第49話 影巣食う軍都I
【帝国紀元1799年8月2日 15:00】
【カラディン辺境伯領・コラサン砦大会議室】
アルデリス伯爵領からバヤジド要塞へと駆け抜けた戦いから、およそ一か月が経過していた。
カラディン軍、アルデリス軍、帝国東部方面軍を中心とした貴族軍と正規軍の連合は、軍都エルズリウムの奪還を目指し、カラディン辺境伯領西端の街コラサンへと集結している。
かつては街道の宿場町だった面影は、もはやほとんど残っていない。広大な野営地に囲まれた軍事拠点へと、コラサンは変貌を遂げていた。
中央の砦に新設された大会議室。
長方形の広間には、各軍の将校たちがすでに集まっている。少佐から大佐まで、階級章も所属も様々だ。正規軍の黒い制服と、貴族軍の各家ごとに異なる軍服が入り交じっている。
室内には、はっきりとした熱気があった。
低く交わされる会話。抑えた笑い声。
これから始まる作戦に、誰もが期待を寄せているのが伝わってくる。エルズリウム奪還――帝国東部の命運を賭けた戦い。
何人かがこちらに視線を向けてきた。
若い女性将校は珍しくないが、それでも目を引くらしい。すぐに視線は逸れる。興味本位というより、確認といった程度のものだ。
(これが……全部将校か)
こんな大軍にもなれば、指揮官だけでもこの人数になる。
隣でリディアが小声で話しかけてきた。
「ユリア、緊張してる?」
「いいえ。でも、これだけ将校が集まるとなかなか壮観ね」
「ええ。最初は、ほんとに私たちしかいなかったからね……」
そうだ。
コラサンで初めて軍議に参加したとき、集まっていた士官はずっと少なかった。
あれから、どれだけの時間が経ったのだろう。どれだけの戦いを経てきたのだろう。
「そう考えると、増えたものね」
「そうね。でも本来は遠征規模になると、大隊長以上だけでもこれくらい集まるのよ」
「それは……どれだけの大兵力なのよ」
「中央軍からも来るから、十個師団以上ね。そろそろ始まるみたいよ。行きましょうか」
「了解」
決められた位置へ向かう。
正規軍と貴族軍が入り混じる中、カラディン軍の区画は比較的前方に位置していた。整列する。背筋を伸ばす。
周囲の空気が、自然と引き締まっていく。
奥の一段高くなった場所に、二人の人物が立っている。
中央にガリウス・カラディン辺境伯。その左に、レンクス・カエリウス大将。
二人とも、厳かな表情で室内を見渡していた。
会議が、始まる。
中央に立つガリウスの声が響いた。低く、しかし力強い声。広間の隅々まで届く。
「諸君、この場によく集まってくれた。多くの苦難を乗り越え、これから共に戦えることを嬉しく思う」
将校たちが背筋を伸ばす。
誰もが静かに、その言葉に耳を傾けていた。
「思えば、三月二十四日にエルズリウムとの連絡が途絶え、各地でゾンビの侵攻が始まり、戦友を失いつつも故郷のために戦い始めて四か月あまり。その間、あまりに多くの血が流れた……」
四か月――それだけの時間が、すでに過ぎている。
三月の終わり、ユリアたち三人が地球からこの世界へ来てからの時間だ。
帰還の手がかりどころか、この世界の日々を守るだけで精一杯だった。
「だが、我々はついにゾンビの侵攻を食い止めることができた。これからは反撃の時だ」
ガリウスの声に、力がこもる。
「我々はこれより、失われた軍都エルズリウムを奪還し、この地にはびこるゾンビを一掃する!」
室内に歓声が沸き起こった。
拳を掲げる者、隣の将校と顔を見合わせる者。士気は高い――いや、高すぎるかもしれない。
ユリアは、あくまで冷静に周囲を観察する。
熱気に浮かされた表情。守勢から攻勢に転じるという事実は、確かに大きい。
(でも……)
エルズリウムに、探し求めている帰還の手がかりは本当にあるのだろうか。
ざわめきが落ち着くのを待って、ガリウスは続けた。
「エルズリウム奪還に当たり、帝国戦時法に則り、連合軍総大将を東部方面軍副司令官レンクス・カエリウス大将にお願いしている。レンクス大将」
呼びかけに応じ、レンクスが一歩前へ出た。
老練の軍人。その風格は、一歩踏み出すだけで伝わってくる。
「うむ。わしがレンクス・カエリウス大将だ。幾度となく戦場で共に戦った諸君らと、また肩を並べて戦えることを心強く思う」
声は穏やかだが、その奥には確かな重みがある。
「この度のエルズリウム奪還にあたっては、東部方面軍から二個師団、諸侯軍から三個師団。総勢五万を超える兵が集まっている」
最初にカラディン軍と合流したとき、味方は数千だった。
それがアルデリス領救援で一万を超え、今や五万。
(あるいは……)
これだけ動員しなければならないほど、状況が深刻だということか。
「我々はこの総力をもってエルズリウムに進軍する。エルズリウム東の郊外――緩やかな丘陵地帯に布陣し、軽騎兵による散兵戦術で敵を誘引、これを撃滅する。その後、都市を包囲し、全方位から市内へ突入、敵を殲滅する」
エルズリウム東の郊外――初めてカラディン軍がゾンビ軍と対峙した場所だ。
あの時と同じ地形で迎え撃つ。
違うのは、味方の数だ。十倍近い兵力。正規軍の騎兵、魔導部隊。即応部隊とは比べものにならない。
だが、問題はその後。
誘引に成功したとして、都市内部にどれだけのゾンビが残っているのか。
市街戦の視界の悪さと戦場の狭さは、思わぬ苦戦を強いるかもしれない。
(いっそ焼き払ってしまえばいい……なんて考えるのは、やっぱり外から来た人間だからかしら)
「敵軍は最大で十二万と見積もっている。だが、その大半は農民兵にすら劣る近接戦闘しかできないゾンビだ。我が軍の火力の前には、早々に倒れ伏すだろう」
十二万。こちらの倍以上。
だが、レンクスの口調には余裕がある。統制の取れない数は、脅威であっても決定打にはならない。
「注意すべきは、近接兵装備で武装したゾンビだ。やつらはバヤジド要塞でも、統率の取れた集団として我々に襲い掛かってきた」
アルトゥイン、そしてバヤジド。
武器を操り、鎧を着込み、隊として動くゾンビ。
技術はこちらが上だ。だが、傷を顧みずに押し寄せる特性は、油断できない。
「出現した場合は、速やかに正規軍魔導大隊へ通報してほしい。その火力で、燃やし尽くす」
魔導大隊――東の防衛線を支えてきた、正規軍の切り札だ。
「以上だ。詳細は各師団へ通達する。確認しておくように」
レンクスはそう言って、一歩下がった。
ガリウスが再び前に出る。
「ありがとうございます、レンクス大将。
諸侯軍については、私が連合軍副将として指揮にあたる。よろしく頼む」
「帝国は、諸君らの活躍に期待する」
「「「応!」」」
轟音のような返答が、広間を揺らした。
熱気。期待。士気。
だが、その奥に何が潜んでいるのか――まだ見えていない。
* * *
【同日 17:00】
【コラサン郊外野営地・ユリア中隊天幕】
軍議を終えて野営地へ戻る頃には、日が西へ傾き始めていた。
コラサン郊外に広がる野営地には、無数の天幕が立ち並び、炊事場からは白い煙が立ち上っている。
馬の世話をする兵士。装備を点検する兵士。武器の手入れに没頭する兵士。
至るところで、明日からの戦いに向けた準備が進められていた。
ユリア中隊の天幕は、野営地の一角に設営されている。
中へ入ると、すでにレオニダス、セリーヌ、カリスをはじめとした幹部たちが集まっていた。
ユリアは、傍らに瑞希とルシアを控えさせたまま、天幕の中央に立つ。
瑞希の表情は、一か月前に比べて落ち着いている。
まだ完全とは言えないが、少なくとも人前に立てるだけの余裕は戻ってきたようだった。
「……以上が、エルズリウム攻略戦の作戦概要よ」
ユリアは、軍議の内容を簡潔に説明した。
兵力規模。作戦の流れ。武装ゾンビへの警戒。
要点だけを、曖昧さなく伝える。
「私たちは諸侯軍の一員として、右軍として布陣するガリウス師団、その左軍を担うリディア大隊の中核として行動することになるわ」
幹部たちが頷く。
それぞれが、自分の役割を頭の中で整理しているのが分かる。
セリーヌが手を挙げた。
「諸侯軍の魔導部隊で、火力は足りるんですか?」
的確な質問だった。
五万対十二万。数の不利を覆すには、火力の優位が不可欠になる。
「東部方面軍から、魔導大隊が支援に回るそうよ」
セリーヌの目が、ぱっと輝いた。
「魔導大隊! あのエリート部隊! それは頼りになりますね」
その反応に、瑞希が首を傾げる。
「そんなに、すごいんですか?」
「そりゃもう。正規軍の魔導大隊って言ったら、魔法兵の憧れよ。
選抜されて、方面軍の魔導大隊を通って、中央軍の魔導大隊、最終的には近衛軍の魔導大隊――それが王道の出世ルートね」
セリーヌの説明には、自然と熱がこもる。
魔法兵としての誇りと、エリート部隊への憧憬が入り混じっているのだろう。
「へぇ……そんな人たちが支援してくれるんですね」
瑞希の声には、わずかながら明るさが戻っていた。
「頼りになるみたいね」
「それはもう」
セリーヌが、力強く頷く。
腕を組んだカリスが口を開いた。
「この新型の猟銃……散弾銃だったか。弾薬のほうはどうなんだ?」
実務的な問いだ。
前線を支える小隊長らしい。
ルシアが即座に答えた。
「この一か月で、だいぶ集まっているわ。詳しい内訳はベルンハルトさんから」
ベルンハルトが軽く咳払いをする。
「おう。アルトゥインで伝手を使ってな、この散弾銃と弾薬は最優先で回させた」
その声には、仕事をやり遂げた者の確かな自信があった。
「散弾銃自体は、この中隊分は揃っている。弾薬も二会戦分は確保できた。
今回の戦いには、十分なはずだ」
「十分だな。安心した」
カリスが頷く。
前線を預かる者にとって、装備の確保は何より重要だ。
ユリアは、視線をレオニダスへ向けた。
「レオニダス、近接兵はどう?」
「新入りはそれなりにいるが、この一か月でかなり叩き込んだ。
まだひよっこだが、前線は支えられるだろう」
淡々とした口調。
だが、その奥に確かな手応えがあるのが分かる。
一か月。短いようで、戦場に立つ兵を作るには十分な時間でもある。
ユリアは、天幕の中を見回した。
この一か月、それぞれが自分の役割を果たしてきた。
訓練。装備の準備。兵の育成。
戦える体制が、ようやく形になっている。
「いいわね。いつも通り、私たちは最前線で盾になる。
近接兵は、その要よ」
「ああ。任せてくれ」
レオニダスの返事は短く、迷いがない。
ユリアは、一同をゆっくり見渡した。
「その後は、全方位から都市内部への一斉進出。
私たちの本領発揮ね。無理をしろとは言わない。
でも――先鋒を譲る気はないから、そのつもりでいて」
先鋒。
それがユリア中隊に求められている立ち位置だった。
最前線で戦い、道を切り開く。
危険だが、それこそがこの中隊の役割だ。
「応!」
幹部たちの声が、揃う。
士気は十分。
準備も整っている。
だが、ユリアの内心では、別の思考が渦を巻いていた。
震源地――エルズリウム。
(ここで終わる……はずがないわよね)
これだけの時間が経っても、帝国中央からの本格的な救援は来ていない。
動いているのは、東部方面軍だけだ。
なぜか。
中央は、余裕がない?
それとも――問題は、東部だけでは済まない?
エルズリウムを奪還した、その先に何が待っているのか。
ユリアは表情を崩さないまま、幹部たちに頷いた。
「それじゃあ、各自準備を進めて。明日からが本番よ」
「了解しました」
幹部たちが天幕を後にする。
残されたのは、ユリアと瑞希、ルシアの三人。
瑞希が、小さく息を吐いた。
「……なんだか、すごいことになってきましたね」
「そうね。でも、私たちにできることをやるだけよ」
ルシアが、穏やかに応じる。
ユリアは、天幕の外へ視線を向けた。
夕暮れの空が、野営地を赤く染めている。
血のような赤――明日から始まる戦いを予感させる色だ。
長い戦いが、いよいよ始まろうとしていた。




