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終末の血族  作者: 天津千里
3章:黎明の銀星
23/38

第23話 黎明の銀星VI

【帝国紀元1799年4月4日 7:30】

【エルズリウム東方・丘陵地帯】


 小隊をルシアとレオニダスに任せ、ユリアはドミティウス中隊長の指揮する臨時編成の歩兵中隊に加わっていた。


 集結地から南西へ向かう部隊は、丘陵を避けるように沢沿いの道を進んでいた。朝日が木々の間から差し込み、水の流れる音が静かに響いている。兵士たちの足音と装備の擦れる音だけが規則的に聞こえてくる中、一晩中の戦闘を経た疲労が部隊全体に重くのしかかっていた。

 沢の両側に迫る崖が徐々に高くなっていく。狭い行軍路を進む兵士たちの表情は硬く、警戒の色が濃い。周囲を見渡せば、誰もが血と泥にまみれた装備を身につけている。それでも足取りは乱れていない。選抜された精鋭たちだけあって、統制は保たれていた。


 ドミティウスが馬上からユリアに近づいてきた。


「ユリア殿、改めてお礼を」

「……何が?」

「あなたのおかげで、私の部隊も無事に帰還できました」


 ユリアは軽く首を傾げた。


「任務を果たしただけよ」

「それを成すのは、並大抵のことではないんですよ」


 ドミティウスの声には実感がこもっている。


「……私は私にできることをしているだけ。それより、リディア大隊長の部隊の情報は?」


 話題を変えるように、ユリアは本題を切り出した。


「本陣護衛と予備を率いて、混乱している第三歩兵中隊のいた北側に向かわれました」


 ドミティウスが馬上から前方を見据えながら説明を続ける。


「私たちの通ったルートは敵の大軍を火計で食い止めている状況ですので、沢を北上してくるルートを使用するはずです」

「それがこの沢……このルートの途中に、敵が食い込んできているの?」

「はい。伝令がこの先で敵と遭遇して引き返しています。数は約千」


(千か……)


 ユリアは眉をひそめた。


「結構いるわね。でも、それくらいならリディア大隊長の部隊で突破できそうな気がするけど」

「負傷兵が多いのか、あるいは追撃を受けているのかもしれません」

「そうなると厳しい、か……それで、私は何をしたらいい? 先頭で敵軍を切り開く?」


 ドミティウスは一瞬、言葉を選ぶように間を置いた。


「ユリア殿には、共に来ていただくだけで士気が上がるので……」

「ただの小娘一人で?」


 ユリアは皮肉めいた笑みを浮かべた。


「撤退戦で前線に踏みとどまって戦えるのは、"ただの小娘"とは言えませんな」


 ドミティウスが率直に返す。


「……まぁ、それで士気が上がるならいいのだけど。手札は有効に使って欲しいわ」

「……前線に立っていただくと?」


 ドミティウスの声に驚きが滲んだ。


「ええ。それが一番士気が上がるでしょう?」

「そ、それはそうなのですが……」


 言葉を濁すドミティウスの表情に、困惑と期待が入り混じっている。


 前方から騎兵が駆けてきた。


「前方にて敵発見。ゆっくり南方に移動中です」


 ユリアは剣の柄に手をかけた。


「出番みたいね。有効活用してちょうだいね?」

「ぐっ……敵軍を後方から急襲します。先鋒を頼みます……」


 ドミティウスが苦渋の表情で頷いた。


「ええ。任せて」


 ユリアは静かに笑みを浮かべ、前方へと歩み出した。朝日が彼女の銀髪を照らし、その姿が兵士たちの目に焼き付いた。


 偵察してきた騎兵に先導され、ユリアを先頭に近接兵が突撃態勢を取りながら前進する。その後方では、銃兵たちが射撃準備を整えながら追従していた。


 沢の先に、敵の群れが見えてきた。左手には林が広がり、右手には小川が流れている。川と林の奥には丘が連なっていた。敵は林と川の間の狭い空間を、南へ向かってゆっくりと進んでいる。偵察の報告通り、数は約千。


(地形的には迂回は無理ね。林と丘を越えるのは時間がかかりすぎる)


 ユリアは冷静に戦場を観察した。


(この群れはまだリディア大隊長の部隊と交戦していない。ということは、リディアを阻んでいるのは別の群れ……)


 群れの動きを見れば統率は取れておらず、ただ南へ向かって歩いているだけだ。


(急いでこの群れを叩いて、さらに南へ向かわないと……!)


 部隊が静かに接近を続ける。兵士たちは息を殺し、装備が音を立てないよう細心の注意を払っていた。足音さえも抑えられ、聞こえるのは小川のせせらぎと、遠くで鳴く鳥の声だけだ。


 ユリアたちが敵の背後まで十分に接近したとき、後方からドミティウスの声が響いた。


「中衛、構え……撃て!」


 近接兵の後方から、銃弾の雨が放たれた。鋭い銃声が沢に反響し、弾丸がゾンビの群れに突き刺さる。銃撃で倒れる者、傷を無視して前へ進もうとする者、こちらに振り向く者――群れが乱れた。


 その隙を逃さず、前衛の近接兵たちが駆け出す。


「突撃!」


 誰かの声が響き、ユリアは地を蹴った。


 剣を抜き放ち、最初のゾンビに斬りかかる。刃が首筋を捉え、一瞬の抵抗の後に肉を断った。返す刃で隣の敵の喉を裂く。動きを止めることなく、次の敵へ、また次の敵へ――剣が描く軌跡に沿って、ゾンビたちが次々と崩れ落ちていく。


「ハァッ」


 息を吐きながら、ユリアは剣を横に薙いだ。三体のゾンビの首が宙を舞う。左右では、突入してきた近接兵たちが槍や剣を振るっている。ユリアほどの速度ではないが、確実に敵を仕留めていく様子が見える。

 返り血が頬を叩いたが、構わず前へ進む。足元に倒れた死体を踏み越え、次の敵に剣を叩き込んだ。


「押せ! 押し込め!」


 誰かの声が響く。


 後方にいた銃兵たちが横に展開したようで、今度は横から激しい銃撃が飛んできた。弾丸の雨が敵の側面を削り取っていく。林と川に挟まれた敵は逃げ場を失い、前に押し出されるように動きが乱れていた。

 その混乱の中、ユリアは淡々と剣を振り続けた。刃が空を切る音、肉を断つ鈍い音、倒れる死体の音。周囲の兵士たちが必死に戦う中、ユリアだけは変わらぬ速度で敵を切り伏せていく。群れを切り裂き、さらに前へと進んでいった。


 戦闘が終わりに近づき、味方の銃声が減るにつれ、いつの間にか混じっていた遠方からの銃声が聞こえるようになってきた。


(これは……リディアの部隊?)


 ユリアは剣を振るいながら、耳を澄ませた。


「偵察兵! 南を見てこい! 他は掃討急げ! 終わり次第、すぐに移動するぞ!」


 ドミティウスも気づいたようで、次の指示が飛んでくる。兵士たちの動きが一層激しくなった。


(音が反響して分かりにくいけど……近いわね!)


 ユリアは目の前のゾンビに剣を突き立て、トドメを刺した。周囲の味方も勢いを増して敵を倒している。残った敵は数えるほどになっていた。


 蛇行している沢を下ると、曲がり角の先で川辺に集まっているゾンビの群れが見えてきた。数は千前後だろうか。一様に川辺の方を向いており、その奥には硝煙が立ち込めている。


(先ほど倒した群れとは別ね。こちらも同じくらいの規模か)

(硝煙! あそこにリディアが!)


「中衛、援護しろ! 前衛、突撃だ! 蹴散らせ!」


 ドミティウスの命令が響くと同時に、ユリアは飛び出した。後ろに続く兵たちも、生存者の存在に士気を上げたようだ。突撃の鬨の声が谷間に響き渡る。


 近づくにつれ、硝煙の隙間から戦況が見えてくる。沢を背に半円で銃兵が隊列を組み、その前をわずかな近接兵と、一部の銃兵が銃剣で槍衾を作って前衛を担っている。


(この世界の軍制だと、銃兵が前にいることはないと聞いているのだけどね……それほど前衛が減っているのね)


 そのとき、煙の雲の隙間に、黒茶の髪が見えた気がした。


(あれは……リディア? まさかね、辺境伯家の令嬢で大隊長だもの、前にいるわけがないわね……)


 ほんの二百メートル程度をあっという間に駆け抜け、ユリアを先頭とした救援部隊は、ゾンビの背後へ襲いかかった。不意を突かれたゾンビたちは次々と切り伏せられていく。


 ユリアは敵を処理し続けたが、次第に剣の感触が鈍くなっていることに気づいた。


(ちょっと感覚が鈍ったかしらね。剣をダメにしちゃうなんて……)


 思考しながらも目の前の敵を切り捨て続ける。だが――ついに手ごたえが変わり、剣が限界を迎えた。刃こぼれが激しく、もはや切れ味は失われている。

 思わず舌打ちが出る。傷が浅かったゾンビが、体を歪ませながら噛みつこうと近寄ってくる。その足を蹴ってへし折り、倒れたゾンビの首をそのまま踏み抜いた。


 こちらを助けようとしたのか、近寄ってきていた兵士と目が合う。


「こ、これを……」


 おずおずと渡された予備と思われる剣を受け取る。


「ありがとう。いいの?」

「え、ええ。俺の獲物は戦槌なんで……」

「そう。終わったら返すわ」

「は、はい」


 ユリアは軽く剣を振る。


(もう少し軽く振らないとダメね)


 まだこちらを見ている兵士に迫るゾンビへ一気に肉薄し、その勢いのまま喉を突き刺した。


「ほら、前を見ていないと危ないわよ」

「あ、すみません、ご武運を」


 持ち場に戻る兵士を横目に、ユリアは残りのゾンビを駆逐していく。


 敵の包囲の北側が食い破られ、救援部隊が味方の隊列まで到達した。周囲では銃声と剣戟の音が響いているが、戦況は明らかに好転していた。


「リディア様! リディア様はどこにおられるか!」


 ドミティウスの声が響く。


「ここよ! 救援ありがとう!」

「おお、そこにおられましたか!」


 ドミティウスとリディアが再会できたようだ。


(これでひとまず安心……あとは目の前の敵を倒して帰るだけね)


 ユリアは戦線を味方に任せ、補給兵を探した。


「補給兵さん、ちょっと剣の予備と水をもらえるかしら? さっき兵士から借りた剣、返さないといけないし」

「ハッ、ただちに。水はこちらです」

「ありがとう」


 水筒を受け取り、水を飲んで一息つく。戦場の喧騒で火照った体が冷やされていく。戦場は徐々に南へと進み、北側では負傷兵の治療が開始されていた。


 補給兵が補給台車から剣を持ってきた。


「こちらでよろしいでしょうか?」

「ええ」


 受け取った剣の具合を確かめ、腰に差す。


 その時、リディアの声が聞こえてきた。


「なんですって!? ユリア殿がいるの!?」


 ドミティウスがそれに何か答えているようだが、距離があって聞こえない。


「……じゃあ、行ってくるわ」


 ユリアは南の前線へと向き直った。


「え、あの、リディア様のところに向かったほうがいいのでは……」


 補給兵が遠慮がちに言う。


「ドミティウス中隊長がなだめてくれるでしょう。それより戦場が優先よ」


 リディアがこちらに気づいたようで、大声で呼びかけてくる。


「ユリア殿! ……ユリア! その銀色は誤魔化せないわよ! ちょっと来なさい!」

「……いなかったことにできないかしら」

「諦めたほうがよろしいかと……」


 補給兵が苦笑混じりに答えた。


「仕方ない、か。聞こえているわ! 今行くわ!」


 ユリアは小さくため息をついて、リディアのいる方へと歩き出した。


 向かった先ではリディアとドミティウスが立ち話をしていた。リディアは軽鎧を着込んでおり、返り血や土汚れから、つい先ほどまで前線に立っていたのがわかる。一方のドミティウスはこちらを申し訳なさそうに見ていた。


「ユリア、どうしてここに!」


 リディアが駆け寄ってきた。その声には安堵と心配が入り混じっている。


「もちろん、あなたの撤退を支援するためよ」

「そうです、ユリア殿はリディア様を助けるために参戦してくださったんですよ」


 ドミティウスがフォローを入れる。


「む、それは……ありがたい話なのだけど、でも、辺境伯家の客将なのよ?」


 リディアが眉をひそめた。


「私は与えられた役目を全うしただけよ。殿軍として働いてそのまま合流してきたの」

「はい。ユリア殿とちょうど遭遇しましてな。ご協力を願ったというわけです。それに、ユリア殿が先頭に立っていただけたので、士気が高くてですな。この救援作戦の成功はユリア殿のおかげと言って過言ではありますまい」

「そこまで言われると仕方ないわね……」


 リディアが小さく息を吐いた。


「リディア大隊長こそ、その様子だと先ほどまで前線に立っていたようだけど?」

「士気向上のためよ」


 リディアが即座に答える。


「それに、救援部隊をリディア様が直接率いるというのも……」


 ドミティウスが困った顔で口を挟んだ。


「私が率いるべきでしょう。その場に代わりの指揮官もいなかったのだから」

「リディア様こそ辺境伯家のご令嬢であられますので……お二人はそっくりですな」


 ドミティウスが呆れたように言った。


「む……はぁ、私の負けよ。今度から気を付けるわ」


 リディアが観念したように肩を落とす。


「そうしてください。我々部下が心労で倒れてしまいます」

「ふふふ」


 ユリアが笑みを浮かべた。


「ユリアもよ」


 リディアが睨むように言う。


「もちろん、死ぬ気はないわよ?」

「ささ、掃討が終わり次第、急いで引き上げましょう」


 ドミティウスが話を締めくくる。


「ええ。全部隊、掃討急げ! 終わり次第すぐにこの場を離れるぞ! 負傷した者は先に応急処置を受けておけ!」


 リディアの命令が響き渡り、周囲の兵士たちが動き始めた。


 戦場では急ピッチで撤収作業が進められていた。負傷兵が担架に乗せられ、後方へと運ばれていく。倒れた仲間を探す声――戦いの後の慌ただしさが戦場を支配していた。


 ユリアは剣を腰に差し直し、周囲を見渡した。疲れ切った兵士たちの顔、血と泥に汚れた装備、そして無数の屍。昨日の昼から続く連戦を生き延びた者たちは、それぞれに安堵の表情を浮かべている。


(ひとまず、リディアを無事に助け出せた……)


 小さく息を吐く。張り詰めていた緊張が、少しだけ緩んだ。


 だが、戦場の光景を見渡せば、これがまだ始まりに過ぎないことは明らかだった。昨日からの激戦でこれだけの被害。敵の数は膨大で、その物量は脅威だ。


(これは……長い戦いになりそうね)


 遠くで角笛が鳴り、部隊が整列を始める。撤退の準備が整ったようだ。ユリアは前を向き、仲間たちと共に歩き出した。


 朝日が戦場を照らし、長い影が地面に伸びていた。


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