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終末の血族  作者: 天津千里
2章:エルズリウムの銀光
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第17話 エルズリウムの銀光VII

【帝国紀元1799年4月3日 午後】

【エルズリウム街道・左軍本陣】(リディア視点)


 戦闘開始から既に四時間。リディアは時間の経過を痛感していた。

 魔導銃の爆音が轟き、硝煙と血の匂いが風に乗って本陣まで漂ってくる。爆発の余波で地面が微かに震え、リディアの足元の石がカタカタと鳴った。

 息を切らし、汗と土埃にまみれた伝令兵が次々と駆け込んでくる。彼らの報告は、いずれも絶望的な内容ばかりだった。


「第一中隊からです! 前衛損耗大、予備兵力使い切りました!」


 最初の伝令兵が膝をつきながら報告する。その声には疲労と恐怖が混じっていた。


「第三中隊から本陣へ! 前衛一部突破を許し、中衛まで食い込まれました! 増援要請です!」


 駆け込んできた別の伝令の顔は青ざめている。中隊の半数が戦闘不能になったとも読み取れる惨状だった。

 リディアは唇を噛んだ。第三中隊は左翼の要だ。あそこが崩れれば側面から敵が回り込み、左軍全体が包囲される。

 本陣護衛を削るのは危険だ。だが、もはや選択の余地はない。


「護衛中隊の半数を第三中隊へ! 急行せよ!」

「魔導中隊は第三中隊前方、敵の密集地点に斉射二連! 敵の後続を阻止せよ!」


 鋭い指令が戦場に飛ぶ。


(四時間の連続戦闘。兵の疲労は限界に近い。敵の圧力が減らない。通常の敵なら、この損害で退却を始めるはずなのに)

(予備戦力も今ので最後だ。次は左軍の指揮中枢を護る本陣の護衛も出すしかない。指揮中枢を手薄にすれば危険だ)


 前線からは兵士たちの悲鳴と怒号が風に乗って届いてくる。焦げた肉の匂いと鉄錆の臭いが鼻をつき、時折聞こえる断末魔の叫びが戦場の現実を突きつけていた。


「くそっ。足が、もう動かねぇ!」

「撃て! 撃て! 隙間を通すな!」


 金属音と爆音に混じって聞こえる声は、限界に達した兵士たちの必死の抵抗そのものだった。

 丘の向こうを見やると、中軍と右軍も同様に押されており、こちらに救援を送る余裕などなさそうだった。父と兄の部隊でさえ、自軍を維持するのが精一杯の様子である。


(父上や兄上の部隊もあれでは。増援は無理ね)

(側面も危うい。騎兵中隊が持ちこたえているけど、数が減ってる)

(そろそろ、機会を見つけて全軍撤退を考えないと)


 その時、中央第二中隊の方向から悲鳴と共に新たな伝令が血相を変えて駆け込んできた。


「第二中隊、前衛突破されました! 中衛も崩壊しつつあります! 至急救援を!」


 その報告に、リディアの顔が青ざめた。第二中隊は左軍の中央を支える主力だ。そこが崩れれば、全体の戦線が総崩れになる。もう送れる兵力はない。

 既に本陣護衛の半数を投入済みだ。予備兵力はない。側面の騎兵中隊も自身の戦線維持で精一杯だ。中軍・右軍からの増援も望めない。


(選択肢は二つ。全軍に撤退命令を出すか。それとも)


 リディアはぎゅっと拳を握り、決断を固めた。カラディン家の誇りにかけて、この戦線を放棄するわけにはいかない。指揮官自らが剣を取る時だ。


「私が護衛を率いて行く」


 立ち上がりかけたその瞬間、後方から低く落ち着いた声が静かに割って入った。


「その必要はないわ。私がやる」


 リディアが驚いて振り返ると、そこには剣に手をかけたユリアが立っていた。

 戦場の喧騒の中にあって、異質なほど冷静だ。その瞳には氷のような静寂が宿っている。

 周囲の護衛兵たちが思わず息を呑む。一歩後ずさりするほどの威圧感が、彼女から立ち上っていた。


「え!? ユリア!?」

「任せなさい」


 ユリアの声は低く、まるで当然のことを告げるかのような確信に満ちていた。

 その瞬間、指揮幕舎の中に水を打ったような沈黙が落ちた。爆音が響く戦場にあって、まるで時間さえ止まったかのような、異様な静寂だった。

 兵士たちが皆、この少女から発せられる異質な気配に圧倒され、身動きを取ることができずにいる。

 リディアは一瞬の逡巡の後、頷いた。今この状況で、彼女の力を頼らないという選択肢はない。


「わ、わかったわ。お願いする!」

「ええ。あなたは本陣でしっかり指揮をとってて」


 ユリアが一歩、護衛兵の方に近づく。その動作には無駄がなく、まるで戦場に向かうことが日常であるかのように自然だ。

 足音は意外なほど軽やかで、重装備の兵士たちとは明らかに異なる身のこなしだった。


「魔法具、拝借するわ」

「は、ハッ! どうぞ!」


 護衛兵が慌てて魔法具を差し出す。ユリアがそれを軽く手に取ると、護衛兵の一人が思わずといったように口を開いた。


「あ、あの使い方は......」


 ユリアは振り返らない。


「なんとなく分かるわ。要は、この中に必要なだけの魔力が届けばいいのでしょう?」


 護衛兵は狼狽し、小さく頷く。


「え、あ、は、はい......」


 ユリアはそのまま戦場へと駆け出していった。その背中が土煙と硝煙の向こうに消えていく瞬間まで、誰もが無言でその姿を見送っていた。

 突如として、戦場の轟音が本陣に押し寄せてきた。先ほどまでの異様な静寂が破られ、魔導銃の爆音、兵士たちの怒号、金属のぶつかり合う音が再び空気を震わせる。

 リディアの胸には先ほどとは全く違う感情が渦巻いていた。


(い、今のは一体? あれが異界人?)


 ユリアの後ろ姿が完全に見えなくなっても、彼女が放っていた異質な存在感は、その場の空気に深く刻み込まれたままだった。彼女が戦場で何を成すのか、それを確かめる時が、今まさに来ようとしていた。

 * * *


(ユリア視点)


 本陣を飛び出したユリアは、硬い地面に乾いたリズムを刻みながら走る。重装の兵士とは違い、その身は鎧に覆われていない。迷いはなかった。

 左手に借り受けたブレスレット型の魔導具がはめられ、魔導回路が淡く光ってユリアの周囲にシールドを張っている。


(この魔導具、仕組みは単純ね)

(便利なものね。けど、この使い方じゃすぐ壊れそう。後でちゃんとした使い方を教えてもらわないと)


 シールドの感触を確かめながら、ユリアは戦場を見据えた。


(たしか中央って言ってたわね。あそこか)


 怒号と銃声が近づいてくる。破裂音と金属のぶつかる音、肉が裂ける鈍い音。


「下がれ! もう持たないぞ!」

「第三列、交代だってば! 撃て! 撃てったら!」

「うわあああっ! く、来るなっ!」


 兵士たちの絶叫が風に乗って響く。地面が微かに揺れ、焦げた臭いと血の臭いが混じって鼻腔を刺す。

 ユリアが戦場を見渡すと、戦線はすでに崩壊寸前だった。盾を構えた兵たちは地面に膝をつき、銃兵たちの再装填も追いついていない。

 敵は、波のように押し寄せてくる異形の群れ。動く死者たち。

 商人らしき太った男は腹部を裂かれ、内臓を引きずりながら歩いている。兵士の格好をした者は首が異常な角度に曲がったまま剣を振り回す。市民の服を着た女性は片腕を失いながらも素手で掴みかかろうとする。

 血を流し、致命的な傷を負いながらも、ただひたすら前へと進み続ける。


(銃兵が近接戦闘ね。士気も崩壊寸前。ギリギリ間に合ったわね)


 ユリアは一気に駆け抜け、中衛の銃兵たちが銃剣で死者と戦っているところに斬りかかった。


「そこをどきなさい!」


 一陣の風が吹き抜けたように、ユリアの前方にいた死者たちが一瞬にして薙ぎ払われる。振り抜かれた剣が空気を裂き、断ち切られた肉と骨が宙を舞う。何の抵抗もないかのように、敵が崩れ落ちていく。

 ユリアの足元に温かい液体が飛び散る。だが、表情は変わらない。

 自分を呆然と見つめる銃兵たちが、口々に驚愕の声を漏らしている。


「なっ。なにが」

「一振りで。あんなに!?」

「あの女の子は何者だ!?」


 ユリアはそのまま前衛を抜けてきている敵を次々と斬り伏せた。背後から迫る敵に対しても、まるでおまけのように叩き斬り、敵を寄せ付けない。


(技量もなく、気配もダダ洩れ、耐久力はある、確実な停止には脳を破壊すれば十分だ)


 この時代の火薬式ライフルでは、柔らかい急所を狙い打ちするか、胴体で動きを止めるのが精一杯だろう。だが、自分の剣ならば頭部を一撃で断ち割れる。

 その時、混乱した銃兵の放った弾丸がユリアの方向に飛んできた。ブレスレットの魔導回路が瞬時に光り、薄い障壁が弾丸を弾く。


(思った以上に使えるわね。向こうでもこれがあれば......いえ、今考えることじゃないわね)


 剣筋は無駄がなく、一振り一振りが確実に死者の首や胴を両断していく。既に三十体は超えているだろう。

 ユリアの剣は続けざまに敵を斬り伏せていく。


「た、助かったのか?」


 震え声で呟く銃兵に、ユリアは振り返ることなく答えた。


「油断は禁物よ」

(中衛はこんなものかしらね。あとは前衛の穴を埋めましょうか)


 突破されていた場所から後続が流れ込んでくるのを、ユリアが素早く切り伏せる。屍者たちが立て続けに倒れ、戦線に秩序が戻り始めた。


「あ、あれはいったい?」

「異界人が加わっているとか聞いたが......まさかあの子が?」


 銃兵たちの声には、畏敬の念が混じっている。

 ユリアが前衛に並び、前線の穴を埋める。その瞬間、近接兵の一人が力強く叫んだ。


「戦線を! 戦線を維持しろ! まだいけるぞ!」


 兵士たちの顔に、わずかながら光が戻っていた。

 それは希望の叫びだった。崩れかけていた戦意が、ひとつ、またひとつと立ち直っていく。兵士たちの目が変わる。再び闘志の炎が宿り始めている。

 その時だった。遠く、エルズリウムの方向から、再び低く重い振動音が響く。

 煙の向こうに、さらに膨大な人影。否、死者の群れが姿を現した。街から溢れ出すように、新たな波が押し寄せてくる。

 その数は、先ほどまでの比ではなかった。地平線が黒く染まるほどの規模に、前線の兵士たちがざわめき始める。


(ここに来て追加? この数は......厳しいわね......)


 ユリアの表情が僅かに引き締まる。後方から伝令が全力疾走で駆けてくる。その顔には切迫した焦りが刻まれている。


「全軍に通達! 本陣より撤退命令! 後衛は最大火力で斉射後、順次退却せよ! 中衛、前衛はそれに合わせて退却せよ!」


 伝令の声は必死だが、明確に届いている。全軍撤退。それは、この戦いの終わりを意味していた。


(やむを得ないわね)


 すぐ前方に大きな火柱がいくつも立ち上る。後衛の魔導銃部隊による最後の一斉射撃が始まったのだ。爆音と共に、敵の後続部隊に向けて魔法弾が降り注ぐ。


(なるほど、後衛の魔導斉射で隙を作る。それに乗じて戦線全体を引かせる気ね。いい判断だわ)


 ユリアは手早く周囲の死者の首を斬り飛ばし、まだ処理しきれていない群れに飛び込んでは叩き斬る。撤退する味方兵士たちの時間を稼ぐため、一人でも多くの敵を食い止める必要があった。五十体、六十体と、ユリアの剣は止まることなく敵を切り伏せていく。


「助かる!」


 近接兵の一人が感謝の声を上げた。


「当然よ。先に行きなさい」

「ああ! 恩に着る!」


 兵士たちが順次後方へと撤退していく。ユリアは最後尾を守りながら、静かに戦場を後にした。

 振り返ると、エルズリウムの街からは黒煙が立ち上っている。蠢く新たな死者の群れ。


(まだまだ、この世界のことは分からないことばかりね)


 刀身が西日を受けて、赤く光っている。

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