表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終末の血族  作者: 天津千里
5章:アラセアの花
41/47

第41話 アラセアの花VI

【帝国紀元1799年6月25日 15:00】

【アルデリス伯爵領・アラセア】


 トゥタクス男爵と別れてから、ほんの数刻。ユリア中隊は急ぎ足で行軍し、小高い丘を登った。

 丘の頂から見えたのは、アラセア山の雄大な姿だった。その麓、小さな谷を渡った先に、巡礼都市アラセアが広がっている。

 中世の城壁が今も残る街だ。石造りの壁が街を囲み、その内側には白壁の建物が山の斜面に沿って連なっている。巡礼者たちが祈りを捧げるために訪れる、歴史ある街だ。山の麓から中腹へと、まるで山と一体化するように家々が階段状に並んでいた。その最も高い場所に、領主の城館が建っている。

 だが今、その街からは黒煙が幾筋も立ち上っていた。

 外壁の上に人の姿はない。街道につながる正門は、扉が壊れて開け放たれたままだ。その周囲に、左右にふらふらと蠢く人影が見える。数十体ほどだろうか。人の形をした何かが、意味もなく彷徨っている。

 ゾンビだ。


「あれがアラセア……」


 ユリアが呟く。


「ひどい……」


 瑞希の声が震えていた。その目には、街を覆う煙と、門の周囲を蠢く死者たちの姿が映っている。

 後ろから兵士たちの足音が止まる気配がした。誰もが息を呑んでいる。剣を握る手が、僅かに震えている者もいた。鎧の擦れる音が妙に大きく聞こえる。

 街が死んでいる。

 兵士たちはそれを肌で感じ取っていた。あの門を抜ければ、死者たちの群れが待っている。全滅した街に足を踏み入れることへの恐怖が、じわじわと広がっていた。

 ユリアは視線を街に向けたまま、深く息を吸った。

 一人でも多く救いたい。そう思った。セウェルスの話では、城館に逃げ込んだ者もいるかもしれない。だが、おそらくは――もう手遅れだ。街は完全に制圧されている。

 それでも、行かなければならない。

 ここで立ち止まれば、民は見捨てられる。指揮官として、それだけは許されない。たとえ結果が変わらなくとも、全力を尽くさなければ。

 諦めと決意が、胸の中で交錯する。


「……隊長、どうしますか?」


 レオニダスの声が静かに聞こえた。

 ユリアは振り返った。兵士たちの視線が、こちらに集まっている。その目には不安と、それでも従おうとする意志があった。

 表情を引き締める。迷いを見せてはいけない。


「決まっているわ。あの街を奪還する」


 声に力を込める。兵士たちが僅かに身を正した。


「街の正門まで陣形を保って前進。正門から市内に突入したら近接兵と銃兵で分隊を編制、市内からゾンビを一掃する」


 ユリアは街を見据えた。


「魔導小隊と本陣は正門手前で陣地を形成。退路を確保するように」

「了解です。さすがに魔導部隊じゃ街中じゃ戦えませんからね」


 セリーヌが頷く。その表情は冷静だ。


「私は先鋒を率いて最奥の城館まで進むわ。側面は任せるわよ」

「ハッ」


 レオニダスが応える。


「分隊を編制して。すぐに前進するわよ」

「承知した」


 カリスが短く答えた。

 ユリアは馬首を街へと向けた。背筋を伸ばし、視線を前に向ける。兵士たちに迷いを見せるわけにはいかない。

 たとえ結果がどうであれ――全力を尽くす。

 それが指揮官の務めだ。

 ユリアは静かに息を吐き、号令を下した。


「ユリア中隊、前進!」


 * * *


 陣形を組んだまま、街の正門へと接近する。

 崩れ落ちた門扉が、赤黒く染まっていた。木材が砕け、鉄の補強材が歪んでいる。その周囲には人の姿だったものが散らばっていた。あちこちに倒れ伏した死体は、ゾンビなのか、人のまま死ねた幸運な死体なのか、それすら分からない。

 門の向こうから、ふらふらと人影が近づいてくる。

 衛兵の姿をしたもの、作業着に簡単な鎧をつけただけの民兵のような姿も見える。顔は青白く変色し、目には光がない。動きは緩慢だが、確実にこちらへ向かってくる。

 カリスが号令を下した。


「小隊構え!」


 銃兵たちが一斉に銃を構える。金属音が鳴り、引き金に指がかかる。


「……撃て!」


 轟音とともに、銃弾が放たれた。

 先頭を歩いていたゾンビたちの身体が吹き飛ぶ。頭部が砕け、胴体が崩れ落ち、地面に倒れ込む。そのまま二度と動くことはなかった。

 カリスが呟く。


「アラセアの市民兵か……嫌なもんだな」

「そう言うな。どんな姿をしていようと敵は敵だ」


 レオニダスの声が返ってくる。


「お前さんほど割り切れるもんじゃねーよ」

「精進が足りんな」

「筋肉でもつけろってことか?」

「そうだな、もう少し胸板が厚くならないとな。わっはっは」


 レオニダスの豪快な笑い声が広がった。

 周囲の兵士たちがざわめく。


「おいおい、こんなとこで笑えるのかよ、あの人……」

「さすがというべきか、なんというべきか……」


 呆れているのか、驚嘆しているのか、なんとも言えない囁きが交わされている。張り詰めていた空気が、僅かに緩んだ。

 ユリアは小さく息を吐いた。

 豪胆というべきなのか――いや、わざとね。

 周囲の兵士たちの緊張が緩んでいく。ユリアは声を張り上げた。


「さあ、門は奪い返したわ! 手筈通り、分隊に分かれて進撃!」


 兵士たちの視線が、一斉にこちらに向く。


「アラセアからゾンビを一掃しなさい!」

「応ッ!」


 力強い返事が流れた。兵士たちの表情に、僅かながら闘志が戻っている。銃を握る手に、再び力が込められた。


 * * *


 門の周囲で、兵士たちが素早く動く。小隊長たちの声が飛び交った。


「第一小隊は三分隊に分かれて市街北西に向かうぞ!」


 カリスの号令に、兵士たちが駆け出す。


「第二小隊も三分隊に分かれて市街南東だ!」


 ルキウスが続く。


「第三小隊は二分隊に分かれて中央道路の左右を固めるぞ!」


 ガイウスの声が重なる。

 兵士たちは次々と分隊に分かれ、街の中へと散らばっていく。銃を構え、隊列を組んだまま各々の担当区画へと向かう。足音が石畳に鳴り、やがて路地の向こうへと消えた。

 門の先には、広い道路が伸びていた。街を分断するかのように、真っ直ぐ奥の城館へと続いている。中央道路だ。

 その途中には、幾重にもバリケードの残骸が残っていた。木材が積まれ、荷車が横倒しになり、樽や箱が散乱している。住民たちが必死に防衛しようとした痕跡だ。

 だが、もう誰もいない。

 バリケードの合間を、ゾンビが蠢いていた。何十、何百という数が、ばらばらに彷徨っている。動きは緩慢だが、その数は圧倒的だ。

 レオニダスが馬を寄せてきた。


「隊長殿、中央を突破する部隊も準備完了です。精鋭を揃えています」

「ありがとう」


 ユリアは頷き、振り返った。


「じゃあ、姉さん、セリーヌ、ここは任せたわよ」

「ええ」


 ルシアが穏やかに微笑む。


「はい!」


 セリーヌが元気よく応える。


「もしものときは建物ごと敵を吹っ飛ばしていいわよ」

「え!?」


 セリーヌが目を丸くした。ルシアがくすりと笑う。


「ふふふ、その時は派手にやるわね」

「じゃあ、行ってくるわ」

「いってらっしゃい」

「へ、あ、ご武運を!」


 セリーヌが慌てて敬礼する。その様子に、周囲の兵士たちの緊張が少しほぐれたようだ。ところどころで含み笑いが聞こえる。

 ユリアは中央道路を見据えた。城館までの道のりは遠い。だが、進むしかない。


「さて、行きましょうか」


 居並ぶ兵たちを見渡す。

 みな、士気は十分なようだ。その中に、瑞希の顔を見つけた。


「瑞希? あなたも来るの?」

「はい! 医療班です。たぶん私が医療班の中で一番体力があるので」

「そう……わかったわ。前に出すぎないように」

「はい!」


 瑞希が元気よく頷く。ユリアは気を取り直し、声を張り上げた。


「みな、私についてきなさい! 遅れたらあとでこの坂道を往復させるわよ!」

「応!」


 兵士たちの力強い返事が流れた。

 ユリアは剣を抜き、駆け出した。


 * * *


 中央道路を駆け上がる。

 押し倒されたバリケードを越え、周囲をうろついているゾンビを斬り飛ばす。

 

(どいつもこいつも一般人の服……本当に嫌になるわ)


 群れているゾンビに一気に駆け寄り、逆袈裟で切り捨てる。そのまま大きく横薙ぎに斬り伏せる。

 後ろからはレオニダスを筆頭に近接兵たちが次々と追いつき、ユリアの周りのゾンビたちを薙ぎ払っていく。

 坂道を駆け上がり続ける。やがて、城館がよく見えるところまで辿り着いた。


「……あの城館、まだ扉が閉まっていない?」

「はぁ、はぁ、た、たしかにそう見えますね」


 レオニダスが息を荒げながら答える。


「扉の前、まだゾンビが扉を叩いてるわ。生存者がいるのかも」


 ユリアは城館に向かって駆け出した。


「ぐ、隊長殿に続け!」

「お、応!」


 レオニダスと兵士たちが続く。

 ゾンビたちはゆっくりと城館に向かって集まりつつある。それを後ろから切り払い、振り向いてきたゾンビを返す刃で切り崩す。そんなことを数回繰り返すうちに、城館に続く門が見えてきた。

 崩れた門を抜け、壊れた噴水を横目に城館の扉へと向かう。

 鉄の蝶番のついた大きな扉の周囲に、何十体ものゾンビが群がっている。ここのゾンビは鎧を着込んでいたりと、領軍の兵士だったものが多いようだ。扉を叩き、引っ掻き、壊そうとしている。


「どきなさい!」


 大きく振った両手剣が、ゾンビの背骨をへし折る。

 こちらに気づいたゾンビが向かってくるが、それを大きく横薙ぎに切り払う。そうしているうちに追いついてきたレオニダスたち近接兵が、息を荒げながらも戦槌や剣でしっかりとトドメを刺していく。

 城館前はあっという間に制圧された。


「はぁ……お疲れ様です、隊長殿」

「あなたもね。……もうちょっと筋肉を増やしたほうがいいかもしれないわね?」

「うぐ、この坂道で息を荒げない隊長がおかしいだけですよ!」


 周囲の近接兵たちが、肩で息をしながらも無言で頷いている。


「まあ、私は軽いからね」

「さて、中に入りましょうか」

「ああ、はい」


 レオニダスが扉に向かって大声を上げた。


「カラディン軍リディア大隊所属ユリア中隊だ! 救援に参った! 開門せよ!」


 その大きな声が中まで届いたのか、中で人の声がする。

 やがて、扉の裏で何か物音がし、扉がゆっくりと開かれた。

 中からは文官と思しき制服に、微妙にサイズが合っていない鎧を着込んだ青年が現れた。


「救援、なのか」

「ええ。カラディン軍所属、ユリアよ。中隊長をしているわ」

「女の子が? ほんとに? 天からのお迎えじゃないのか?」

「しっかりしろ、現実だ。お前は助かったんだ」


 レオニダスが肩を叩く。


「あ、ああ……ソリウス様ありがとうございます!」


 別の文官が奥から走ってきた。


「あ、あの、医療者はいらっしゃいませんか?」

「そうだ、奥にアウレリアさんが。彼女、もう限界で……」

「アウレリア?」

「はい、巫女の方なのですが、もうずっと不眠不休で治療を続けてて……」

「わかったわ、すぐ行く。瑞希を呼んできて!」

「あ、ここにいます!」


 元気に返事をする瑞希の横で、息を荒げてへたり込んでいる医療班の面々がいた。


「……体力があるのは本当みたいね。レオニダスたちは息が上がってるというのに……」

「なんと……」

「まあいいわ。奥ね?」

「はい、こっちです!」


 文官が奥の扉を開け、それに続いて瑞希と共に中へと入る。

 中には、おびただしい数の負傷者が並べられていた。

 奥の方は、もう息絶えている。

 その死体は体のあちこちに包帯が巻かれながらも、どれも一様に喉元から血を流していた。そのそばには、赤黒い血に塗れた長剣が立てかけられている。

 近くに寝かせられている怪我人は、辛うじてこちらを認識しているようだ。


「こ、これは……」


 瑞希の声が震えている。

 ユリアは無言で奥を見つめた。

 その時、奥の暗がりから巫女服に身を包んだ少女が姿を表した。

 その目はこちらを見ているようで、見ていない。目元には隈が浮かび、顔色は青白かった。足取りは覚束なく、声は掠れている。


「けが人ですか? 噛まれていますか? さあどうぞこちらへ……」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ