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終末の血族  作者: 天津千里
1章:異界に堕ちた日
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第6話 異界に堕ちた日II

【????年?月??日 17:45】

【廃墟?】


 冷たい石の感触で意識が浮上する。頭の奥で鈍痛が脈打っていた。ユリアは呻き声を漏らし、ゆっくりと身を起こす。


「うぅ......いったい何が......」


 ふらつく頭を押さえ、周囲を見回した。そこは先ほどの谷底とは明らかに違う場所だった。冷たい静寂が耳を打ち、天井の高い神殿のような建物には、わずかな物音すらも不思議な残響となって響いていた。西日がステンドグラスを通して差し込んでいるが、その光もどこか幻想的で現実感に乏しい。壁面には苔が這い、床石の合間から雑草が芽吹いている。長い年月、人の手が入らなかったのだろう。

 不思議な美しさがこの廃墟にはあった。床と壁に走る光の筋が徐々に明度を増し、古い機構が目覚めるように脈動している。神殿全体が何かを準備しているかのようだ。


「ルシア......」


 すぐそばに、ルシアが横たわっている。ユリアは駆け寄って息を確かめると、規則正しい呼吸が続いている。外傷もなく、気を失っているだけのようだ。


「大丈夫そうね......」


 安堵の息を吐き、今度は部屋の中央へ視線を向けた。そこには、先ほど治癒したばかりの少女が静かに横たわっている。


(瑞希......だったかしら。あの娘は)


 ユリアはわずかに眉をひそめ、瑞希の名を思い出す。そっと近づいて状態を確認した。傷口は完全に塞がり、血色も戻っている。治癒の魔法はきちんと働いているようだ。呼吸は浅く、まだ完全に回復したとは言えない状態。


(傷も開いてない。治癒はちゃんと働いてる)


 その時、背後でかすかな息遣いが変わった。振り返ると、ルシアがゆっくりと身を起こしている。


「う......あ......何が......? ......ユリア!?」


 ルシアの声には明らかな動揺があった。ユリアは優しく微笑みかける。


「ここよ。問題ないわ」

「よかった。......ここはどこ?」


 ルシアは立ち上がり、周囲を見回した。困惑が表情に浮かぶ。


「分からないわ。どうやってここに来たのかも......」

「見たことない場所ね......それに光ってる......?」


 ルシアが指差した先で、床と壁を走る光の筋がゆっくりと明滅を繰り返している。二人が見つめていると、その光はさらに強さを増していく。

 突然、どこからともなく鐘の音が響いた。深く、荘厳な音色が神殿内に木霊する。その音に重なり、聞き慣れない言葉が空間に響き渡った。


『Corona successorem. Qualificationem recognoscimus, tibi potestatem conferimus.』

──冠を継ぐ者よ。資格を認め、汝に力を授けよう。


「なんの声......?」


 ユリアは身構えた。声の主の姿は見えない。確かに何者かがこの場所に潜んでいる。


「冠......?」


 ルシアが眉をひそめる。その時、中央で横たわっていた瑞希がかすかに身じろぎした。


「......光?」


 瑞希の瞼がゆっくりと開かれる。焦点の定まらない瞳が、天井へと向けられた。


「気が付いた?」


 ユリアは瑞希のそばに膝をつく。瑞希はユリアを見つめた。少女の不安を和らげるためには、まず自分たちが何者なのかを伝えたほうがいい。


「ユリアよ。あそこにいるのが姉のルシア」


 ユリアは穏やかな声で答える。


「......あの時の......天使?」

「天使ではないわね。人間よ」


 瑞希は身を起こそうとし、途中で動きを止めた。自分の胸や腕に触れた。何かの匂いを察したように鼻をひくつかせ、困惑した表情を浮かべる。


「あれ、ケガしてたような......」


 傷がないことに戸惑う瑞希の様子をユリアは観察した。


「それにここは? 夢?」

「私たちもここがどこなのか分からないのよ。何かが起きたみたいだけど......」


 ルシアが答えた時、瑞希は無理に身を起こそうとした。ユリアは手を差し出す。


「もう少し安静にしてなさい」

「え、でも......あれ? この匂い......血......?」


 瑞希の顔が青ざめ、呼吸が浅くなる。


「嘘......嘘でしょ? パパとママは? 車は? あれ......? 夢なんじゃ......?」


 瑞希の声が震え始めた。あまりにも重い現実を受け入れることへの恐怖が、その表情に浮かんでいる。記憶が戻りつつあるのだろう。


「......少し落ち着かせましょうか。姉さん」


 ユリアはルシアに視線を送る。ルシアも瑞希の様子を見て、彼女の精神状態が危ういことを感じ取っていたようだ。


「ええ。このままでは心が壊れかねないわ」


 ルシアは静かに頷き、深刻な表情で瑞希に向かって手を差し伸べた。 瑞希の額に手を添え、祈るように詠唱を紡ぎ始める。


『Tu pace involveris.』

──汝は安らぎに包まれる。


 柔らかな光が瑞希を包み、彼女の瞼が静かに閉じていく。やがて規則正しい寝息が漏れ始めた。


「どうしたものかしらね……」


 ルシアが小さく息を吐いた。瑞希の寝顔を見つめるその横顔は、言葉にしきれない思いを抱えているように見えた。


「……どこかで向き合う必要があるわ。たとえどんなに辛くても」


 ユリアはつぶやくように言った。

 ルシアが目だけをこちらに向ける。


「そうね……夢の中では生きていけないものね……」


 ルシアの声は、静かに落ち着いていた。


 立ち上がり、改めて神殿内を見回した。西日が傾き始め、ステンドグラスから差し込む光が床に色とりどりの影を落としている。

 鐘の音は既に止んでいたが、空気中にはまだ魔力の残響が漂っていた。瑞希の寝息が静かに響く中、神殿の内部には一時の静寂が戻っている。 しかし、遠くから時折、金属の擦れるようなかすかな音が響いてきた。 ──その空気を破るように、石造りの天井に鋭い声が反響した。


「そこにいるのは誰! 武器を捨てて、両手を見せなさい!」


 重たい扉のそばに一人の女騎士が立ち、松明の明かりと共に数名の甲冑を纏った騎士たちが雪崩れ込んでくる。皆が武器を構え、殺気立った眼差しで室内を見回していた。金属の擦れ合う音が神殿内に響き、一触即発の空気が漂う。

 ユリアは即座に立ち上がり、ルシアと瑞希をかばうように一歩前に出た。目を細めて正面に立つ騎士を見据える。


「誰?」


 先頭に立つ女騎士が一歩踏み出し、剣をこちらに向けたまま名乗る。


「カラディン辺境伯軍、リディア・カラディン。旧神殿で異常が発生したとの報告を受け、調査に来た。改めて問う。お前たちは何者だ?」


 黒茶の髪を後ろでまとめた凛々しい女性だった。凛とした瞳には冷静と威圧が混在し、軍人としての緊張感が全身から滲み出ている。周囲では他の騎士たちが無言のまま移動し、逃走経路を断つように半包囲の陣形を取っていく。一歩でも怪しい動きを見せれば、即座に剣が飛んでくるであろう緊迫感があった。

 手練れが五人。指揮官は彼女だ。武装は剣と鎧であり、まるで中世の軍隊のようだった。

 素早く状況を判断し、ユリアは落ち着いた声で応じる。


「古西ユリアよ。奥にいるのが姉のルシア。横たわっているのが雨宮瑞希。私たち三人だけよ」

「コニシ......? 聞き覚えのない名ね。それで、どうやってこの中に入ったの? 神殿は封鎖されていたはずよ」

「わからないの。気づいた時には、ここにいたのよ」


 偽りはなかった。リディアの視線はまだ緊張を解いていない。


「それより──この子を、安全な場所で寝かせてあげたいのだけど」

「傷病者、ということ?」


 リディアが顎で合図を送ると、ひとりの騎士が前へ出た。ルシアと騎士が揃って瑞希の傍らに屈み込む。


「この子よ。今は眠っているわ。事故でひどく出血していたから、応急の治療を施したけど......まだ貧血状態ね」


 ルシアの説明を聞き、騎士は慎重に瑞希の様子を観察する。


「外傷は見当たりませんが......出血の痕跡は確かにあります。念のため、医師による確認を」


 リディアは小さく息を吐き、剣をやや下ろす。


「......わかったわ。ひとまずその子を安全な場所に連れていく。あなたたちへの尋問もそこで行う」

「どこへ?」

「カラディン城館よ。私たちの居城。すぐ近くにあるわ」


 城館。居城。辺境伯──現代の日本とは明らかに違う世界だった。


「おとなしくついてきなさい。まだ疑いが晴れたわけじゃないわ。怪しい素振りを見せたら──」


 リディアの目が細まり、声が鋭さを増す。


「斬るわ」


 ユリアは肩をすくめて微笑んだ。


「ええ。抵抗する気はないわ」

「それが賢明よ」


 ユリアは小さく息を整え、倒れていた瑞希へと歩み寄った。


「でも──この子は私が連れていくわ」


 そのままそっと瑞希を抱きかかえる。その動作の自然さに、近くの騎士たちが明らかに驚愕の表情を浮かべた。兵士ではないはずの少女が、自身よりも背格好の大きい少女を軽やかに抱えるとは思っていなかったに違いない。



「......力があるのね」


 リディアが横目で呟く。 淡く笑って答えた。


「ええ。少しね」


 * * *



 リディアが扉を押し開くと、石段の先に街の全景が夕陽に染まって広がっていた。丘の斜面を背にした古い街並みは、鈍い金色の光を帯びて静寂のうちに佇んでいる。瓦屋根の合間からは炊事の煙が幾筋も立ち上り、灰色の帯となって夕空に溶けていた。

 神殿から城館へと続くなだらかな下り道の向こうには、小麦畑が風に揺れて黄金の穂波を描いている。その中を進んでくる一団の兵士たちの姿が、武具の金属音と共に次第に大きくなっていた。先頭の数名は剣を帯びているが、後続の兵士たちが背負っているのは明らかに火打石銃だった。古めかしい形状だったが、手入れの跡が見える。


「馬には乗れる?」


 リディアの問いかけには、警戒と僅かな試すような響きがあった。横目に向けられた視線は、相手の反応を見極めようとしている。

 即座に頷いた。


「ええ」


 迷いのない返答だったが、それが周囲の騎士たちには意外だったようだ。彼らの表情には明確な困惑があった。逃亡も抵抗も想定内といった構えで、警備というより監視の色合いが濃い。


「じゃあ乗って。手綱は引かせるから大丈夫よ」

「そう。なら安心ね」

(手綱を引く......つまり、逃走は不可能ということ。親切そうに見えて、きちんと警戒している)


 言葉を交わす間にも、周囲の騎士たちの視線は途切れることがなかった。抱えていた瑞希をそっと片腕に収めたまま、軽やかに馬の背へと躍り上がった。

 その自然な動作に、近くの騎士たちが明らかに驚愕の表情を浮かべた。兵士ではないはずの少女が、片腕に人を抱えたまま見事な騎乗を見せるとは──誰一人として予想していなかったのだろう。

 すぐ後ろでルシアも、まるで日常のことのように手慣れた仕草で鞍に跨る。長い髪が風に流れ、淡い夕陽の光に揺れていた。その見事な騎乗ぶりを見た騎士たちは互いに視線を交わし、疑念を深めたように見えた。何人かは明らかに身を強張らせている。

 合流してきた兵士たちが騎士たちに加わり、護送の隊列が整えられる。三人の少女を囲むように、四方を固める陣形だった。剣を構える騎士たちと火打石銃を携えた兵士たち──近接と遠距離、両方の備えを備えていた。


「乗馬に慣れてるのね」

「昔、少しね。この馬は大人しいから乗りやすいわ」

「それはよかったわ」


 会話は柔らかだが、油断も信用もそこにはなかった。探り合いの言葉と、均衡を保つ間合い。リディアは相手の素性を測ろうとし、ユリアは警戒を解く糸口を探っている。


(探りながらも話してくるということは、すぐに敵対にはならなさそう。まだ警戒は強い。どうやって警戒を解いたものかしら)


 横目でルシアの表情を確認した。ルシアはすでに空と煙の動きに目を向け、何かを測るように小さく首を傾げている。何かを読み取ろうとしているのかもしれない。


(それにしても......騎士に馬、辺境伯、火打石銃、道は舗装もされてない。車も建物の電気もない......一体どこなのだろう)


 隊列はゆるやかに坂を下り始め、石畳の道を進んでいく。やがて街の中へと踏み込んでいった。土と石の混じる舗道に馬の蹄音が響き、家々の間から住人たちの視線を感じる。顔を出す者はまばらで、その表情にも不穏な影が差していた。何かを恐れるような、あるいは諦めたような空気が街全体を覆っている。護送の兵士たちも、街の沈黙に僅かな緊張を見せていた。

 暮れゆく夕日が背を照らし、やがて一行は街の通りを抜けて、古びた石壁が聳える城塞の前に辿り着いた。現役の城塞らしく、城門には衛兵の姿も見える。


(現役の城塞......映画の撮影という線はなさそう。大規模すぎる。これはいよいよ地球ではなさそう)


 ユリアは視線を、眼前の城門へと向けた。そこには妙に馴染みのある、確かな『異世界の気配』があった。石造りの重厚な門扉、鉄格子の向こうに見える中庭、そして衛兵たちの纏う武具や立ち振る舞い。全てが、自分たちが想像を絶する場所に来てしまったことを物語っていた。


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