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蟲獣皇帝ゼロ  作者: 伝説の男前
第三部 ユグドラという名の問い

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20/20

第二十話 のり塩と温泉

のり塩ポテチの開発に、三週間かかった。


最初の一週間は、芋探しだった。

六尾と二人で北の森、南の市場、害獣帝国の食材倉庫を回った。最終的に、市場の端の方に「地球のジャガイモに近い何か」が売っていた。触感が少し違うが、断面が白く、加熱すると柔らかくなる。


二週目は、薄切りと揚げ方の試行錯誤だった。

この世界の油の種類が地球と違うため、温度管理が難しかった。ミレイナが「研究させてほしいどす」と言って油の成分を分析した。ボア・ガルドが「揚げ物と心臓病のリスクを——」と言いかけてイタチに止められた。


三週目は、のり塩の配合だった。

この世界の「海苔に近いもの」は六尾が見つけた。北の湿地帯に生える緑色の薄い葉で、乾燥させると磯の香りに似た匂いがした。塩は問題なかった。センディアが「薬草と合わせると深みが出るかもしれん」と言って、少量の薬草の粉を混ぜることを提案した。


そして三週間後の朝——


悠真はのり塩ポテチもどきを、完成させた。



試食の場は、迎賓館の広間だった。


全員が集まった。

悠真は皿に盛ったのり塩ポテチもどきを、テーブルに置いた。


薄く切られた芋。緑の粉。塩の白さ。

揚げた香りが、広間に広がった。


G・クリムゾンが一枚取った。

口に入れた。

食べた。


沈黙。


「……なんでやねん


今回の「なんでやねん」は——今まで聞いた中で一番、純粋に驚いている「なんでやねん」だった。


「どうですか


「……これは、なんや。薄くて、塩くて、海の香りがして——止まらん


「それがのり塩ポテチです


G・クリムゾンはもう一枚取った。また食べた。

触覚が、はずんでいた。


レグナスが一枚取った。食べた。


「……うまいな。なんや、止まらんな


「それがのり塩ポテチの恐ろしいところです


「もっとくれ


「まず全員に行き渡らせてから


「ケチやな


レオンが「んだ、うまいべ!」と言った。

シビシネアが無言で二枚取った。

ラクーン・ルカが「最高やで!」と叫んだ。

ボア・ガルドが「揚げ物ではあるが——まあ、たまにはいいだろう」と言いながら三枚取った。

ミレイナが「センディアはんの薬草が——うちの魔法成分分析では——」と言い始めてガルドに止められた。


センディアが一枚だけ取った。

食べた。

何も言わなかった。

しかし——二枚目を取った。


六尾が悠真の隣に来た。


「……本物と同じですか


「九十パーセントくらいです。一番違うのは——薄切りの厚さが少し均一でないのと、油の香りが少し違うことです。でも——九十パーセントでした


「悠真さんにとって、どうですか


悠真は一枚取った。

食べた。


のり塩の香りが、口に広がった。

塩気が来た。薄さが来た。海の香りが来た。センディアの薬草の、かすかな苦味が、最後に来た。


地球とは違う。

でも——美味しかった。

この世界の、のり塩ポテチだった。


「……よかったです


「よかった?


「この世界で作れた、ということが。地球のものとは違うけど、この世界のみんなが関わって、この世界のものになった。それが——よかったです


六尾は少し考えた。


「……出汁と同じですね


「同じです


六尾は笑った。

今日の笑いは——最初の頃の不器用さと、少し遠くを見る目と、両方が混ざった笑い方だった。


六尾が縁側から一枚受け取った。

食べた。

長い間、何も言わなかった。


「……ちょろいん


「今回は誰ですか


「……ワシじゃ——と祖母なら言う場面です。でも今回は私です。また食べたくなりました。すでに


悠真は笑った。

G・クリムゾンが「なんでやねん」と言った。

全員が、笑った。



のり塩ポテチもどきの試食から一週間後。


温泉落語の日が来た。


六尾が「祖母の代わりに、また来よう」と言った、あの温泉。

北の霧が消えた今、道は開かれていた。


今回の一行は——多かった。


G・クリムゾン、六尾、悠真、イタチ、カラス、ラクーン・ルカ、ディア・ルミナ、シビシネア、センディア、レグナス、セイリオス、レオン、ミレイナ、ガルド、ボア・ガルド。


そして——カルディアが来た。


霧の端に姿を現した時、全員が静かになった。

カルディアは以前より、小さかった。意図的に、ずっと小さくしていた。八本の脚が地面に触れる。今日も——枯れなかった。


G・クリムゾンが前に出た。


「……来たな


「……来た。温泉落語、とは何か——気になった


「湯に浸かりながら落語を聞くことや


「……浸かれるかどうかは


「わからん。でも——来てみたらわかる


カルディアは少し間を置いた。


「……そうか


一行は温泉へ向かった。



温泉は、前回と同じ場所にあった。

岩場から湯が湧き出している。露天の空間。

今日の空は——緑だった。

北の赤みが、完全に消えていた。


カルディアは温泉の縁で止まった。

八本の脚で、岩を踏んだ。

湯を見た。


「……ワシは、浸かれないかもしれん


「足だけでもどうですか


「……足


「六尾さんも最初は足だけから始めましょうか」


悠真は岩の縁を示した。

カルディアは少し間を置いて、岩の縁に腰を下ろした。

八本の脚のうち、前の二本を——湯に浸けた。


沈黙。


「……温かい


「そうです


「……ワシが触れると、枯れると思っていた


「枯れませんでした


「……なぜ


「わかりません。でも——枯れませんでした


カルディアは湯を見た。

前の二本の脚が、ゆっくりと湯の中で動いた。


「……悪くない


悠真は少し笑った。

先遣の言葉と、同じ言葉だった。



全員が温泉に入った。


G・クリムゾンが岩の縁に腰を下ろして、六本の脚を湯に浸けた。

六尾が足を湯に浸けて、空を見た。六尾と一緒に温泉に来られた。それがうれしかった。

六尾が肩まで浸かって、静かにしていた。

レグナスが「ええ湯やな」と言った。

レオンが「んだ!」と言った。

ルカが「最高やで!」と言った。

カラスが「計算を止めています」と言った。

イタチが目を閉じた。

センディアが一人で岩の角に座った。しかし離れなかった。

ミレイナが「またおいでやす」と言った。ガルドが「……またおいでやす」と言った。全員が「それは違う」という顔をした。

ボア・ガルドが「温泉の成分が——」と言い始めてイタチに止められた。

ディアが「大したことあらへん」と言いながら気持ちよさそうに浸かった。

シビシネアが無言で浸かって、空を見た。


悠真は湯の中で、全員を見た。


害虫の総司令と四天害の一柱と人類の国王と蟲獣皇帝が、同じ温泉に浸かっている。


(なんでやねん)


心の中でそう思って、笑いそうになった。


湯気が上がった。

空に向かって、消えずに。



悠真が温泉蒸しを作り終えた頃、G・クリムゾンが立ち上がった。


「一席、打っていいか


全員が静かになった。


カルディアが岩の縁で、前の二本の脚を湯に浸けたまま、G・クリムゾンを見た。


G・クリムゾンは六本腕を構えた。

温泉の湯気の中で、落語体勢を作った。

そして——語り始めた。


今日の話は——短かった。


一匹のゴキブリが、百年間、誰にも聞いてもらえなかった落語を続けた話だった。

ある日、転生者が来た。スキルなし、魔力なし、戦闘力F。

そいつは最後まで聞いた。笑わなかった。でも「面白かった」と言った。

その後、虫も獣も人間も、四天害も、銀河の管理者も、銀河の侵略者も——全員が、なんやかんや集まってきた。

温泉に入った。のり塩ポテチを食べた。

ゴキブリは今日も落語を打つ。

誰も笑わない。

でも——誰も、帰らない。


オチは——「なんでやねん」だった。


G・クリムゾンが六本腕を下ろした。


誰も笑わなかった。

でも——誰も、動かなかった。


湯気が、上に向かっていた。


カルディアが言った。


「……また聞きたい


G・クリムゾンは触覚を長い時間、動かした。


「……なんでやねん


ええ意味の「なんでやねん」だった。

G・クリムゾンが今まで使ってきた中で、一番ええ意味の「なんでやねん」だった。


六尾が静かに言った。


「……よかった


「六尾さん


「今日は——ここに来られてよかった。G・クリムゾンさんの一席が聞けてよかった。カルディアさんが足湯に浸かったのを見られてよかった。全部——よかった


六尾は少し、目を赤くした。


「……ちょろいん


「今回は誰ですか


「ワシじゃ——と祖母なら言うと思います。今回は——私です。泣きそうになりました


全員が、少し笑った。


悠真は温泉蒸しを全員に配った。

カルディアの分も、岩の縁に置いた。

カルディアは——器を、前の一本の脚で、静かに引き寄せた。


食べられない。

でも——持った。


悠真はそれを見て、何も言わなかった。

ただ——よかったと思った。



帰り道、大いなるものの声が来た。


空から。静かに。


「……今日の温泉の湯気——遠くまで届いた


「聞こえましたか


「G・クリムゾンの落語も——少し、聞こえた


「どうでしたか


「……わからん。しかし——また聞きたいと思った


G・クリムゾンが「なんでやねん」と言った。

穏やかな、しかし今日一番温かい「なんでやねん」だった。


「……小さなことから、コツコツと。今日のことを——ワシも積み重ねる


「またどうぞ。出汁も温泉も待っています


「……次は——のり塩ポテチとやら、匂いを嗅ぎたい


悠真は少し驚いた。


「聞いていたんですか


「……試食の騒ぎが——銀河まで届いた。あれだけ全員が笑えば、届く


全員が笑った。

G・クリムゾンが「なんでやねん」と言った。

レグナスが「まぁ気楽に行こうや」と言った。

六尾が「ちょろいん」と言った。

六尾が不器用に笑った。


声は消えた。

帰り道に、夕暮れの光が差していた。



迎賓館に帰った夜、悠真は一人で縁側に座った。


緑の空に、星が出始めていた。

この世界の星は、地球のものより少し大きい。


今日のことを、頭の中で確認した。


のり塩ポテチができた。

カルディアが温泉の足湯に浸かった。

G・クリムゾンが一席打った。カルディアが「また聞きたい」と言った。

六尾が「全部よかった」と言った。

六尾が泣きながら笑った。

大いなるものが落語を「また聞きたい」と言った。

のり塩ポテチの匂いが銀河まで届いた。


スキルなし、魔力なし、戦闘力Fのまま。

この一年と少しで——そういうことが、起きた。


「運が良ければ」ではなかった。

やれることをやって、設計の外にある瞬間を作って、一緒に作って——そういうことが、起きた。


悠真は空を見上げた。


六尾が縁側に来た。


「……悠真さん。今夜は見えましたか


「何が


「未来視です。私は今日——一つ見えました


「何が見えましたか


「……G・クリムゾンさんとカルディアさんが、同じ湯船に浸かっている映像でした。G・クリムゾンさんが一席打っていました。カルディアさんが聞いていました


「カルディアさんが湯船に浸かっていた?


「はい。ぼんやりしていましたが——そう見えました


悠真は少し笑った。


「後でわかりますね


「……はい。後でわかります


六尾も空を見た。


「悠真さん。一つだけ聞いていいですか


「どうぞ


「今日——満足しましたか


悠真は少し考えた。


「満足しています。でも——また明日、出汁を取ります


「満足しても、また作るんですね


「そういうものだと思っています。美味しいものを食べると、また食べたくなる。いい話を聞くと、また聞きたくなる。G・クリムゾンさんが百年間続けてきたのも、そういうことだと思います


六尾は少し考えた。


「……私の未来視も、そうなればいいと思います。見えるたびに、また見えるかなと思う。ぼんやりしていても


「なりますよ。もうなっています


「そうでしょうか


「今日の映像——カルディアさんが湯船に浸かっている。それは、ぼんやりしていても、大事な映像です。後でわかる


六尾は少し笑った。

空を見ながら、しかし足元に根を張った笑い方で。


しばらく、二人で星を見た。


縁側の内側から、G・クリムゾンの声が来た。


「悠真。まだ起きとるか


「起きています


「明日——カルディアにもう一席打ちに行く。来るか


「行きます


「笑わんやろ


「でも面白いです。本当に


G・クリムゾンは「なんでやねん」と言った。

その「なんでやねん」は——今まで聞いた全ての「なんでやねん」の中で、一番穏やかで、一番温かかった。


悠真は空を見上げた。


星が、増えていた。

この世界の星は、地球のものより少し大きい。

でも——今夜は、それでいいと思った。


明日、出汁を取ろう。

G・クリムゾンさんの落語を聞こう。

六尾の未来視を聞こう。

六尾と一緒にのり塩ポテチをもう一枚食べよう。

カルディアさんの器を置こう。


やることが、ある。

それだけで、十分だった。


悠真は縁側から立ち上がった。


部屋に戻った。


布団に横になった。


星が、窓の外に出ていた。

この世界の星は、地球のものより少し大きい。

それがずっと、不思議だった。

でも今は——それでいいと思っていた。


大きい方が、見やすい。


目を閉じた。


G・クリムゾンの「なんでやねん」が、星みたいに頭の中に残っていた。

今日一番温かかった「なんでやねん」が。


それを聞きながら、眠った。



〈第二十話 了〉

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