第26話 研がれし刃I
【帝国紀元1799年4月16日 13:00】
【カラディン辺境伯領・カラディン城館客間】
午後の陽光が客間の窓から差し込み、テーブルに置かれた包みを暖かく照らしていた。
「わぁ、いい匂い! ちょっと買いすぎちゃいましたかね?」
瑞希が包みを開けながら、弾んだ声を上げた。街で買い込んできた昼食——焼きたてのパンの香ばしい匂いと、香辛料の効いた肉料理の豊かな香りが部屋に漂っている。テーブルには確かに三人には多すぎるほどの量が並んでいく。
「大丈夫よ、余ったら夜にでも食べましょ」
ルシアが微笑みかける。
「そうですね!」
瑞希の明るい返事が客間に響いた時、扉を控えめにノックする音が聞こえた。
「どうぞ?」
ルシアが声をかけると、扉が静かに開かれ、リディアの姿が現れた。普段の凛とした佇まいはどこにもない。肩が僅かに落ち、目の下には薄いクマが浮かんでいる——一目で異変を察した。
「失礼するわ……あら、お昼時だったの。ごめんなさい」
リディアが眉をひそめ、視線を逸らした。
「いいのよ。買いすぎちゃったからあなたも食べる?」
自然に誘う。この疲れ具合を見れば、まともに食事も取れていないのは明らかだった。
「そういうわけには……」
リディアが遠慮がちに手を振った時、ルシアが首を振った。
「疲れが出てるわよ。少しだけでもどうぞ。倒れちゃうわよ」
ルシアの穏やかな声に、リディアの遠慮が僅かに緩んだ。
「……ありがとう、ちょっとだけいただくわ」
リディアが折れて席に着く。疲労の影は濃いが、背筋だけは軍人らしく真っ直ぐだった。瑞希が慌てて皿を用意した。
「はい、どうぞ」
瑞希の屈託のない笑顔に、リディアの表情がわずかに和らいだ。
「それで、どうしたの?」
単刀直入に尋ねた。疲れているリディアに長々と社交辞令を続けさせるのは酷だろう。
「ええ、その、提案なのだけど……」
リディアが一瞬言葉を選ぶような間を置いてから、口を開いた。
「ユリアを中隊長として中隊を編制しようと上層部で考えてるの」
「ええ!?」
瑞希がフォークを止めて驚きの表情を見せた。
「私が?」
軽く眉を上げる。
(そうきたか。軍が外部の小娘を指揮官に? 思ってた以上に柔軟ね)
「この前の戦いであなたの活躍を見た将校たちからの推薦もあるの」
ルシアがこちらを見つめた。
「ユリア……」
「そうね……」
短く呟く。この提案の背景は何か、受諾すべきか——頭の中で天秤にかける。
リディアが手元のパンを小さく千切り、口に運んだ。疲労のせいか、動作は機械的だった。
「不安に思うのも分かるわ。私たちも全力でサポートするから、引き受けてもらえないかしら?」
(ここで拒否は……できなくはないでしょうけど、お客さんのままになるか……むしろ非協力的で警戒されるかしら)
(軍の一員になれば、情報も権限も得られる……帰る手段を探すには)
「私みたいな小娘が指揮官で兵が納得するの? この前の臨時ですら結構な反発があったわよ」
「あなたの戦いぶりは噂になっているわ。協力的な兵を選ぶし、士官もしっかりした者を集めるわ」
リディアの返答は、まるで準備していたかのように滑らかだった。
(すごく好待遇ね……そこまでする?)
(……ああ、象徴にでもするつもりかしら。ジャンヌ・ダルクみたいに)
異界人という特殊性と戦場での功績。落ち込んだ兵士たちを鼓舞し、他の勢力への切り札とする——カラディン家の意図が見えてきた。
「……役目が終わったからって燃やされるのは嫌よ?」
「え?」
リディアが目を丸くした。
「昔いたの、そんな女の子が。あまりに持ち上げられた末に——火あぶりよ、信じられる? 役目が終わったら引退して静かに暮らすからね」
役目を終えて火あぶりにされた聖女の末路を思えば、当然の警戒だった。
「燃やす!? そんなことさせないわ! 約束する」
リディアが慌てふためいた。この世界の人には、ジャンヌ・ダルクの運命は知識としてないのだろう。
「わかったわ、引き受けるわ」
「ありがとう!」
リディアの顔にぱっと明るさが戻った。
「すぐに準備するから! 行ってくるわ! ごちそうさま!」
食事もそこそこに、足早に客間を後にした。
扉が閉まると、客間には再び静寂が戻った。
「本当にいいんですか? ユリアさん……」
瑞希の声が沈んでいる。
「そうよ、ユリア。私たちはあくまでこの世界の人間じゃないのよ。無理しなくても……」
ルシアの眉がわずかに寄った。
「そうなんだけどね……帰る手段が手がかりすらない状態だから、少しでも立場を強くして、情報を集めないとと思ってね」
「それは……そうかもしれませんが」
瑞希が小さく頷いた。理屈では理解できるのだろうが、まだ不安そうだった。
「大丈夫よ、いざとなったら2人を連れて逃げるわ。こう見えて強いんだから」
「そ、そうですけど!」
「無理はしないでね?」
ルシアが手を伸ばし、こちらの手を軽く握った。
「ええ」
窓の外では、カラディンの街が午後の陽光に包まれている。明日からは、この世界での新たな立場が始まる。故郷への道筋は見えないが——まずは一歩ずつ。
【帝国紀元1799年4月19日 15:00】
【カラディン辺境伯領・カラディン城館・訓練場】
春の陽射しが石畳を温めている。整然と隊列を組んだ兵士たちの視線が、中央に立つ二人に注がれていた。
あれから三日——小隊長たちとの顔合わせ、装備の確認、編成計画の打ち合わせと、目まぐるしく過ぎた日々だった。
胸元に新たに授与された中隊長の階級章の重みを感じながら、隣のリディアを見た。彼女の肩には大隊長の階級章が午後の光を反射して輝いていた。
(これで情報収集の立場は確保できた。責任も重くなるけど……この機会を活かして、帰還への手がかりを掴まないと)
「静粛に!」
リディアの号令が訓練場に響き渡った。ざわめきがぴたりと止む。新設部隊への配属を知らされた兵士たちの間に、静かな緊張が漂っていた。誰もが自分の運命を左右する発表を待っている。
「本日をもって、新設の中隊を発足する。この場で、編成および人員の任命を告げる!」
リディアが一歩前に出ると、その声は石造りの訓練場に良く通った。兵士たちの背筋が一層伸びる。
「中隊長、ユリア・コニシ!」
兵たちの視線が一斉にこちらに向けられた。列の間で小さく息を呑む音が聞こえ、隣同士で短い視線を交わす者もいる。
落ち着いた動作で一歩前に出る。簡潔に一礼すると、幾人かの兵士が僅かに頷いた。
(戦場では見ていても、改めて指揮官として立つと、やはり少し不思議な感じなのでしょうね)
「副官は二名。ルシア・コニシ、ミズキ・アメミヤ。両名は中隊長補佐として指揮支援を担当する」
ルシアと瑞希がそれぞれ前に出て、簡潔に敬礼した。瑞希の動作にはまだ硬さがあるが、この数日で軍の作法にも慣れてきたようだった。異界人三人が指揮層を占めることに、兵士たちの間で微かな動揺が走る。
「続いて、各小隊長を発表する」
リディアが巻物を広げる。羊皮紙の擦れる音が響いた。
「近接小隊長、レオニダス・ストラトス」
(重装備の近接戦闘部隊に、三個の歩兵小隊、魔導小隊——標準的な中隊編成ね)
「ハッ!」
力強い返事とともに、見慣れた筋骨隆々の男が一歩前に出た。あの夜戦で共に戦ったレオニダスだった。傷だらけの鎧が歴戦を示しており、鋼のような視線が一瞬こちらと交わって僅かに頷く。
(彼がいてくれるなら心強いわ)
「第一歩兵小隊長、カリス・レーンフォード」
今度は若い男が前に出た。切れ長の目が印象的で、整った動作で敬礼を見せる。その立ち振る舞いの端々に生まれ育ちの良さが滲み出ており、同時に軍人としての誇り高さも感じられた。この三日間で顔合わせを済ませていたが、改めて正式な場で見ると一層印象深かった。
「第二歩兵小隊長、ルキウス・フロレンティウス。第三歩兵小隊長、ガイウス・レメティウス」
二人の中年の男が続けて前に出る。どちらも実直そうな風貌で、修繕の跡が残る装備が現場を知り尽くした叩き上げであることを示していた。
(カリスは貴族出身、ルキウスとガイウスは現場からの叩き上げだったわね)
(3人とも旧知らしいけど……カリスが貴族出身だという以上に丁重に扱っている気がするわね。ただ、3人とも非常に好意的。今はそれで良しとしましょう)
「魔導小隊長、セリーヌ・フォルカ」
最後に名を呼ばれたのは、見覚えのある茶髪の女性だった。あの夜戦で魔導銃の扱いをルシアに教えていたセリーヌ。彼女が胸を張って前に進み出た。
(知った顔がいるのは安心ね)
「以上、中隊編制をここに告げる。以後、各隊はユリア中隊長の下、訓練・運用に入る。準備が整い次第、戦場への投入も予定されている。各自、任に恥じぬよう励むこと!」
リディアの言葉が終わると、訓練場に短い沈黙が訪れた。やがて一糸乱れぬ敬礼が揃う。金属の擦れる音が石造りの空間に響き、午後の陽光が無数の武具に反射して煌めいた。
前に出て、整列した兵士たちの顔をゆっくりと見渡した。若い者もいる。戦場を知り尽くした古参兵もいる。皆がこれから自分の指揮下に入る——この混乱した情勢で、わざわざ私の下に来てくれた兵士たち。
(必ず生き延びさせる)




