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終末の血族  作者: 天津千里
5章:アラセアの花
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第37話 アラセアの花II

【帝国紀元1799年6月16日 15:00】

【カラディン辺境伯領・コラサン】(リディア視点)


 コラサンの町並みが視界に入った瞬間、リディアは軽く息をついた。前回エルズリウムへ向かったときとは、町の様相が一変していた。新たに築かれた土塁と木柵が町を囲み、その外側には空堀が巡らされている。既存の宿場施設は兵舎に転用され、その合間に急造の木造兵舎が建ち並ぶ。 要所には物見櫓が立ち、撤退戦からわずか二か月でこれほどの要塞化を成し遂げたバルナバスの手腕を物語っていた。

 リディアは部隊を門へ導いた。アルトゥインから帰還して間もない行軍だったが、兵たちは気力を保ったまま整然と進んでいた。予定よりも早い到着だ。

 門前には、すでにバルナバス・ドレン子爵の姿があった。


「ドレン子爵!」


 リディアの声に、バルナバスが深く一礼する。


「リディア様、お早いお着きでございます。辺境伯閣下も昨日お発ちになられたばかりです」


 守将としての、改まった口調だ。リディアは馬から降りながら答えた。


「連携訓練が順調でね。それに、アルデリス領の状況は耳に入っているでしょう?」

「承知しております。……しかし、連戦と伺っておりますが」

「ええ。詳しくは中で話すわ」


 バルナバスは頷き、背後の副官へ視線を向けた。


「はっ。すぐに会議室の支度をいたします。宿舎は整えてありますので、兵たちはそちらへお通しを」

「助かるわ。――各隊長、指示を! それが済んだら会議室に集合!」


 リディアの号令に、各隊長が敬礼する。兵たちが整然と宿舎へ向かう足音が、石畳に鳴った。



 * * *


 会議室へ向かう廊下は、宿屋だった頃の面影を残していた。だが壁には地図が貼られ、要所に武器庫への案内が掲げられている。本営として転用されたこの建物を、リディアはバルナバスに従って進んだ。

 扉を開け、会議室に入る。地図が広げられた卓と、簡素な椅子が並んでいた。扉が閉まると同時に、バルナバスが大きく息をついた。


「ふぅ……堅苦しい口調はどうにも性に合いませんな」

「崩すのが早すぎるわよ」

「はっはっは、まぁ良いではありませんか!」


 その豪快な笑い声に、リディアは小さく首を振った。この男の気さくさは、兵たちの士気を支える力にもなっている。


「まったく……それで、こちらの戦況は?」

「そうですな、小康状態といったところでしょうな」

「小康状態?」

「はい。中規模以上の群れは見えず、百体以下の小集団が散発的に現れる程度です」


 同席していたティトゥス中隊長とドミティウス中隊長が、顔を見合わせた。意外だという表情が見て取れる。

 リディアは眉をひそめた。エルズリウムにはあれだけの大群がいた。いくら多少の距離があるとは言え、あれだけ無秩序に出没していたゾンビが散発的に現れる程度?


「特異な傾向は? 例えば……近接兵のような武装をしているとか」


 バルナバスは眉をひそめた。


「いや、それは見られませんな。いかにも農夫上がりといった格好の者ばかりです」


 ティトゥスの表情に、わずかな安堵が浮かんだ。だがドミティウスは首を傾げている。疑問を抱いているようだ。ユリアは何も言わなかったが、その肩が微かに緩んだように見えた。武装ゾンビとの激戦を経験した彼女にとって、その違いは大きいはずだ。


「そう……それは幸いね」

「報告書は拝見しましたが……北方ではそうした異常が出たとか」


 リディアは頷いた。アルトゥインで遭遇した武装ゾンビの群れ。あの統制された動きと、明確な戦術行動。


「ええ。武装ゾンビと呼んでいるけれど、アルトゥインでは指揮官と思われる個体にも遭遇したわ」

「指揮官、ですか……それがアルトゥイン伯ではないのか、という話ですな」

「そうよ。特徴から見て間違いないと思うわ」


 バルナバスの表情が沈んだ。目を閉じ、しばらく黙り込む。リディアは何も言わず、その沈黙を待った。


「……そうか……あいつが先に逝ったか」


 低く呟かれた言葉は、旧友を悼むものだった。 やがてバルナバスは目を開け、ユリアへ視線を向けた。


「……で、それを討ったのが、そこの娘っ子というわけですな」

「ええ。ユリア・コニシ。今は私の部隊の中隊長を務めてもらっているわ」


 同席していたユリアが、一礼する。バルナバスの視線が、その小柄な体躯を値踏みするように動いた。


「なるほど、噂に聞く"銀の女神"か。ただの戦場話ではなく、本物であったというわけだ」


 ユリアの肩が、わずかに強張る。その反応を見て、リディアは口元を緩めた。


「噂以上かもしれないわ」

「ほう、それほどとは」


 バルナバスが興味深そうに頷いた瞬間、外から駆け足の音が聞こえた。続いて、扉を叩く音。


「おう、入れ!」


 バルナバスが促すと、扉が勢いよく開かれた。立っている伝令兵の顔は緊張していた。


「会議中失礼します!」

「哨戒中の第二騎兵中隊より報告! コラサン西側五ケイミル付近にてゾンビおよそ百体と交戦、これを撃滅とのこと! 以上です!」

「よくやった。後で報告書を上げるよう伝えろ」

「ハッ! 失礼いたします!」


 伝令兵が去り、扉が閉まる。会議室に再び静寂が戻った。


「――こういう具合でしてな。さほどの脅威ではありませんが……」


 バルナバスの言葉に、リディアは首を傾げた。


「懸念が?」

「ああ……出現の頻度が徐々に減っておりましてな。今のも、ここ数日ぶりの遭遇です」


 両中隊長の表情が、一様に曇った。不自然だという雰囲気が会議室に満ちる。


「エルズリウム方面のゾンビが減っている?」


 それは奇妙な現象だった。辺境の集落が次々と落ち、ゾンビの数は増える一方のはずだ。


「ええ、それが……エルズリウムそのものには、むしろ溢れているようなのです」

「……では、攻勢準備で集合している?」


 言葉にした瞬間、リディア自身も背筋が冷えた。組織的な動き。統率された軍勢。


「やつらの知性を思えば笑い話で済ませたいところですが……北の報告を聞くと、そうも言えませんな」

「統制され始めているのかもしれない……」


 リディアの胸中に、言い知れぬざらつきが残った。理屈ではなく、勘が告げていた。あの静けさは、沈黙ではなく"均衡"だ――崩れる時は一瞬だと。

 重い沈黙が、会議室に落ちた。窓の外では、哨戒を終えた騎兵たちが馬を降りている。その何気ない日常の光景が、妙に脆く見えた。

 バルナバスが腕を組んだまま、口を開く。


「アルデリス領も、三方向からの侵攻だとか?」

「ええ。偶然にしては、あまりにも手際が良すぎるわね」

「そうですな……警戒して損はありますまい」


 リディアは窓際へ歩み寄り、エルズリウム方面を見据えた。見える範囲には、異常は何もない。だが、その静けさこそが不気味だった。


「私たちがアルデリス領へ向かっている間、ここは任せたわよ」

「お任せください。ここを抜かれれば、カラディン領とアルデリス領を繋ぐ道は、険しい山道しか残りませんからな」

「ええ。だからこそ、あなたの判断に期待しているわ」


 バルナバスは力強く頷き、それから少し表情を緩めた。


「はっ。兵たちの緊張も、少しはほぐしてやりたいところですが……」


 その言葉の意図を察し、リディアは肩をすくめる。


「……一箱だけよ」

「ありがたく。兵たちも喜ぶでしょう」

「あなたが飲みたいんじゃないでしょうね」

「わっはっは、さてどうでしょうな!」


 豪快な笑い声が会議室に広がる。その瞬間、窓の外に夕陽が差し込んだ。淡い橙色の光が、地図の上に柔らかく広がる。

 リディアは改めて地図を見下ろした。


「夜明けとともに出立するわ。早くアルデリス伯に合流しないと」

「了解いたしました。ここは渡しませぬ。どれほどの大群が来ようと、コラサンは必ず守って見せますぞ」

「頼んだわ、ドレン子爵」

「はっ!」


 バルナバスの力強い返答が、夕暮れの会議室に流れた。同席していた三人の中隊長の表情にも、決意があった。リディアは視線をエルズリウム方面に向けたまま、その静けさの意味を考え続けた。

 嵐の前の静けさ。その言葉が、脳裏をよぎった。――静けさの裏に、確かな気配がある。リディアはそれを振り払うように、背筋を伸ばした。



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