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終末の血族  作者: 天津千里
6章:影潜む要塞
44/56

第44話 影潜む要塞I

【帝国紀元1799年6月26日 16:00】

【バヤジド直轄領・バヤジド要塞西方5ケイミル地点】(リディア視点)


 小さな丘の頂に立ち、リディアは眼下に広がる光景を見据えていた。

 北にアラセア山、南にバヤジド山。両の山脈に挟まれた穏やかな平野の中心に、巨大なバヤジド要塞が鎮座している。石造りの巨体は街道を完全に封鎖していた。平野を南北に貫く大街道と、東西を結ぶ幹線街道。その交点に要塞が立ちはだかり、まさに交通の要衝を制している。

 南には鉄道が一直線に延びていた。普段なら軍用物資を満載した列車が行き交うはずの線路。今は静まり返り、代わりに要塞の周囲を雲霞のような黒い影が覆い尽くしていた。

 ゾンビの群れだった。

 敵前で野営するため、野戦陣地を築く部隊の槌音が背後から聞こえてくる。兵士たちの粗い息遣い、指揮官の怒鳴り声、土を掘る音。リディアは振り返ることなく、フィリオと並んで敵を観察し続けた。


「偵察結果が届きました」


 フィリオが手にした報告書に目を落とす。


「敵勢1万3千から1万7千。要塞周囲を囲むように展開しており、城壁上の守備兵は想定より少ないが健在……だそうです」

「元々の侵入時が1万だったわね」


 リディアは低く呟いた。胸の奥に重いものが沈む。

 それだけ被害が出ているということだ。感染者が必ずゾンビ化するわけではない。それを考慮すれば、一体どれだけの犠牲が出たのか。想像するだけで息が詰まる。


「そう……ですね」


 フィリオの声にも、同じ暗さがあった。


「多少増えるのは想定内だけど……最大1万7千は私たちの部隊だけじゃ戦えないわね」

「要塞と連携はとれないでしょうか」

「正規軍ならこちらに気づけば上手く連携してくれるとは思いたいところだけど、城壁上の守備兵が少ないというのは気になるわね」


 リディアは目を細めて要塞の城壁を睨んだ。城壁には人影がまばらにしか見えない。あれだけの大要塞なら、もっと密に配置されているはずだ。


「守備兵の限界が近い、と?」

「可能性はあるわ」


 フィリオが小さく息を吐いた。


「なら最悪我々だけで戦う必要があるかもしれないですね……」

「ユリア、ドミティウス、ティトゥスの3人を待ちましょう」


 リディアは視線を南へと向けた。


「南の二人はそろそろ、北のユリアは明日の夕方には着く予定よ」

「お、噂をすれば何とやらではないですか?」


 フィリオの声が明るくなった。リディアも視線を向けると、南の地平線に土煙が上がっているのが見える。軍勢の接近を告げる茶色い雲だった。


「見えますね」

「ほんとね。これで少しはマシな戦力差になるわね」


 胸の奥の重圧が、わずかに軽くなった気がする。援軍。仲間。数の力。それらが確実に近づいてきている。


「ユリア殿の部隊は700でしたか。戦力としてはどうなんですか?」


 フィリオの問いに、リディアは南の土煙を見つめたまま答えた。


「近接戦闘では相当な強さといったところね。部隊が猟銃装備なのもそうだし、本人の近接戦闘力とカリスマが突出しているわ」

「それほどですか……たしかにこの前お会いしたときも人を従わせるような雰囲気はありましたね」

「ええ。だからお願いして当家の客将として部隊を率いてもらっているわ」

「納得できる話です」


 フィリオが頷く。風が吹き抜け、二人の髪を揺らした。


「……異界人というのは本当ですか?」


 リディアは表情を変えずに、内心で思考を巡らせた。


(やはり来たわね、さてどう答えるのがいいか……。少なくとも隠せるものではないわね)

「……本当よ」


 短く答える。フィリオの視線が鋭さを増した。


「噂は本当でしたか……それで優れた武勇と統率ですか……」


 フィリオの声に、わずかな興奮があった。そして、次の言葉には明確な意図が込められていた。


「もし彼女が再臨であるなら、それはまさに帝国の希望に……いえ、情報が少なすぎますね」


 リディアは内心で警戒を強めた。


("帝国の"希望か。カラディン家だけのものではない、と)


 リディアは即座に応じた。


「当家は彼女を勇者の可能性があるとして接しているわ」

「それほどに……?」


 フィリオの声に驚きがあった。リディアは畳み掛けた。


「ええ。彼女の武勇、統率のみならず、その立ち振る舞い、民を想う心、仲間のために苦難な道でも進む強さ、どれをとっても、そう見えてしまうわ」

「他ならぬ私自身、彼女には命を救われているもの」


 リディアはフィリオの目を真っ直ぐに見据えた。


「カラディン家は彼女に多大な恩があるわ。それこそ彼女のために万難を排す程度には、ね」


 万難を排す――カラディン家は彼女が勇者であると信じている。彼女が国難と戦い、帝国の真の希望となる。それが彼女の本来の使命だ。政治に利用しようとする者、その使命を妨げる者がいるなら、カラディン家はそれを排する。

 フィリオの表情が、わずかに引き締まった。


「……肝に銘じておきましょう」


 リディアは内心で安堵の息を吐いた。少なくとも、アルデリス家からの即座の介入は避けられた。

 風が再び吹き抜ける。南の土煙は確実に近づいていた。


「さて、ドミティウスとティトゥスの部隊を迎えましょう。これからのことを話しあわないと」


 リディアは視線を南へと戻した。会話の空気を切り替える。政治的な駆け引きはここまでだ。


「そう、ですね。行きましょう」


 フィリオも頷き、二人は丘を降り始めた。

 背後では陣地の構築が続いている。兵士たちの声、土を掘る音、木材を打ち付ける音。それらが混じり合い、戦場の日常を形作っていた。

 リディアは歩きながら、胸の内で思考を巡らせる。


(ユリアを守る。それは当家の利益のためでもあるけれど……それ以上に、彼女は守るべき人なのよ)


 命を救われた恩。共に戦った絆。そして、彼女の人間性への信頼。それらすべてが、リディアの決意を支えていた。

 南の軍勢が、もうすぐ到着する。

 戦いの準備は整いつつあった。


【同日 17:00】

【本陣天幕内】


 天幕の中は外の喧騒とは対照的に、静謐だった。分厚い布地が外の音を吸収し、中央に置かれたテーブルには地図が広げられている。蜜蝋の燭台が数本灯され、羊皮紙に描かれたバヤジド要塞周辺の地形を照らし出していた。

 リディアは椅子に腰を下ろし、到着したばかりの二人の中隊長を迎えた。


「ティトゥス中隊、ドミティウス中隊、到着致しました」


 ティトゥスが敬礼する。その顔には長旅の疲労が刻まれているが、目は鋭さを失っていない。ドミティウスも無言で頷き、姿勢を正した。


「ご苦労。……それで、南はどうだった?」


 リディアが地図から顔を上げる。戦況の把握が最優先だ。


「避難民でごった返していました。道中いくつかの敵集団を撃破。最終目的地のタゼキウムは包囲されておりましたが、城内の士気旺盛にて、内外で呼応して挟撃、ゾンビ殲滅に成功しています」


 ティトゥスの報告は簡潔かつ的確だった。避難民、敵の撃破、タゼキウム救援成功。必要な情報が過不足なく含まれている。


「いいわね。こちらも街道沿いを掃討、アタヴォリウムにて残存ゾンビを殲滅、損害は軽微よ」


 リディアも端的に応じる。互いの作戦が成功したという安堵が、天幕内にわずかな緩みをもたらした。


「損害少なく合流できてよかったですな」


 ドミティウスが低い声で言う。いつもの堅物らしい、実務的な一言だった。


「ええ。ただ、正面のバヤジド要塞が厄介でね」


 リディアの声に再び緊張が戻る。地図上のバヤジド要塞に視線を落とした。


「暗くてあまり見えませんでしたが、相当数がいそうでしたね」


 ティトゥスが天幕の外を一瞥する。


「そうなのよ。フィリオ殿、情報共有を」


 リディアがフィリオに促すと、彼が手元の資料を取り上げた。


「はい。敵は1万3千から1万7千。対する城兵は想定より少ない状況です。詳細はお手元の資料を」


 フィリオがテーブルに報告書を広げる。偵察結果がびっしりと記されていた。


「ちょっと多い……ですね?」


 ティトゥスが眉をひそめて資料を見る。その声には、職業軍人らしい冷静さの中にも、わずかな懸念があった。


「ええ。合流したわが軍が3千強。組織化された軍相手なら尻尾を巻いて逃げてるわね」


 リディアは率直に言った。戦力差は明白だ。通常の戦争なら、こんな劣勢で戦うこと自体が愚策になる。


「まったくですな!」


 ティトゥスが苦笑混じりに同意する。


「して、これを撃滅する必要があるわけですな」


 ドミティウスが本質を突く。感情を交えず、事実だけを述べる彼らしい物言いだった。


「そういうことよ」


 リディアが頷く。


「後方からの増援は厳しいでしょう。避難民が多く、治安も悪化しており、アルデリス領軍は動かせそうにないです」


 フィリオが現実的な状況を補足した。その声には、自領の混乱に対する申し訳なさがあった。


「仕方ないわね。明日夕方にはユリア中隊が合流予定よ。決戦は明後日以降が最適ね」


 リディアは冷静に判断する。焦って突入するより、戦力を整えるべきだ。


「合流しても敵は4倍ですか。まあエルズリウムのときよりはマシと見るしかないでしょうな」


 ティトゥスがやや明るい口調で言った。エルズリウムでの10倍の敵と比べれば、確かに「まだマシ」かもしれない。


「そうね。野戦陣地で迎撃が最良ね。幸い軽騎兵も数がいるから誘導は可能よ」


 リディアが地図上の陣地候補地を指で示す。


「ここだと少し距離がありますな……」


 ドミティウスが地図を覗き込む。現在地から要塞まで、約5ケイミル。


「アルトゥインでは2ケイミル程度で感知されていましたね」


 ティトゥスが過去の経験を引き合いに出した。


「2ケイミル……魔法の射程を考えると至近距離ですね」


 フィリオが技術的な観点から分析する。


「2ケイミル前進して、敵まで3ケイミルの場所に野戦陣地……というのが最適ではあるけど……」


 リディアが地図上で距離を測りながら呟く。理想的な布陣位置は見えている。しかし、それが実現可能かどうかは別問題だ。


「さすがに条件が違いますから、それをそのまま当てはめるのは危険でしょう」


 ドミティウスが慎重論を唱える。堅実な判断だった。


「そうですね。ここに陣地を築き、可能ならば迎撃がいいでしょうね。もし前進することになっても、後方部隊の基地にちょうどいい」


 ティトゥスが実務的な提案をする。現在地の陣地化は、どの選択肢を取るにしても有効だ。


「そうね。どうせ夜襲にも備えないといけないし、ここをしっかり陣地化しましょう」


 リディアが決断する。焦って前進するより、確実な足場を固める方が賢明だ。


「ハッ」


 ドミティウスが力強く返事をした。


「その後はユリアと合流して野戦を考えましょう。フィリオ殿、引き続きアルデリス領から可能であれば援軍を」

「もちろんです。混乱が収まればすぐにでも」


 フィリオが真摯に応じる。


「お願いするわ。では解散」


 リディアが軍議の終了を告げた。

 指揮官たちが次々と天幕を出ていく。その背中を見送りながら、リディアは改めて地図に視線を落とした。

 バヤジド要塞を取り囲む黒い影。その数は味方の数倍。


(ユリアが来れば、少しは戦える。あの子がいれば、兵士たちの士気も上がる)


 燭台の炎が揺れ、地図の上に影を落とす。

 明日、ユリアが到着する。

 そして明後日、決戦が始まる。

 リディアは静かに息を吐き、立ち上がった。準備すべきことは山ほどある。




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