」

 ヘスペリエの脳裏に浮かぶ家族の姿。彼らに無事だと、大切にされていると伝えたくなった。彼女を奴隷として扱わない存在は限り無く少ない。その存在が新たに出来たのだ。彼女の心はそれだけで、明るく照らされる。

 自然と零れていく涙。それは喜びの涙だった。

 ヘスペリエの涙にマウォルスは驚く。慌てて彼女の涙を拭う。しかし、溢れる涙は止まらない。

 マウォルスが困っていると、誰かが来る気配を感じた。

「あら・・・駄目でしょう、女の子を泣かせては・・・」

 ヘスペリエの聞いた声は柔らかで・・・母を思い出した。

「ごめんなさい、お嬢さん。この子が怖かったかしら?でも、本当は良い子なのよ、とても」

 ヘスペリエは清楚な美しさを持つ彼女の言葉に頷く。柔らかな声はヘスペリエにとって、母の象徴だ。

「そういう事で泣いているのでは無いのです。それは事実です。ただ・・・家族を思い出してしまって・・・」

「そう・・・会えるわ」

 必ず、会える。彼女は微笑んで、ヘスペリエを抱き締めた。何度も、会えると言って。

 腕の優しさ。包み込む温かさ。それはまるで、再び母に抱き締められた様で。

 ヘスペリエは知らぬ人の知っている温もりに目を閉じた。

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