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終末の血族  作者: 天津千里
6章:影潜む要塞
46/57

第46話 影潜む要塞III

【帝国紀元1799年6月27日 9:00頃】

【バヤジド直轄領・バヤジド要塞北8ケイミル地点付近】


 ユリアは馬上から周囲の木々を見渡した。

 森の緑が視界を覆っている。昨日アラセアを発ってから、道程の半ばを過ぎた。途中、何度も小規模なゾンビの群れに遭遇したが、前衛の近接兵たちが素早く処理した。中隊は速度を落とすことなく、予定よりも早いペースで南下している。

 この先にバヤジド要塞があるはずだが、森に遮られて何も見えない。静かな森だった。鳥の声も聞こえない。

 胸の奥に、重たいものがある。

 アラセアは救えなかった。ユリアたちが到着した時には、既に街は灰になっていた。遅すぎた。間に合わなかった。

 進軍自体は順調だった。むしろ予定よりも半日近く早い。他の戦線はどうなっているのだろう。

 嫌な予感だけが消えない。

 馬蹄の音が近づいてきた。

 前方からレオニダスが駆けてくる。その後ろに、見慣れない騎兵がいる。


「隊長殿! 大隊長からの伝令です!」


 レオニダスの声が森に流れた。

 ユリアは隊列を外れ、レオニダスたちを迎えた。


「リディアから?」


 伝令の騎兵は疲れた顔をしている。鎧に泥が付いている。馬を飛ばしてきたのだろう。

 ユリアは軽く言った。


「よく来たわね。まだ掃討も終わってないのに」

「何度か危ない場所もありましたが、なんとか」


 伝令は短く息を吸い込み、背筋を伸ばした。


「リディア大隊長より伝令です。バヤジド要塞が危険なため、本隊は予定を繰り上げて牽制のため前進する。ユリア中隊も速度を上げて合流せよ。以上です」


 予定繰り上げ。

 ユリアは一瞬、眉をひそめた。


「予定繰り上げ? わかったわ。あなたは念のため医療班に診てもらいなさい」

「ハッ、ありがとうございます」


 伝令が頭を下げる。

 ユリアは後方を振り返った。医療班の位置を教えようとして------目に入った人影に、言葉が止まった。


「あら? リオフェル?」


 ちょうど、リオフェルがセリーヌを伴ってこちらに向かってくる。珍しい。リオフェルが自分から前に出てくることは滅多にない。

 リオフェルが馬を近づけてきた。


「隊長殿。ちょっといいかの?」

「珍しいわね。……重要そうね。聞くわ」


 リオフェルは馬上から、南の方角を見据えた。その目は、いつもの気だるげな様子とは違う。鋭い。


「行軍中、せっかくだから小娘に魔力感知杖を使わせていたんじゃが……」


 セリーヌが緊張した面持ちで頷く。

 リオフェルは続けた。


「先ほどからバヤジド方向で広範囲に魔力反応じゃ。これは要塞だけじゃないぞ」


 ユリアの背筋に冷たいものを感じた。


「要塞の外で戦闘が起きてるってこと?」

「おそらくな。大隊長殿の部隊は今日にはバヤジド西に着いとるんじゃろ?」

「……ええ。今朝、バヤジドが危険だから前進したそうよ」


 セリーヌが息を呑んだ。


「それって……」

「交戦開始……した可能性があるわね」


 ユリアの頭の中で、状況が組み上がっていく。

 リディアたちがバヤジドに向かって前進した。バヤジド方面で広範囲の魔力反応。大規模な戦闘が起きている。


「……急いで合流しましょう」


 ユリアは即座に判断した。


「リオフェル、後方部隊はベルンハルト指揮で護衛をつけてそのまま進軍するように」

「人使いが荒いのう! 伝えておくわい」


 リオフェルが苦笑しながら馬を返す。

 ユリアはセリーヌに向き直った。


「セリーヌ、魔導部隊も強行軍準備、1会戦分以上の弾薬は置いていきなさい」

「は、はい」


 セリーヌが慌てて返事をする。リオフェルとセリーヌが後方へ駆けていった。馬蹄の音が森の中に鳴る。

 ユリアはレオニダスを見た。


「レオニダス、前衛は先行して障害を排除。ルートは予定通り。急ぐわよ」

「承知した!」


 レオニダスが力強く頷き、前方へ馬を走らせる。

 ユリアは隊列全体に向けて声を張り上げた。


「中隊、急いでバヤジドに向かうわよ!」

「応!」


 兵士たちの返事が森に流れた。

 ユリアは馬の腹を蹴った。

 兵数ではカラディン軍の方が劣っていたはずだ。それなのに前進したということは------予想より敵が少なかったのか。それとも、バヤジドが危なかったのか。

 リディアなら手堅く戦うだろう。早々に崩れることはない。

 急がないと。

 足音が地面を叩き、馬蹄が土を蹴る。木々の間を縫うように、隊列が加速していく。


 * * *


【同日 11:00頃】

【バヤジド要塞北方】


 視界が一気に明るくなった。

 森を抜けた。

 遠くに、白煙に覆われたバヤジド要塞が見える。魔法の爆炎がわずかに見えた。断続的に光が瞬き、煙が立ち上っている。

 そこから少し右側------平野に点在する林の奥で、カラディン軍とゾンビがぶつかっている。

 隊列が乱れている。

 銃撃音と魔法の爆発音が断続的に聞こえてくる。本陣にはほとんど人影がない。護衛まで戦線に出している。

 胸の奥で、何かが緩んだ。


(間に合った……)

「ユリア中隊、突撃隊形に移行! 息を整えなさい!」


 ユリアの声が流れた。


「応!」


 兵士たちが一斉に動き出した。隊列が変わっていく。

 レオニダスが馬を寄せてきた。


「隊長殿、さすがに先頭は危険です。ここは私が」


 ユリアは首を振った。


「私が行くわ。美味しいとこだけ食べるのは許さないわよ?」


 レオニダスが苦笑した。


「ハッ、お供致します!」

「ええ。しっかりついてきなさい」


 近接兵たちが前衛に密集していく。盾を構え、剣を抜く。その後ろに、銃兵たちが並んだ。

 魔法兵たちは、まだ集まっている最中のようだ。セリーヌが急かしているのが見える。その隣にいるルシアが、こちらを見て頷いた。

 ユリアは前を向いた。


「これより、カラディン軍の左軍を襲っている敵の背後に突撃する」


 兵士たちの視線が、ユリアに集中する。


「突撃隊形のまま前進、合図を待て」


 ユリアは続けた。


「中衛も至近距離まで接近、前衛を援護」


 目の前の兵士たちが頷く。


「後衛は集合次第追随せよ。前衛が突撃開始したら敵の隊列に斉射。以後は小隊長に任せる」


 セリーヌとルシアが頷いた。

 ユリアは声のトーンを変えた。


「あんだけ獲物がいると油断していたら私が全部食べちゃうからね。気張りなさい」


 兵士たちから笑い声が漏れる。


「応!」


 力強い返事。

 ユリアは頷いた。


「いい返事。……前進!」


 ユリアは馬を降りた。

 手綱を瑞希に渡す。瑞希が慌てて馬を引き、後方へ連れていく姿が見えた。

 ユリアは先頭を速足で歩き始めた。

 視線を前に据える。

 平野の向こうに、戦場が見えている。

 一歩、一歩と草を踏みしめて進む。

 始めは黒い塊にしか見えなかったゾンビが、徐々に形を持ち始めた。一体一体の姿が、正確に分かるようになっていく。

 鎧が日の光を反射している。整然と並んだ後ろ姿。

 人間の軍勢と錯覚するほどだった。

 背筋が冷たくなる。


(……側面に主力が突入してきたわけね……もうこれは偶然では済まされない)


 正面を陽動にして、側面から本命を叩き込む。これを見るだけでも獣ではないことが分かる。


(アルデリス領への侵攻も意図的……ならばその前も?)


 思考が加速する。

 アラセアで見たゾンビ。エルズリウムで聞いたゾンビ。それらに、知性はなかった。ただ獲物に群がる死体の群れ。

 ここにいるゾンビは違う。

 隊列を組み、戦術を用いている。


(末端は知性がない? ……それはつまり……)

「隊長殿、間もなく二百ミルです」


 レオニダスの声が、思考を断ち切った。

 ユリアは現実に引き戻される。


「そろそろね」


 ユリアは振り向いた。

 声を張り上げる。


「ユリア中隊……私に続け! 突撃!」

「「「応!」」」


 怒号が上がった。

 隊列が一斉に加速する。足音が大きく広がった。

 目と鼻の先まで接近したところで、ゾンビたちがこちらに気づいた。

 最後尾にいたゾンビが振り向く。武器を構え始める。

 その瞬間------

 背後から風を切る音。

 直後、ゾンビの群れに赤い炎が炸裂した。

 魔法兵の射撃だった。

 炎がゾンビの群れに炸裂する。直撃した者が吹き飛び、周囲にいた敵も衝撃と熱で態勢を崩した。陣形が乱れる。

 ユリアは大きな両手剣を抜いた。

 加速する。


「どきなさい……!」


 刃を一閃させた。

 人間離れした速さで振るわれた刃が、空気を切り裂く。

 剣も、盾も、体も------すべてを巻き込んで、刃が通過していく。

 肉が裂ける音。金属が砕ける音。

 五体、六体と黒い影が崩れ落ちた。

 次の瞬間------

 轟音と共に、ゾンビたちの隊列に散弾の雨が降り注いだ。

 鉛の粒が、ゾンビの体を穿つ。鎧が砕け、肉が削られる。隊列がさらに乱れた。

 ぼろぼろになった敵の群れに、近接兵たちが殺到する。

 剣戟の音が鳴った。

 盾がぶつかり合い、剣が肉を断つ。怒号が上がる。ユリアの部隊が、武装ゾンビの背後に食い込んでいく。

 ユリアは前に出た。

 刃を走らせる。

 横一線に薙ぎ払う。人間離れした力で放たれた一撃が、ゾンビを次々と両断していく。抵抗する間もなく、黒い塊が地面に崩れ落ちた。

 周囲の近接兵たちが、それに続く。

 盾で押し込み、剣で斬り伏せる。訓練された動き。一体一体、確実に敵を減らしていく。

 武装ゾンビの隊列が、崩れ始めた。

 背後からの奇襲。反応が遅れる。統制が乱れ、向きを変えようとする者、カラディン軍と戦い続けようとする者、バラバラになっていく。


「押せ!」


 カラディン軍の左軍から、怒号が上がった。

 武装ゾンビに押されていたカラディン軍の兵士たちが、反撃を始めた。疲弊していたはずの隊列が、再び前に出る。刃が閃き、盾が押し込まれる。

 挟撃。

 前と後ろから圧力を受けた武装ゾンビの隊列が、急速に瓦解していく。

 ユリアは攻撃の手を緩めなかった。

 一振り。二振り。三振り。

 刃が通過するたびに、黒い影が崩れる。規格外の膂力で放たれた斬撃は、鎧ごと敵を両断した。

 背後では、銃兵たちが断続的に射撃を加えている。散弾が敵の群れを削り、近接兵たちの前進を支えていた。

 武装ゾンビの抵抗が、弱まっていく。

 隊列はもう、形を保っていない。ただの群れになっていた。統制は失われ、各個に戦っている。

 カラディン軍の左軍が、さらに前に出た。

 疲労の色が濃い兵士たちだったが、それでも戦い続けている。隊列を立て直し、武装ゾンビを押し込んでいく。

 ユリアは周囲を見渡した。

 武装ゾンビの数は、目に見えて減っていた。地面には黒い死体が散乱している。まだ動いている敵もいるが、もはや脅威ではない。


「掃討を続けろ! 一体も逃がすな!」


 ユリアの声が流れた。


「応!」


 兵士たちの返事。

 近接兵たちが、残った敵に襲いかかる。刃が次々と閃き、黒い影が次々と地に伏す。

 カラディン軍の左軍も、同じように動く。

 二つの部隊が、武装ゾンビを挟み撃ちにする形で掃討を進めていく。

 戦場に、静寂が戻り始めた。

 剣戟の音が、徐々に途切れていく。怒号が減り、足音だけが残る。

 ユリアは剣を下ろした。

 刃に付いた黒い血が、地面に滴り落ちる。

 武装ゾンビの隊列は、もう存在しなかった。地面に散乱する死体だけが、戦いの痕跡として残っている。


「感謝する!」


 カラディン軍の兵士が、ユリアに向かって叫んだ。武装ゾンビと戦っていた歩兵小隊の隊長だろう。疲労の色が濃いが、声には力がある。

 ユリアは頷いた。


「状況は?」

「武装ゾンビの脅威は去りました。左軍は正面のゾンビと交戦中です」


 左軍------フィリオ隊だ。まだ戦闘が続いている。

 ユリアは即座に判断した。


「ユリア中隊は左軍の援護に回るわ。あなたたちも一緒に戦える?」

「もちろんだ!」


 歩兵小隊長が即座に応じる。

 ユリアは周囲に声を張り上げた。


「ユリア中隊、左軍前方の敵を掃討する! 私に続け!」

「応!」


 兵士たちが一斉に動き出した。

 ユリア隊と、解放された歩兵小隊が合流する。隊列を整えながら、左軍の側面へ展開していく。

 左軍------フィリオ隊が、正面からゾンビと激しく交戦している。

 隊列はまだ保っているが、疲弊の色が濃い。兵士たちが必死に踏みとどまっている。

 ユリア隊が側面から突入した。


「叩き潰せ!」


 ユリアの声。

 六百の兵と歩兵小隊が、左軍前方のゾンビに襲いかかる。

 正面からフィリオ隊、側面と背後からユリア隊。

 半包囲。

 ゾンビたちが、前と横から圧力を受ける。向きを変える余裕もない。次々と倒されていく。

 ユリアは再び剣を抜いた。

 横薙ぎに振るう。圧倒的な膂力で振るわれた刃が、ゾンビを薙ぎ払う。周囲の近接兵たちも、それに続いた。

 左軍前方のゾンビが、急速に減っていく。

 挟撃を受けた敵は、抵抗する間もなく掃討されていった。黒い塊が次々と地面に崩れ落ちる。

 フィリオ隊が、さらに前に出た。


「押せ!」


 フィリオの声が流れた。

 疲弊していた隊列が、勢いを取り戻した。剣が振るわれ、盾が押し込まれる。ユリア隊との連携で、左軍前方のゾンビが瞬く間に掃討されていく。

 左軍の戦闘音が、静まり始めた。

 剣戟の音が途切れる。怒号が減っていく。

 ユリアは周囲を見渡した。

 左軍前方に、もうゾンビの姿はほとんどない。残った敵も、各個に掃討されている。フィリオ隊の兵士たちが、疲れた顔で剣を下ろす。

 だが、バヤジドの煙はまだ晴れない。

 ユリアは視線を転じた。

 中軍と右軍は、まだ正面のゾンビと交戦している。


「フィリオ隊長!」


 ユリアが声を上げると、フィリオが馬を寄せてきた。


「ユリア隊長、感謝する。おかげで助かった」

「礼は後よ。中軍と右軍を援護するわ」


 フィリオが頷いた。


「了解した。フィリオ隊も続く」


 ユリアは剣を構え直した。


「ユリア中隊、中軍前方の敵を側面から叩く! 続け!」

「応!」


 兵士たちが動き出す。

 フィリオ隊も隊列を整え、ユリア隊に続いた。

 二つの部隊が、中軍・右軍前方のゾンビへ向かって進んでいく。

 正面で戦っていた中軍と右軍の兵士たちが、側面から迫るユリア隊とフィリオ隊に気づいた。怒号が上がる。士気が上がっていく。

 ユリアは戦場全体を見渡した。

 左軍が片付き、その戦力がそのまま中軍・右軍の側面へ。

 もう結果は見えている。

 バヤジド要塞が、遠くに見える。まだ城壁の周囲に黒い波が見えるが、こちらの戦線は持ち直した。

 間に合った。

 戦いは、決した。




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