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終末の血族  作者: 天津千里
7章:影巣食う軍都
50/59

第50話 影巣食う軍都II

【帝国紀元1799年8月3日 8:00】

【エルズリウム東方丘陵地帯】


 眼下に広がるのは軍都エルズリウム。二重の城壁に囲まれた古都――中央に石造りの城郭と旧市街、その外側に新市街が広がっている。かつては帝国東部の要衝だったが、今は城門が破損し、城壁も汚れと傷みを見せている。朝の日差しを浴びながらも、その古都はどこか死の静寂を纏っている。


 エルズリウムの東側、緩やかな起伏が続く丘陵地帯に、帝国連合軍五万の大軍が展開していた。点在する林や畑、小さな集落は戦場としての障害にはならない。むしろ、この開けた地形こそが、連合軍の火力を最大限に活かすための舞台だった。


 中央に陣取るのは、東部方面軍副司令官レンクス・カエリウス大将が直率する中軍一万強。整然と並んだ歩兵部隊の後方には、帝国が誇る魔導大隊が控えている。中軍の両翼には身軽な軽騎兵隊が展開し、最前線には散兵が散開していた。機動力と火力を兼ね備えた、攻守のバランスに優れた布陣である。


 左軍は、東部方面軍第二師団一万強。左側面に散兵を配置し、敵の側面攻撃に備えている。その左後方には重装甲の重騎兵部隊が控え、決定的な局面での突撃に備えていた。重騎兵たちの鎧が朝日を反射し、鈍く輝いている。

 右軍は、ガリウス・カラディン伯爵が率いる諸侯連合軍二万が布陣していた。連合軍の中で最大の兵力を誇る右軍は、正規軍に比べれば装備も練度も劣るが、故郷を守るという強い意志で結束している。

 右軍の後方にも東部方面軍の魔導大隊が配置され、火力支援を約束していた。右側面の散兵、右後方の重騎兵――左軍と対称の配置が、全軍の統一性を物語っている。

 そして右軍の中央寄りに、リディア・カラディン大隊が陣取っていた。その中核を成すのが、ユリアが率いる中隊だった。


 *


 対するは、エルズリウムから溢れ出す死者の群れ。

 破損した東城門から、黒い波が流れ出していた。既に城壁外に展開している死者は、見えているだけで連合軍の数に匹敵するかそれ以上。

 統制も陣形もない、ただの群れ。だが、その数は十分に脅威だった。鼻を突く強烈な腐臭が風に乗って漂い、数万もの死者が発する不気味な蠢きが、地鳴りのように丘陵へと伝わってくる。生者の気配を感じ取った死者たちは、飢えた獣のように、東の連合軍へと向かっていた。

 さらに破損した城門の奥、市内にも黒い影が蠢いているのが見える。城門からは今も死者が流れ出し続けており、その流れが止まる気配はなかった。

 朝の風が、五万の軍勢の間を吹き抜けていく。

 戦いの時が、近づいていた。


 右軍の前線、リディア大隊の中央。

 ユリアは静かに前方を見据えていた。

 数ケイミル先、エルズリウムの破損した東城門から溢れ出す黒い波。その異様な光景に、周囲の兵士たちが息を呑むのが聞こえる。

 ユリアは冷静だった。これまで何度も死者の群れと戦ってきた。今さら動揺することはない。

 中軍の軽騎兵部隊が動いた。

 土煙を上げながら、軽騎兵たちが城門前に蠢く群れへと駆け寄っていく。蹄の音が大地を揺らし、風が砂塵を巻き上げた。軽騎兵たちの黒いシルエットが、朝日を背に浮かび上がる。

 群れに接近した軽騎兵たちが、突然立ち止まった。

 硝煙が風に流れ、乾いた発砲音がエルズリウムに響き渡った。

 馬上銃の一斉射撃。銃口から火花が散り、白い煙が立ち上る。さらに軽騎兵の一部が群れに急接近し、至近距離で魔石擲弾を放り投げた。

 群れの中で火柱が立ち上がった。

 轟音。

 数ケイミル離れているはずの隊列にも、低い音が地を這って響いてくる。爆発の轟音が風に乗って届いてきた。

 軽騎兵の挑発に、ゾンビたちが反応した。

 黒い波がゆっくりと、だが確実に動き始める。統制のない群れが、生者の気配を追って東へ――連合軍へと向かってくる。

 しかし、素早く駆ける軽騎兵は容易に距離を開けた。そして再度、馬上銃の射撃を加える。銃声が断続的に響き、群れの先頭が次々と倒れていくが、後続は止まらない。倒れた仲間を踏み越え、ひたすら前へと進んでくる。


(挑発には簡単にかかる……)


 ユリアは冷静に観察していた。


(けれど、群れ自体は固まって動いている……統制はとれても緩い? それとも、集まってからは統制されていない?)


 思考を巡らせている間にも、ゾンビの群れはだいぶ近づいてきていた。

 軽騎兵が最後の射撃を終え、全速力でこちらに戻ってくる。馬の嘶き、蹄の音、騎兵たちの掛け声。彼らの背後には、無数の死者が迫っていた。

 後方から、轟音が響いた。

 魔導銃の斉射。

 数拍遅れて、ゾンビの頭上から火の滝が降り注いだ。

 直撃した個体が瞬時に炭化し、足元が爆ぜて炎の舌が群れを舐め上げる。灼熱の光が戦場を白く照らし出し、空気そのものを焼き焦がす熱風が前線まで押し寄せてきた。

 魔導大隊の攻撃だった。

 周囲の諸侯軍の兵士たちから、どよめきが起こる。ある者は身を震わせ、ある者は目を見開いて立ち尽くしている。普段の戦闘では見ることのない、圧倒的な火力の光景だった。


(これが帝国正規軍の誇る魔導大隊……)


 ユリアは内心で呟いた。


(これは浴びたくないわね……)


 魔法の嵐が止んだ後も、群れは進んでくる。火に焼かれ、肉を焦がしながらも、止まらない。その執念に、兵士たちの間に緊張が走る。

 中軍正面に展開していた散兵からも射撃が始まった。火の洗礼を受けてなお進む敵を、銃弾が削り取っていく。一発、また一発。倒れる者、倒れてもなお這い進む者。

 群れはユリアたちの前線にも迫ってきた。

 幾度となく浴びせられた魔導部隊の攻撃をものともせず、その顔には怒りとも歓喜ともつかない表情を浮かべている。焦点の合わない濁った目、どろりと腐敗した肉、折れて白い骨が露出した腕。それでも、彼らは執拗に生者を追い続ける。

 ユリアは静かに剣の柄を握り直した。

 周囲の近接兵たちも、盾を構え、武器を構えている。誰もが固唾を呑んで、迫りくる敵を待ち構えていた。

 戦いが、始まろうとしていた。


「ハァ!」


 ユリアの剣が閃いた。

 力を込めた一撃が、迫りくるゾンビの頭部を叩き割る。返す刃で逆袈裟に振り上げ、次の敵を切り裂いた。肉を断つ鈍い感触。骨が砕ける不快な振動が、柄を通じて手首に伝わる。

 すでに周囲には、いくつもの死体の山ができあがっていた。

 隣ではレオニダスが戦槌を振るっている。重い鉄塊を叩きつけ、殴りかかろうとしていた敵の腕ごと体をへし折った。鈍い破壊音が響く。折れた腕が宙を舞い、胴体が地面に崩れ落ちる。


「うおぉぉ!」


 周囲の近接兵たちも必死に戦っていた。


「右! 右から来るぞ!」 「くそ、キリがねぇ!」


 剣が肉を裂き、槍が骨を砕き、盾が爪を弾く。金属音と怒号が入り混じり、戦場を満たしている。

 中隊はまだ戦線を維持していた。

 だが、その誰もが疲労の色を見せ始めている。荒い息遣い。汗に濡れた額。武器を握る手に力が入らなくなってきている者もいる。

 他の部隊に至っては、さらに深刻だった。

 いくつかの部隊では、前衛が突破され、中衛にまで敵が食い込んでいる。銃兵たちが慌てて後退し、近接兵が穴を埋めようと駆けつける。それでも後方からは次々と増援が送られてきており、必死に戦線の穴を塞ごうとしていた。


(余裕があるうちに交代させたほうがいいわね……)


 ユリアは一瞬の隙に周囲を見渡した。このまま押し続ければ、前衛が持たない。


「レオニダス!」


 ユリアの声が響く。


「近接兵の予備を前衛に投入して! できるだけ交代させて回復させるわよ!」

「ハッ、ただちに伝令を出します!」


 レオニダスの指示により、後方に控えていた予備兵力が動き始める。伝令が駆け出し、前衛と予備兵の入れ替えが始まった。

 前方、敵の群れは魔導部隊からの攻撃で赤く照らされていた。

 火柱が立ち、炎が群れを舐め、爆発が連鎖する。その圧倒的な火力の前に、群れの勢いは大きく削がれていた。倒れる者、焼かれる者、それでもなお進もうとする者――だが、その数は明らかに減っている。

 終わりが、見えてきていた。

 だが――

 ユリアの視線は、エルズリウムの城門に向けられた。

 城門からの黒い流れが、途切れ始めている。市内からの増援が止まったのか、それとも一時的なものなのか。いずれにしても、今が好機だった。


(ここで押し切れれば……)


 散兵が射撃を行っていた側面方向から、大きな喚声が聞こえてきた。

 地鳴り。

 蹄の音。

 魔導部隊からの攻撃が止んだ。ゾンビたちが前線を埋めようと、再び動き始める。  そこに入れ替わるように、側面後方に控えていた重騎兵が、群れの側面へと突入した。

 地響きが腹の底を揺らすほどの衝撃へと変わり、重装甲の騎兵たちが全速力で駆ける。その勢いのまま、ゾンビの側面にぶつかった。

 すさまじい衝撃音。

 馬の嘶き。鎧の激突音。骨が砕ける音。

 重騎兵はその勢いを失わず、群れを蹴散らしながら後方へと抜けていった。まるで鉄の楔が柔らかい肉塊を貫くように、一直線に駆け抜けていく。

 後には、おびただしい数の死体が転がっていた。  踏み潰され、蹴り飛ばされ、馬の蹄に砕かれた死者たち。その光景に、前線の兵士たちから歓声が上がる。


「やったぞ!」 「重騎兵だ! 重騎兵が来た!」


 目の前のゾンビの群れが乱れた。隊列が崩れ、群れの統制が完全に失われる。  好機だった。


「敵は乱れた! 一気に畳みかけるわよ!」


 ユリアの号令が響く。


「「応!」」


 兵士たちの力強い返事。疲労していた前衛に、再び力が戻る。押されていた周囲の部隊も、重騎兵の突撃を見て士気を取り戻したようだった。果敢に攻撃を加え始める。

 敵の後方では、重騎兵たちが一度突き抜けた後、再度突撃態勢をとろうと鮮やかに旋回していた。側面の散兵の奥には、軽騎兵たちが後方から回り込んできている。包囲に加わり、退路を断つ動きを見せていた。

 目の前の敵は、もはや右往左往していた。

 前方からの圧力、側面からの騎兵突撃、後方からの包囲――もはや最初の勢いを取り戻すことは不可能だった。

 群れは崩壊し、最後の一体が倒れ伏す。  戦場に、束の間の静寂が訪れた。

 兵士たちの荒い息遣い。武器を地面に突き立て、膝をつく者。額の汗を拭う者。誰もが疲労の色を隠せていない。

 ユリアは周囲を見渡した。

 負傷兵が後方に運ばれていく。近接兵の中には、もう剣を握る力も残っていない者もいる。


(ここまではなんとか切り抜けた……次はあの中ね……)


 彼女の視線の先には、夏の強い日差しの中でなお暗い影を落としているエルズリウムがあった。




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