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終末の血族  作者: 天津千里
2章:エルズリウムの銀光
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第16話 エルズリウムの銀光VI

【帝国紀元1799年4月3日 午前】

【エルズリウム街道・エルズリウム前】


 ユリアが前方を見やると、街道を一頭の馬が駆けてくるのが見えた。土埃を巻き上げ、こちらに向かってくる。騎乗している伝令兵は息を切らし、鎧に泥を跳ねさせながらリディアの元へ急いでいた。


「リディア様! 本隊からの急報です!」


 伝令が馬上から書簡を差し出す。リディアが目を通した瞬間、その表情が険しく変わった。


「エルズリウム陥落確実......都市内部に不明な勢力を確認......敵と断定......」


 書簡を握りしめる手に力が入り、白い指先がわずかに震えている。リディアが鋭い声で号令を発した。


「各員、戦闘準備! 私の隊は左軍担当よ! ついてきなさい!」


 周囲の兵士たちの纏う空気が一変した。 緩んでいた気持ちが引き締まり、武具を点検する音が響く。 馬の嘶きと共に、隊列が戦闘態勢へと変化していく。

 丘に沿って、近接兵が前衛に、銃兵が中衛に、魔導銃を持った魔法兵が後衛に配置され、自然な戦闘陣形が形成される。迅速で整然とした動きだった。

 兵士たちの表情には、緊張と不安が浮かんでいる。


(何があったのかしら......)


 リディア大隊は丘の上に布陣した。 この見晴らしの良い場所から、目的地であるエルズリウムが一望できるはずだった。

 眼下に広がる光景に、誰もが言葉を失った。

 エルズリウムから黒煙が何本も立ち上り、街の一部は焼け焦げている。風は丘に向かって吹いており、煙と共に焼け木と腐臭めいた異様な匂いが運ばれてきた。煙は灰色の帯となって空を覆い、太陽の光を遮っている。

 兵士たちの馬が不安げに嘶き、蹄で地面を掻いていた。煙の下には──街路に無数の人影が蠢いている。


「......エルズリウムが燃えてる......」

「......あれ、なんだ? 人か?」

「暴徒か? ......まさかあれ全部?」

「こんな規模の暴動、聞いたことねぇぞ......」

「あの煙の量......街全体が......」


 三人は本陣にいたが、そこに配置された古参兵でさえ困惑を隠せない様子だった。

 ユリアは丘の上から街を見下ろした。


(これは......もうダメね......街が死んでるわ)

(あの煙の規模から見て、街全体が被害を受けている。住民がどれだけ......)


 視線を丘の地形に移す。この丘陵地帯は起伏が続いており、見晴らしは良い。眼下に広がる平野を敵が進んでくる。


(この位置なら撤退路は確保できる。左右の丘陵を使えば迂回も可能......だけど問題は──)

「え? 街中で火事?」


 瑞希の声には純粋な困惑があった。つま先立ちになって街を見つめ、頭を傾げている。


「......あの集まってる人たちは......避難してるんですか?」


 疑問は次第に不安に変わっていく。人々の動きが、どこか普通ではないことに気づいたようだ。


「この状況であの動き......明らかにおかしいわね」


 ルシアも眉をひそめている。その表情には陰りがあった。

 街から集まってきた人影は、あちこちで群れを成し始めた。 群れが一斉にこちらに向かって進み始める。 統率されているわけではないのに、明確な意思を持った動きだった。

 瑞希の顔が次第に青ざめていく。 避難している人々のはずなのに、なぜこちらに向かってくるのか。 その歩き方が──どこか、ぎこちない。


「あの人たち......なんか変じゃないですか? 歩き方が......」


 瑞希の声が揺らぎ始めた。不安が恐怖へと変わりつつある。


「来るわね......統率もなにもないけど......明らかに意思を持って」


 その動きには、確かな目的があった。


(数は......二万は下らない。おそらく二万五千程度。対してこちらは四千五百......五対一以上の劣勢ね)

(敵は統制は取れていない。指揮系統もない。個々の動きも緩慢......地形を活かし、訓練された軍でなら、抑え込める可能性はある)


 高所からの魔導銃射撃、整然とした陣形。確かに条件は悪くない。


「あの人たち......どうして避難しないんでしょう?」


 瑞希が困惑した声で尋ねた。


「どう見ても友好的ではないわね......」


 ルシアの言葉通り、街から押し寄せてくる群れには、人間らしい秩序も理性も感じられなかった。

 周囲の兵士たちにも動揺が広がっている。ユリアは彼らの声を聞き取った。


「おい......あれ本当に人間か?」

「武器は効くのか? あんな状態で動いてるなんて......」

「くそっ、手が震えてやがる......」


 本陣護衛の古参兵でさえ、唾を飲み込む音が聞こえるほどの緊張に包まれていた。それでも、長年の訓練が染み付いた体は自然と戦闘態勢を取っている。

 馬が不安げに嘶き、風が止んだかのような静寂が訪れる。

 群れは着実に距離を縮めてくる。


「まもなく射程圏内です!」


 前衛の兵士からの報告が戦場に響いた。

 戦場に一瞬の静寂が降りる。風が止み、鳥の鳴き声さえも聞こえなくなった。兵士たちの荒い呼吸だけが空気を震わせている。

 リディアの凛とした声が戦場を貫いた。


「後衛、射撃準備! ......目標、敵中央、構え......撃て!」


 号令と共に、魔導銃を構えた兵士たちが一斉に曲射を行った。金属音が響き、魔導銃の機構が作動する音が空気を震わせる。

 放物線を描く赤い弾道が夕空を染め、群れの中央部に降り注ぐ。着弾と共に爆発と火柱が上がり、土煙が舞い上がった。炎の熱気と焦げた空気が風に乗って丘まで届いてくる。


「あれが......魔法?」


 瑞希が息を詰めて囁いた。その目には驚愕が宿っている。視線は魔法の着弾点に釘付けになっていた。


「そうみたいね」


 ルシアが冷静に答える。


「イメージと全然違う......おじいさんが杖を使うものだと思ってました」

「あんなに遠くまで飛んで、あんなすごい威力なんて......」


 瑞希の声には、この世界の魔法技術への驚きが込められていた。確かに、杖を振るって呪文を唱えるような魔法とは大きく異なる、兵器としての魔法だった。瑞希の表情には、わずかな希望の色が浮かんでいる。


「......でも、足りていないわ。数が多すぎる」


 爆発で吹き飛ばされた敵はいるが、群れ全体から見れば微々たるものだ。


(魔導銃の威力は......一発で半径三メートルは制圧できている。だけど装填に時間がかかりすぎる。あの射撃間隔では、敵が接近するまでに何発撃てるかしら......)

(後衛の魔導銃兵は約三百名。一斉射撃で三回が限界とすると、それでも制圧できるのは数千体程度ね。それでも残り二万体近くとの接近戦は避けられないわ)


 話している間にも第二射、第三射が矢継ぎ早に行われる。炎と煙が戦場を覆い、爆音が響き渡った。

 焦げた匂いがより濃くなり、魔力の残滓が空気を重くしている。兵士たちの鎧がガチャガチャと音を立て、馬が不安げにいななていた。

 魔導銃の威力は確実に敵を減らしている。吹き飛ばされた敵の数は決して少なくない。群れはもうすぐそこまで迫っていた。

 近づいてきた人々の姿がはっきりと見えるようになった時──

 瑞希の表情が凍りついた。

 迫ってくる人々は一様に青白い顔をしており、生気が全く感じられない。

 商人らしき太った男は腹部が大きく裂け、内臓を引きずりながら歩いている。市民の服を着た女性は首が異常な角度に曲がったまま、ぎこちない歩調で進んでくる。

 兵士の鎧を纏った者もいるが、胸に大穴が開き、血を流したまま立ち歩いている。

 どの顔も虚ろで、瞳には一切の意識が宿っていない。

 人間らしい動きは失われ、まるで糸で操られる人形のように、ただ前に向かって歩き続けている。


「う......うそ......」


 瑞希の声がかすれた。膝がわななき始めている。


「あれ、本当に人間なの......?」


 声が上ずっている。血の匂いがここまで漂ってきた時、瑞希の顔は完全に青ざめた。


「人間を撃ってるのも怖いけれど、でもあれは......」


 両手を握りしめ、体が小刻みに震えている。 あの死者たちは、とても生きている人間には見えない。


「......動く死者......ね」


 ルシアが静かに呟いた。その声には、諦めにも似た冷静さがあった。


「ゾンビ......? あれ全部が......?」


 瑞希の叫び声が丘に響いた。声は絶望に近い恐怖で震えている。

 瑞希の足元がふらつき、今にも倒れそうに見える。呼吸が浅くなり、手の震えが止まらないのが見て取れた。


「そういうことよ。武器の確認をしておきなさい」

(これは予想以上ね......見えている範囲だけでも二万は確実にいる。街全体の規模を考えると、まだ他にもいる可能性が高い)

(統制の取れていない敵相手なら、四千五百でも抑え込めるかもしれない。でも......)


 振り返ると、兵士たちの顔には明らかな動揺が刻まれている。どれほど訓練された兵でも、このような異常な敵は想定外だったに違いない。

 それでも、彼らの手は確実に武器を握り、隊列は崩れていない。長年の訓練が体に染み付いているのだろう。


(問題は孤立無援ということ。敵の総数も不明。現状が限界に近い上、下手に撤退すれば追撃を受ける......かなり厳しい状況ね)


 街から押し寄せてくる群れの数は、もはや数えることも不可能。

 エルズリウムにどれだけの住民がいたのか、そして今どれだけがこの異常な存在と化してしまったのか──それさえも分からない。

 戦場の空気は緊張と恐怖に満ちていた。兵士たちの武具が立てる金属音は、まるで死神の足音のように響く。

 馬の嘶きが不安を掻き立て、風は相変わらず死と炎の匂いを運んでくる。魔導銃の爆音が轟く中、人類の理解を超えた敵との戦いは激しさを増していく。

 後衛の魔導銃部隊による斉射が次の段階に入った。戦場には赤熱した煙と爆音が絶え間なく響いている。

 第二射、第三射と矢継ぎ早に放たれる魔導弾が、群れの中を駆け抜け、炎と土煙を巻き上げていた。敵はまだ距離を詰めてくる。


「距離250!」


 前衛からの報告が戦場に響くと、すかさずリディアの号令が飛んだ。


「中衛! ......構え......撃て!」


 乾いた発射音とともに、弾幕が敵の波へと降り注いだ。銃口から火花が閃き、硝煙が濃い霧のように戦場を包み込んでいく。

 丘の斜面がまるで噴火したかのように白煙に覆われ、兵たちの姿さえ霞んでいた。


「そのまま、小隊毎に間隔を維持しながら射撃を続けて! 落ち着いて、確実に!」


 リディアの号令に従い、中衛の銃兵たちはそれぞれのタイミングで次弾を発射し始める。

 連続する発砲音が、まるで鼓動のように地面を震わせた。

 ユリアは一歩後ろから戦線を眺めた。


(火力の集中で敵の前線を削ってる。小隊単位での射撃だから、継続力もある......)


 北側を見ると、ガリウスが率いる中軍も、ユリウスの右軍も、同じように射撃を開始していた。

 丘陵に並ぶ複数の戦列が一斉に火を噴き、白と灰の煙が風に乗って戦場を横切っていく。

 何百という動く死者たちが、その弾幕によって次々と倒れていった。

 倒れた者たちの隙間には、すぐさま後続が入り込み、絶え間なく前へ、前へと進み続けている。まるで押し寄せる波のようだった。

 戦場には血と硝煙、そして焦げた肉の匂いが混じり合い、重い空気が漂っている。連続する発砲と爆発音で地面が微かに震動し、土埃が舞い上がって視界を霞ませていた。

 気温も上がり始め、兵士たちの額に汗が滲んでいるのが見える。金属と金属がぶつかり合う甲高い音、怒号、悲鳴──様々な音が幾重にも重なって戦場を支配している。

 風は時折向きを変え、エルズリウムの方角から異様な匂いを運んでくる。


「前衛、構え! 一歩も通すな!」


 リディアの声に、最前列の兵たちが低く応じる。


「応ッ!」


 その声は地を打つように重く、同時に近接兵たちが盾を前に構えた。

 大盾に身を預けるように陣形を整え、剣、槌、槍が風を切る。

 本陣護衛の兵士たちが緊張した声で囁き合っている。


「おい、あの数を見ろよ......とんでもねぇぞ」

「数が多すぎる。このペースだと......」

「あの異界人の娘、意外と肝が据わってるな。普通なら泣き出してもおかしくないのに」


 ユリアが振り返ると、瑞希が青白い顔をしながらも、じっと戦場を見つめているのが見えた。震えは止まらないようだが、目を逸らすことはしていない。

 その表情には恐怖と共に、何かを理解しようとする意志が宿っていた。

 第一波が激突した。

 ぐしゃりという嫌な音と共に、動く死者の一体が盾に激突してきた。兵士が盾をねじって敵をいなす。

 刃が首筋を深く裂き、血が飛び散った。


「うおっ!」


 別の兵士は大槌を振り下ろし、二体まとめて叩き伏せた。骨の砕ける音が響く。

 次の瞬間には新たな敵が三体、四体と押し寄せてくる。


「畜生、手応えがねぇ!」


 剣で胴を斬ったにも関わらず、敵がまだ動いている。兵士の声が上ずった。


「首を狙え! 胴じゃダメだ!」


 別の兵士が怒鳴りながら、手慣れた動作で敵の首を刎ねる。

 前衛の兵士たちは激しい戦闘を続けているが、敵の数があまりにも多く、負傷者が出始めていた。


「第二列、前へ! 無理は禁物よ、確実に交代して」


 リディアの指示には、部下を気遣う温かさが込められていた。

 負傷した兵士と新しい兵士の交代作業が、戦闘の合間を縫って行われ始めた。

 ユリアの鼻を突くのは、腐臭と土埃が混ざり合ったような凄まじい匂いだった。

 彼女は顔をしかめ、その異様な光景を凝視する。

 前衛の兵士たちは、銃撃を背に受けるという常識外れの戦術をとっていた。彼らの周囲には、薄い光の膜がゆらめいているのが見える。

 敵の体が盾に叩きつけられる際、「ゴン」という鈍い衝撃音が響き、光の膜が一瞬歪む。兵士たちは力を込めて盾を押し返し、敵の猛攻に耐えていた。


(直接的な攻撃には無力みたいだけど......後ろから銃撃を受けても大丈夫なのね。遠隔攻撃に強いのかしら)


 光の結界は、中衛の銃兵たちが正確に射撃を続けられるように、友軍の誤射を最小限に抑える役割を担っているようだった。

 シールドの範囲は狭く、兵士間には大きな隙間が空いており、銃兵たちはその隙間を狙って射撃を続けている。


(この数の暴力と、恐怖のない動き......まるで、何者かに操られているみたいだわ)


 死者たちは、時にその防衛線の隙間を狙って入り込もうとした。

 中衛の銃兵たちが正確な射撃で支援し、敵を狙撃していくが、撃ち漏らしも出始めている。


「くそっ、キリがねぇ! 倒しても倒しても......!」

「落ち着け! 交代まであと少しだ!」


 兵士たちの声に疲労が混じり始めている。リディアの声が戦場に響いた。


「諸君の奮戦、見事だ! この調子で押し切るわよ!」


 彼女の励ましの声に、兵士たちの士気がわずかに回復する。防衛線には人的な消耗による綻びが目立ってきたが、リディアの言葉によってまだ結束を保つことができている。


「......見事な連携だけど......限界が見えてきたわね」


 ルシアが低く呟いた。

 ユリアは小さく頷いた。胸の奥の不安がより強くなっていた。


(確かに、優秀な軍隊。でも──これで終わりじゃない)


 街の奥、まだ煙に覆われたエルズリウムの中には、何かが潜んでいる。戦場の空気が、そう確信させていた。

 時折、街の方角から戦闘音とは異なる、低く重い音が響いてくる。それは建物が崩れる音なのか、それとも──

 ふと、前方の空を見上げる。数千羽の鳥の群れが一斉にエルズリウムから飛び立っていた。


(何かに驚いて逃げ出した......?)


 この戦いで、動く死者たちは確実に数を減らしているが、カラディン軍もまた消耗を重ねている。

 ユリアの直感は警鐘を鳴らし続けていた。

 瑞希は震えながらも、戦場を見つめ続けている。


(あの子も、この現実を受け入れようとしているのね......)


 戦場では、カラディン軍の戦術的優位が続いていたが、それは徐々に削られつつあった。

 それがいつまで続くのか──ユリアの不安は、時間が経つにつれて確信へと変わっていく。


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