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終末の血族  作者: 天津千里
5章:アラセアの花
39/40

第39話 アラセアの花IV

【帝国紀元1799年6月22日 17:00】

【アルデリス伯爵領・タキュリア】


 アルデリスを早朝に出発し、一日の行軍を経てタキュリアに着いた。

 小さな宿場町が戦争の前線になっていた。街道沿いには急造の木柵が打ち込まれ、土嚢が積み上げられている。兵士たちが汗を流しながら防衛設備の増設に追われていた。木製の柵を打ち込む音、土嚢を積み上げる掛け声が聞こえる。

 この混乱も、あと数日で最前線に飲み込まれる。ユリアはそう感じながら宿営地を見渡した。

 ユリア中隊は宿営地に指定された場所で荷解きを始めた。兵士たちが慣れた手つきで荷物を降ろし、天幕の設営準備に取りかかっている。


「レオニダス、宿営の準備を進めておいて。任せたわよ」

「承知した」


 レオニダスが力強く頷く。その視線はすでに宿営地の地形を見渡していた。


「ベルンハルト、装備の確認をお願い」

「ああ。行軍続きだったからな」


 ベルンハルトは頷くと、すでに工具を取り出している。その背後では、技術兵たちが替えの靴や修理用の革、金具などを慌ただしく準備し始めた。長距離行軍で傷んだ装備の手入れは、次の戦闘に向けて欠かせない。


「じゃあ、行ってくるわ」

「はい。お気をつけて」


 セリーヌの言葉に軽く手を上げて応えると、ユリアはルシアと瑞希を伴って街の中心部へと向かった。

 街の入口では、兵士たちが急造の防衛設備を構築している。斧が木材に食い込む音、重い荷物を運ぶ声。兵士たちは汗を流しながら休む間もなく手を動かし続けていた。

 街道を進むにつれ、喧噪が増していく。

 避難民たちが街に流入していた。荷車に荷物を積んだ家族、泣きじゃくる子供を抱いた母親、杖をついた老人。東部各地から逃げてきたのだろう。不安そうな顔で、彼らは兵士の誘導に従って移動している。


「すごい人……」


 瑞希が小さく呟いた。


「避難民が多いわね」


 ルシアの声にも僅かな緊張があった。

 街道の脇では、商人が食料を売っていた。値段が高騰しているのだろう、言い争いの声が聞こえる。別の場所では、避難民が水を求めて井戸に殺到していた。兵士が秩序を保とうと声を張り上げている。


「……行きましょう。先行していたフィリオ殿が情報を集めてくれているはずよ」

「は、はい」


 その喧噪を後目に、三人は仮の司令部になっている宿屋へと入っていった。


 * * *


 臨時の会議室に改造された宿屋の広間では、リディアが報告書を手に待っていた。壁には地図と報告紙が貼られ、案内役のフィリオや中隊長たちがすでに席に着いている。簡素な木製のテーブルには羊皮紙が散らばり、蝋燭の明かりが地図の上に揺らめいていた。


「あら、早かったわね。ちょうど迎えを出すところだったわ」


 リディアの声は落ち着いているが、その奥に指揮官としての緊張があった。


「どうも気が急いてね」


 ユリアの言葉に、リディアが僅かに目を細めた。


「仕方ないわ。こんな情勢だもの。……揃ったことだし、少し早いけど始めましょう」


 リディアが周囲を見回すと、集まった将校たちが姿勢を正した。


「まず、アルデリス領東部の情勢からね。フィリオ殿、お願いするわ」

「はい」


 フィリオが立ち上がり、壁に貼られた地図を指し示した。その表情は硬く、報告の重さを物語っている。


「現在、第一次防衛線アタヴォリウムが突破され、敵が複数都市に分散して進撃しています」


 指先がアタヴォリウムから各都市へと移動していく。


「避難民からの情報では、アラセア、タゼキウムへの経路上にゾンビが出現しているため、両都市とも音信不通です」

「トゥタクス、カラパティス、そしてここタキュリアは多くの避難民で溢れており、急ピッチで防衛準備が進められています」


 フィリオの声が低くなった。書類を持つ手が白くなるほど力がこもっていた。


「各地の避難民の最後尾で領軍の残存部隊が遅滞戦闘を行っているものと思われますが、断片的な情報しか得られず詳細は不明です」

「敵軍はアタヴォリウムでの接敵時に一万前後、それ以降正確な情報はありません」


 一万という数字に、室内の空気が重くなった。誰かが息を呑む気配。蝋燭の炎だけが静かに揺れている。


「フィリオ殿、ありがとうございます」


 リディアが力のこもった目で集った将を見る。


「情勢は分かったわね。明日早朝より、ここタキュリアから三方向に分かれて出撃する。それぞれの部隊に騎兵小隊を付けるわ。敵をすり抜けさせないよう気を付けて」


 リディアの指が地図上を動き、三つのルートを示していく。


「中央ルートは私の本隊とフィリオ殿の部隊で合わせて二千三百。アタヴォリウムまで道を切り開いて奪還。その後バヤジド要塞へと向かう」

「承知しました」


 フィリオが力強く頷いた。


「南ルートはドミティウスとティトゥスで合わせて千。カラパティスを通りタゼキウムまでの道を作る。その後バヤジド手前で本隊に合流」

「ハッ」


 ドミティウスとティトゥスが同時に応じた。


「北ルートはユリアの増強中隊で七百。トゥタクスを通りアラセアを目指す。その後は同じくバヤジドに合流よ」


 リディアの視線がユリアに向けられた。


「北は七百のみですか?」


 ティトゥスの問いに、リディアが頷いた。


「山間の地形では大軍を動かしても効率が悪いわ。それに、ユリア中隊は前回の戦いでも証明済み。猟銃装備もあるから、不意の接敵にも対応できる」

「ええ、わかったわ」


 分遣隊を任されるとは思っていなかった。まあ、任された責務は果たすけれど。

 ユリアは地図上の北ルートを目で追った。


「ユリア殿は地理に明るくないでしょう。私が補佐でつきましょうか?」


 ドミティウスが提案した。その声には純粋な気遣いが込められている。


「あなたも詳しいわけではないでしょう」


 リディアが苦笑する。


「今回はそのために、フィリオ殿の部隊から道案内を百ほどつけてもらっているわ」

「そうですか……それなら安心ですね」


 ドミティウスが頷くと、隣でティトゥスが小さく笑った。


「お前、単にユリア殿と行きたいだけだろう」

「そういうわけでは……任務上の判断だ」


 ティトゥスとドミティウスが小声で何か言い合っている。ティトゥスが肩を揺らして笑い、ドミティウスが苦笑いで首を振った。


「……以上、いいわね。それぞれの担当で細かいルートを策定して」

「ハッ」


 一同の力強い返事が宿屋の広間に流れた。

 会議が終わると、ユリアはルシアと瑞希を伴って宿営地へと戻った。外はすでに夕闇が落ち始めている。焚き火の煙が空に溶け、兵士たちの影が長く伸びていた。中隊の面々が待っているはずだ。



 * * *


【帝国紀元1799年6月22日 20:00】

【アルデリス伯爵領・タキュリア宿営地】


 タキュリア郊外に設けられた宿営地では、今夜の寝床を組み立て終えた兵士たちが、あちこちで小さな車座を作り、簡素な夕食をとっていた。

 鍋の中身を分け合う者、黙々と乾パンを噛みしめる者。どの顔にも疲労は見えたが、混乱や恐慌はない。前線に近づいているという緊張を、それぞれが自分なりに噛み砕いているようだった。

 ユリアは手早く夕食を済ませると、伝令を走らせて中隊幹部を集めさせた。

 ほどなく、夕食を終えたレオニダス、カリス、ルシアらが、本陣として使われている天幕へと集まってくる。

 簡易な灯りの下、ユリアは地図を広げた。


「……以上が、明日からの行軍予定よ。大きな変更はないわ」


 一拍置いて、ユリアは小さく息を吐いた。


「……いえ、正確に言えば、情報が不明な点が多すぎて、詳細を詰めきれない、というのが本当のところね」


 カリスが腕を組んだまま、低く唸る。


「もう少し情報があればな」

「前線が突破されている状況では……仕方ないわね」


 ルシアがそう応じると、カリスは肩をすくめた。


「ああ、分かってる。これだけ集められただけでも上出来だ」


 そのとき、天幕の外から声がかかった。


「失礼します。フィリオ様がお見えです」


 ユリアは顔を上げる。


「こんな時間に? ……いいわ、通して」


 幕がめくられ、フィリオが姿を現した。夜分にもかかわらず、身なりは整っており、動きにも無駄がない。


「夜分にすみません」

「いえ。でも、この時間にどうしてこちらへ?」

「普段通りの話し方で構いませんよ」


 フィリオはそう前置きしてから続けた。


「先ほどの会議の後、斥候から追加の報告がありましてね。お伝えしておいたほうがいいと思い、伺いました」

「追加情報?」

「ええ。トゥタクスは、防衛を断念するとのことです。避難民の保護と遅滞戦闘に全力を尽くす方針だそうで」


 ユリアは眉をわずかに動かした。


「戦況が悪化しているの?」

「戦況そのものについては、新しい情報はありません。ただ……」


 フィリオは言葉を選ぶように、一瞬だけ視線を落とした。


「トゥタクスは鉱山の街です。避難民を抱えた状態では、籠城に必要な物資が足りない。じり貧になるくらいなら、敵に取りつかれる前に撤退を、という判断でしょう」

「なるほど……判断が早いわね」

「トゥタクス男爵は、元々武勇で鳴らした方ですから」

「現場での臨機応変な対応には慣れている、ということね」

「はい。ですので、トゥタクスへ向かわれる際は、避難民の動きに十分ご注意ください」


 ユリアは小さく頷き、すぐに指示を出した。


「レオニダス。斥候を増やして、索敵範囲を広げてちょうだい。特に、避難民が通りそうなルートを重点的に」

「ハッ。編制を調整しておきます」


 フィリオはそのやり取りを、静かに見ていたが、やがて小さく息をついた。


「なるほど……噂に聞いていた"ユリア中隊"とは、少し印象が違いますね」


 ユリアは片眉を上げる。


「そうよ? お飾りだと思ってた?」

「失礼ながら……ええ。しかし、先ほどの光景を見せられては、認識を改めざるを得ません」

「まあ、この容姿だものね。でも安心して。役目はきちんと果たすわ」


 フィリオは一瞬だけ目を細め、それから深く頭を下げた。


「ありがとうございます。どうか、我が領民のことをよろしくお願いします」

「最善を尽くすわ」

「では、私はこれで。夜分に失礼しました」

「こちらこそ、情報ありがとう」


 フィリオが天幕を出ていくのを見送ると、天幕内にしばし沈黙が落ちた。

 やがて、カリスが低い声で口を開く。


「……探りに来てたな」

「まあ、不安なんでしょう」

「それだけじゃない気もするが」


 ユリアは地図に視線を落としたまま、静かに答えた。


「……どちらにせよ、私たちは最善を尽くすだけよ」


 灯りに照らされた地図の先、東の方角には、まだ名前だけが記された街が残っていた。

 アラセア――。




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