第1話
【編集者注】
2026年夏頃、X上で「#群馬から出られない」というタグを付けたポストを繰り返す、あるアカウントを見つけた。
投稿者のプロフィールには「都内在住・大学生」とだけ記されており、本名や年齢などの詳細は確認できない。
「おい、本当に群馬まで行くのかよ」
助手席に乗り込み、シートベルトを締めながら俺は思わずツッコんだ。
運転席の拓己はハンドルを握ったまま笑う。
「何だよ、今さら」
「いや、昨日まで冗談だったじゃん。『秘境グンマーにでも行ってみるか』って」
「だから行くんだろ」
「本気だったのかよ」
都内の大学に通う俺たちは、夏休みに入ってからというもの、暇さえあれば日帰りでドライブに出かけていた。
とはいえ、これまではせいぜい神奈川や千葉、埼玉あたりだ。
まさか群馬まで足を延ばすことになるとは思ってもみなかった。
「ネットじゃ散々ネタにされてるだろ。『日本最後の秘境』とか『グンマー帝国』とか」
「だから実際どんな所か見てみたいんだよ」
「お前、意外と行動力あるよな」
「夏休みなんだから、たまには遠出もいいだろ」
車は関越道をひた走り、車外は段々とのどかな田園風景へと変わっていく。
しばらく走ったところで、拓海が何気ない口調で切り出した。
「そういや、一樹」
「ん?」
「お前、群馬パスポート持ってきた?」
一瞬、何のことか意味が分からなかった。
「……は?」
「だから、群馬パスポートだよ」
「何それ」
「群馬に行くならそれが必要なんだぞ」
「嘘つけ」
俺は思わず吹き出すと、拓己も声を上げて笑った。
「冗談だって。これもネタみたいなもんだ」
「くだらねぇ」
「でも実際にあるぞ、群馬パスポート」
「え、ホントにあるのか?」
「あぁ、群馬県が観光PR用で配ってる」
「ああ、そういうやつか」
「ほら」
拓己はポケットから、手のひらほどの大きさの深緑色をした冊子を取り出した。
表紙には金色の文字で、
『GUNMA PASSPORT』
と書かいてある。
手に持つと、質感は意外と本物のパスポートのようだ。
「ちょっと前に話題になっていたからネットで申請してもらったんだ」
「お前、どんだけ群馬好きなんだよ」
二人で笑って、その話はそれで終わった。
今思えば、それが最初の違和感だったのかもしれない。
お昼前、俺たちは群馬県へ入った。
最初に立ち寄ったのは高崎駅前だった。
「思ったより都会だし賑わってるな。東京に例えると赤羽駅前くらいか」
「おい拓己、それは赤羽駅に失礼だろう」
「いや一樹、お前の方が失礼だって」
「でもまだ油断するな。ここからが本当の秘境かもしれん」
「駅前出たらすぐ秘境って何だよ」
くだらない話をしながら駅前を歩き、写真を何枚か撮る。
昼飯は群馬のソウルフードだという焼きまんじゅうを食べようということになり、香ばしい味噌の匂いに釣られて店に入った。
「……あれ?」
「どうした」
「普通にうまい」
「また失礼だなお前」
「いや、もっとネタ枠かと思ってた」
「焼きまんじゅうと群馬県民に謝れ」
俺は焼きまんじゅうの写真を撮りXへポストした。
初グンマー。
焼きまんじゅう、普通にうまい。
すぐに大学の友人から『グンマ満喫してんなw』というリプが届き、思わず笑ってしまう。
その後、せっかくだから温泉に行こうということで伊香保温泉へ向かった。
石段街を歩き、土産物屋を冷やかし、足湯に浸かり、温泉まんじゅうを食べる。
続いて車を少し走らせて、タダで見学できるというめたいこやこんにゃく、有名なラスクの工場なんかにも立ち寄ってみた。
そこであれこれ試食をしたりしてすっかり腹を満たした俺は思わず口にする。
「群馬って、思ってたよりいいとこじゃん」
「まぁな」
「もっとこう、何も無い秘境かと思ってた」
「だからお前、さっきから群馬に失礼だぞ」
「ネットが悪い」
「それは否定できない」
群馬をネタにしながら始まったドライブだったが、何だかんだ俺たちは思った以上に楽しんでいた。
気づけば西の空がオレンジ色に染まり始める。
「さて、そろそろ帰るか」
「だな。さすがに日帰りだし」
拓己が車のエンジンをかけてナビを操作する。
画面に都内にある拓己の家までのルートが青い線で表示された。
俺は助手席でスマホをしまい、ベルトを締めてシートに深く体を預ける。
この時はまだ、家に帰れないなどとは夢にも思っていなかった。




