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終末の血族  作者: 天津千里
3章:黎明の銀星
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第18話 黎明の銀星I

【帝国紀元1799年4月3日 夕刻】 

【エルズリウム東方・街道沿いの丘陵地帯】

 空は朱に染まり、乾いた風が頬を撫でていく。西の空に沈みゆく太陽が、雲の隙間から血のような光を投げかけ、戦場の硝煙と混じり合って不気味な色合いを作り出している。風は穏やかで、もはや戦場の匂いも薄れ、代わりに草原の青い匂いが漂ってきていた。

 エルズリウムから撤退してきた部隊が、この見晴らしの良い丘に集結していた。兵士たちは装備を外し、傷の手当てを受けたり、配給された食料に手を伸ばしたりしていた。馬たちも疲れ果て、重い息を吐きながら草を食んでいた。あちこちで小さな焚き火が焚かれ、夕暮れの冷気を和らげていた。部隊全体から、戦場の緊張から解放された安堵感が漂っていた。

 ユリアは丘の縁に腰を下ろし、遠くエルズリウムがあるはずの方角を静かに見つめていた。距離があるため街そのものは見えないが、地平線の向こうに薄く煙が立ち上っているのがかろうじて確認できる。

(なんとか振り切ったみたいね......やっと一息つけるわ)

 戦闘中は張り詰めていた神経が、ようやく緩み始めた。肩の力が抜け、無意識に握りしめていた拳もゆっくりと開かれた。生き延びたという実感が静かに胸を満たし、深く息を吐く。

 剣を握っていた右手にはまだ緊張が残っていたが、それよりも無事に撤退できたという安堵の方が強かった。

「ユリア、お水よ」

 背後からルシアが優しく声をかけてきた。振り返ると、姉が水筒を手に歩み寄ってくる。その表情には心配と安堵が入り混じっていた。

「ありがとう、姉さん」

 ユリアは水筒を受け取り、のどを潤した。冷たい水が体の奥まで染み渡る。戦闘中は気づかなかったが、相当に喉が渇いていたようだ。

 ようやく人心地がついたところで、ふと気になった。

「瑞希は大丈夫?」

 ユリアが顔を上げて尋ねると、ルシアは微笑みながら少し離れた場所を指差した。

「ええ。さっきからあっちで兵に食事を配って回っているわ」

 指差された方向には、瑞希が大きな鍋を抱えて兵士たちの間を回っていた。疲れ切った兵士たちに何かを配り、時折声をかけていた。ここからでは声は届かないが、瑞希が献身的に世話を焼いているのが分かった。

 年若い兵士が怪我をした腕を押さえているのを見つけると、瑞希は即座に駆け寄った。何かを尋ねてから、大声で誰かを呼んでいた。軍医が慌てて駆け寄ってきた。

 瑞希の表情は遠くてよく分からないが、献身的に動き回る姿からは強い意志が感じられた。まるで、誰かの世話をすることで自分を保っているかのように見えた。

「意外ね。もっとショックを受けているかと思ったけど」

 ユリアは正直な感想を口にした。あの異常事態を目の当たりにすれば、普通の少女なら立ち直れないほどの衝撃を受けるはずだ。それが、こうして積極的に人の世話を焼いているとは。

「思っていたよりずっとしっかりした子みたいよ。でも......あの子なりに、ショックを受けた分を行動で紛らわせているのかもしれないわ」

 ルシアの声には、瑞希への敬意と同時にわずかな心配も込められていた。強がって見せているだけで、内心では相当に動揺している可能性もある。

 兵士の一人が瑞希の肩を軽く叩いて、何かを言って笑顔を見せていた。瑞希も微笑んで応じていたが、ユリアにはその笑顔の奥に僅かな疲れがあるように思えた。兵士たちの疲れた表情が、少女の存在で明るくなっていたが、瑞希自身も限界に近いのかもしれない。

 馬蹄音と共に一人の伝令兵が丘を駆け上がってきた。汗を浮かべながら、ユリアの元に近づいた。

「ユリア様。リディア様より軍議を行うから本陣までお越しいただきたいと」

 ユリアは気づいた。伝令の言葉遣いが、以前よりも丁寧になっている。「様」付けで呼ばれるなど、明らかに扱いが変わっている。

 しかも、軍議への参加を求められるとは------これは予想していなかった展開だった。

「分かったわ、すぐ行く」

 ユリアが立ち上がって応じると、伝令は深く一礼してから馬に跨り、他の用件を伝えるために丘を下っていった。

「扱いが変わったわね?」

 ユリアが苦笑いを浮かべて呟くと、ルシアも同じように微笑んだ。

「当然よ。あれだけ頑張ったんだもの」

 戦場では、やるべきことをやっただけのつもりだった。だが、周囲の兵士たちの反応を見る限り、相当な印象を与えたらしい。

 部隊の中でユリアを見る目が明らかに変わっている。

「軍議に呼ばれるなんて思わなかったわ。客将という肩書きは持っていたけど、実際には保護対象に近い扱いだったのに」

 ユリアは複雑な表情を浮かべた。注目を集めるのは良いことばかりじゃない。警戒もされるだろう。この世界での立ち位置が、確実に変わりつつある。

「私たちはここで待っているわ。頑張って」

 ルシアが励ますように微笑む。瑞希も心配そうな表情で頷いた。

 夕焼けが次第に深くなり、丘の上に長い影が伸び始めていた。遠くでは兵士たちの話し声や、馬の嘶きが聞こえていた。戦いは終わったが、この日の出来事がユリアの立場を大きく変えたことは間違いなかった。

 ユリアは本陣の方向を見据えた。この世界の軍事情勢、政治的な思惑、そして自分たちの立場------まだ分からないことが多すぎる。果たして、どこまで本音で話すべきなのだろうか。それは、これから始まる軍議で見極めなければならない。

 * * *

【同日 19:00】

【エルズリウム東方・臨時軍議天幕】

 夜の帳が降り始めた丘の上に、大きな天幕が設営されていた。内部には燭台とランタンの光が灯り、外から見ても中の人影がはっきりと見て取れた。

 馬を繋ぐ音や、急ぎ足で駆け回る伝令の足音が夜風に混じって聞こえてきた。遠くでは見張りの兵士が警戒の声をかけ合っており、いつ敵の追撃が始まるかわからない緊張が、夜の空気に張り詰めていた。

「来てくれてありがとう。すぐ始まるわ」

 天幕の入り口から顔を出したリディアが、ユリアを出迎えてくれた。その表情には疲労の色が濃く、戦闘の緊張がまだ完全には解けていない。

「中に入って。私たちの部隊は手前のところだから、そこらへんにいてくれたらいいわ」

 (手前にいるのは......たしか......リディアの部下のティトゥス歩兵中隊長とドミティウス歩兵中隊長だったかしら。じゃあこの二人の後ろにいましょうか)

 リディアはそのまま天幕の奥に行き、親子に見える上座の2人の横に立ち、他の士官たちと共に中央に広げてある簡易地図を囲んだ。

 (リディアがあそこにいるということは......あれがリディアの父、ガリウス・カラディン辺境伯......横にいる青年が兄のユリウス・カラディンね)

 羊皮紙に描かれた地図には、エルズリウムからこの丘陵地帯までの地形が細かく記されていた。兵力配置を示す小さな木片が所々に置かれていた。燭台の炎が風で揺らめいていた。天幕内の空気は重く、誰もが深刻な表情を浮かべていた。

 客将という肩書きは与えられているものの、軍議での自分の立場は曖昧だった。発言を求められるのか、それとも単に傍聴するだけなのか。その辺りの説明は受けていない。

 ガリウスが重々しく口を開いた。

「揃ったか」

 辺境伯の一言で、天幕内が静寂に包まれた。その声には、長年の軍歴が培った重みがあった。

「時間がない。早速始めるとしよう」

「この大休憩のあとどうするか、それが問題だ」

 ガリウスの問いかけに、ユリウスが即座に応じた。

「夜間に撤退を続行するか、ここで迎え撃つか、ですね」

「その通りだ」

 ガリウスが頷くと、ユリウスは地図に視線を落としながら続けた。

「あの数相手に防衛戦など無謀......と言いたいところですが」

 リディアが疲れた表情で割って入った。

「兵の疲労はかなりのものです。補給の時間も必要です」

 それを受けて、落ち着いた雰囲気の魔導中隊長が深刻な顔で報告した。

「落伍者も出始めています。特に魔導部隊は危険です」

 ティトゥス中隊長が前に出た。

「これから夜になることを考えると、万が一追いつかれた場合、全滅を覚悟せねばなりません」

 その言葉に、天幕内の空気がさらに重くなった。士官たちの表情を見ると、今日の戦闘での圧倒的な敵の数を思い出しているようだった。

 だが、若い女性の歩兵中隊長が首を振った。

「しかし、ここで迎撃しても援軍の目はありません。四千五百で二万を超える敵と戦うなど......」

 太った体格の補給中隊長が青ざめた顔で付け加えた。

「迎撃すれば、それこそ囲まれて全滅しかねないのでは? 夜間に包囲されれば、逃げ場もありません」

 魔導中隊長が拳を握りしめて声を荒げた。

「落伍した兵は全て食われる可能性を考えれば、見捨てると士気が崩壊するぞ! 兵たちの家族もカラディン領にいるのだ!」

 その言葉に、補給中隊長が慌てたように反論した。

「ここにはカラディン家の中枢がいることを忘れるな! 全滅すればそれこそ領地の破滅だ!」

 議論が白熱する中、外では馬が不安げに嘶き、夜風が天幕を揺らして中の燭台を明滅させていた。緊迫した空気の中で、士官たちの表情には深刻な懸念が浮かんでいた。

 議論が白熱する中、リディアが冷静に現実を突きつけた。

「ここからコラサンまで60ケイミル------一日以上の強行軍が必要よ。疲弊した兵では撤退は無理......」

(たしか......60キロの距離だったかしら? 一日以上の強行軍って、相当きつい距離だわ)

 ユリウスも苦々しい表情で頷く。

「そのコラサンも宿場町程度の防御しかない現状、どれほど持つかは......」

 ガリウスが深いため息をついた。

「そもそもの数を減らさないことには防衛もままならない、か」

「その通りでございます」

 ユリウスの言葉を受け、ガリウスは長い沈黙の後、重い決断を下すことになった。その表情には深い苦悩が刻まれていた。

「......そうか。やむを得ん。領民を、兵を見捨てるわけにはいかん。ここで迎撃するとしよう」

 ガリウスの一声で、士官たちの雰囲気が一変した。先ほどまでの議論の混乱が嘘のように、全員の表情が引き締まり、同じ方向を向いている。

(へぇ......一声でこの変わりよう、すごい練度ね......)

 ユリアは内心で感嘆した。歴戦の指揮官の威光か。

「では、迎撃策を考えましょう」

 ユリウスが地図を指しながら口火を切ろうとした時、日焼けした肌の騎兵中隊長が前に出た。

「迎撃の前に確認したいことが。騎兵による陽動作戦はいかがでしょう? 敵を分散させることができれば......」

 ガリウスが眉をひそめた。

「数が足りん。敵二万に対し、我々の騎兵は三百もいない」

「承知しております。ですが、たとえ我々が全滅しようとも、本隊の負担が減って多くの兵を救えるなら安い費用かと」

 その献身的な言葉に、天幕内の空気が張り詰めた。ユリウスが慌てたように割って入る。

「待ってください。騎兵は本隊の偵察部隊として代わりがいません。ここで失うわけにはいかない」

 ガリウスが騎兵中隊長を見据えて、低く重い声で言った。

「ここでお前を捨て駒にする気はないぞ。お前たちには別の重要な役割がある」

 騎兵中隊長が頭を下げた。

「......ありがたき幸せ」

「騎兵は偵察と、最後の切り札としての予備戦力とする。それでよいな?」

「ハッ!」

 議論が一段落したところで、ユリウスが改めて分析を始める。

「現状、銃兵は効果が乏しいことが分かっています」

「その一方で、近接戦闘、魔法攻撃は十分に戦果を挙げています」

「問題はどう火力を確保するか、です」

 歩兵中隊長が重い表情で割って入った。

「火力の話が出ましたが、弾薬の状況はいかがでしょう?」

 補給中隊長が帳簿を確認しながら答えた。

「弾薬は十分にあります。問題は......」

 ドミティウス中隊長が苦い顔で続けた。

「あの化け物どもには、数発当てなければ倒れません。遠距離では効果が薄く、近距離で急所------頭部、心臓、首筋を確実に破壊する必要があります」

 ティトゥス中隊長が付け加えた。

「腰を砕けば這いずるだけになり、大量に失血させれば動きも鈍くなりますが、それでも確実ではありません」

 ユリウスが眉をひそめた。

「つまり、通常の弾幕射撃では効果が見込めないということか」

 ガリウスが深いため息をついた。外では夜風が天幕を揺らし、燭台の炎が不安定に明滅する。各士官の表情も、その光に照らされて陰影を深くしていた。

「弾薬はあっても、あの数を相手に足りるかどうか......」

 沈重な空気が軍議を支配した。これまでの常識が通用しない敵への恐れが、ベテラン士官たちの間にも広がっているのが見て取れた。その現実を受けて、ドミティウス中隊長が提案した。

「銃兵の火力をどうにかするしかないでしょう」

 魔導中隊長が戦術的な見解を述べた。地図の上で木片を動かしながら、各々が頭の中で想像上の戦場を描いていた。

「射線を集中させ、十字砲火を各所に形成して火力の集中を行うのは?」

 ティトゥス中隊長が頷いた。

「それに合わせた防衛線の構築が必要だな」

 リディアも作戦の議論に加わる。

「陣地に縦深を持たせ、陣地自体の耐久性も必要でしょう。特に突出部などは危険です」

 議論が続く中、ユリアは今日の戦闘で見た敵の姿を思い返していた。天幕の外から聞こえる兵士たちの話し声や、馬の嘶きが現実感を呼び戻す。あの動く死者たち------まるで映画で見たゾンビのようだった。

 そして、ゾンビ映画といえば......定番の武器がある。散弾銃だ。至近距離での威力は絶大で、動きの鈍い敵には効果的なはずだ。

 ユリアは躊躇した。散弾戦術は有効なはず。だが、異界人の自分が軍議で提案することが、どう受け取られるか。信頼関係を損なうかもしれない。

 しかし、効果的な武器があるかもしれないのに、政治的配慮で黙っていることで兵士たちが無駄に死ぬ方がよほど問題だ。意を決して、ユリアは手を上げた。

「すみません。短射程でいいので、散弾を撃つ装備などはありませんか?」

 突然の発言に、天幕内の視線が一斉にユリアに向けられた。困惑した表情を浮かべる士官も見受けられ、自分への疑問の視線を感じた。

 ユリウスが興味深そうに振り返る。

「散弾? たしか狩猟用の猟銃があったな。あれなら該当するが......ユリア殿、どう使うおつもりですか?」

 補給中隊長が帳簿を確認しながら答えた。

「猟銃であれば、食料調達用と野獣対策用に予備の散弾と共に携行しております。数は......小隊規模であれば、どうにか編制可能です」

 ユリアは説明する。

「近接兵のすぐ後ろから、敵が接近した瞬間に至近距離で撃ちます。散弾は面で捉えますから、ライフル弾のように精密な狙いは不要です。練度の低い兵でも頭部を確実に破壊し、無力化できるはずです。急所の破壊という意味では効果的でしょう」

 ユリアの説明に、士官たちがざわめき始めた。

(散弾なら、あの化け物の弱点を突ける。でも......小隊規模で、あの数を相手にどこまで......)

「猟銃を戦場で? そんな発想は......」

「しかし、至近距離での散弾なら、練度の低い兵でも確実に頭部を仕留められるな」

「問題は、そんな危険な位置で射撃できるかどうかだが......」

 ユリウスが感心したように頷いた。

「なるほど......たしかに猟銃は盲点だった。従来の戦術にはない発想だ。士気の問題も......異界人が率いるならあるいは......。どうでしょう、父上。試してみる価値はあるのでは?」

 ガリウスが顎に手を当てて考え込む。

「ふむ。至近距離での集中火力か......理に適っているな。短射程も、近接兵の背後からなら問題にならんか」

 そして、何かを思い出したように続けた。

「たしか再編中で、士官が不足して編制できていない兵がいたな。あれを使うのはどうだ?」

 ティトゥス中隊長が確認するように尋ねた。

「彼女は例の異界人の?」

「ああ。先ほどの戦闘でも、個人で戦線の崩壊を防いだという報告もある」

 ガリウスの言葉に、天幕内にざわめきが起こった。士官たちが信じられないといった表情でユリアを見つめる。

「個人で戦線を......?」

「まさか、一人で敵を......?」

「異界人とはそれほどの力を......」

 士官の一人の表情が驚愕から畏敬へと変わった。

「......個人で? それは......失礼いたしました。そういうことでしたら、ぜひユリア殿にお任せしたく」

 天幕内には緊張と期待が入り混じっていた。ユリアに向けられる視線は、もはや単なる好奇心ではなく、畏怖に近いものになっている。

 ガリウスはユリアを見据えて言った。

「どうせ遊兵になる兵だ。ならばユリア殿に任せてみよう。------ユリア殿、貴殿に兵を貸す。試す価値はある」

 予想していなかった展開に、ユリアは一瞬戸惑った。だが、すぐに表情を引き締めて応じる。

「......ありがとうございます。必ず成果を出してみせます」

「リディア、面倒を見てやれ。兵と装備を手配しろ」

「ハッ!」

 リディアが力強く返事をする。

 ガリウスは最後に一度、ユリアに鋭い視線を向けた。その眼差しには、興味深い提案をした者に対する評価の色が宿っている。

「見せてもらおうか。貴殿の戦術眼というものをな」

 天幕内を緊張した静寂が包んだ。ユリアは、自分に向けられた視線の重みを感じながら、静かに頷いた。

 次の戦いで、この戦術が効果を上げられるかどうか------それが、この世界での自分の立場を決める一つの要素になるだろう。


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