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終末の血族  作者: 天津千里
4章:研がれし刃
27/39

第27話 研がれし刃II

【帝国紀元1799年4月26日 14:00】

【カラディン辺境伯領・カラディン城館小会議室】


 午後の陽光が小会議室の窓から差し込み、テーブルに散らばった資料を照らしていた。中隊発足から一週間------ようやく部隊としての体裁が整い始めた頃、ユリアは小隊長たちを集めて重要な報告を行おうとしていた。

 石造りの質素な部屋に、レオニダス、カリス、ルキウス、ガイウス、セリーヌの五人の小隊長が揃っている。ユリアは彼らの顔を見回した。皆、緊張の中にも期待を滲ませている。ルシアと瑞希は副官として両脇に控え、瑞希の前には丁寧に整理された書類が積まれている。


「さきほど、リディア大隊に出撃命令が下ったわ」


 ユリアの声が室内に響いた。小隊長たちが身を引き締める。ルシアも瑞希も背筋を伸ばした。


「私たちもその一員として出撃することになったわ」


 会議室が静まり返った。ついに実戦の時が来たのだ。ユリアは小隊長たちの表情を見回した。レオニダスは身を乗り出すように前傾し、カリスは冷静に頷いている。


「中隊としては初陣だけど、大半は熟練兵......準備は問題ないわね?」


 ユリアの確認に、ルシアが穏やかに応じた。


「ええ。物資なども準備万端よ」

「兵もここ数日の訓練で連携が取れるようになっている」


 レオニダスの力強い報告に続いて、ルキウスが付け加える。


「銃兵も猟銃の扱いには慣れてきたようです」

「いいわね。では、作戦概要を伝えるわ」


 ユリアが手を軽く上げると、瑞希が立ち上がって地図を広げ始めた。羊皮紙の地図がテーブル一面に広がり、カラディンから西側の地形が詳細に描かれている。カラディン周辺の平野を越えた先、山脈の麓の丘陵地帯に「オルトゥス」と記された場所があった。


「オルトゥス子爵からの救援要請が届いているわ」


 ユリアが地図上の一点を指しながら説明を始める。手元の報告書に目を落とし、そこに書かれた文面を確認した。籠城戦なら数的不利も多少は補えるはずだが、それでも厳しい状況には違いない。


「敵は例の......」


 報告書の表現を見て、ユリアが一瞬口ごもり、苦笑いを浮かべた。


「ゾンビ」

「この呼称、ほんとに使うの?」

「兵にも定着しつつあります」


 レオニダスの簡潔な報告に、ユリアは軽く肩をすくめた。


「そう......なら仕方ないわね」


 気を取り直して続ける。


「ゾンビがおよそ3000。これを子爵軍400が城館にて防衛中。我々はそこにリディア大隊1800で救援、敵を撃滅するわ」

「カリス、何か補足はある?」


 名前を呼ばれたカリスが前に身を乗り出した。切れ長の目に思案の色を浮かべながら、地図を見つめる。


「オルトゥス子爵は内政畑だからな、防衛に支障はないだろうが......攻勢には期待しないほうがいい」


 なるほど、とユリアは頷いた。やはりカリスは貴族間の事情に詳しい。


「それに、地理的に弾薬の備蓄もさほどないはずだ。物資が枯渇する前に解囲する必要があるだろう」

「なら短期決戦で正面戦闘は避けられないわね」


 ユリアが頷くと、ガイウスが実戦への期待を込めて口を開いた。


「猟銃戦術の初めての本格運用というわけですな」

「先日の戦闘を見る限り、相当前に行く必要がありそうだな」


 カリスが戦術的な懸念を示すと、ユリアは力強く頷いた。


「ええ。そこの統制は頼んだわよ」

「ああ、任せてくれ」


 カリスの確信に満ちた声に、ユリアは内心で安堵した。


「弾薬はどう?」


 ルシアが資料に目を落としながら答える。


「城館の在庫をかき集めているわ。数回の会戦にも十分な量よ」

「それは心強いな」


 カリスがほっとしたような声で答えた。補給の心配がないのは前線指揮官にとって重要なことだろう。


「魔導小隊はどう?」


 ユリアの問いかけに、セリーヌが勢い良く背筋を伸ばした。


「準備万端です!」


 セリーヌの返事に、ルシアが優しく微笑んでいるのが見えた。


「帝国の魔導銃はあなたには相性が悪くて大変だと思うけど、小隊長、お願いね」


 その瞬間、セリーヌの表情がわずかに変わった。首を小さく傾げ、困惑したような色を浮かべる。


「はい! ......あの、相性が悪いというのは......?」

「? ......どうかした?」


 ルシアが首を傾げると、セリーヌは慌てたように背筋を伸ばしたが、どこか考え込んでいるような色が残っていた。


「いえ! なんでもありません! 頑張ります!」


 その様子を見て、ユリアは少し気になった。魔法関係は詳しく分からないが、ルシアは何か気づいたのかもしれない。

 魔導小隊の準備状況を確認してから、ユリアは最後の項目に移る。


「近接小隊は......」

「問題ありません!」


 レオニダスが食い気味に力強く答えた。


「大丈夫そうね。それにしても2人とも硬いわねぇ......」


 ユリアが苦笑いを浮かべると、レオニダスは姿勢を正したまま答えた。


「ハッ」

「おいおい、お前、ほんとにあのレオニダスかよ......」


 カリスの驚きようを見ると、レオニダスは本当に変わったのだろう。ユリアには最初からこの調子だったので実感はないが。

 室内に僅かな笑いが漏れた。


「まぁいいわ。そのうち慣れてちょうだいね」


 ユリアが軽く手を振ると、最後の確認に入った。


「こんなところかしらね。出発は明日早朝。それまでに準備と気持ちを整えておいて」


 小隊長たちが一斉に頷く。緊張と期待が入り混じった表情を浮かべていた。


「------それじゃ、解散!」


 ユリアの号令で、小隊長たちが次々と立ち上がった。椅子の軋む音が石の壁に反響し、足音が廊下に向かって遠ざかっていく。

 窓の外では、カラディンの街に夕暮れが近づき始めていた。明日の出発に向けて、城館全体が慌ただしい準備に追われている。兵士たちの声、武器を手入れする音、馬のいななき------すべてが、間近に迫った戦いの前奏曲のように響いていた。

 初陣を前にした中隊の空気は張り詰めており、皆が引き締まった表情を見せていた。ユリアは窓の向こうに広がる西の空を見つめながら、明日から始まる新たな戦いへの決意を静かに固めていた。


 * * *


【帝国紀元1799年4月27日 05:00】 

【カラディン辺境伯領・カラディン城館客間】(瑞希視点)


 夜が明けきらぬうちに、瑞希は目を覚ました。またこの時間------最近、なぜか早く目が覚めてしまう。窓の外はまだ薄暗く、朝焼けが始まる前の静寂に包まれている。鳥のさえずりがかすかに聞こえるだけで、城館全体がまだ眠りの中にあるようだった。

 寝台に横たわったまま、瑞希は天井を見つめていた。石造りの天井に組まれた重厚な木の梁------もうこの光景に驚かなくなっている自分がいる。薄い光の中に浮かぶそれらが、なぜかとても自然に感じられた。


「今日からまた出発......オルトゥス、って言ってた。どんな場所なんだろう」


 昨日の作戦会議で聞いた地名を思い出しながら、瑞希は小さくため息をついた。地図で見た限りでは山間の小さな領地のようだったが、実際にはどんな場所なのか想像もつかない。


「救援要請......ってことは、またあの......ゾンビ? この前みたいなこと、起きないよね......」


 また戦場に向かうという現実が、記憶を揺さぶった。エルズリウムでの戦闘が脳裏をよぎる。あの時の光景------動く死者たちの姿、血の匂い、兵士たちの悲鳴------それらを思い出すと、胸の奥から熱いものが湧き上がり、血管を伝って全身に広がっていく。体の中で何かが燃えている------なぜこんな感覚を覚えるのか、瑞希には分からなかった。

 その時、隣の寝室から扉が開く音がした。木の軋む音が静寂を破り、廊下に足音が響く。


「あ、2人も起き出したのかな、私も起きないと」


 瑞希は慌てて身を起こし、軽く身支度を整えた。髪を手で梳かし、服装を整えてから、そっと部屋を出る。廊下は朝の冷たい空気に満たされており、足音が石の床に小さく響いた。


「おはよう」


 ルシアが穏やかな笑顔で迎えてくれた。いつものように美しく整った姿で、朝の光に金髪が柔らかく輝いている。


「おはようございます。......あれ、ユリアさんは?」


 瑞希は辺りを見回したが、ユリアの姿が見当たらない。いつもなら三人揃って朝を迎えるのだが。


「さっきバタバタと出ちゃったわ」


 ルシアが肩をすくめて答える。その表情には、心配そうな色が浮かんでいるように見えた。


「そうなんだ......やっぱり忙しいんですね」


 少し寂しい気持ちになりながら、瑞希は小さく呟いた。中隊長としての責任を一身に背負うユリアの大変さを思うと、胸が締め付けられる。


「そうね。私たちも朝食をいただいたら向かいましょう」

「はい」


 瑞希が頷いた瞬間------


「......あれ、この光景、前にも......いや、違う? でも、どこか懐かしい......」


 突然、既視感が瑞希を襲った。朝の廊下、誰かと交わす挨拶、そして------

 頭の奥で何かが光った。


「いたっ頭が......」


 鋭い痛みが側頭部を貫き、瑞希は思わず額を押さえた。瞬間的に断片が浮かんだ------温かい食卓、誰かの笑い声、窓の向こうの景色、そして......ブレーキの音?  違う、何かの音------


「瑞希さん?」


 ルシアの心配そうな声が遠くから聞こえてくる。瑞希は自分がその場に立ち尽くしていることに気づいた。いつの間にか時間が過ぎている。ルシアが不安そうな表情でこちらを見つめていた。


「......っ、あれ、私......」

「大丈夫? ぼーっとしてたみたいだけど」


 ルシアの声が心配そうに響いた。その優しい瞳に見つめられて、思わず慌てたように手を振ってしまう。


「あ、はい、ちょっと寝ぼけてるのかもしれません、顔を洗ってきます!」

「......そう」


 ルシアの短い返事が、廊下に静かに響いた。

 瑞希は洗面所に向かいながら、ルシアがじっと背中を見ているのを感じた。


「少し、探るような目......気のせい、だよね?」


 あの優しい蒼い瞳の奥に、何か深い懸念が宿っているような------そんな気がしてならなかった。

 冷たい水で顔を洗いながら、瑞希は鏡の中の自分を見つめた。なぜか顔色が悪く見える。

 それに、鏡の中の自分がどこか知らない人のような気がして------まるで、仮面をかぶったみたい......そして、何かを思い出したような気がするけれど、何だったのだろう。


「私は......ここで何ができるんだろう」


 顔を洗ったあと、そんな問いが胸に残った。


「きっと緊張のせいよね......うん、そうに違いない」


 自分に言い聞かせるように呟いて、瑞希は洗面所を後にした。でも、正体のつかめない不安だけは、どうしても消えてくれなかった。

 朝食を済ませ、出発の準備を整えた後、他の兵士たちと共に中庭へと向かった。足音が石畳に響くたび、心臓の鼓動が早くなる。

 石畳の広場には、すでに多くの兵たちが整列していた。鎧の金具が擦れ合う音、馬のいななき、誰かの指示する声------朝もやの中で、それらが静かに響いていた。朝日が城館の石壁を金色に染め始め、兵士たちの武具に小さな光を散らしている。冷気が頬を刺すように撫でて、現実を突きつけてくる。

 瑞希は列の端に立ち、周囲を見渡す。軍装に身を包んだ兵たちの間で、まだ着慣れない軍服が肌に馴染まない。胸元の魔導具が朝日を反射している。それすらも、まるで自分のものではないような気がする。

 無意識に襟元を直す。


「本当に......行くんだ」


 呟きそうになった声を胸の奥で飲み込む。目の前に並ぶ兵士たちは、みな整然としていて、朝の寒さにも微動だにしない。けれど、近くの銃兵の手が微かに震えているのに気づいた。

 瑞希と同じように、恐れている人がいる。少しだけ救われた気がして、思わず小さく息を吐く。声をかけたい気持ちがあったが、何を言えばいいのか分からず、代わりに軽く会釈してみた。


「みんな、緊張してるんだ......私だけじゃない」


 安心したような、それでいて心細いような------複雑な感情が胸を満たす。握りしめていた拳をそっと開く。もう引き返すことはできない。

 その時、広場の奥から蹄の音が響いた。瑞希は反射的に振り返る。

 正門側から、ユリアが姿を現した。黒いマントをなびかせ、無言で馬を進めるその姿------あの時戦場で見た威圧的な存在感が戻ってきたようだった。普段は抑えられているものが、再び立ち現れたかのように。

 背筋を伸ばし、前方を見据えるその横顔には、指揮官としての威厳が宿っている。


「......かっこいいな」


 そう思った瞬間、胸が締めつけられる。思わず背筋を伸ばす。あの背中に、自分は追いつけるのだろうか。ユリアの纏う空気は、もはや瑞希の知る静かな少女のものではなく、別人のような威圧感に満ちていた。

 ユリアの馬が中隊の前方に止まり、彼女が静かに言葉を放つ。


「ユリア中隊、出撃するわ」


 それだけの言葉だった。けれど、その瞬間、広場の空気が変わった。ざわめきが止み、兵士たちの表情が引き締まる。

 まるで見えない糸に操られるように、皆の背筋が一斉に伸びた。ユリアの存在感が、朝靄の中でも圧倒的に際立って見える。その声には迷いがなく、決意だけが込められていた。


「各隊、前へ!」


 ルシアの号令が飛ぶ。凛とした声が朝の空気を切り裂き、兵士たちが一斉に動き始める。セリーヌとレオニダスも続いて持ち場に散っていく。それぞれの表情には緊張があるが、同時にユリアへの信頼も感じられた。

 瑞希も列の後ろに加わった。最初はぎこちなかった足取りが、次第に周囲のリズムに合ってくる。

 背後では荷馬車が整備され、魔導銃を積んだ小隊がすぐ近くを進んでいるのが見える。武器の金属音、革の軋み、兵士たちの足音------それらが戦争という現実を告げていた。

 油と鉄の匂いが朝の冷気に混じり、鼻をつく。どこまでも現実感のない光景のなかで、ただ足元の石畳だけが冷たく硬かった。


(私は......ちゃんと、歩けてるのかな)


 心の中で問いながらも、列が動き出すと、自分の足も自然に前へと進んでいった。一歩、また一歩------気がつけば城門を潜り抜け、街道へと向かっている。

 振り返ると、カラディンの城館が朝日を浴びて聳えていた。見慣れた石壁、窓、塔------この数日間を過ごした場所が、すでに遠い過去のもののように思える。一度立ち止まりかけたが、すぐに歩を進める。


「帰って来れるかな......」


 不安がよぎったが、瑞希は小さく首を振る。拳を握り、そっと開く。帰ってくるんだ。必ず。そして------


「今度こそ、何かできることを見つけたい」


 胸に手を当てる。さっき洗面所で感じた焦燥感が、今は静かな決意に変わっている。まだ自分に何ができるかは分からない。みんなの役に立てるかも分からない。でも、ユリアたちと一緒にいる限り、きっと答えは見つかるはずだ。見つけたい------改めて前を向く。

 朝もやが次第に晴れていき、街道の向こうに山並みが姿を現した。オルトゥスへと続く道------未知の場所への道のりが始まる。行軍の列に加わりながら、瑞希は大きく息を吸い込む。

 冷たい朝の空気が肺を満たし、心を少しだけ落ち着かせてくれた。足音が石畳に響く。一歩一歩が、確かに前へと進んでいる。


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