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終末の血族  作者: 天津千里
1章:異界に堕ちた日
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第8話 異界に堕ちた日IV

 松明の炎が不安げに明滅する中、城館の奥からは依然として不穏な音が響き続けていた。 リディアたちが向かった方角とは反対側の廊下から、慌ただしい足音が響いてきた。 ユリアはそちらへ振り向く。数名の人影が駆け足でこちらに向かってくる。


「しっかりしろ、あと少しで玄関だ! とりあえず外に出るぞ」


 兵士が負傷した女中を支えながら、必死に逃げてきた。女中の肩からは血が滲み、顔は青ざめている。


「おい、こっちだ」


 広間で待機していた兵士が声をかけた。


「ここは......?」


 逃げてきた兵士が辺りを見回す。


「リディア様がここに兵を集めている。非戦闘員もここで護衛することになっている」

「リディア様が戻られたのか! よかった......!」


 兵士は安堵の表情を浮かべた。避難していた侍女の一人が負傷者に気づいて駆け寄った。


「ちょっと、その子ケガしてるじゃない! 早くこっちに! 治療しないと」

「ああ、すまん! 歩けるか?」

「ええ......なんとか......」


 負傷した女中がよろめきながらも歩を進める。侍女たちが慌ただしく治療の準備を始めた。

 廊下の奥から足音が聞こえてきた。今度は一人。ゆっくりとした歩調で近づいてくる。


「お、また来たな。おーい、こっちだ!」


 広間にいた兵士が手を振った。ユリアは違和感を覚えていた。


(......この状況で歩いてくる......? まさか......!)


 近づいてくる人影をよく見ると、文官の装いをした男だった。歩き方は不自然で、まるで意識を失ったまま歩いているかのようだった。


「よく見なさい! 様子が変よ!」


 ユリアの警告が響いた瞬間、文官が駆け出した。


「え?」


 広間にいた兵士が振り返る間もなく、文官が飛びかかった。


「ぎゃああ!?」


 兵士の悲鳴が広間に響き渡る。文官が兵士の首筋に噛みついていた。鮮血が飛び散り、床石を赤く染める。血の鉄臭さが空気に漂った。


(しまった......)


 ユリアの表情が険しくなる。


「な、なにが!?」


 逃げてきた兵士が混乱の声を上げた。噛まれた兵士の体が大きく震え始める。顔は青ざめ、意識が朦朧としているのが見て取れる。彼は文官と共にこちらに向かって歩き始めた。 異様な光景に、兵士や侍女たちが言葉を失う。治療道具を持っていた侍女が、それを床に取り落とす音が静寂を破った。


「お、おい、なんなんだよ......なあ......?」


 逃げてきた兵士が後ずさる。剣を握る手が小刻みに震え、顔から血の気が引いていた。


「う、うそだろ...... あんな傷で、動けるはずがない......」


 文官と噛まれた兵士からは低い唸り声が漏れていた。


(まずいわね......兵士が恐怖に飲まれてる......)


 彼らは、腰を抜かした兵士に向かって歩いてくる。ユリアは迷うことなく駆け出した。

 飛びかかろうとした異常な兵士の側面に回り込み、掌底で側頭部を打ち据える。衝撃でよろめいた兵士の腰から、素早く剣を抜き取った。

 よろめきながらも、異常な兵士がユリアに殴りかかってくる。関節の動きが不自然で、人間らしからぬ角度で腕が曲がっている。ユリアは間合いを取りながら剣を構えた。


(手加減したとは言え、すぐに反撃してくるなんてね......しかもあの動き......)

「ユリア!」


 ルシアが心配そうな声をかけてくる。


「大丈夫よ、姉さん! それより周囲を警戒してて!」


 ユリアはルシアを横目で制し、再び飛びかかってくる兵士に向かって一気に肉薄した。逆袈裟に斬り上げ、血飛沫とともに一刀で首を斬り飛ばす。温かい血が頬に飛び散り、鉄の匂いが鼻をついた。

 続いて後ろから襲いかかってきた文官を、抜き取った剣で上段から斬り下ろした。刃が肉を裂き骨を断つ手応えが伝わる。深い傷を負った文官がよろめく隙に、ユリアは腰を落として喉元を突き貫いた。


「なっ」


 あまりの手際の良さに、兵士たちから驚愕の声が漏れる。後ずさりする足音が床に響いた。松明の炎が揺らめき、煙が天井に向かって立ち上る。


(なんとかなった......状況は良くないわね......あら? ケガをしていた女中の気配が......?)


 ユリアの視線が、治療を受けていた負傷した女中に向けられた。女中の体が小刻みに震え、熱に浮かされたような表情をしている。


「ちょっと、そこのケガ人の様子は!?」

「え......? あ、ちょっと、しっかりして!」


 治療していた侍女が慌てた声を上げる。女中の荒い息が次第に浅くなり、熱で上気していた顔が徐々に青ざめてきた。意識はもうないようだ。……だが、口は何かを探すかのように歯を鳴らしていた。


「息が......どんどん弱くなってる! 体も冷たくなって......このままじゃ......」


 ルシアの表情が急に険しくなった。何か異常な気配を察知したようだった。


「あなた、離れて! 早く!」


 ルシアが鋭い声で警告した。


「な、なんなの!?」


 侍女が困惑の声を上げた。ルシアが何かを呟くと、彼女の指に、それまで見えなかった指輪が突然姿を現した。指輪は淡く蒼い光を放ち、ルシアの表情には、研ぎ澄まされた集中が見て取れた。

 同時に突風が吹き、負傷していた女中が何かに殴られたかのように壁際まで吹き飛ばされた。


(さすがはルシアね。でも……)

 ユリアは内心でルシアの手際を評価しながらも、吹き飛ばされた女中の異常な動きを警戒していた。吹き飛ばされた女中は倒れた体勢から、関節を無視した不自然な動きで這うように起き上がろうとしている。 ユリアは素早く倒れた女中の元へ駆け寄り、剣を首元に突き下ろした。刃が喉を貫く鈍い音が響く。


「い、今刺し......え? 殺した? うそ......」


 治療していた侍女が震え声で呟いた。


「しっかりしろ、今のはさすがに変だっただろ!?」


 兵士が侍女を叱咤するように言った。 ユリアは荒い息を整えながら、血で汚れた剣を納刀する。金属が鞘に収まる音が静寂に響いた。

 素早く広間を見回す。中央の太い石柱二本、左右の通路、正面階段──敵の進入路と退路、遮蔽物の位置を頭に叩き込んだ。 ルシアと目が合う。ルシアは瑞希を抱きながら、壁際の安全な位置に移動していた。無言のうちに互いの意図を理解し合う。ユリアが前線を、ルシアが後方支援を担う。


(やはりルシアは頼りになる)


 周囲の兵士や侍女たちがユリアを見る目は複雑だった。ある者は戦闘力への畏怖を、ある者は恐怖を、そしてある者は警戒を隠そうともしなかった。 重い沈黙が広間を支配する。兵士たちは息を殺し、次に何が起こるかを恐れている。

 城館の上階から聞こえていた激しい戦闘音が、次第に収まり始めた。金属のぶつかり合う音や怒号が、徐々に静寂に変わっていく。


(決着がついたのかしら......リディアたちは無事?)


 リディアたちが向かった廊下の奥から、まだ激しい戦闘音が続いていた。金属のぶつかり合う音や叫び声が断続的に響いている。1階での戦いはまだ決着がついていないようだった。 ユリアは内心で苦い思いを抱きながら、緊張に包まれた広間で警戒を続けていた。

 ふと、何か別の感覚に襲われた。空気がわずかに重くなったような、息苦しい違和感。──まるで、遠くで巨大な何かが寝返りを打ったかのように。


(これは......)


 ユリアは反射的に瑞希の方へ半歩踏み出しかけた。その時、ルシアの腕の中で眠っていたはずの少女──瑞希の指が、わずかに動いた。


「瑞希......? 魔法が......解けた......?」


 ルシアが呟く。普段の落ち着いた口調とは違っていた。


「この魔力の波動......一体何が起きているの......?」

(......瑞希の様子が? 向こうでは、魔力の気配なんて微塵もなかった。あの子はただの人間のはず......なのに、今あの子の体から、得体の知れない重圧が......?)


 2階から、何かが近づいてくる。重い足音が階段を降りてくる。再び異常の波が、広間へと押し寄せてくる。


(......詳しいことは後ね。今は、敵に集中する)

「来るわね......次が」


 ユリアは剣を静かに引き抜いた。まだ戦いは、終わっていない。

 誰にも気づかれぬまま──瑞希の瞳が、確かにうっすらと開いた。


 * * *


 正面階段を、ぞろぞろと人影が降りてくる。兵士、文官、侍女──いずれも、城館内にいたのであろう者たち。 何かが、違う。ただの負傷者ではない。

 ユリアの視線は、その異様な群れに注がれていた。顔色、動き、気配......すべてが、どこか噛み合っていない。 首筋から血を流したままの者もいれば、千切れた腕を足に絡ませたまま引きずって歩く文官もいる。常ならば到底動けぬはずの傷でありながら、彼らは重い足取りで階段を下り続けていた。 血と死の匂いが、じわりと広間に漂い始める。


「ひっ......」

「な、なんだよ......あれ......」


 兵士や侍女たちが、異様な光景に言葉を失う。空気は見る間に恐怖に染め上げられていった。呼吸さえも忘れたかのように、皆が硬直していた。

 ユリアは、眉ひとつ動かさず前に出る。


(二十人......。仕留めるのは可能。混乱が広がると厄介ね)


 剣を抜くでもなく、ユリアは静かに広間中央から階段へと進み出た。歩みは軽やかに、まるで散歩でもするかのような自然さであった。石柱の陰にいた兵士が、慌てて声を上げる。


「あっ......ちょっと、君、待ちなさい!」


 ユリアはそれを無視した。すでに視線は、階段を降りきろうとする先頭の影へと定まっている。そこには、白い服を着た太った男の成れの果てがいた。


(まずは、先頭を潰す......!)


 ユリアは一気に駆け出した。 動きに反応し、数人の異常者たちが襲いかかってくる。血の匂いを撒き散らしながら、ぎらついた目でユリアを捉えようとする。 遅い。

 駆けた勢いのまま、ユリアの剣が横薙ぎに閃いた。胴を裂かれた文官の体が砕け、横にいた侍女を巻き込んで倒れ込む。血飛沫が宙を舞い、石床に赤い花を咲かせた。

 さらに返す刀で兵士の首を跳ね、踏み込んだ勢いのまま奥の兵士の胸を貫いた。剣ごと振り払い、振り捨てられた死体が壁にぶつかって崩れ落ちる。

 巻き添えになっていた侍女が、顔面を床に擦り付けたまま、関節を反らせて四つん這いになろうとする。ユリアはそれを見逃さず、脚で蹴り倒し、剣を上段から叩き込んだ。骨を砕く音とともに、頭蓋が潰れた。 わずか数秒。集団は壊滅していた。

 兵士たちが呆然と見つめている。皆、その手際に声を出せずにいる。


(......いいわ。恐怖を上書きするには、十分だったはず)

「ぼっと立ってないで剣を構えなさい! 早く! 次が来るわよ!」


 ユリアの怒声が響いた。兵士たちはその声の威圧感に突き動かされたのか、思考より先に体が動く。条件反射のように武器を構える。剣を、槍を、盾を。

 ユリアが素早く周囲を確認する。

 階段を見やると、残る一団がすべて階下に降り、こちらに向かって歩いてきていた。歩みは一定で、まるで機械仕掛けの人形のようであった。


「一人ずつ、確実に仕留めるわよ。敵に知性はないわ。獣と一緒よ」

「首を狙いなさい! 胴体では止まらない!」

「私についてきなさい!」

「は、はい!」


 ユリアを先頭に、兵士たちが続く。恐怖に震えながらも、その背を追うように。 ユリアが再び駆け出す。

 剣が横一線に閃いた瞬間、敵の先頭が吹き飛び、後列の足を巻き込んで崩れ落ちる。隙を突いた味方が一斉に斬りかかり、動きを止めた敵を次々に切り伏せていく。

 広間が、血と鉄と断末魔で染め上げられていく。石の床は赤く染まり、空気は鉄錆の匂いで満たされた。 ユリアは敵集団の中心に踏みとどまり、誰一人近寄らせぬ勢いで敵を斬り伏せた。最後の一体が倒れると、広間に静寂が戻った。

 死体の間を縫うように、血がじわじわと石の目地を伝い、溜まりを作っていた。空気は重く、兵士たちが次の呼吸をためらっている。


(ここは終わり。上から一人、廊下の気配......リディアたち?)


 正面階段の上から、ゆっくりと人影が降りてきた。片手に、血の滴る剣を握った老執事。穏やかな表情を浮かべている。


「おや、あなたは......?」


 老執事が、ユリアを見つめながら首を傾げた。白髪を丁寧に整えた品のある初老の男性で、血に汚れた剣を持ちながらも、その佇まいには乱れた様子がまったくなかった。


「エステヴァン様......! ご無事で......?」


 兵士の一人が声を上げる。


「ええ。......こちらの方は?」


 老執事──エステヴァンは視線をユリアに向けたまま問いかけた。


「我々も詳しくは......。リディア様がお連れになった方と......」


 兵士が答える。


「リディア様が?」


 エステヴァンが僅かに眉を上げた。

 駆け足で廊下を駆けてくる足音が響いた。急いでいるのか、足音は不規則に石床を叩いていた。


「お前たち......無事か!?」


 鎧の音を引き連れて、鋭い視線を伴いながら現れたのは、リディアであった。気配は、戦場をくぐり抜けてきた者特有の緊張感に満ちていた。息を切らせており、急いでここまで来たのだろう。


「エステヴァン......この集団はあなたが?」


 リディアが血まみれの広間を見回しながら問いかける。


「いえいえ、私も今しがた到着したばかりです」


 老執事は穏やかに首を振った。


「では......この惨状は......?」


 リディアの視線が、血に染まった広間を見回す。これほどの戦闘が行われたとは思えないほど、一方的な結果だった。


「このお嬢様が。見事な手際で制圧なさいました」


 兵士の一人が、ユリアを示しながら答えた。まだ興奮が冷めやらない。


「彼女が? 民間人のはずよ?」


 リディアは兵士の言葉に驚きを隠さなかった。


「ですが、本当に……」


 兵士はなおも付け加える。


「リディア様がお連れに? 旧神殿に向かわれたはずですよね?」


 エステヴァンは、ユリアを見ながら尋ねた。


「ええ。そこで保護したの。事情を聞くから応接間を用意してくれる?」


 リディアは頷き、依頼した。


「承知いたしました。すぐに準備いたしましょう」


 老執事は丁寧に一礼した。


「まだ城内には敵が残っているかもしれないわ。くれぐれも警戒して」


 リディアが付け加える。


「もちろんですとも。そこらの雑兵に負けてやるほど、耄碌してはおりませんよ」


 エステヴァンが苦笑いを浮かべながら答えた。


「ふふ、あなたが負ける姿なんて、想像できないもの」


 リディアも微笑みを返す。


「まだまだ、リディア様のお子を見るまでは現役ですよ。では、失礼」


 老執事は静かに広間を後にした。足音は軽やかだった。


「......ユリア。応接間に移動してくれる? そこの二人も、一緒に」


 リディアがユリアに向き直って言った。


「ええ。もちろんよ」


 ユリアは返答しながら、ルシアと瑞希に一瞥を送った。瑞希は再び静かな寝息を立てており、先ほどの濃密な魔力も嘘のように消えていた。


「詳しい話は、応接間で。ひとまず、みんな無事でよかった......」


 リディアは安堵の表情を浮かべた。


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