第19話 黎明の銀星II
【帝国紀元1799年4月3日 20:00】
【エルズリウム東方・丘陵地帯の陣地の一角】(セリーヌ視点)
夜の帳が降りた陣地の片隅。松明の橙色の光が、様々な部隊から集められた兵士たちの顔を浮かび上がらせていた。重い沈黙の中で互いの顔を見回している。誰もが同じ疑問を抱いている------なぜ自分たちがここに呼び出されたのか。
セリーヌは周囲を見渡す。胸の奥に湧く困惑を押し殺しながら。ユリウス大隊、本隊、リディア大隊------部隊の垣根を越えて集められた面々の中に、見慣れた顔がちらほらと見える。
(兵科も所属もバラバラ......何の基準で選ばれたのかな)
全員の表情に疲れ切った様子が刻まれている。きっと自分と同じような境遇なのだろう。生き残った者だけが持つ、独特の虚無感を纏っている。
松明の向こうから足音が近づいてきた。リディア大隊長が現れ、三人の見慣れぬ少女を伴っている。
セリーヌは眉をひそめた。中央に立つ銀髪の少女。あれほど印象的な容姿なら、カラディン軍にいれば必ず噂になっているはずだ。
「知らない顔だな......見たことあるか?」
隣の年配魔法兵が小声で呟く。その声にかすかな困惑が滲んでいる。
「俺も知らん。あんな子供、軍にいたか?」
若い近接兵が首を振る。他の兵士たちも首をかしげ、互いに目を見合わせている。
「揃ったわね」
リディアの声が夜気を切り裂いた。
「あなたたちは皆、指揮官を失った部隊の生存者......で間違いないわね?」
兵士たちが重々しく頷く。セリーヌも黙って首を縦に振った。指揮官を失った------婉曲な表現だった。実際には、部隊そのものが壊滅したのだ。
(そうよ。隊長も同僚も皆死んだ。一番無能だった私だけが生き残った)
自嘲が胸を締め付ける。あの地獄のような戦場で、仲間たちが次々と死者の群れに飲み込まれていく中、自分だけが這い回って逃げ延びた。優秀な者から順に死んでいく。それがアンデッドとの戦いの現実だった。
「あなたたちを実験小隊として再編するわ」
実験小隊------聞き慣れない名称に、兵士たちが身を寄せ合った。響きにどこか不穏なものを感じる。
「指揮官は......」
リディアが一拍置いて、銀髪の少女を見やった。
「このユリアよ」
銀髪の少女が静かに一歩前に出る。松明の光が彼女の整った顔立ちを照らし出した。
「ユリア・コニシよ。あなたたちの指揮官になったわ。よろしく」
声は静かなのに、なぜか陣地全体に響いた。兵士たちがざわめいた。
「あの! ユリア......隊長ですか?」
セリーヌは声を上げていた。
「その方は初めて見ましたが、どの部隊の方ですか?」
他の兵士たちも同じ疑問を抱いているのか、注目の視線がリディアに向けられる。
「正確には軍属じゃないわ。カラディン辺境伯家の客将よ。それに......」
リディアが言いかけて、一拍置いた。
「異界人でもあるの」
セリーヌは耳を疑い、「い、異界人?」と声が上ずった。おとぎ話でしか聞いたことのない存在だ。他の兵士たちも同じように戸惑っている。
兵士たちが口々に呟く。
「異界人って......本当にいるのか?」
「おとぎ話だと思ってたが......」
「勇者と同じってことか?」
半信半疑といった様子で、互いに顔を見合わせている。
「ええ。それに実力も保証するわ」
リディアが断言する。
「そういうことだから。ユリア、あとは任せたわ」
「ええ」
用事があるのか、リディアは足早に去っていく。その後ろ姿が闇に消えた。
(こんな子供が指揮官なんて......しかも軍人でもないのに......)
どれほど伝説的な存在であろうと、こんな状況で命を預けろというのか。これまで何度も戦場を生き延びてきたが、いつも頼りになったのは経験豊富な上官だった。
(いくらなんでも無茶よ......全滅させたいの......?)
リディアが去ると、周囲には不安と困惑の声が上がり始めた。
「おい、本当にあの子が隊長なのか?」
髭面の古参兵が困惑した声を上げる。その額に汗が浮かんでいる。
「異界人って言ってたが......」
痩せた銃兵が首を振る。武器を持つ手が微かに震えている。
「まさか、俺たちの命をあんな子供に......」
若い近接兵の声が震えている。
一人の男がユリアに近づいていった。無精ひげを生やしたがっしりとした体格で、大きな戦槌を地面に突き立てている。
セリーヌは息を呑んだ。
(レオニダス......!)
カラディン軍でも屈指の近接戦闘員として知られる男だった。反抗的な性格でも有名で、上官との衝突が絶えないと聞いている。本陣護衛という重要な任務に就いていたはずなのに、ここにいるということは------
(あの精鋭部隊も壊滅してるの......!?)
胸が締め付けられる思いだった。レオニダスの部隊は軍でも指折りの精鋭として知られていた。その彼らですら。あの得体の知れない敵には敵わなかったのか。
「ユリア隊長殿?」
レオニダスが低い声で呼びかける。口調には明らかな挑戦の色があった。
「なに?」
ユリアは振り返ると、興味深い昆虫を見るような冷静さでレオニダスを見据えた。瞳に一切の動揺はない。
「実力はおありとのことですが......」
レオニダスの唇が不敵に歪んだ。
「ここで見せていただいても?」
(あいつ......正気なの?)
(相手は辺境伯家の客将なのに......)
セリーヌは冷や汗をかいた。レオニダスの反骨精神は軍内でも有名だったが、客将に対してここまで露骨に挑戦するとは。
ざわめきは収まり、他の兵たちも固唾を呑んで二人のやりとりに集中している。
「構わないわ」
ユリアの答えは意外にもあっさりとしていた。
「あなたの武器はその槌?」
「ええ。隊長殿はその剣ですかね?」
「そうよ」
ユリアが腰の剣に手を添える。動作は自然で、日常の一部のようだ。
「いつでもいいわよ」
「そういうことなら遠慮なくいかせていただきます」
レオニダスがそう言うや否や------
戦槌が唸りを上げて振り下ろされた。勢いと音に、セリーヌは目を瞑りそうになった。
パシッ。
乾いた音と共に、戦槌が止まった。
「え......?」
セリーヌが目を見開くと、信じられない光景が目に飛び込んできた。ユリアが片手で、あの巨大な戦槌を受け止めている。しかも、羽毛でも受け取るような軽やかさで。
「おいおい、なんだそりゃ? 茶番か!?」
「レオニダス! ふざけてないで本気を出せよ!」
周囲から野次が飛ぶ。セリーヌには別のものが見えていた------
(まってまって、何あの魔力、全身輝いているじゃない!? 本当に人間なの!?)
これまで数多くの魔法兵と戦場を共にしてきたが、これほどの魔力を放つ人間は見たことがない。この少女は自分たちとは次元の違う存在だ。
レオニダスの顔が真っ赤になっている。全身の筋肉を総動員して押し込んでいるのに、戦槌はびくともしない。
「くそっ......この......!」
歯を食いしばり、血管を浮き上がらせて力を込める。ユリアは微動だにしない。
「なんて力だ......!」
「おい......まさか本気でやってるのか?」
周囲から困惑した声が上がった。レオニダスの実力を知る者ほど、今の光景の異常さを理解している。顔を青ざめさせたり、武器を落としそうになったりする者もいる。
「これで十分かしら?」
ユリアが平然と尋ねる。軽い準備運動でもしているような余裕ぶりだ。
「何を......まだまだ......!」
レオニダスがさらに力を込めようとした------
「......そう」
ユリアの声が、氷のように冷たく響いた。
次の瞬間、ユリアが軽く身を逸らすと同時に手首を返し、戦槌を受け流した。レオニダスがバランスを崩した隙に------
シャキン。
抜刀の音が夜気を切り裂いた時には、既に剣がレオニダスの首筋に添えられていた。
周囲が静寂に包まれた。
(全然見えなかった......)
セリーヌは愕然とした。剣が鞘から抜かれる瞬間すら捉えることができなかった。瞬間移動でもしたかのように、突然剣がそこにあった。
「参りました......」
レオニダスの声が震えている。額に大粒の汗が浮かんでいる。
「あなたは"本物"だ」
心からの畏敬が込められた言葉だった。
兵士たちから、信じられないという呟きが漏れる。
「......今の、見えたか?」
「全然見えねえ......何だよ、あれ......」
「化け物か......?」
「レオニダスを一瞬で......」
兵士たちが額の汗を拭ったり、武器を握り直したりしている。震え声や息を呑む音があちこちから聞こえる。
「これで満足かしら?」
ユリアが剣を鞘に納める。動作には一切の無駄がなく、舞踏のような美しささえ感じられる。
「......ああ、十分すぎるほどに」
レオニダスが深々と頭を下げた。先ほどまでの反抗的な態度は、一瞬にして打ち砕かれている。
(隊長の魔力が落ち着いていく......)
セリーヌはユリアの変化を感じ取る。それ以上に気になったのは、お付きの二人だ。ユリアの両脇に控える少女たちも、明らかに只者ではなかった。一人は制御しきれていない膨大な魔力を漏らし、もう一人は意図的に魔力を隠している。どちらも相当な実力者に違いない。
(一体、何者たちなの......?)
「さて」
ユリアが戦術について説明を始めた。声は指揮官らしい威厳を帯びている。
「銃兵には猟銃を使ってもらう。近接兵の背後から至近距離で支援する戦術よ」
「盾で敵を受け止めている間に頭部を狙って撃つ。散弾なら確実に仕留められる。装填中は近接兵を信じて、落ち着いて装填しなさい」
「近接兵のすぐ後ろ!? もし敵が突破してきたらどうするんです!?」
兵士の一人が不安そうに尋ねた。セリーヌも、その疑問はもっともだと感じた。至近距離戦術は効果的だが、リスクも高い。
「そのための散弾でしょう。迷わず撃ちなさい」
ユリアの答えは簡潔だった。次に発せられた言葉に、全員が息を呑んだ。
「それに------私より後ろに敵を通すつもりはない」
一瞬、空気が凍りついた。威圧感が漂う。先ほどのレオニダスとの対戦で見せたものとは質が違う。捕食者が獲物を見定める時のような、冷徹で容赦のない殺気。
兵士たちが身をすくめ、後ずさりする。
「じゃあ、そういうことだから」
ユリアは実戦的な指示を出した。
「猟銃を受け取って、装備の確認をしておいて。敵の追撃はいつ来るかわからない。準備時間はそう長くないわ」
威圧感が霧散していく。ユリアはお付きの少女二人を連れて去っていった。夜風が松明の炎を揺らしている。
残された兵士たちの間に、抑制されたざわめきが起こった。先ほどまでの絶望的な雰囲気とは明らかに違う。
かすかな希望が芽生える。この戦いなら......私たちも生き残れるかもしれない。それは、部隊が壊滅してから、絶望に押しつぶされていたセリーヌにとって、久しぶりに差し込んだ、微かな光だった。夜戦は厳しいが、あの隊長とこの新しい戦術なら、もしかしたら。
松明の炎が風に揺れ、陣地に長い影を落としている。煙の匂いがまた鼻をつく。セリーヌも立ち上がり、魔導銃の確認に向かった。




