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終末の血族  作者: 天津千里
6章:影潜む要塞
45/57

第45話 影潜む要塞II

【帝国紀元1799年6月27日 6:00】

【バヤジド直轄領・バヤジド要塞西方カラディン軍本陣】(リディア視点)


 未明から風に乗って聞こえていた戦闘音が、カラディン軍に緊張を強いていた。

 リディアは夜が明ける前に騎兵を偵察に出し、状況を探らせていた。まだ朝陽が山に隠れて薄暗い本営の天幕には、昨夜の面々が揃っている。それぞれが部隊の戦闘準備を整えながら、偵察の帰還を待っていた。

 沈黙が重い。

 テーブルに広げられた地図の上で、バヤジド要塞の位置を示す印が燭台の光を受けて揺れている。リディアは地図を見つめたまま、耳を澄ませていた。遠くから断続的に轟音が聞こえる。魔法の炸裂音だろうか。

 ティトゥスが天幕の入口近くで腕を組み、フィリオは椅子に座って手元の資料を見直している。ドミティウスは立ったまま、じっと地図を睨んでいた。

 誰も口を開かない。

 そのとき、天幕の布地が勢いよく捲られた。


「報告!」


 騎兵が駆け込んでくる。息が荒い。馬を飛ばしてきたのだろう。


「バヤジド要塞へ敵が総攻撃を仕掛けています。要塞は応戦中です」

「総攻撃」という言葉が天幕内に落ちた瞬間、全員の動きが止まった。


 リディアは顔を上げた。


「ご苦労。要塞と連絡はとれそう?」

「西側は敵の数が多く、内部との連絡はとれていません。現在、他方面から連絡をとれないか周囲を偵察中です」


 リディアは小さく息を吐いた。


「そう……わかったわ。無理はしないように」

「ハッ、ありがとうございます。では失礼します」


 騎兵が踵を返して天幕を出ていく。その足音が遠ざかると、再び沈黙が戻った。

 ドミティウスが最初に口を開いた。


「このタイミングで総攻撃、ですか」

「普通なら我々を見て焦ったと見ますが……」


 ティトゥスの声に、わずかな疑念があった。

 フィリオが資料から顔を上げる。


「タダディウムでタイミングよく総攻撃を仕掛けていたことを考えると……」


 リディアはフィリオの言葉を引き取った。


「どちらにせよ意図がある可能性がある……そういうわけね」


 ティトゥスが地図に視線を落とした。


「はい。もはや何らかの指揮を受けているものとして動いたほうがいいでしょう」


 リディアは頷いた。ゾンビに知性があるという前提。それは、これまでの戦いで繰り返し示唆されてきたことだ。アルトゥインで、タダディウムで、そして今ここで。

 ただの群れなら、こんなタイミングで総攻撃を仕掛けるだろうか。援軍が到着する前に要塞を落とそうとする意図。それは、明らかに戦略的な判断だ。


「そうね。……問題は、背後からの攻撃のチャンスでもあり、要塞の危機でもあるということね」


 リディアは地図上のバヤジド要塞を指で示した。そこから東へ視線を動かす。獣人領との境界線。もしこの要塞が落ちれば、東の脅威が一気に現実のものとなる。

 ティトゥスが厳しい声で言った。


「要塞の陥落は、東の獣人の介入を招きかねません。そうなると、西にゾンビ、東に獣人となり、正規軍を失った我々に対抗する術はなくなります」


 リディアの胸に、重い石が沈んでいくような感覚があった。

 エルズリウムは既に陥落し、配備されていた正規軍は失われた。もしバヤジドまで落ちれば、この方面の正規軍は壊滅する。

 そうなれば、西のエルズリウムに居座るゾンビと、東の獣人領から流入する脅威。その両方を、カラディン家とアルデリス家の私兵だけで対処しなければならない。

 ティトゥスの言葉は、その絶望的な未来を示していた。

 ドミティウスが静かに言った。


「いずれにせよ、我々は動かざるを得ないというわけです」


 リディアは目を閉じた。罠の可能性。背後からの奇襲のチャンス。要塞陥落のリスク。それらすべてが頭の中で渦を巻いている。

 だが、選択肢は一つしかない。


「……最低でも一当てして数を減らすなりする必要があるわね」


 フィリオが慎重に尋ねた。


「罠だとしても、ですか」

「ええ」


 リディアは目を開けた。


「……せめてユリアを待ちたかったけど……」


 ユリアがいれば、兵士たちの士気は違う。あの圧倒的な近接戦闘力と、人を惹きつけるカリスマ。それがあれば、劣勢の戦いでも兵は奮い立つ。

 だが、今はいない。

 ドミティウスが提案した。


「道中、ゾンビに遭遇する危険はありますが、騎兵を伝令として出しましょう」

「それがいいですね。いるといないとでは兵の士気が違います」


 ティトゥスが即座に同意する。

 フィリオが驚いたように言った。


「それほどに……」


 リディアは頷いた。


「そうしましょう。……出るわよ」


 命令は短く、明確だった。


「ハッ」


 一斉に返事が返る。

 指揮官たちが次々と天幕を出ていった。それぞれの部隊へ戻り、出撃準備を整えるために。

 リディアは一人、天幕の中に残った。

 地図の上で、バヤジド要塞の位置を見つめる。そこでは今、帝国正規軍が必死に戦っている。陥落すれば、この地域全体が崩壊する。

 そして、ユリアはまだ来ない。

 リディアは深く息を吸い込んだ。

 覚悟を決める時間は、もう終わった。

 戦うしかない。


 * * *


 それからわずか1刻ほど後、リディア率いるカラディン軍はバヤジド要塞まで3ケイミルの距離に迫っていた。

 左軍にフィリオ隊、中軍にティトゥス隊、右軍にドミティウス隊。そして中軍後方にリディア率いる本隊が布陣する。整然と並んだ三千の兵が、じりじりと前進していた。

 リディアは馬上から要塞を見据えた。

 バヤジド要塞は巨大な石造りの塊として、平野の中心に鎮座している。その城壁からは、断続的に銃声が聞こえていた。魔導銃の攻撃によって、城壁の麓で爆発が起きる。土煙が上がり、黒い塊が吹き飛ばされる。

 だが、それでも城壁は黒い波に覆われていた。

 ゾンビの群れだった。

 数え切れないほどの死体が城壁に取りついている。積み重なり、這い上がり、次々と上を目指す。時折、城壁の上まで到達したゾンビを、近接兵が槍で叩き落としているのが見えた。

 城門にも黒い人だかりができている。門の上から攻撃が加えられているが、ゾンビたちは構わず門に殺到していた。

 要塞は、まだ持ちこたえている。

 だが、いつまで持つかは分からない。

 リディアは視線を巡らせた。要塞を取り囲むゾンビの総数は、偵察報告通り1万を優に超えている。黒い波が要塞の周囲を埋め尽くし、うねるように動いていた。

 そのとき------

 波の動きが変わった。

 要塞に群がっていたゾンビの一部が、明らかに向きを変えた。こちらを向いている。そして、動き始めた。

 じわりと、しかし確実に。

 黒い波が、カラディン軍に向かって押し寄せてくる。

 リディアは息を呑んだ。


(これは……私たちが来るのを待っていた?)


 待ち伏せ。

 罠ではないかという予感が、確信に変わる。ゾンビたちは要塞を攻めながら、同時にカラディン軍の到着を待っていた。そして今、獲物が射程に入ったから動き始めた。

 背後から、兵士たちのざわめきが聞こえてくる。彼らも気づいたのだ。敵の動きが変わったことに。

 ざわめきが隊列を伝って広がっていく。不安と恐怖が、整然とした隊列の中に染み込んでいく。

 戦いの時は迫っていた。

 予想の中でも、最悪に近い方向で。


 * * *


 戦闘開始から半刻。

 カラディン軍は、向かってきたゾンビの第一波、第二波を難なく凌いでいた。

 第一波は散開したまま接近してきた1500ほどの群れで、魔導部隊の斉射が黒い波を薙ぎ払い、残敵を銃兵が掃討した。第二波も同規模で、やはりまばらな集団だった。前線の銃兵が整然と射撃を加え、近接兵が残敵を片付ける。死体が積み重なり、草原に黒い染みを作っていたが、味方の損害は軽微だった。

 リディアは戦場を見渡しながら、胸の奥に引っかかるものを感じていた。


(おかしい……2回とも敵は1500程度……しかもまばら……たしかに大群がこちらに回ってきたはずなのに)


 要塞から流れてきた黒い波。その数は数千を超えていたはずだ。なのに、実際に襲ってきたのは、どちらも1500程度の小規模な集団だった。散開し、統制も取れていないように見えた。

 まるで、試しているような------


「報告!」


 伝令が馬を走らせてくる。


「敵第三派接近中です。敵本隊の模様。第二派は接敵前に掃討完了の見込み」


 リディアは即座に応じた。


「わかったわ。各部隊に伝令、魔法兵の照準を第三派に。敵が射程に入り次第攻撃開始」


 傍らにいた副官が声を張り上げる。


「ハッ、直ちに伝令を出します」


 騎兵が次々と各部隊へ散っていく。馬蹄が乾いた地面を叩く音が、戦場に鳴った。

 リディアは再び前方を見据えた。


(やっとお出ましというわけね。けど、この2回の攻撃の意味は? 疲弊を誘うには小規模過ぎる……)


 策があるのか、それとも------


(それとも、知性なんてなくてただの偶然……? 私たちが来るのを待っていたのに?)


 思考が堂々巡りをする。矛盾した情報が頭の中で絡み合い、答えを出せない。

 そのとき、前線から轟音が聞こえてきた。

 魔導部隊の斉射だった。

 第三派が射程に入ったのだ。

 爆発が連鎖し、黒い塊が吹き飛ばされていく。だが、今度は違う。第一波、第二波とは明らかに規模が違った。密集した黒い波が、魔法の炎をものともせずに前進してくる。

 リディアは戦場を見渡した。右翼、中央、左翼。どの部隊も激しく応戦している。

 その時------北側の平野に点在している林の合間を、何かが動いたような気がした。

 一瞬の影。

 リディアの背筋に冷たいものを感じた。


(何か動いた? ……別動隊?)


 視線を凝らすが、もう何も見えない。錯覚かもしれない。だが、無視できなかった。


「騎兵小隊に伝令、南北に偵察隊を出させて」


 副官が一瞬、驚いたように顔を上げた。


「偵察隊ですか? 分かりました」


 命令は即座に伝達される。騎兵が再び動き出した。

 リディアは北側の林を睨んだ。


(仮に別動隊だとしたら……もう人間と変わらないわね……)


 正面から主力をぶつけ、側面から別動隊で挟撃する。

 それは、古典的な戦術だった。

 そして、知性がなければ実行できない戦術でもあった。

 騎兵が南北へ素早く駆けていく。土煙を上げながら、林へ向かう姿が小さくなっていった。

 その間にも、敵主力はこちらへと迫っている。

 各部隊から銃兵の射撃が始まった。

 轟音が戦場を揺るがし、白煙が立ち込める。敵の先頭集団が一斉になぎ倒され、黒い塊が地面に崩れ落ちていく。だが、その穴はすぐに後続が埋めた。数の暴力。第一波、第二波とは明らかに違う密度だった。

 みるみるうちに距離が迫る。

 前線の近接兵たちが剣を抜いた。

 鋼が空気を切り裂く音。怒号。そして、肉を断つ鈍い音。

 隊列の隙間から銃兵たちが射撃を加え、近接兵たちを援護する。だが、敵の数が多い。

 リディアは戦場全体を見渡した。


(やはり数が多いと食いつかれるのも早いわね)


 右軍側の戦線が、わずかに後退している。敵の圧力が強いのだ。隊列が乱れかけている。


「本隊魔導小隊、右軍後方へ移動、援護射撃」


 リディアの命令が明確に流れた。


「ハッ」


 魔導小隊長が即座に応じた。本陣前に構えていた魔導小隊が動き出す。陣形を保ったまま、右軍の後方へ移動していく。

 リディアはふと北側を見た。

 林に向かっていた騎兵が、大急ぎで戻ってきていた。

 馬を全力で走らせている。何かあった------

 副官が手旗信号を読み取る。


「北側騎兵小隊から手旗信号。……敵発見です」


 リディアの予感が的中した。


「別動隊……ということね」


 声は冷静だったが、胸の奥で警鐘が鳴っている。正面の主力だけでも厳しい。そこに側面から別動隊が来れば------

 即座に判断する。


「本隊第三、第四歩兵小隊は左軍の側面防御」

「ハッ」


 二人の小隊長が力強く返事をした。大声で指示を出しながら、部隊を率いて走っていく。兵士たちの足音が地面を叩く。


「左軍に伝令、側面より敵接近、増援を送る」

「承知しました」


 副官が騎兵を走らせる。

 リディアは北側の林を見据えた。


(ギリギリで気づけたから対応できたけど……やはり知性がある指揮官がいるのは間違いない)


 正面攻撃と側面迂回。

 古典的だが、それゆえに有効な戦術。


(ということは、2回の攻撃はこちらの意識を正面に向けるため……?)


 小規模な第一波、第二波。それは陽動だったのか。注意を正面に固定させ、別動隊の存在を隠すための------

 正面では一進一退の攻防が続いている。

 魔導小隊の援護射撃が効いたのか、右軍の敵の圧力が減った。隊列が再び押し戻していく。ドミティウスの指揮が効いている。

 左軍の側面には、先ほど送った歩兵小隊が展開し始めていた。隊列を整え、盾を構える。間に合った。

 リディアは小さく息を吐いた。

 だが、安堵している時間はなかった。

 北の林を睨む。まだ何も見えない。偵察騎兵の報告が正しければ、敵はあそこから来る。いつ来るのか。どれだけの規模なのか。

 正面では剣戟の音が鳴り続けている。兵士たちの怒号。魔導銃の炸裂音。戦場の喧騒が途切れることはない。

 副官が緊張した面持ちで北を見ている。伝令たちも、馬上で身構えていた。

 時間が、異様に長く感じた。

 それからほんの十分もしないうちに------北の林の合間から、黒い影が姿を現した。

 ゾンビの群れ。

 リディアはそう認識した------最初は。

 だが、次の瞬間、違和感が脳を突いた。

 何かがおかしい。

 隊列が、整っている。まるで訓練された兵士のように、一糸乱れず横一列に並んでいた。そして、昼の陽光が何かを反射している。鎧だ。武装している。剣を持ち、盾を構えている。

 そして------速い。

 他のゾンビとは一線を画す速さで、こちらに向かって突進してくる。

 リディアの思考が一瞬、停止した。


(突撃!? ゾンビが!?)


 ゾンビが、戦術的な突撃を仕掛けてくる。

 信じがたい光景だった。だが、目の前で起きている現実だった。


「第二、第五歩兵小隊! 北に急行!」


 リディアの声が流れた。


「応!」


 歩兵小隊長が即座に動いた。残っていた予備戦力が、北へ向かって駆け出す。


「魔導小隊に伝令、ただちに北の援護に向かえ!」

「は、はい!」


 副官が騎兵を走らせる。その声には、わずかな動揺があった。

 リディアは戦場を見渡した。


(手持ちの部隊はもう歩兵小隊1個と護衛小隊1個のみ……)


 予備戦力は、ほぼ尽きた。

 正面の主力、そして北の別動隊。その両方に対処するために、手持ちの戦力をすべて投入した。もし、もう一つ別の脅威が現れたら------


(ギリギリ行ける……? 北のゾンビの強さ次第か……)


 北の別動隊がどれほどの戦闘力を持つのか。それ次第で、この戦いの帰趨が決まる。


(アルトゥインで武装ゾンビを討伐したユリアがいれば……いや、よくないわね。私たちでなんとかしなければ)


 ユリアの顔が脳裏に現れた。あの圧倒的な近接戦闘力があれば、この状況も打開できるかもしれない。だが、彼女はまだ来ない。

 今、ここにいるのは自分たちだけだ。

 リディアは手綱を握る手に力を込めた。

 今は、自分たちだけで戦い抜くしかない。

 この戦力で、この状況で。





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