一度目の交戦
見ていると不安になる曇天の中、戦いは始まりを告げる。夜が明けた筈なのに、辺りは暗いままだった。
アイアコスは迫る敵を見据える。敵のティフォン族は戦車を多用する。だが、小回りの利く物では無い。騎兵や歩兵を使うエリシオンが不利になるという訳では無い筈だ。
雄叫びが響く。その中をアイアコスは先頭で駆ける。彼の騎乗する馬は生き生きと戦場を走り回るのだ。
兵達はアイアコスの後を追う。彼らは自分達を率いて先頭で戦うアイアコスを敬愛している。そして、彼が戦場を駆けるのならば、兵は彼を追うのだ。
アイアコスは戦場に立つ時は必ず見方が見付けられる様に、戦士としての派手さを持つ。狙われる事は一切考えずに見方が何時でもその姿を探し出せる様に。
戦場には、どんどん遺体が増える。至る所で上がる血飛沫。
アイアコスはただ、前を見据える。後ろはウルカーヌスが守っているのだ。不安になる事は無かった。
ウルカーヌスはアイアコスの後ろを守りながら、周囲を見渡す。彼の眼は機能だけを重視した戦車の中で、たった一つだけ色鮮やかな物を見つけた。乗っている者も派手な物を身に着けている。彼こそがティフォン族の指揮を担う者だろう。
分かりやすい両者の出で立ちにウルカーヌスはこっそりと溜息を吐いた。
迫る敵を斬り倒す。彼の剣は幾筋もの血の痕が付いている。血の匂いが一際濃く感じた。
同盟軍とティフォン族の力は拮抗している。同じ位の死者を出し、同じ位の負傷者を出している。恐らく、先に指揮する者を討った方が辛うじて勝者になれるだろう。
ウルカーヌスは舌打ちしたくなった。本当は同盟軍にもう少しは利があった筈なのだ。クレウテからの増援が来ていたなら。
増援が送られる筈だったクレウテから来たのは、結局は出来ないというもので・・・それを聞いたアトラスの静かな怒りは凄まじかった。
その報を受けて一番落胆したのはディオメデスだろう。情けない国に対して、彼がどう思ったかはエリシオンの者達にも分かりやすかった。無言で鍛錬に勤しむ彼の姿は印象的で、目に焼き付いている。
ディオメデスの動きは洗礼された剣士のそれ。荒々しいティフォン族とは比べ様にも無い。
辺り一面が赤く染まれば、曇り空と合わせて有るのは不吉さだけだ。僅かな光が雲の隙間から零れるが、それは悲しい光景を照らすだけで終わる。
アイアコスは焦りを感じた。妙な胸騒ぎに、早く終わらせなければならないと思う。
そして、焦りが作った隙を突かれた。左腕に痛みが走る。
「っ・・・」
左腕から流れる血。アイアコスは舌打ちをして、その傷を付けた敵を斬り倒す。
「アイアコス様!」
誰かが叫ぶ。彼の腕から流れる血に驚いたのだろう。不安が味方に拡がる前に、アイアコスは敵を屠る。
深くは無かった。まだ、戦える。
アイアコスの様子を窺っていたディオメデスは落ちている槍を拾う。槍は直ぐに彼の手を離れた。
ティフォン族の指揮官は驚いた。目の前に飛び込んで来た物がある。それに声を上げるより早く、喉元に衝撃が来る。
ウルカーヌスは飛んで行った槍が敵の身体を貫くのを確認した。投げた本人に目をやれば、苦笑を浮かべていた。らしくない方法で彼は終わらせたのだ。味方の不安が続かない様に。
ティフォン族が後退していく。指揮を失い、引いていく敵を追う必要は無かった。
痛みで霞む視界の中でアイアコスは戦場を見た。広がる光景を生み出したのは、自分達。
横たわる者は敵味方関係無く息絶えるだろう。その中に、彼らは立っている。多くの命が失われゆく場所に。
アイアコスは目を閉じる。痛みが、怪我をはっきりと認識させる。
「・・・それでも」
生きる。生きて、帰るのだとアイアコスは誓う。たとえ、他者の命を奪おうとも。たとえ、誰かを悲しませようとも。
帰りを待っている人の許に戻れたら、アイアコスは良いのだった。
「・・・・・・」
アイアコスは零れ落ちる光を見つける。光が照らすのは、死者を見つめるディオメデスだった。将として、敵に捧げられる悼み。
血腥い戦場にあって尚、清らかな光景。アイアコスは微笑んだ。
エリシオンに戻ると、アイアコスはウルカーヌスに手当てをして貰っていた。もしも、ヘスペリエが居たなら、彼女がしていただろう。妹の細い指が手当てをする様を思い出す。
アイアコスは湧き上がる悲しみを抑えた。
「申し訳ありません。少し緩めますか?」
彼の僅かな変化に気付いたウルカーヌスが気遣う。もう既に痛みは無かったが、アイアコスは頷く。
ウルカーヌスは手当てをしながらも、疑問を感じていた。ティフォン族との戦いの中、彼は見つけていた。彼らの中に、彼らとは違う者達が混じっていたのを。
そして、その者達はウルカーヌスを狙っていた。あの者達が何者なのか、彼には見当がついた。
ウルカーヌスは思い至った考えに納得してしまう。自身の立場を理解し、だからこそ従った。だが、無駄だったのだ。戦に乗じて、彼は兄王に殺されそうになった。
彼は歯噛みする。口惜しい。声にする事の出来ない思いが渦巻く。
ウルカーヌスの胸中は複雑だった。納得してしまえるのに、悔しいとも思う。なのに、少しも悲しいとは思えないでいる。
イリアスの母親の違う兄弟の間には深い溝が出来ていた。この美しい地のきょうだいとは大違いだ。
「ウルカーヌス」
アイアコスが上の空なウルカーヌスに声を掛ける。手当の手を止める事は無かったが、彼は明らかに別の事に意識を向けていた。
探る視線に気付いたウルカーヌスは焦った。彼の前での考え事は避けるべきだったのだ。恐らく、アトラスの後継者は何かを勘付いている。
迷いが浮かぶ眼をアイアコスは見つめた。緊迫する空気。この場に居るのは二人だけだ。
もしも・・・彼を殺せば、喜ぶだろう。だが、悲しむだろう。
ウルカーヌスは傍らの剣に伸ばしかけた手を止める。彼は無意識の中に選択していた。誰を優先するか。
足音が近付く。明らかに急いだそれは二人の許に飛び込んで来た。
「兄様・・・ウルカーヌス!」
飛び込んで来た妹の様子にアイアコスは眉を寄せる。女性にしては日に焼けた肌の色が普段より白い。
「アイグレー・・・何があった?」
焦るアイグレーを落ち着かせる様に優しくアイアコスは聞いた。
「・・・父様が、父様が」
アイグレーの声は強張っている。
「父様が・・・倒れたの」
ぽつりと・・・呟く様に吐き出された事実。二人は目を見開く。アトラスが倒れる、それは即ちエリシオンにとっての危機に等しい。
アイアコスは立ち上がる。歩き出した彼が向かうのは屋敷の主の部屋。今、一番騒々しいであろう場所。
辿り着いた彼を迎えた従者は己が病に罹ったかの様に顔色が悪い。
アイアコスは父が眠る傍らに立つ。今までの心労が病がちなアトラスの体を蝕まない筈が無かった。
アトラスの屋敷は普段と違う騒がしさで、数日を過ごした。エリテュイアは混乱する屋敷で女達を纏めていた。
彼女の脳裏をよぎるのは、父が亡くなった後の事。後継者は既に定められている。アイアコスが父の後継者として、エリシオンの将軍となる事を目指すだろう。
だが、まだ早い。父にはまだ居て貰わなくては。
エリテュイアは綺麗な布を目的の場所まで運んだ。多くの怪我人が居る。先の戦争で傷付いた者達をエリテュイアは哀れんだ。彼らが傷付く必要があったのだろうかと。ティフォン族に恨みがあるのは自分達だった。それに民を巻き込んでいる。
確かに襲われた者も多い。家族を失った者も居る。それでも、戦い、傷付いた者全てがそうなのでは無いのだ。
罪悪感と呼べば良いのだろうか。エリテュイアはそれを拭う事が出来なかった。
「エリテュイア様」
彼女の姿を見つけたディオメデスが彼女の手から布を攫う。僅かな重量が無くなり、エリテュイアは少し不安になった。
多くの負傷者が横たわる。あの者達には伝えていない。
エリテュイアは目を伏せて、その場を去った。
これ以上、不安にはさせたくないし、なりたくもなかった。
同じ頃、ウルカーヌスは使者を迎えていた。彼は現れた使者に目を見開く。その人物は笑みを浮かべて、彼に命令書を渡す。それには無機質にアトラスを殺せと書かれていた。
「ウルカーヌス、従う必要なんて無いよ」
彼は使者の言葉に眉を寄せる。使者、マウォルスの顔を見つめた。本来、彼が使者として来るなど有り得ないのだ。
ウルカーヌスの疑問を知ってか、マウォルスは笑みを深くする。悪戯が成功した子供の様に。彼はウルカーヌスにとって、まだ子供ではあるが。
「頼みがあるんだ」
無邪気な笑みは断られると思っていない。マウォルスは自信に満ちていた。ウルカーヌスは予感する。それは、決して嫌な物では無かった。




