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終末の血族  作者: 天津千里
1章:異界に堕ちた日
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第9話 異界に堕ちた日V

【同日 夜】

【カラディン城館・応接間】


 応接間に通された三人は、柔らかな光を灯す燭台の下、静かに立っていた。天井の高い部屋に蜜蝋の仄かな香りが漂う。落ち着いた色合いの調度で統一された室内で、燭台の炎が揺らめいて影を踊らせる。壁際に並ぶ古い書架があった。窓の向こうには手入れの行き届いた内庭が見える。


「ここよ。その子はそこのソファに寝かせてあげて」


 先導していたリディアの声は、低く上品な響きを持っていた。ルシアが軽く頷く。


「ありがとう。そうさせてもらうわ」


 ルシアは瑞希を丁寧に抱き下ろし、そっとソファに寝かせた。小さな顔は眠りの中にあるが、時折うっすらと眉をひそめている。規則正しい寝息が、静寂の中に小さく響く。

 ユリアは室内を一瞥する。殺意も、魔力の気配も感じられない。家具の配置に死角はなく、不自然な隠し扉も見当たらない。それでも警戒は解けない。このリディアという女性は、何かを探っている。ユリアは、その視線の奥に計算されたものがあると感じ取った。完璧すぎる微笑も、指先が椅子の肘掛けを軽く叩く仕草も、どこか演技めいて見えた。


「……いい部屋ね。とても落ち着いているわ」


 表面上は穏やかに言葉を発する。ユリアは内心で確認を続ける。リディアが微笑を浮かべて促した。


「さ、そこに座って。楽にしてくれていいわ」


 ユリアは一歩を踏み出す。この人は、最初から何かを知っているのではないか。その表情の裏にある意図を、今はまだ測りきれない――。


「……ありがとう」


 ユリアとルシアが腰を下ろすと、リディアは椅子を軽く引いて向かいに座った。その動作には一分の隙もない。視線は穏やかでありながら、芯に鋭さを宿している。まるで、獲物を見定める鷹のように。


「さっきはありがとう。兵に代わってお礼を言うわ」

「お役に立ててよかったわ」


 ユリアは淡々と応じる。礼には礼で返す。内心の警戒は解かない。リディアの表情からは、単純な感謝以上の何かを読み取ろうとしているのが分かった。この会話には、もっと深い意図がある。


「改めて、あなたたちのことを聞かせてちょうだい。なんであの旧神殿にいたかも、ね」


 来た、とユリアは思った。探り合いの始まりだ。リディアの質問は自然すぎて、かえって不自然に感じられる。ルシアがゆっくりと口を開いた。


「では私から。私は古西ルシア、こっちは妹のユリア。あの子は雨宮瑞希。日本の久世市に住んでいるわ。瑞希は……ちょっと分からないわ」


 ユリアはルシアの言葉を聞きながら、リディアの反応を注意深く観察する。その表情に起こる、わずかな変化を見逃すまいとする。


「わからないって? ……どういう関係なの?」


 リディアの声に、微かな興味が混じった。計算されたものか、それとも本当の関心か。


「瑞希が事故で谷底に落ちていたところを救助したの。ちょうどそのとき、霧が辺りを覆って――気づけば、あの神殿にいた」


 リディアの目が細められる。その反応を見ながら、ユリアも過去の記憶をたぐった。あのとき、確かに、何かに吸い込まれるような感覚があった。空気の流れが歪んだような、あれは一体何だったのだろうか。この女性は、その答えを知っているのではないか。


「まず、出身がニホンのクゼ? 聞いたことがない地名ね。帝国のどのあたりにある街なの?」


 当然の質問だ、とユリアは思った。どう答えるのが適切だろうか。


「どこにあると言われても……そもそも、私の知る限り、”帝国”を冠する国は存在していないわ」


 ユリアの応答に、リディアがわずかに眉を動かした。その表情には、驚きというより、確信めいたものが浮かんでいる。


「帝国を知らないなんて、ありえない……はずだけど、本当みたいね?」


 やや沈黙が落ちた。燭台の炎が小さく揺れて、影が壁に踊る。リディアが何かに思い至ったような表情を見せている。

 この後の展開が、重要な局面になりそうだ。

 リディアがゆっくりと語り出す。その言葉には、重厚な響きが込められていた。


「ここは、アルカディア大陸、ソリス帝国東部、カラディン辺境伯領――領都カラディンよ。どれか、聞き覚えは?」

「ない……わね」

「ええ。ひとつもないわ」


 ユリアとルシアが顔を見合わせる。ルシアの顔には、困惑と不安が混じっていた。ユリアは、ルシアを守らなければならないと思う一方で、自分自身の動揺を抑えきれずにいた。

 リディアは僅かに息を吐き、真っ直ぐに二人を見据えた。その瞳には、確信が宿っている。


「……この世界には、時折、異界から色々なものが流れ着くわ。本、機械、動物……そして、人」


 異界。その言葉が、ユリアの胸に重く響いた。


「それらはそのまま知識として使われたり、解析されたり、利用されてきたの」


 利用、という言葉に、ユリアの警戒が一層強まる。


「例えば、距離の単位。私たちは『km』と書いて『ケイミル』と読んでいるいるけれど、これも異界由来の知識なの。正確な発音は伝わっていないから、アルカディア式に読み替えているけれどね」


 この世界は異界の知識で成り立っている部分がある。私たちもまた、そうした「資源」として見られているのかもしれない、とユリアは思った。


「そうやって異界からものが流れ着く現象を『接続』と言うわ。『接続』自体は実は頻繁に起きているの。でも、大半は何も流れ着かない空振りよ」


 接続――ユリアはその言葉を心の中で反復した。自分たちが体験した現象に、名前があったのだ。


「時折、本当に何かが現れることがある。場所は魔力の集積地が多いとされているけれど、明確な法則は分かっていないわ」

「流れ着いた人は『異界人』――そう、伝説では呼ばれている」


 異界人。その響きが、ユリアの心に深く刻み込まれる。自分たちは、もはや人間ではないのだろうか。いや、人間であることに変わりはない。ただ、この世界にとっては、異質な存在なのだ。

 重たい言葉が、静かな応接間に響く。ユリアの胸の奥に、漠然とした不安が広がった。この現実を、どう受け入れればいいのだろうか。


「……地球じゃない、ということね?」


 ルシアがぽつりと呟いた。その声には、諦めにも似た静けさがあった。リディアが頷く。


「”地球”……。そう、その名前は聞いたことがあるわ。異界の名前として」


 聞いたことがある、ということは、地球という名前が過去から伝わっているということなのだろうか。ユリアの胸に、複雑な思いが去来した。


「古代帝国の時代には、異界との行き来があったという伝説があるの。ただし、それは遠い昔の話。近年では、建国帝の時代、六百年ほど前に異界人の勇者がいたという伝説があるわ。それ以降の記録はないから、あなたたちは極めて稀な存在ということになる」


 数百年ぶりの異界人――それは希少価値があるということなのか、それとも危険視されるということなのか。ユリアの胸に、新たな不安が芽生えた。


「でも、異界ならなぜ言葉が通じるの……?」

「……よく見れば、あなたの口と聞こえる声が、少しだけずれているような気がするわ」


 言われてみれば、そのような感覚があった。自分が発している言葉と、相手に届いている言葉が、微妙に異なっているような。


「そんな魔法みたいな都合がいい話……あるわけ、ね?」


 皮肉めいた諦めを込めて呟いたユリアに、リディアは真顔で頷いた。その表情には、この世界の現実を受け入れるよう促すような、静かな強さがあった。


「ええ。古代帝国時代には、そうした”異界交信”の魔法も存在したらしいわ」

「魔法、ね。それはあの神殿で光っていた模様のことかしら……」

「その可能性はあるわ。内部も光っていたなら尚更ね。ただ、あの旧神殿がなぜ今になって反応したのかは……」


 言葉を濁すリディアに、ユリアは新たな疑問を抱いた。

 リディアは軽く立ち上がる。その動作には、一連の会話で何かを確信したような決断が込められていた。燭台の光が、彼女の整った横顔を浮かび上がらせる。


「その件についてはこちらで調査するわ」


――隠しきれない困惑が、保護を決断したリディアの表情に、一瞬よぎったのをユリアは見逃さなかった。あの神殿について、彼女も完全には把握していないのかもしれない。


 リディアは二人を見下ろして言った。その声には、貴族としての責任感と覚悟が込められている。


「……とりあえず、あなたたちが異界人である可能性が高いことは分かったわ」

「あなたたちは私、リディア・カラディンの名で保護するわ。帝国法下において、正式にね」


 その言葉に、ルシアが立ち上がって深く頭を下げる。


「ありがとうございます!」


 ユリアも続いて頭を下げた。


「ありがとう。助かるわ」


 これで、最低限の立場は確保できた。保護という安全は得られた。本当に求めているのは、故郷への道筋だ。保護という名の監視だろうが、それは当然の摂理だ。問題は、この状況でどう立ち回れば生存率が最も高くなるかということだ。リディアに従順に従うべきか、それとも独自の情報収集を進めるべきか。何より重要なのは――

 ユリアの視線が、一度だけソファの瑞希へと向かう。その胸は、わずかに上下していた。小さな寝息が、規則正しく聞こえている。救った以上、この子に対しても責任がある。何よりもルシアを。そして、この異世界を生き抜き、必ず帰る方法を探さなければならない。

 リディアという存在が――この世界での足がかりの鍵になるのかもしれない。そんな確信が、ユリアの心の奥底で静かに形を成していた。

 ――まずは、この足場を崩さずに。それが、ここで生き残る第一歩。


 * * *


【同日 22:00】

【カラディン城館・客間寝室】(ルシア視点)


 扉を閉じた後の室内は、重く沈んだ静けさに包まれていた。月明かりが窓辺のカーテンから漏れ、淡く床を照らしている。

 瑞希はすでに奥の寝台で眠っていた。呼吸は浅く、時折小さく眉を寄せてはいるが、今のところ魔力の乱れはない。ルシアは安堵とともに、その小さな寝顔を見つめる。

 ユリアは視線を窓の外に向けたまま、ぽつりと口を開いた。


「……ルシア、周囲の様子は?」


 それが、話し合いの始まりの合図であることは、すぐに察せられた。ルシアは静かに目を閉じ、小さく息を吐く。聞かれたくない話をするようだ、と内心で理解した。


「Nostra manent secreta」

 ――われらの秘密は守られん。


 詠唱を口にすると、薬指の銀の指輪がほのかに蒼く光を放った。空気がわずかに揺れ、まるで透明な幕が張られたかのように、部屋の気配が変わる。音も魔力も、外には漏れぬ結界。ルシアは魔法の効果を確認しながら、周囲に意識を向けた。


「気配を伺っているものが数名。扉の外の廊下……廊下の角……けれど、敵意はないわ」

「……ここはアルカディア大陸、そう言っていたわね」

「ええ。たしかに聞いたわ」


 ユリアの目は窓の外に向けられたまま、わずかに伏せられている。その横顔は落ち着いて見えたが、ほんのわずかな揺れがあることを、ルシアは見逃さなかった。ユリアが何かに戸惑っている。


「ずっと前、おじい様からアルカディアという単語を聞いた覚えがあるわ」

「たしか、一族の出身地の話だったかしら」

「ええ。そこがここなのかしら?」


 言葉に迷いがあった。ルシアもそれを感じ取る。自分の中でも答えは出ていない。名前、地球ではない場所、魔法……どれも一致はしているけれど、まだ確証は得られずにいた。


「一致していることも多いわ……まだ判断はできない」

「……どちらにせよ、まずは帰る手段を探さないとね」


 ルシアは頷きながら答えた。


「仮に一族の出身地がここだとしたら、過去にはこちらに来る手段があったということね」


 ユリアの表情が僅かに曇る。その可能性と現実のギャップを思っているのだろう。


「ただ、それが現在は失われている……六百年前の勇者の結末が気になるわね」

「そこはぼかされていたわね」


 ルシアも同じことを考えていた。あの説明で触れられなかった部分こそが、重要なのかもしれない。


「帰還したからぼかされたのか、それとも、ね」


 ユリアが言葉を濁したのを見て、ルシアは胸の奥が重くなるのを感じた。その「それとも」の先にある可能性を、二人とも理解している。


「いずれにせよ、情報が足りないわ」

「そうね……まずはそこからね」


 その一言には、二人が共有する焦りがにじんでいた。故郷への想い、現実への不安。ルシアの胸にも、同じ思いが渦巻いている。


「瑞希を巻き込んでしまったのかしらね」


 ユリアの声が、わずかに沈んだ。迷いと自責の色が混ざっている。ルシアは、ユリアがその責任を一人で背負おうとしているのを感じ取った。


「たとえ私たちの魔法がきっかけであろうと、あの時は最善を尽くしたわ」

「そう……だといいけど。あのまま一緒に眠らせてあげたほうがよかったかもとは思うわ」


 その言葉に、ルシアは首を横に振った。


「たとえどんなに辛くても、生きていて欲しいとご両親も願ったはずよ」


 そう。ユリアのことも、きっと――。


「……そう……ね」


 ユリアが小さく呟いた。ユリアの思考が整理されきっていないのを感じ、ルシアは話題を変えた。


「それにしても、エントランスで見えたこの子の魔力は一体なんだったのかしら」


 ルシアは瑞希の方へと視線を移す。小さな体は静かに眠っているが、その内に眠る魔力の奔流が脳裏に焼き付いていた。あの時感じた圧倒的な力の波動を、今でも鮮明に覚えている。


「……わからないわ。地球ではたしかにこんな魔力は持っていなかったはず」

「そうだったわね。あれ以降、あの場にいた誰よりも強い魔力を感じたわ」

「急に増えるなんて、めったにないはず……」

「中に何が眠っているのかしらね」

「分からないわね……でもあの時たしかに、何かが目覚めようとしていた気はするわ」


 ルシアは頷く。瑞希の内に秘められた力への不安と、同時に守らなければならないという使命感が交錯していた。


「……注意して見ておきましょう」

「それがいいわね」


 わずかに、ユリアが表情を緩めた。その直後、またすぐに伏し目がちになる。ルシアは、ユリアの心配そうな表情を見つめながら思った。災厄の種でなければいいけれど……いえ、その時は私が守ればいいだけね。

 少なくとも、ユリアが保護しようとするなら――私は、支える。

 たとえ災厄の火種であっても、ユリアが信じた存在であれば、自分はその選択を支える。それがルシアの信念だった。ユリアへの忠誠と信頼に、一分の迷いもない。


「……そろそろ寝ましょうか、姉さん」


 その一言に、ルシアは微笑を浮かべた。ユリアが「姉さん」と呼ぶ時の、僅かな甘えを感じ取る。


「ええ。おやすみなさい」


 魔力がゆっくりと収まり、指輪の光が徐々に消えていく。部屋の明かりが落とされ、夜の静寂が再び二人を包み込んだ。

 暗闇の中、ルシアは静かな寝息を立てている2人を見る。月明かりに照らされた2人の寝顔は、まったく違うのにどこか似ていた。この2人を守るために私になにができるだろうかと思考の海に沈みながら、ルシアはゆっくりと眠りの世界へと誘われていった。

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