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終末の血族  作者: 天津千里
5章:アラセアの花
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第40話 アラセアの花V

【帝国紀元1799年6月24日 16:00】

【アルデリス伯爵領・トゥタクス】


 タキュリアを出発して二日。多くの避難民とすれ違いながら北ルートを進み、ユリア中隊はトゥタクスに到着した。無事が確認できている、最後の街だ。

 山間の鉱山都市だ。街は山の中腹に向かって、まるで山と一体化するように連なっている。石造りの建物が斜面に沿って階段状に並び、鉱石を運び出すための石畳の道が曲がりくねりながら麓まで続いていた。平時であれば鉱夫たちの掛け声や、鉱石を積んだ荷車の音でにぎわっていたのだろう。今はもう、静まり返っている。

 風が家々の間を吹き抜け、閉ざされた窓の鎧戸を軋ませる。どの家も扉には鍵がかけられ、窓には板が打ち付けられていた。急いで避難したのだろう。通りには放置された荷車や、踏み荒らされた野菜の残骸が転がっている。ひどく静かだった。

 街の入り口、石造りの門の脇に警備兵の小さな集団が見えた。十数名ほどだろうか。彼らは中隊の接近に気づくと槍を構えて警戒の姿勢を取った。ユリアたちの旗印を確認すると、緊張した面持ちのまま槍を下ろす。


「もう避難は終わったあとみたいね」

「みたいね。まるで眠っているみたいだわ」


 ルシアが呟く。


「避難が間に合ってよかったですね」


 瑞希の声には安堵があった。


「ええ。警備兵がいるみたいだし、話を聞かせてもらいましょう」


 馬を降りると、警備兵の中から年配の男が進み出てきた。警備兵長だろう。その顔には疲労の色が濃く、目の下には隈ができている。後ろに控える兵たちも同様だ。肩を落とし、槍を持つ手にも力がない。何日も張り詰めた空気の中にいたに違いない。

 ユリアが名を名乗ると、警備兵長は慌てたように背筋を伸ばして敬礼した。


「状況を教えてもらえる? 避難は完了したの?」

「は、はい。住民は全員、昨日までに南へ避難させました。残っているのは我々と......それと」


 言葉を濁す。ユリアは眉をひそめた。


「それと?」

「......領主である、トゥタクス男爵が」

「男爵はどちらに?」

「それが......今朝早くに逃げ遅れた避難民を探してくると言って部隊を率いて東に......」


 警備兵長の視線が僅かに泳ぎ、声が上ずっている。その表情には申し訳なさと、どこか諦めに似た感情が混じっていた。恐怖を必死に押し殺しているのだろう。


「......では領主の男爵は前線に行ったってこと?」

「は、はい」

「......帝国の貴族は立派なものね。ちょっと血気盛んすぎる気がするけど」


 脳裏にゾンビの群れの中に残っていたリディアの姿が浮かぶ。民を守るために動けるのは立派だ。指揮官が前線にいすぎる気はするが、こういう文化なのだろうか。それとも、この国の貴族は皆こうなのか。

 馬の足音が近づいてくる。レオニダスだった。


「隊長、今夜はここに宿営して明日に備えましょう」

「そうね......男爵はいつ頃戻られるの?」

「明日昼には戻って、男爵も撤収すると伺っています。我々もその時に」

「なら途中で会えるかもしれないわね」


 周囲を見回す。静まり返った街の奥から、かすかに風が運んでくる音がした。何かが軋む音、石が転がる音。この街に人の気配はない。あるのは、何かを待ち構えるような、息を潜めた静寂だけだ。


「はい。それと男爵から、ここの物資を使ってよいと伝言されております。補給にお使いください」

「それはありがたいわね。使わせてもらうわ。男爵にはお礼を伝えておいて」

「ハッ、必ずや」


 警備兵長が深々と頭を下げる。その肩が小さく震えているのが見えた。疲労か、それとも――恐怖か。


「よろしくね。じゃあユリア中隊もここで宿営としましょう。防衛設備と東側を中心に警戒を厳に!」

「ハッ、ただちに」


 レオニダスが馬上から声を張り上げる。


「聞いたな! 防衛設備の設営を急げ! 騎兵たちは夜までに周辺の偵察に行け!」


 兵たちの「応!」と答える声が力強く返ってくる。その声が街に反響し、石造りの壁に跳ね返って消えた。

 ユリアは東の方角を見た。山合いの谷間の向こうは、もうアンデッドの領域だ。

 明日からが本番――。

 不気味なほど静かな街。誰もいない家々。どこか遠くから聞こえてくるような、かすかな音。

 風が再び吹き抜け、ユリアの髪を揺らした。その風は生温かかった。



【帝国紀元1799年6月25日 昼前】

【アルデリス伯爵領・アラセアへ向かう谷道】



 東へ向かう谷道は、両側から山が迫り、空が細く切り取られていた。小さな川が谷底を流れ、その水音が静寂を破る唯一の音だった。ユリア中隊は川に沿って、奥へと進んでいく。

 最初に気づいたのは匂いだった。腐臭と、焦げた布の匂い。

 次に見えたのは、道端に倒れた人影だ。避難民だろう。ぼろ布をまとい、倒れたまま動かない。その傍らには、同じようにぼろ布をまとったゾンビの死体が転がっている。頭部が砕かれ、黒ずんだ血が地面に染み込んでいた。

 さらに進むと、兵士の死体も見えた。帝国軍の軽装鎧を身につけた若い兵だ。喉を食い破られたのだろう、首元が赤黒く変色している。傍らには折れた槍が転がっていた。

 死体は点在していた。谷道の脇に、川の傍らに、岩陰に。それぞれが最期の瞬間を刻み込むように、そこに横たわっている。

 ここはもう侵食されている――。


「警戒を厳に。ここはもう敵地よ。いつ接敵してもいいように準備しておきなさい」


 ユリアの声が谷間に流れる。

 兵士たちの緊張が一段と高まった。槍を構え直す音、鎧が擦れる音。誰もが周囲に視線を配り、息を潜めている。戦闘態勢だ。馬上の騎兵たちも、手綱を握る手に力を込めている。

 そのまま前進を続ける。谷道は徐々に狭まり、両側の岩壁が迫ってくる。足音と川の音だけが聞こえる中、前方から馬蹄の音が近づいてきた。

 斥候に出していた騎兵だ。


「ユリア中隊長!」


 騎兵が馬を止めた。馬も息を荒げている。


「前方で避難民の一団と遭遇しました。トゥタクス男爵もいらっしゃいます!」

「男爵が? 無事だったのね。すぐ行くわ!」


 ユリアは振り返った。


「カリス、ここの指揮を。姉さん、レオニダス、ついてきて!」

「わかった。すぐに追いつく」


 カリスが頷く。


「承知」

「ええ」


 レオニダスとルシアが馬を寄せてくる。三人は馬を走らせた。

 谷道を駆ける。風が顔を打ち、馬蹄が地面を叩く。十分ほど進んだだろうか、小さな丘を曲がった先に人の群れが見えた。

 避難民の一団だ。こちらへ向かってくる。百人ほどだろうか。疲労の色が濃く、足取りも重い。子供を抱えた女性、老人を支える若者。誰もが恐怖と疲弊に顔を歪めている。

 その周囲を、五十人ほどの兵士が警戒しながら進んでいる。軽装鎧を身につけた護衛兵たちだ。表情は硬く、槍を構える手が震えている者もいる。彼らもまた、死の淵を潜り抜けてきたのだろう。

 斥候に出していた騎兵が数騎、避難民の一団の周囲を警戒している。

 避難民の先頭には、騎馬に乗った一人の男がいた。恰幅のいい体格、顎には黒い髭を蓄えた五十代ほどの男だ。貴族を思わせる軍服に軽装鎧を身につけ、腰には長剣を下げている。その顔には疲労の色があったが、眼光は鋭い。

 あれがトゥタクス男爵か。

 ユリアは馬を進めた。


「戦時にて騎乗にて失礼! 私はカラディン軍リディア大隊、ユリア中隊長です! トゥタクス男爵でしょうか!」


 男が馬を止め、こちらを見た。


「いかにも! アルデリス伯よりトゥタクスを任されているセウェルス・トゥタクスだ!」


 低く太い声が返ってくる。セウェルスはユリアを見据えた。


「おぬしが中隊長なのか? 貴族の出か?」

「いえ。平民出身です」

「ほう、その若さで平民出身で中隊長か。相当な実力者と見た」


 セウェルスが僅かに目を細める。値踏みするような視線だ。


「ちょうどいい」

「といいますと?」


 ユリアが問い返すと、セウェルスは表情を引き締めた。


「この先のアラセアの状況は聞いているか?」

「状況は不明と。そこまでの連絡路を切り開くのがわが隊の役目です」

「そうか」


 セウェルスは一息ついた。その表情が僅かに曇る。


「単刀直入に言おう。アラセアはもう落ちた」


 ルシアとレオニダスが息を呑む気配がした。ユリアは表情を変えなかった。


「......状況をお聞きしても?」

「ああ」


 セウェルスは背後の避難民を一瞥してから、再びユリアを見た。


「わしは昨日から避難民を回収しながらアラセアに向かっていたんだが、今いる一団がアラセアから脱出できた最後の民だ」


 セウェルスの声が低く沈む。


「今朝方、アラセアは城門を突破され、都市内部に敵の侵入を許した。わしはそれを見て急いで裏門に群がっていた敵を蹴散らしたんだが......幾ばくかは逃がすことに成功したが......多勢に無勢で撤退してきたところだ」


 避難民たちの表情が暗い。護衛兵たちも、誰もが無言で俯いている。


「そう......ですか。敵の兵数は分かりますか?」

「相当消耗しているはずだ。だがそれでも二千はいるだろう」

「分かりました。敵がアラセアを完全に制圧する前に奪還しましょう」

「本気か? 向こうに見えるのがおぬしの部隊だろう? 見たところ千もおらんように見えるが」

「ええ。近接戦闘は我が部隊の最も得意とするところです」


 ユリアはセウェルスを真っ直ぐに見た。


「それに、まだ生き残りがいるかもしれないですし、何より、これ以上の民への被害は私が許さない」

「......」

「散らばられては面倒です。集まっているところを叩きます」


 セウェルスは暫く黙っていた。その目がユリアを値踏みするように見つめる。やがて、僅かに口元を緩めた。


「......わかった。わしも行くか?」

「いえ、男爵にはこのまま避難民の護衛を。残された者も不安に思っています」

「そうか......」


 セウェルスは深く息を吐いた。


「その若さで死ぬなよ」

「ええ、もちろん。それと――トゥタクスの物資、ありがたく使わせていただきました」

「ああ、役に立ったなら何よりだ」


 セウェルスが僅かに笑みを見せた。


「では先を急ぎますので失礼」

「ああ、おぬしに軍神ポレモスのご加護を」


 セウェルスが拳を胸に当てて敬礼する。ユリアも同じように応え、馬首を返した。

 ルシアとレオニダスが後に続く。三人は来た道を駆け戻った。

 一人でも多く、救わなければ――。



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