第57話 ディアグラの銀翼III
【帝国紀元1799年9月25日 13:00】
【エルズリウム・ディアグラ領境】
行軍を始めて6日目。
エルズリウム周辺の丘陵地帯を抜け、あたりには山がそびえ立っていた。部隊はその合間を縫うように続く街道を進んでいる。
連日の行軍で兵たちの足取りは重い。それでも規律は崩れていないし、補給も順調だ。大きな問題は今のところない。
支道を進む部隊からは時折、集落の生存報告も上がってきていた。だが、ユリアたちが進む街道は違った。並走する鉄道には草が生い茂り、たまに見える集落に人の姿はない。畑には作物が実ったまま放置され、家畜小屋は空になっている。暮らしの痕跡だけが残されていた。
「この先の村も放棄されているわ。損傷が激しく生存者は絶望的」
ルシアが報告する。見れば、家屋の扉は壊され、窓は割れていた。広場には血痕が残り、戦いの痕跡が生々しい。
「街道沿いはダメそうね。ゾンビの発見報告があまり出てこないのが、不幸中の幸いかしら」
ユリアは頷いた。
「そうね。治安の回復と復興自体はなんとかなりそうね」
「ここにいた人たちって……」
瑞希が不安そうに呟く。
「逃げたか、ゾンビになったか……でしょうね」
「逃げられてるといいんですけど……」
「そうね」
損傷が激しい村だった。おそらく住民は籠城したのだろう。
そこに前方から騎兵が駆けてくる。
「隊長、先行していた部隊より報告です。ディアグラ軍と遭遇、指揮官のバッスス・ディアグラ殿が会談を行いたい、とのこと」
フラウィウスが馬上から報告した。
「バッスス・ディアグラ……ディアグラ伯爵の嫡男だったかしら」
「はい。現在はディアグラ軍のマラティア方面軍指揮官として来られているようです」
「そう。わかったわ。会いましょう」
程なくして、街道上でバッスス・ディアグラと対面した。
彼と共にやってきたのは重装備の騎士たち。鎧は使い込まれ、所々に戦いの痕が見える。
バッスス本人は30代前半といったところか。厳つい顔に古い傷跡。歴戦の武人だ。
「貴殿が……噂のユリア殿か。お会いできて光栄だ」
「どういう噂かは存じ上げませんが、ユリア・コニシです。バッスス・ディアグラ殿」
「エルズリウムでの活躍は聞いているが、こうして実際に会ってみてもまだ噂を疑っているよ。だが、わざわざ救援に来ていただけるとは……」
「ディアグラ伯からは小回りの利く部隊を貸して欲しいという要請があったと伺っていますが、どういった事情で?」
「なに? ちょっと待ってくれ。小回りの利く部隊? どういうことだ?」
バッススの表情が変わる。
「カラディン辺境伯からはそう伺っています。そのため、近接戦闘力を見込まれて私の大隊が選ばれました。線路復旧の護衛とディアグラ伯への助力を命じられています」
「……あんの、くそ親父! 援軍を頼めって言ったのに、回りくどいことしやがったな!?」
バッススが苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。
「バッスス殿?」
「あ、ああ、失礼した。では前線に増援部隊という話ではないのだな?」
「ええ。詳細は不明なため、まずは現地にて確認となっています」
バッススが一つ息を吐き、表情を引き締めた。
「分かった……。これは急ぎでカラディン辺境伯へ報告してもらいたいのだが」
「伺いましょう」
「ディアグラ軍はエルズリウムからの敵襲に対し逆撃、敵に侵食されたと思わしきマラティア領へ進軍した。マラティア領の中核都市エラシウム付近にて敵軍およそ4万と遭遇。当方が1万程だったため会戦を避け領境まで撤退した」
4万……。圧倒的な数だ。会戦を避けたのは正しい判断だろう。
「領境の城塞にて追撃してきたこの部隊を食い止めている状況だ。ただ、元が廃城だったのを突貫工事で使えるようにしただけでな。なんとか辛うじて防衛できているが、すでに有力な予備戦力は使い切り、臨時編成の部隊で急場を凌いでいるところだ」
「……それは深刻ですね。承知致しました。必ず報告します」
バッススが頷く。だが、その目にはまだ言い足りないものがあった。
「頼んだぞ。たしかにすぐに陥落するような状況ではない。だが、もう領地から送られてくる増援も、訓練の乏しい部隊ばかりなんだ」
その状況では相当な規模の救援が必要なはずだ。だが旅団本隊は会戦の準備をしていない。かといって座視できる状況でもない……。
「貴殿はそのままディアグラまで向かうのがいいだろう。親父はまた口では『そこまで深刻ではない』とか言うかもしれないがな。だが、俺が言うのもなんだが、あれで領民思いなんだ。プライドが高くて弱みは見せないが、状況を隠すような真似まではしないはずだ」
「気を付けて調べるようにしましょう」
「ああ、そうしてくれ。早いうちに援軍が来ることを願っているよ。我々はまた前線に向かうからな、これで失礼する」
「ご武運を」
「貴殿にもポレモスのご加護があらんことを」
すぐに馬に飛び乗り、去っていくバッスス。
「あの、このディアグラ領はゾンビを撃退したんじゃなかったんですか?」
瑞希が不安そうに尋ねる。
「それだけじゃ終わらなかったみたいね。そして戦況は良くない」
「私たちが助けるわけにはいかないんですか?」
「私たちだけでは力不足よ。敵は4万、こちらは訓練不足の1500人程度。救援しても焼け石に水よ。でも、ここでちゃんと報告を上げれば、カラディン辺境伯なら動くでしょう」
瑞希はしばらく黙っていた。やがて、小さく呟く。
「そう、なんですね……」
【帝国紀元1799年9月25日 15:00】
【エルズリウム・ディアグラ領境 セルギウス旅団本陣】
セルギウス旅団の本陣は、街道から少し離れた平地に設営されていた。整然と並ぶテント群の中央に、旅団長用の大型テントが建っている。
案内されて中に入ると、40代半ばの落ち着いた風貌の男が地図を広げていた。旅団長のセルギウスだ。
「お時間をいただきありがとうございます」
「いえ。それで、どうしました? ディアグラ軍のことでと聞いていますが」
セルギウスが地図から顔を上げた。
「先ほど、マラティア方面軍の指揮官、バッスス・ディアグラ殿がいらっしゃいました。その際、戦況をお聞きしたのですが……どうも我々が把握しているより戦況が悪いようです」
「マラティアに進軍していると聞いていましたが……」
「はい。ですが、その後、ゾンビの大軍と遭遇し、現在は領境で防戦。すでに予備戦力を使い切っているそうです」
「領境ということは……ここから西に30ケイミル程度ですね……すでに予備なし、ですか」
セルギウスは地図に目を落とし、指で距離を確認した。
「分かりました。たしかに後回しにできる状況ではなさそうです。かと言って旅団が向かうのは現実的じゃありません」
セルギウスの目がユリアに向いた。
「我々の任務は鉄道の復旧と、その護衛です。旅団を分散させて会戦に巻き込まれるわけにはいきません。それに、準備もしていない」
「はい」
「こちらからディアグラ軍に直接情報収集の部隊を派遣します。と言っても、予備に持ってきていた軽騎兵中隊程度ですが、これならそのまま派遣しても問題ないでしょう。ユリア殿の部隊が想定以上に役目を果たしてくれていますからね」
軽騎兵中隊なら機動力があり、前線の戦況を直接確認して報告を上げられる。状況次第では、そのまま連絡線の確保にも使えるだろう。
「ありがとうございます」
「我々のほうでもレンクス大将に報告を上げておきます。ユリア殿も辺境伯に報告を」
「ハッ」
「それと、少し急ぎでディアグラ伯の元へ向かってください。こちらの足に合わせていてよい状況ではなさそうです」
「承知しました」
ユリアは敬礼して部隊への帰路を急いだ。
役目は果たした。これで動きがあるだろう。だが——どこへ行ってもゾンビだ。この戦いの終わりは、まだ見えない。




