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終末の血族  作者: 天津千里
4章:研がれし刃
31/39

第31話 研がれし刃VI

【帝国紀元1799年5月11日 16:00】

【アルトゥイン伯爵領・アルトゥイン】


 乾いた砂利の音と共に、ユリアたちは城門前に集結した。汗と泥にまみれた兵士たちの表情には、疲労と高揚が複雑に入り混じる。刃こぼれした剣を鞘に収めながら安堵のため息をつく者がいれば、血に染まった包帯を巻き直しながら肩を震わせる者もいる。長い戦いを終えた者だけが持つ、独特の緊張感が漂う。

 千八百もの援軍の一員として、ユリアはようやくこの城に辿り着いた。多くの血を流し、多くの命を救って。今、その意味が実感として迫ってきた。

 城壁の上では、銃や古びた弓を手にした市民兵らしき人々がこちらを見下ろす。よく見れば、その手は震え、顔には恐怖と希望が入り混じった表情を浮かべている。その中のひとりが手を振ると、それをきっかけに歓声が城壁全体に広がった。


「おお......!」

「援軍だ!」

「よくぞ来てくれた!」


 歓声が波のように押し寄せ、城内からも声が聞こえる。重厚な金属音を立てて城門がゆっくりと開く。錆びついた蝶番が悲鳴のように軋み、外の世界を拒み続けていた砦が、ついにその口を開いた。

 ユリアは中隊を率いて先頭に立ち、城門へと向かった。足音が敷石を踏む音は、勝利の太鼓のようだ。ようやく安全な場所に辿り着いたという安堵感が、全身を包む。背後にはリディアを中心とした部隊が列を整え、疲れた足取りながらも誇り高く行進している。兵士たちの鎧がかすかに鳴り、重い足音が続く。ユリアには、それが勝利を告げる音楽のように聞こえた。

 城門をくぐると、そこには想像以上の光景が広がった。

 アルトゥインの城下町は小さいながらも建物が立ち並び、狭い道が城へと続く。その道の両脇には市民たちがぎっしりと並んでいた。白髪の老人が杖をつきながら涙を流して頭を下げ、若い母親は幼子を抱きながら「ありがとう」と繰り返している。商人らしき男性は帽子を脱いで深々と礼をし、子どもたちは手に握りしめた野花を投げていた。

 窓の陰からそっと覗く者もいれば、安堵の涙を流しながらも疲労で立っているのがやっとの者もいる。頬骨が浮き出た顔には疲労の刻印が深く、まばたきをするたびに目尻の皺が痛々しく寄る。


「おかえりなさい......」

「ありがとう......本当に......ありがとう......」


 震え声で紡がれる感謝の言葉が、ユリアの胸に届いた。戦場の血生臭い匂いに代わって、パンを焼く香り、薪の煙、生活の温かな匂いが鼻をくすぐる。赤子の泣き声、犬の鳴き声、遠くで木槌を打つ音------平和な日常の音が耳に届く。間に合った。心の底からそう実感する瞬間だった。

 城へと続く緩やかな坂道を進むにつれて、戦場での記憶が徐々に薄れていく。肩に食い込む鎧の重みも、握りしめた剣で固くなった掌も、戦いの痕跡として身体に刻まれている。頬を打つ風が温かく、市民たちの笑顔が戦いの緊張を解きほぐしてくれた。

 この人たちを救えた。ユリアはそう自分に言い聞かせ、深く息を吸った。今はそれで十分だった。

 気がついたとき、ユリアの視線は祝祭の雰囲気とは裏腹に、城内の状況を冷静に捉えていた。訓練された守備兵の姿が一人として見当たらない。城内にいるのは、明らかに戦闘経験の乏しい人々ばかりだ。

 手製の槍を握る手は震え、古びた鎧は体に合っていない。何より、彼らの目には、まだ安心しきれない不安が宿る。歓迎の声を上げながらも、彼らの視線は、ひとときも城壁の外を離れず、耳はわずかな物音を拾おうと張り詰めていた。

 ユリアは無意識に剣の柄を握り直した。正規の守備兵は全滅している。もしくは、最初からいなかった。そう確信せざるを得なかった。

 詳しい状況は後で確認する必要があるだろう。

 坂道を進む中、歓迎の声は続いている。建物の窓からも人々が手を振り、色とりどりの花びらが舞い散る。遠くから聞こえる子どもたちの笑い声が城下町に広がる。市民たちの温かい歓声に包まれ、ユリアは深く息を吸った。


(今は......この人たちの笑顔を守れたことを、素直に喜ぼう)


 正規兵がいないという現実は確かに気がかりだが、間に合った。この城を、この人たちを救うことができた。それだけで十分な成果だった。勝利の余韻と、命を救えた安堵感が、疲れた心を静かに包んでいく。


【同日 17:00】

【アルトゥイン伯爵領・アルトゥイン城館応接室】


 リディア軍の幹部が通された応接室では、二人の男が待っていた。重厚な木製のテーブルを挟んで向かい側に座る彼らに、夕日が窓から差し込んでいる。

 一人は樽のような体格の中年男である。日焼けした腕は節くれだち、長年の鍛冶仕事を物語る。胸元には鉄製の無骨なハンマー飾りをつけ、その存在感は職人そのものである。

 もう一人は背の高い痩せたエルフ。肘掛け椅子に深く腰掛け、片眼鏡をかけている。白衣には焼け焦げと薬品染みが無数に残り、彼の周りには微かに薬品の匂いが漂う。好奇心に満ちた目がユリアたちを観察している。

 どちらも貴族ではない。ユリアはそう判断した。工匠頭という肩書きからして、中年男は技術者の出身だろう。あのエルフは......研究者にしては妙に実戦慣れした雰囲気がある。


(正規の指揮系統が崩壊して、実力者が自然に指導層に浮上したということね。相当切羽詰まった状況だったようだわ)

「よく来てくれました」


 中年男が立ち上がり、深々と頭を下げた。


「カラディン辺境伯軍の方でよかったですかな? 私はベルンハルト・ヴァルクス。ここアルトゥインで工匠頭をしております」


 彼は一呼吸置いてから続けた。


「救援、まことに感謝致します」

「カラディン辺境伯軍、リディア・カラディンよ」


 リディアは毅然とした態度で答えた。


「あなたがここの代表? アルトゥイン伯爵は?」

「おお、カラディン家の......」


 ベルンハルトの声には敬意が込められていたが、伯爵の話となると表情が一瞬で曇った。彼は椅子に座り直し、重くため息をついた。


「伯爵閣下は......西のオルマンリの街が襲われたとの急報を受けて、領軍を率いて救援に向かわれました。それから......音沙汰がありません」


 室内に重い沈黙が落ちた。夕日が傾き、応接室のタペストリーに長い影を伸ばす。暖炉の薪がパチパチと音を立てているが、その音さえも静寂を際立たせるばかりだった。


「音沙汰がない......そう......」


 リディアの声には、不安が滲んでいた。ユリアの脳裏には、城壁下で見た光景が蘇る。


(オルマンリへの救援に向かって音沙汰がない、そして武装ゾンビの中にマントを着た気品のある個体......状況証拠としては十分ね。伯爵とその護衛隊は、おそらく全滅している。そしてゾンビ化して、今度は自分の領地を攻撃している......なんという皮肉)

「閣下が出陣されてしばらくして、外にいた化け物どもが街を取り囲みました」


 ベルンハルトは拳を握りしめる。


「警備兵と民兵で防衛していましたが、籠城初期に警備隊長が戦死され、私が民兵をまとめることになりました」

「そうなのね......ご苦労。あなたの功績に帝国は必ずや報いるわ」


 リディアの言葉に、ベルンハルトの顔に安堵の色が浮かんだ。


(さすがリディア......民兵を労い、帝国の威信を示している。相手との良好な関係を築きつつ、帝国軍の権威も保つ。見事な外交術ね)

「ハッ、ありがたきお言葉です」

「ところで、先ほどから横にいるこの方は?」


 リディアの視線が、黙って座り続けているエルフに向けられた。


「あー、こいつは......」


 ベルンハルトは困ったような表情を浮かべる。


「こいつはリオフェル・グロジス。流れ者のエルフの研究者なんですが......防衛戦で活躍して民兵からの信頼も厚く、今じゃ顔役になっております」

「へえ、研究者に見えたけど実践派なのね」

「わしの研究は実用性重視じゃからな。今回もいいデータが多くとれたわい」


 リオフェルは飄々とした口調で答えた。どこか掴みどころがない。


「実際、今回の防衛戦でも元兵士らしき個体は武器の扱いが巧みじゃった。じゃからこそ、わしの道具が役に立ったんじゃよ」


 リオフェルは得意げに続けた。


「魔力誘導爆弾に魔視鏡、魔力感知器に臭いを通さないマスク......色々と実用的な道具を現場で必要になった分だけ作ったんじゃが、これが案外効果的でな」

「......まあ、あの臭いを通さないマスクは確かに役に立ちましたがね」


 ベルンハルトは少し渋い顔をしながら続けた。


「化け物どもの腐臭で吐き気を催していた民兵たちが、あれのおかげでようやく戦えるようになりました。あの時はこの変人エルフも人の役に立つことがあるんだと感心したものです」

「さすがにあの臭いはわしもきつかったじゃからな」

(防臭マスク......魔力感知器は......このエルフの発想は一体......)


 ユリアは何かに引っかかった。


「......まぁ、帝国臣民を守っているなら文句はないわ」


 リディアは眉をひそめながらも、一応の理解を示した。


(流れ者のエルフが民兵の信頼を得るなんて、相当な実力があるはず。それも「いいデータが取れた」という言い回し......戦闘を実験の場として捉えているのね。常識外れだけど、間違いなく有用な人材だわ)

「それで......外で伯爵閣下と連絡はとれなかったでしょうか?」


 ベルンハルトの声には、かすかな希望が込められていた。その表情にはすでに諦めの色も見えている。


「いいえ。それらしき軍なども見ていないわ」


 リディアの答えに、ベルンハルトの肩が落ちる。


「リディア隊長、少しよろしいでしょうか?」


 ユリアが口を開いた。


「なに?」

「城壁下に武装ゾンビが展開しており、その中にマントをつけた指揮官級の個体を確認しました。立ち振る舞いからも気品が感じられました。もしかしてですが......」


 ユリアの言葉に、室内の空気が一層張り詰めた。暖炉の火が揺らめき、三人の顔に不安な影を落とす。


「ほう、それは興味深いのう」


 突然、リオフェルが身を乗り出した。


「ゾンビの行動が生前の行動に似る可能性はあるぞ。繰り返し同じ動作を行えば体が覚えるというじゃろ? 筋肉がその動きに最適化されておれば、死後も記憶された動作にそっくりに動いてもおかしくないじゃろう」

「......それは確かに一理ある」


 ユリアは驚いた。この変人研究者、意外に的確な分析をする。


「なるほど、伯爵とその護衛......というわけね。あり得るわね......」


 この言葉を聞いたベルンハルトの顔が、さらに青ざめた。最後の希望が潰えたような表情が浮かぶ。手が小刻みに震えていた。


「うちの工房から軍に納めた鎧も......あの中にありました」


 自分が作った武具を身に着けた者たちが、今や敵として立ちはだかっている。その現実を受け入れることの辛さが、彼の表情に刻まれていた。


「......伯爵のご家族は?」


 リディアが静かに尋ねた。


「ご子息は帝都に。奥様もオルマンリの街にいらっしゃいまして......」

「すぐには確認できないわね......」


 やりとりを聞きながら、ユリアの胸に重苦しいものが積もっていく。ベルンハルトは意を決したように立ち上がった。テーブルに両手をつき、切実な表情でリディアを見つめる。


「お願いがあります。カラディン辺境伯軍でアルトゥインを守っていただけませんか?」

「それはさすがに......別の領地に駐屯するわけには......」


 リディアは困惑の表情を見せた。


「貴族の領地というものの重さは承知しております」


 ベルンハルトの声には切実な訴えが込められていた。


「ですが、アルトゥインの防衛は民兵だけでは限界なのです!」

(確かに民兵だけでは限界ね。でも他領への長期駐屯は政治問題になりかねない。リディアはどう判断するかしら......)


 リディアは長い間考え込んだ。窓の外では夕日が沈みかけ、室内の燭台に明かりが灯される。オレンジ色の炎が揺らめく中で、重要な決断が下されようとする。


「......わかったわ。父に確認します。それまでは臨時措置として駐屯することにします。ただし長期の駐屯は確約できないわ」

(賢明な判断ね。人道的な配慮を示しつつ、政治的なリスクは最小限に抑えている。カラディン辺境伯への確認を条件にすることで、決定権は父君にあることも明確にした)

「ありがとうございます!」


 ベルンハルトの顔に希望の光が戻った。


「話もついたことじゃし」


 リオフェルが突然口を開いた。


「おい、ジジイ、なにを言う気だ? やめろ」


 ベルンハルトが慌てたような声を上げる。


「その銀髪の嬢ちゃん、ちょっとでいいんじゃが、わしの研究を手伝ってくれんかの? なーに、変わった魔力を持ってるからちょっと見せてもらいたいだけじゃよ!」


 リオフェルの視線がユリアに向けられた。その目には研究者特有の好奇心が燃えている。

 ユリアは一歩後ろに下がった。あの魔視鏡を使っているのだろうか。性能は確かなようだが、この研究者には裏がありそうだった。


「痛くもしないし、時間もとらせん。研究協力への謝礼も用意するぞ?」


 ユリアの背筋に寒気が走った。この研究者は、確実に常識の範囲外で行動するタイプだ。


「それは嫌」


 ユリアはきっぱりと断った。


(こういう研究者は一度興味を持つと粘り強いのよね。はっきりと意思を示しておいた方がよさそう)

「世界の発展のために必要なんじゃ!」

「おいやめろ! すいません、ほんとにすいません! これでも都市防衛の功労者なんです! 手討ちだけは勘弁を!」


 ベルンハルトが慌てふためいてリオフェルを抑えようとする。


「......え、ええ......」


 リディアは呆れたような表情で、この奇妙な光景を眺めていた。危機的状況の中で、なんとも言えない空気が応接室に漂う。

 窓の外では夕日が完全に沈み、オレンジ色の残光が応接室に静かな影を落とす。

 ユリアは先ほどのリオフェルの言葉を思い返していた。魔力誘導爆弾、魔視鏡、魔力感知器......実用性の高い組み合わせだった。


(防衛戦で使ったという技術......使えるかどうか見極めておくべきかもしれないわね)




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