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終末の血族  作者: 天津千里
5章:アラセアの花
43/55

第43話 アラセアの花VIII

【帝国紀元1799年6月25日 17:30】

【アルデリス伯爵領・アラセア正門付近】(ルシア視点)


 西の山間に沈み始めた夕陽が、アラセアの背後にそびえる山を赤く照らしていた。街は山影に入り、一足早く暗がりに沈み始めている。

 荒れ果てた正門前。ルシアはユリア中隊の留守部隊を率いている。周囲を警戒しながら片付けを進める兵士たちの様子を確認した。ゾンビの死体を運び出す者、バリケードの残骸を整理する者。疲労の色は濃いが、作業は順調に進んでいる。

 胸の奥に、何か冷たいものを感じた。空気が震えるような感覚。魔力の波動だ。

 顔を上げる。街の中心部、高台の方角から濃密な魔力が流れてくる。


「これは……ユリアの魔力?」


 間違いない。ユリアが魔力を解放している。この街で戦闘中、これほど強い魔力は感じなかった。なぜ今?

 近くにいたセリーヌが慌てた様子で周囲を見回す。


「へ? あ、あれ? これ、なんですか!?」


 魔力に敏感な者なら、誰でも感じ取れる規模だ。セリーヌの声は上ずっている。


「……街中で何かあったみたい。ユリアの様子を見に行ってくるわ」


 静かに言う。落ち着いた声だったが、胸の奥では不安が広がっていく。ユリアが魔力を解放するほどの事態。それは尋常ではない。


「こ、これ、隊長の!?」


 セリーヌが驚愕の声を上げた。


「少しここを任せるわよ」

「え!? わ、私も行きます!」


 セリーヌが一歩前に出る。


「指揮官がみんないなくなっちゃダメでしょ。少し様子を見てくるだけよ」


 ルシアは首を横に振った。誰かがここに残らなければならない。


「……わかりました」


 セリーヌは不安そうな表情を浮かべたが、頷いた。


「じゃあお願いね」

「はい」


 ルシアは周囲を見渡した。


「魔導小隊第三分隊ついてきて。それと医療班も何人か」

「ハッ」


 兵士たちが素早く動き出す。


(ユリアが魔力を解放するなんて……まさか瑞希が? でもなんでこのタイミングで?)


 胸の奥で嫌な予感がする。瑞希の魔力暴走。以前、カラディン城館で見た光景が脳裏に浮かぶ。あの時の、制御を失った魔力の奔流。


「第三分隊準備できました」


 兵士の声に我に返る。


「わかったわ。急ぎましょう」


 一行は正門を抜け、暗くなり始めた中央の坂道を駆け足で登り始めた。

 石畳の道には崩れたバリケードが散乱している。その周囲には、深々と切り裂かれた死体がいくつも転がっていた。ゾンビの残骸だ。ユリアが通った痕跡だろう。

 坂道を登るにつれて、魔力の気配が強くなる。肌がざわめいた。

 城館が近づいたところで、ふと気づく。


(これは……こっちの高台?)


 魔力の中心は城館ではない。もっと奥、北西の高台。あそこには確か――


「こっちよ」


 進路を変える。兵士たちが慌てて後を追った。


「ふ、副官殿、この魔力はなんなんですか!?」


 兵士の一人が不安そうな声を上げた。

 前方から複数の足音が聞こえてきた。城館の方角から、松明の明かりが近づいてくる。

 レオニダスだった。数名の兵士を率いて駆けてくる。


「これはルシア殿!」


 息を切らせながら声をかけてきた。


「レオニダスさんもこの魔力で?」

「はい。これは一体? 私でも気づけるなど尋常じゃありません」


 声には明らかな動揺があった。彼ほどの歴戦の兵が動揺するほどの魔力。


「……ユリアと、あともう一つ誰かの魔力よ。おそらくは瑞希ね」

「ミズキ殿ですか!?」


 レオニダスが驚きの声を上げる。


「ええ。急ぎましょう」

「は、ハッ」


 二つの部隊が合流し、魔力の発生源へと向かう。石畳を踏む足音が夜気に鳴った。

 坂道の途中で足を止める。

 前方の高台、神殿のある方角から、暴れるような光が見える。風がうなる音。魔力がぶつかり合う衝撃が、空気を震わせている。

 兵士たちも立ち止まり、恐る恐る高台を見上げた。

 半ばまで登った頃、突然、あたりに静寂が戻った。

 光が消える。風の音も止む。

 息を呑む。


(収まった……?)


 魔力の波動が急速に弱まっていく。ユリアの魔力だけが、かすかに残っている。


「……急ぎましょう」


 再び駆け出す。

 やがて視界が開け、壊れた神殿の扉が見えてきた。正面の扉は無残に破壊され、周囲には死体が散らばっている。

 神殿を見上げる。建物のあちこちに損傷が見える。壁に亀裂が走り、窓は割れている。


「さっきの魔力は……裏手みたいね」


 魔力の残滓が、神殿の裏手から流れてくる。


「建物の中は危険です。外から廻りましょう」


 レオニダスが冷静に判断した。


「ええ」


 頷き、神殿の外壁に沿って裏手へと向かう。

 石壁には深い亀裂が走り、崩れ落ちた石材が散乱している。焦げた跡、削れた石。魔力による損壊だ。


「こ、これは……」


 レオニダスが息を呑む。兵士たちもざわめいた。


「落ち着いて。もう魔力は収まっているわ」


 静かに言う。

 渡り廊下が見えてきた。その先に、崩れかけた倉庫がある。壁が大きく崩れ、屋根の一部が陥落している。木材が裂け、瓦が散乱していた。

 そして――

 銀色の髪が、夕陽を受けて輝いていた。


 * * *


 倉庫の前、瓦礫が散乱する場所に、ユリアがいた。

 小柄な少女をそっと抱きしめている。瑞希だ。ユリアの胸に顔を埋めたまま、小さく肩を震わせている。泣いていたのだろう、顔には涙の跡が残っている。

 その奥、倉庫の入口には白い巫女服の少女が座り込んでいる。虚ろな目で、何かを見つめていた。壊れた扉の向こう、その下に神官服の裾が見える。

 息を呑む。


「ユリア!」


 駆け寄る。ユリアが顔を上げた。疲労の色が濃いが、笑みを浮かべている。


「あら、姉さんにレオニダスまで。少し驚かせてしまったわね」


 その声はいつもと変わらない。だが分かる。ユリアも相当に消耗している。


「これは一体……」


 周囲を見回す。激しい魔力がぶつかり合った痕跡だった。


「瑞希がちょっと魔力が暴走しちゃってね」


 ユリアは瑞希の髪を優しく撫でながら言った。瑞希はもう泣き止んでいるが、小さく身体を震わせている。


「それより、そこの女の子を保護してあげて」


 ユリアが視線を向けた先、巫女服の少女が呆然と座り込んでいる。


「城館で最後まで生き残った医療者よ。名はアウレリア。おそらく過労だと思うけど、念のため検査して」

「え、ええ。医療班、彼女を」


 振り返ると、後方に控えていた医療班の兵士が慌てて少女――アウレリアに駆け寄った。


「お嬢さん、少し診せていただけますか」


 医療班の兵士が優しく声をかける。アウレリアは虚ろな目のまま、ゆっくりと頷いた。言葉を発することもなく、兵士に促されるまま立ち上がる。その足取りはおぼつかない。

 医療班が少し離れた場所へアウレリアを誘導していく。

 ユリアも瑞希を抱えたまま立ち上がった。


「担架を」


 医療班の別の兵士が慌てて担架を広げる。ユリアは瑞希をそっと担架の上に横たえた。瑞希の顔には涙の跡が残っている。目を閉じ、浅い呼吸を繰り返していた。泣き疲れたのだろう。ショックと疲労で、意識を失っているようだ。


「瑞希が暴走したって……どうしてまた?」


 不安を隠せなかった。カラディン城館での暴走を思い出す。あの時も、瑞希は記憶の断片に苦しんでいた。


「そこの倉庫でアウレリアの家族が圧死していたわ。扉の下に挟まれて……それがきっかけだとは思うんだけど……」


 ユリアの視線を追うと、倉庫の壊れた扉の下に神官服の裾が見えた。


「今まで瑞希は家族のことなんてまったく話さなかったじゃない?」

「ええ。それで辛い記憶を封じ込めて……そういうことなのね」


 瑞希はずっと、あの事故の記憶を心の奥底に押し込めていたのだ。両親の死。自分だけが生き残った罪悪感。それらすべてを。


「おそらくね。だいぶ混乱していたから、相当いっぱい思い出したんじゃないかしら……」


 ユリアの声は心配そうだった。


「それは……ちょっと今後が心配ね」

「ええ」


 重い沈黙が降りた。


「隊長殿」


 レオニダスが一歩前に出た。


「ん、なに?」

「その、瑞希殿は一体? 魔力が強いとは知っていましたが……あれはあまりにも」


 レオニダスの声には困惑があった。彼ほどの歴戦の兵が動揺するほどの魔力。それは尋常ではない。


「私たちにもよく分からないのよ。最初は魔力はなかったはずなんだけど……」


 ユリアは小さく首を振った。


「そう……ですか」


 レオニダスは納得していないようだったが、それ以上は追及しなかった。


(レオニダスが瑞希の魔力を気にするなんて意外ね。魔法にはあまり興味なさそうだったけど)


 ルシアは内心で思った。レオニダスは実直な武人だ。魔法よりも剣と槍を信じるタイプだと思っていた。それが瑞希の魔力を気にしている。よほどの衝撃だったのだろう。


「さあ、落ち着いたから本陣に戻りましょうか」


 ユリアが言った時、後方からアウレリアの声が聞こえた。


「あの、ユリアさん」


 振り返ると、アウレリアが医療班の兵士と共に歩いてきていた。まだ顔は青白いが、先ほどよりは焦点が定まっている。


「明日、朝から埋葬するわ。もう少しだけ待ってちょうだい」


 声は優しかった。


「ありがとうございます……」


 アウレリアは小さく頭を下げると、壊れた扉の手前まで歩いていった。膝をつき、扉の向こうに視線を向ける。


「ごめんなさい、お義父さん、もう少しだけ待ってね」


 声は震えていた。涙が頬を伝う。

 しばらくそのまま祈りを捧げていたアウレリアは、ゆっくりと立ち上がった。


「お待たせしました」

「もういいの?」


 ユリアが確認する。


「はい。皆さまにご迷惑をおかけするにはいきませんから」


 アウレリアの声には、無理に気丈に振る舞おうとするものがあった。


「……そう」


 ユリアは何か言いたげだったが、結局何も言わなかった。


「隊長殿、私は城館を撤収させてきます。部下は伝令として各部隊に向かわせようと思いますが」


 レオニダスが提案した。


「わかったわ。よろしく」

「ハッ」


 レオニダスは兵士たちに指示を出し、自らは城館の方へと向かっていった。兵士たちも散っていく。

 ルシアは夕陽を見上げた。もう山の稜線に隠れかけ、あたりは薄暗さを増していく。暗くなる前に、正門まで戻らなければ。


「戻りましょう」


 ユリアが言った。


「ええ」


 一行は神殿を後にした。担架に乗せられた瑞希、医療班に付き添われるアウレリア、そしてユリアとルシア。

 アラセアの街に、夜の帳が降り始めていた。


 * * *


【帝国紀元1799年6月26日 13:00】

【アルデリス伯爵領・アラセア正門前】


 正午を過ぎた陽光が、荒れ果てた街を照らしている。朝からの埋葬作業を終え、ユリア中隊の面々は出発準備を整えていた。

 正門前の広場には、兵士たちが隊列を組んでいる。魔導小隊、近接小隊、そして輜重部隊。荷馬車には物資と共に、アラセアの生存者たちが乗せられていた。文官や商人など、数十名ほど。疲労の色は濃いが、救出されたという安堵も見て取れる。

 ユリアは隊列を見渡した。兵士たちの表情は引き締まっている。任務はまだ終わっていない。バヤジドでリディア大隊と合流するまで、気を抜くわけにはいかなかった。


「予定より少し早いけど合流地点に向かうわよ。出発」


 号令が流れた。


「ハッ」


 兵士たちが一斉に応える。道案内の兵士を先頭に、一行はアラセアを発った。

 先頭の魔導小隊が正門を抜け、街道へと進んでいく。続いて近接小隊、そして輜重部隊。馬車の車輪が石畳を軋ませながら、ゆっくりと動き出した。

 部隊が順次出発するのを待ちながら、後方の輜重部隊へと歩く。生存者たちの様子を確認しておきたかった。

 荷馬車の周囲には、護衛の兵士が配置されている。その一角、正門の外に白い巫女服の姿が見えた。

 アウレリアだった。

 街の方角を向き、静かに祈りを捧げている。その背中は小さく、風に巫女服が揺れていた。

 足音を立てないように近づく。

 アウレリアがこちらに気づいたようで、振り向く。


「ユリア様」

「邪魔しちゃったわね」


 ユリアは軽く手を上げた。


「いえ。ちょうどお別れの挨拶を終えたところだったので……どうされました?」


 アウレリアの声は落ち着いていた。昨夜のような虚ろさは消え、しっかりしている。


(お義父さんに、最後の挨拶をしていたのね)


 ユリアは内心で思った。アウレリアが見つめていた方角。あそこには神殿がある。埋葬した墓がある。


「ちょっと様子を見にね」


 ユリアは視線を街へと向けた。荒れ果てた建物、崩れたバリケード。まだゾンビの死体が残っている場所もある。それでも、この街は守られた。


「……ほんとに私たちに同行するの? あとでアルデリスに帰るから、そこで保護してもらっていいのよ?」


 ユリアは改めて確認した。アウレリアは若い。これから先、危険な戦場に身を置くことになるかもしれない。


「はい、大丈夫です。もう私に帰る家はありませんから……それに、ここでならきっとお役に立てると思うんです」


 アウレリアの声には、静かな決意があった。


「そう? ……無理はしないようにね?」

「はい、ありがとうございます。ユリア様」


 ユリアはその呼び方に眉をひそめた。


「私は貴族でもないのだから"様"はつけなくていいのよ」

「これが一番しっくりくるので……ダメですか?」


 アウレリアが小首を傾げる。その仕草には、どこか可愛らしさがあった。


「……わかったわ、好きになさい」


 小さく息を吐く。


「はい、ユリア様」


 アウレリアが微笑む。昨夜とは違う、穏やかな笑みだった。


「元気そうだから戻るわ。何かあったらすぐ言うのよ」

「ありがとうございます」


 踵を返し、先頭へと戻っていく。背後から、アウレリアがもう一度街を振り返る気配がした。

 強い子ね。

 家族を失い、故郷を失った。それでも前を向こうとしている。その強さは、尊敬に値するものだった。

 先頭の部隊が街道を進んでいく。ユリアは馬に跨り、隊列の先頭へと向かった。

 アラセアの街が、徐々に小さくなっていく。

 バヤジドまでは、まだ距離がある。気を引き締めて進まなければ。

 前方を見据える。街道は続いている。その先に、リディア大隊が待っているはずだった。




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