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終末の血族  作者: 天津千里
1章:異界に堕ちた日
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第7話 異界に堕ちた日III

【????年?月??日 18:30】

【カラディン辺境伯領・カラディン城館】


 カラディン城館の正門前に馬蹄音が響く。夕闇が迫り、冷たい夜風が頬を撫でた。三層に重なる城館が夜空に聳え、正門の両翼には見張り塔が立っている。かがり火の暖かな橙色の光が門壁を照らし、普段なら荘厳な威容を誇る城館の入口を浮かび上がらせていた。

 ユリアは馬上から城館を見上げ、微かな違和感を覚えた。空気に漂う異質な気配。城壁上で兵士たちが慌てふためき、何かを探すように走り回っている。警備の動きではない。

 何かがおかしい。

 門前で馬を止めた瞬間、城館の奥から不規則な叫び声が風に乗って届いた。断続的な怒号。何かが崩れ落ちる重い音。金属のぶつかり合う音と、時折響く銃声──戦闘音。そして微かに混じる女の悲鳴。音は廊下に反響し、不気味に響く。

 ただの異変では済まない。戦闘か。それとも暴動? いずれにせよ、ただ事ではない。

 ユリアの思考は冷静だった。護送される身で逃げ場もない。この異常な状況がどう転ぶかわからない以上、せめて状況は把握しておくべきだろう。

 前方で馬を進めていたリディアも、異変に気づいたようだった。


「......何ごと? そこのあなた! 報告を!」


 リディアが正門脇に立っていた兵士に声をかける。反応はない。ユリアはその兵士を見て、わずかに眉をひそめた。

 様子がおかしい......気配も鈍い......まるで意識を失っているかのような。いや、それ以上に不自然だ。

 リディアは馬を降り、慎重に足音を殺して兵士の目前まで歩を進めた。兵士が突如として顔を上げる。血走った瞳が異様に見開かれ、口元から涎を垂らしながらリディアに飛びかかってきた。


「なっ──!」


 反射的に剣を抜いたリディア。咄嗟に切り上げる。兵士の体が胸から肩にかけて裂かれ、鮮血が夜気を染めて飛び散った。鉄の匂いが鼻をつく。

 倒れたはずの兵士が、切り裂かれた傷口から血を流しながら、軋む骨を引きずるように起き上がった。


「ありえない......あの傷で動けるはずが......」


 リディアの困惑した呟きと共に、騎士たちは険しい表情で抜刀し、彼女の周囲に駆け寄った。ユリアには、騎士の一人の手が僅かに震えているのが見えた。

 あれだけの一撃を受けてなお動く。明らかに異常。一体何が起きているのか。


「リディア様! これは一体......」


 ユリアは顔を強張らせた。


「気をつけて! まだ動くわよ!」


 ユリアの警告と同時に、倒れていたはずの兵士が再びゆらりと立ち上がった。騎士たちの声音にも緊張が走る。


「くっ......どうしたというの!」


 再度襲いかかってきた兵士に対し、リディアは剣を突き出した。喉元を正確に貫く。ようやく兵士の動きが止まる。暗闇の中、血だまりが黒々と広がっていく。

 騎士たちが左右を固め、警戒態勢を整えた。かがり火の光が剣身を赤く染めた。


「これは......反乱か......?」

「わからない。正気には見えなかった。まるで何かに操られているかのような」


 リディアが荒い息を整える。汗が頬を伝った。その背後からは、依然として城館の奥から怒号や悲鳴が続いていた。時間が経つにつれ、声は次第に大きくなっているようだった。


「中に入るわ! 城館内の様子を確認する!」

「は、はい!」


 騎士たちの声に動揺が滲む。リディアの命令に応えて隊列を組む。

 振り返ったリディアが、ユリアたちにも鋭い視線を向ける。


「あなたたちもついてきて! 外は視界が悪すぎるわ。それに──」


 リディアは血だまりを一瞥した。


「──ここにいても安全とは言えない」

「わかったわ」


 ユリアは静かに頷く。この状況では、単独行動は危険すぎる。


「姉さん、この子をお願い」

「ええ。任せて」


 ルシアが瑞希を受け取り、まるで羽毛でも抱くかのように軽々とした様子でしっかりと腕に抱く。騎士の一人が思わずつぶやく。


「見た目によらず......」


 ルシアは何も答えず、ただ静かに微笑む。ユリアは警戒を解かず、急ぎ足でリディアの背中を追った。

 ......尋問だけで済む話じゃなさそうね。

 城館の中からは、まだ異常な叫び声が廊下に響き続けている。一行の足音が重く響く。かがり火の暖かな光が次第に遠ざかり、冷たい門の向こうには深い闇が広がっていた。空気には鉄の匂いが漂い、石の冷気が肌を刺す。

 異常はすでに、この地の心臓部にまで及んでいるのかもしれない──ユリアは、背筋に走る悪寒を振り払うように歩を進めた。


 * * *


 重厚な扉が軋みを上げて開かれると、冷たい夜気とは対照的な温もりが室内から流れ出てきた。リディアを先頭に、数名の騎士とユリアたちが石造りの城館へと足を踏み入れる。足裏に伝わる石畳の硬い感触。空気にはかすかに蜜蝋と古い石の匂いが漂っている。

 リディアたち一行が足を踏み入れた玄関ホールは、奥から聞こえる戦闘音とは裏腹に、動くものもなく時が止まっているかのようだった。松明の柔らかな光が高い天井の梁に陰影を落とし、炎が揺らめくたびに石柱や装飾に影が踊る。その静けさは表面的なものに過ぎず、張り詰めた緊張感が、石の壁に反響する不安げな囁きと共に漂っていた。

 広間の奥で、兵士と数名の侍女たちが身を寄せ合っている。震える肩、青ざめた顔。彼らの表情には、ただならぬ恐怖が刻まれていた。避難してきた人々の数は思ったより少ない。城館の規模を考えれば、明らかに異常な状況だった。


「リディア様!」


 侍女の一人が、涙を浮かべて駆け寄る。その足取りは不安定で、恐怖で震えが止まらない様子だった。リディアは即座に歩を止め、侍女に視線を向けた。


「無事だったのね。落ち着いて、一体何があったの?」


 リディアの声は低く、威厳に満ちている。軍人らしい落ち着いた語調に、避難民たちの表情がわずかに和らぐ。

 震える侍女に代わって、傍らの兵士が前に出る。声は冷静だが、その目には深い疲労と緊張が滲んでいた。制服には血痕が付着し、剣の柄を握る手に力が入っている。


「私からご報告いたします」


 兵士の声が僅かに震えている。


「リディア様が旧神殿に向かわれてすぐのこと......」


 兵士の表情が暗くなる。


「帝都からお越しの客人の一人が、突然城内で暴れ出しました。最初は酒に酔った程度かと思ったのですが」


 兵士の声に恐怖が滲む。


「その様子は明らかに異常でした」

「異常?」

「取り押さえようとした兵士に噛みついて......」


 兵士の顔が青ざめる。


「その兵士が、傷から感染したのか、苦しみ始めて......次第に同じように......」


 リディアの表情が険しくなる。


「感染?」

「はい。まるで連鎖するように、次から次へと......今では、城内のどこに何人残っているのか......」


 兵士の声が震え上がった。

 兵士の報告に、騎士たちの表情が険しくなる。


「感染による連鎖......」


 リディアは眉を寄せた。


「伝染病か、獣人の呪術か、それともエルフの精神干渉か......」


 一瞬の沈黙の後、リディアが決断を下す。


「いずれにせよ、これは組織的な対応が必要ね」


 ユリアは静かに聞いていた。獣人の呪術、エルフの精神干渉......リディアが挙げる可能性は、どれも馴染みのないものばかりだった。その口調からは、こうした異常事態にも何らかの心当たりがあることが窺える。


(この世界のことは何も知らない。少なくとも普通じゃないことが起きているのは確か)

「リディア様、いかがいたしましょうか」


 付き従う副官格の騎士が問う。声に緊張が滲む。

 リディアはわずかに息を吸い込み、広間を見回してから明確な指示を下した。


「まずはここを起点に指揮系統を回復させる。この広間を臨時の指令所とする」

「そこの兵士、あなたはここで非戦闘員を守りつつ、集まってくる者を受け入れて。状況を把握し次第、逐次報告すること。異常を示す者がいれば、直ちに隔離せよ」

「はっ、承知しました!」


 兵士の返答に力が戻る。背筋が伸び、表情に意志の光が宿った。


「護衛部隊は引き続き私に同行。生存者がいれば、各区画からここへ誘導する。抵抗する者がいても、可能な限り殺傷は避けよ。ただし、自身の安全を最優先とせよ」


 ユリアは感嘆した。混乱の中にあっても、リディアの判断は迅速で的確だった。


「ハッ!」


 騎士たちが力強く返答する。軍人らしい規律と緊張感が、その声に込められていた。リディアは振り返ると、ユリアとルシアにも鋭い視線を送った。


「あなたたち二人はここで待機。くれぐれも勝手に動かないこと。この状況では、単独行動は自殺行為よ」

「わかったわ」

「ええ」


 ユリアとルシアはそれぞれ頷いた。ユリアは城館の奥を探るように視線を向けた。


(判断は的確、兵の動きも素早く実戦に慣れているみたい......でも、あの異常な様子......果たして大丈夫かしら?)


 リディアたちが駆け足で屋敷の奥へと消えていく。重い足音が石畳に響き、やがて廊下の向こうへと遠ざかって聞こえなくなった。広間には再び静寂が訪れた。

 残された広間には、避難してきた人々の不安げな息遣いだけが響いている。高い天井の石材が音を反響させ、わずかな衣擦れや足音も不自然なほど大きく響いた。かがり火がちらちらと燃え、壁に踊る影が不気味に見える。石造りの冷気が肌を刺し、緊張で汗ばんだ額が急に冷たくなった。


「ユリア、どうする?」


 ルシアが落ち着いた声で問いかける。瑞希を抱いた腕に特別な緊張をしている様子はなく、常に冷静な様子を保っている。


「ひとまずはここにいましょう。混乱している今、勝手に動いても迷惑をかけるだけ。それに......」


 ユリアは淡々と答えた後、ルシアの腕に抱かれた瑞希の顔を覗き込んだ。少女の表情は穏やかで、静かに眠りについている。


「この子......起こした方がいいのかしら? 何かあったとき、自分で逃げられるように」

「起こすのは......今はまだ危険ではないかしら? ただでさえこの子にはショックなことが続いているのに、こんな異常事態に巻き込んだら、この子の心が持たないかもしれないわ」

「......それもそうね。姉さん、もう少しお願い」

「任せて」


 ルシアは穏やかに微笑む。その微笑みの奥に、深い憂いをユリアは感じ取った。


(雰囲気は地球に似ているけれど、やっぱり全く違う世界なのね。時代も、起こることも、何もかも。私には分からないことだらけ)


 ユリアは広間の様子を観察した。避難している人々の表情、兵士の緊張した面持ち、そして城館の奥から時折聞こえる遠い叫び声。全てが自分の常識では理解できない異常事態だった。

 松明の光が揺らめき、広間に長い影を落とす。静寂の中に、遠くから響く不穏な音が混じっていた。金属が石に打ち付けられる音、重いものが倒れる音、そして......人の声とは思えない咆哮。


(まるで獣の鳴き声......これが人の出す声だというの? とにかく、何があってもルシアと瑞希だけは守らなければ)


 ユリアは、この城館に潜む未知の脅威を見極めようと、鋭い視線を奥へと向けた。自分の常識では測れない何かが起きている。それだけは確かだった。

 そして、その「何か」の中に、自分たちも巻き込まれているのかもしれない。

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