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終末の血族  作者: 天津千里
6章:影潜む要塞
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第48話 影潜む要塞V

【帝国紀元1799年6月29日 6:00】

【バヤジド直轄領・バヤジド要塞客室】(瑞希視点)


 目が覚める。体が覚えている時間だ。

 窓の外、空が白み始めている。遠くからパンを焼く香りが漂ってくる。廊下を誰かが忙しなく行き来している。要塞が動き出す朝だ。

 瑞希は天井を見上げた。

 見慣れない木目。石造りの壁と重厚な梁が視界に入る。


「見慣れない天井……起きないと……」


 体が勝手に動く。毛布を払い、ベッドから降りる。床の冷たさが足裏に伝わった。慣れた動作で身支度を整える。顔を洗い、髪を梳かし、制服に袖を通す。

 鏡に映る自分。

 黒い帝国軍の制服。胸の階級章。腰のサーベル。

 まるでコスプレをしているみたいだ。

 瑞希は自分の顔を見つめた。見慣れているはずの顔。でも、どこか他人のような気がする。

 同じ顔のはずなのに。何かが、違う気がする。

 ふと、思い出す。


「そっか、今日はユリアさんに休むように言われてたっけ……」


 休み。そう言われても、何をすればいいのだろう。


「休めって言われても……何もしないと、考えちゃうし……」


 考える。考えると、思い出す。アラセアのこと。助けられなかった人々のこと。暴走した自分のこと。

 思考が渦を巻き始める。

 瑞希は頭を振った。

 そのまま沈んでいったら、戻ってこれない気がする。

 鏡の中の自分がじっとこちらを見ている。帝国軍の制服を着た、どこか現実感のない姿。

 そういえば、と瑞希は思った。

 ここに来てから、ずっと書類整理ばかりだった。体なんて動かしていない。その前は……その前は、部活で毎日汗を流していたはず。

 ついこの間のことのはずなのに。

 でも、この世界で過ごした日々も、同じくらい鮮やかに思い出せる。どちらも本物の記憶。どちらも自分の人生。

 どちらが自分の居場所なのか、分からない。


「せっかくだから体を動かしてみようかな?」


 体を動かせば、少しは紛れるかもしれない。すべてを忘れられるかもしれない。

 いや、本当に忘れてしまうことも、また怖い。

 瑞希は部屋を出た。廊下を足早に歩く。食堂へ向かう。朝食を取って、それから訓練場へ行こう。

 体を動かそう。そうすれば、少しは気持ちが楽になるかもしれない。

 そう思いながら、瑞希は朝の要塞を歩いた。



 * * *



 食堂で手早く朝食を済ませた。

 パンとスープ、それから卵料理と果物。気づけば、皿が空になっている。


「前はこんなに食べてなかったはずなんだけど……」


 朝は低血圧で、ヨーグルトだけで済ませていたはず。

 そう……そのはず。

 でも、ユリアさんたちと食べる食事は、いつもこのくらい食べていたような気がする。どちらが本当なのだろう。

 食べてしまったものは仕方ない、よね?

 運動すれば帳消しのはず。

 少し食べすぎた気がして、瑞希は憂鬱な気分になった。

 廊下を抜け、中庭の訓練場へ向かう。朝の光が眩しい。

 数日前にここで戦闘があったことが信じられないくらい、訓練場は整然としていた。すでにいくつかの部隊が集まって、剣を振るったり、隊列を組んだりしている。

 邪魔にならないよう、端の方で空いている場所を探す。

 見知った顔が目に入った。


「レオニダスのおじさん」


 鍛錬中だったレオニダスが、剣を止めてこちらを見た。


「おじ……副官殿か。今日は休みじゃないのか?」


 一瞬、何か言いたげに顔が歪んだ気がする。


「休みなんだけど……ちょっと体を動かそうと思って」

「珍しいな。いつも書類と格闘してたじゃないか」

「うん。今日はそんな気分なの」


 おじさんは剣を下ろした。一瞬、瑞希の顔をじっと見る。


「いいことだな。ここら辺はうちの部隊が集まってくるだろうから好きに使ってていいぞ」

「ありがとう、おじさん」

「おじ……いや、気をつけてな」


 おじさんは苦笑しながら、また剣を構え直した。

 瑞希は訓練場の隅へ歩いていく。

 そういえば顧問の先生は、いつも竹刀を持って私たちに走れって言ってたな。

 今思うとまるでマンガの熱血教師みたいだった。似合ってなかったけど。

 また地球の記憶だ。竹刀の音。体育館の匂い。それが、石造りの訓練場と重なって見える。

 訓練場の端を走り始める。

 いつもなら、すぐに息が上がるはず。脚が重くなって、頭が真っ白になって、何も考えられなくなる。それが楽だった。

 でも、今は違う。

 何周走っても息が整っている。脚が軽い。体が疲れない。

 頭が回り続ける。お母さんのこと、お父さんのこと。弓道場の匂い。先輩の声。同級生の顔。ぼやけて浮かんでは消える。地球の記憶と、この世界の記憶が、混ざり合って止まらない。

 走っても、走っても、思考が消えない。

 それでも走り続ける。止まったら、もう動けなくなりそうだ。



 * * *


「ふう……」


 木陰で腰を下ろす。脚が重い。体が熱い。汗が額を伝い、制服に染み込んでいる。

 気づくと、2時間くらい走っていたようだ。日が随分高くなっている。

 この前まではこんなに走れなかったはず。それなのに、今は息が上がっているだけで、まだ動ける気がする。

 異世界補正、なのかな。

 持ってきた水筒を取り出し、口をつける。

 何も出てこない。


「あれ? ……全部飲んじゃった」


 空っぽだ。もっと持ってくればよかった。


「どうぞ」


 すっと、水筒が差し出される。

 顔を上げると、アウレリアが立っていた。すぐ後ろに小さな台車。包帯や短杖、水の入った容器がいくつも載っている。訓練している兵士たちを回っているのだろう。


「あ、アウレリアさん……ありがとうございます」


 慌てて受け取る。水を口に含む。冷たい水が喉を潤した。


「いいんですよ。頑張ってましたね。隣、いいですか?」

「あ、どうぞ」


 アウレリアが隣に腰を下ろす。白い服が木陰に映える。穏やかな表情。でも、どこか疲れているようにも見える。

 そうだ、謝らないと。


「あの、この前はごめんなさい」

「はい?」


 アウレリアが首を傾げる。


「その、アラセアで魔力暴走起こしちゃって……」

「ああ……いいんですよ。ケガもないですし……それにあの時のことはあんまり覚えてなくて」

「あ、ごめんなさい」


 余計なことを言ってしまった気がする。アウレリアは微笑んだ。


「いえ。それに、しっかりお別れできたので。人のまま眠らせてあげることができたことを感謝しなければ」


 人のまま。

 お父さんを、ゾンビにせずに見送れた。そういうことなのだろう。


「アウレリアさんは……強いんですね?」


 アウレリアは空を見上げた。


「強くありたいんです。それに、二度目ですから……お義父さんに会えたとき、しっかり生きたって報告したいんです」


 二度目。アウレリアさんも私と同じなんだ。


「そっか……」


 瑞希は膝を抱えた。


「……私、お母さんとお父さんのことを、アラセアで思い出すまで綺麗に忘れていたんです」


 アウレリアが、無言で続きを促してくる。


「あんなに大切な家族だったはずなのに……! なんで……!」


 声が震える。視界が歪む。涙が頬を伝う。止まらない。

 どうして忘れていたんだろう。お母さんの笑顔も、お父さんの声も、全部あったはずなのに。なのに、綺麗に消えていた。大切な人たちのこと。笑顔も、声も、温もりも、全部忘れていた。

 アウレリアの腕がそっと瑞希を抱きしめる。


「……人は辛さに耐えられないとき、その記憶を封じてしまうって聞きます。大切に想ってたから忘れてしまったのかもしれませんよ」

「でも! お別れすら言えなかった!」

「その想いはきっと伝わります。……それに、ユリア様が故郷に帰る方法を探してくれているのでしょう?」

「そう、だけど……でも、手がかりもなにも……」

「大丈夫ですよ。ユリア様ならきっとなんとかしてくれます」


 アウレリアの声は、穏やかで優しい。


「そう……かな」

「そうですよ。瑞希さんがユリア様を信じないでどうするんですか。あの小さな背に皆を背負ってくれてるのに」


 小さな背中。そうだ、ユリアさんはいつも一人で背負っている。


「うん……」

「ユリア様は瑞希さんが手伝ってくれることをきっといつも喜んでくれてますよ」

「そう……だといいな」

「そうですよ……だから、ちょっとだけ。ちょっとだけユリア様と共に頑張りましょう?」


 ちょっとだけ。ちょっとだけでいい。


「うん……」

「私も力になりますから」

「うん、ありがとうございます……」


 アウレリアの腕が離れる。


「さ、顔を洗ってきましょう。そんな顔じゃみんな心配しちゃいます」

「う、うん」


 アウレリアに促され、立ち上がる。一緒に歩き出す。

 ふと見上げると、空が少しだけ青く見えた。

 でも、胸の奥にはまだ何かが残っている。重たくて、冷たいもの。それでも、今は歩き出せる。




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