第33話 研がれし刃VIII
【帝国紀元1799年6月5日 13:00】
【カラディン辺境伯領・カラディン城館作戦会議室】(リディア視点)
テーブルを囲んだ諸将が各々報告書をめくる音が響く。うめき声ともため息ともつかぬ声が漏れている。兄ユリウスをはじめとする諸将の表情は険しく、誰も口を開こうとはしない。背後に立つユリアの気配を感じながら、リディアはテーブルを挟んだ奥で、改めて報告書を読んでいる父、ガリウスの表情を注視した。午後の日差しが窓から差し込んでいるにも関わらず、室内の空気は重く沈んでいた。
「ふむ……」
ガリウスの低い声。
「よくやった、リディア」
「ハッ、ありがとうございます」
背筋を伸ばして答える。ガリウスの言葉には安堵の色があったが、その表情は険しいまま。ユリウスの視線がリディアとユリアを交互に見た。
「まさかアルトゥイン伯爵が戦死とはな……惜しい人物を亡くした」
ガリウスが嘆息する。
「アルトゥイン伯爵領に向かうと聞いて悪い予感はしていましたが……」
ユリウスの肩が僅かに震えた。
諸将からも重苦しいため息が漏れる。アルトゥイン伯爵はガリウスの盟友の一人だった。その死が与える衝撃は、戦略的損失以上に大きい。テーブルを囲む将の何人かは、明らかに動揺していた。
「そうだな……。ひとまずは守備隊を常駐させるしかあるまい。次代を決めるにしても中央の許可がなくてはな」
「後継者争いになるでしょうか?」
ユリウスの問いに、リディアも内心で同じ懸念を抱いていた。当主が戦死し、奥方も生存は絶望的。子息は学生として帝都にいるはずだが、帝都とはもう二か月も連絡が取れていない状況だ。
「領都以外、領軍すら壊滅した家を建て直す気概のある者がいればいいがな」
ガリウスの言葉には諦めの色があった。
「話が逸れたな。続きに行こう」
「これは失礼を」
ユリウスが頭を下げる。ガリウスは報告書の次のページをめくった。
そこでガリウスの動きが止まった。目を細めて文面を読み返している。
「……ユリア中隊の働きは特筆に値する、か……ほう……」
周囲の諸将にざわめきが広がった。リディアは姿勢を正して説明に入る。
「猟銃部隊を盾とし、左右からの十字砲火による射撃の集中は非常に効果的でした」
記憶を辿りながら戦術の要点を整理する。あの時の光景が鮮明に思い浮かぶ。ユリアが冷静に指示を飛ばし、兵たちがそれに応える姿。
「左右の部隊は直接の脅威が少ない分、落ち着いた射撃が可能であったことが戦果につながりました」
「ユリア殿、猟銃部隊を率いての感触はどうだった?」
ガリウスがユリアに直接問いかける。ガリウス自らが中隊長に直接戦術的見解を求めるなんて、滅多にないことだ。室内の空気が僅かに変わった。諸将の視線が一斉にユリアに注がれる。
「ハッ、近接兵の充実が不可欠かと。今回は各部隊からの増援によって近接兵の壁が厚くなったことで、猟銃部隊が恐慌を起こさず射撃に徹することができたことが大きいかと思われます」
謙遜するユリアの声。だが、リディアは思った――あなたは自身の価値を理解していない。あの戦場で、ユリアがいなければどれだけの兵が失われていたか。
「そうだな、銃兵は近接戦闘に慣れていないからな……」
ガリウスが頷く。しかし、この評価では不十分だ。ユリアの真価は、戦術眼だけにあるのではない。
「補足を」
「ほう?」
ガリウスの視線がリディアに向けられる。
「最前線で剣を振るった指揮官の存在を無視すべきではありません」
リディアは声に力を込めた。
「彼女一人で数多のゾンビを葬り、指揮官級と思われる手練れのゾンビすら討伐しています」
兵たちから聞いたユリアの戦いぶりが思い起こされる。人間にあれほどの動きができるのか。リディア自身、剣には自信があったが、その速さ、その正確性は別次元だったという。そして何より――兵たちを鼓舞するあの存在感。ガリウスにはこの価値を理解してもらわねばならない。
「あれほどの活躍を前にした兵が心酔するのも無理はありません」
「ユリアと同等の働きを誰かに求めるのは酷というものです」
ガリウスの表情が変わった。興味深そうにリディアを見つめている。周囲の諸将も、明らかに驚いている。
「それほどか……。まさに"銀の女神"だな」
「まさしく」
リディアは即座に応じた。
「私には過分な評価です」
ユリアが恐縮したように答える。背後からユリアの咎めるような視線を感じた。だが、これは誇張ではない。事実をそのまま伝えているだけだ。
「さて、想定より状況は悪かったが、最悪は防がれたと言えるだろう」
ガリウスが報告書を閉じ、場の空気を引き締めた。
「お前たちがアルトゥインに行っている間にこちらでも動きがあった」
ガリウスの表情が再び厳しくなった。諸将の表情も引き締まる。
「エステヴァン」
「では現在判明している周辺状況から」
エステヴァンが前に出て、大きな地図を広げる。その動きに合わせて、諸将が地図の周りに集まった。リディアもユリアと共に前に出る。
「北方から東方にかけて、エルフとの国境は異常なし」
せめてもの救い。この状況でエルフまで動き出せば、帝国は完全に破綻する。諸将の表情にも僅かな安堵の色が見えた。
「西方――北からアルトゥイン、オルトゥス、コラサンのラインで防衛線を構築済み。以西はエルズリウムを含め、ゾンビによる陥落と思われます」
絶望的な状況だった。諸将からも重い嘆息が漏れる。一人の老将が、地図上の失われた領土を見つめながら唇を噛んでいる。
「南方、アルデリス伯爵とは先日コラサンを経由して連絡が取れました」
アルデリス伯爵領は無事――その報告に胸を撫で下ろした。だが次の言葉が、その安堵を打ち砕いた。
「現在、北以外の三方向からゾンビの侵攻を受けて迎撃中とのこと」
三方向から。リディアの背筋に寒気が走った。それは事実上の包囲を意味している。諸将の顔色が、明らかに悪くなった。
「三方向とは……ほぼ包囲されているではないか」
ユリウスが青ざめて呟く。諸将の間にも動揺が広がった。
「アルデリス伯はどれほどの兵力を?」
「詳細は不明ですが、領軍のみでの迎撃とのこと。援軍要請もコラサン経由でなければ届かない状況です」
絶望的としか言いようがない。アルデリス領は国境要塞の補給拠点としてそれなりの兵力を有しているが、三方向からの同時攻撃では長期間持ちこたえるのは困難だろう。諸将の誰もが、同じ結論に達しているはずだ。室内の空気が、さらに重くなった。
「東もか? バヤジド要塞とヴァンティア要塞はどうした」
ユリウスの声に緊張が混じる。
「それらからの異常報告はないまま、ゾンビの出現により連絡途絶とのこと」
室内の空気が凍りついた。バヤジド、ヴァンティア両要塞は帝国東方の要となる拠点だ。そこからの連絡が途絶えているということは……。
「連絡路を遮断されたか……」
一人の将が低い声で呟いた。誰もが同じ懸念を抱いているに違いない。要塞が孤立すれば、補給もできず、援軍も送れない。
「今はまだ無事かもしれないが……二大要塞といえども、補給路を断たれてはそう何か月も防衛できるとは限らない」
「そういうことだ。どちらにせよ帝国の同胞を見捨てるわけにはいかん」
ガリウスの声には決意が宿っていた。
「我々はアルデリス伯爵を救援し、各方面への増援を行う。特に東方への増援により、バヤジド、ヴァンティア両要塞との連絡を回復せねばならない」
諸将の表情に覚悟が見えた。誰もが、これが容易な任務ではないことを理解している。
「リディア大隊は戻って早々になるが、ただちに出撃準備だ」
再び戦場へ。しかし、ユリアと共に戦えるなら、リディアにとってそれは僅かな救いだった。
「同胞のためとあらば否やはありません」
「よし。他の将にはもう準備を進めさせている。兵員の補充もある」
「承知しました」
兵員の補充ということは、徴集兵の準備が整ったのだろう。総動員令を出してから時間が経つが、ようやく実戦投入できる状態になったということか。久々の総動員。以前はいつだったか。バヤジド要塞を獣人が囲んだとき以来だろうか。
事態はそのとき以上に悪いかもしれない。なにしろ、あのときとは違って、帝国諸侯の大軍も鍛え上げられた正規軍もいないのだから。
「ユリア殿。貴殿の中隊を増強中隊としてリディア大隊の中核に据える」
「ハッ」
突然ガリウスがユリアに声をかけ、リディアは驚く。たしかにユリアの活躍は報告したが、これほど評価しているとは思わなかった。周囲の諸将も、明らかに意外そうな表情を見せている。ユリアへの注目が一気に高まった。
実力が認められたのは良いことだ。だが同時に、不安も感じる。注目されるということは、それだけ危険も増すということだ。
「猟銃部隊はゾンビ相手に有用なようだ。より多くの戦訓を集め、この危機を乗り越える一手としたい」
「微力を尽くします」
ガリウスはユリアに何か思うところがあるのだろうか。その視線には、単なる評価を超えた何かがあった。まるで、ユリアを試すような、あるいは見極めようとするような……。
* * *
会議室から諸将が出ていき、ガリウス、ユリウス、そしてリディアの三人だけが残った。扉が閉まる音が、妙に大きく聞こえた。ユリアも退室し、今は身内だけ。ガリウスが何を考えているのか、確かめなければ。
「父上、お聞きしたいことが」
「どうした?」
ガリウスが報告書から目を上げる。
「推薦した私が言うのもなんですが、ユリアのことを非常に高く評価されているように思えます」
言葉を選びながら続ける。ガリウスの真意を探らなければ。
「たしかに以前、"勇者"の可能性についても言及されていましたが……」
「それは私も気になっていました」
ユリウスが割って入る。
「若手将校として扱うとのことでしたが……やはり"勇者"の可能性が濃厚ということですか?」
ガリウスがしばらく黙考してから口を開いた。
「まだ"勇者"と決まったわけではない」
一呼吸置いて、ガリウスは続ける。
「決まったわけではないが……"勇者"として扱うには十分過ぎる活躍だ」
ガリウスの視線がリディアに向けられる。
「共に戦った我々ですらそう考えるのだ。ましてや話を聞いただけの他の貴族はどう考えるか、わかるな?」
「それは……たしかに」
ガリウスの意図が理解できる。他の貴族たちも、ユリアを"勇者"として扱うだろう。そうなれば、彼女を取り込もうとする動きが必ず出る。どんな手段を使ってでも。ユリアの意思など顧みずに。
「早めに結びつきを強めておくべき……そういうことですか」
ユリウスが確認する。
「そうだ」
ガリウスが簡潔に答える。リディアには納得できない部分があった。ユリアはまだ若い。政治の駆け引きに巻き込むには、あまりにも。
「しかし、彼女はまだ15歳です」
声に感情がこもる。
「貴族でもないのにこれ以上の負担を求めるのは酷ではないでしょうか」
リディアの言葉に、ユリウスが考え込む表情を見せた。
「たしか平民だが貴族的な所作もできるという話だったな」
「はい」
「やはり身分を隠しているのではないか? 平民であの統率力は尋常ではない」
たしかにユリアには、平民らしからぬ雰囲気がある。それでも……まだ15歳の少女を、どこまで巻き込んでいいものか。
「それは……」
リディアが言いよどむと、ガリウスが口を開いた。
「どちらにせよ、我々が彼女を支えればよい」
ガリウスの声には静かな決意があった。
「それが帝国のため、辺境伯家のため、そして彼女自身がこの陰謀渦巻く帝国で生き抜くためになる」
陰謀渦巻く帝国。ガリウスの言葉が、帝都や他領の危険性を物語っている。ユリアを守るためには、むしろ我々の庇護下に置いた方がいいということか。
「そうですね。少なくとも軍の身分があるだけで貴族からの干渉はかなり抑えられますね」
ユリウスが実務的な観点から補足する。
「そうかもしれませんが……」
リディアにはまだ、ユリアに政治的な重圧をかけることへの抵抗があった。まだ15歳の少女に、これ以上の重荷を背負わせるべきなのか。推薦したのはリディアだ。その責任もある。
「お前はお前なりに真摯に向き合うのでいい」
ガリウスが優しく言った。
「政治的な面は我々が受け持とう」
ガリウスの配慮に、リディアは胸が熱くなる。政治的な駆け引きはガリウスとユリウスに任せ、リディアはユリアを直接の上官として支えればいい。
「ハッ、承知いたしました」
「では、急ぎ準備にかかろう。時間がない」
ガリウスが立ち上がる。ユリウスも続いた。
「承知しました」
リディアも立ち上がる。
三人で会議室を出た。廊下には、すでに準備のために動き出す将校たちの姿があった。帝国のため、辺境伯家のため、そして配下の将兵のため。それぞれの役割を果たす時が来た。




