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終末の血族  作者: 天津千里
2章:エルズリウムの銀光
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第14話 エルズリウムの銀光IV

【帝国紀元1799年3月26日 午前】

【カラディン辺境伯領・カラディン城館中庭】


 朝霧の残る中庭には、軍靴の規則正しい音と荷車の軋みが交錯していた。行軍を控えた部隊は整列と積み込みに追われ、慌ただしくも統制のとれた動きを見せていた。

 一昨日の城内騒動で失った兵の穴を埋めるように、残った者たちは黙々と準備を進めていた。

 整った石畳を覆っていた霜はすでに溶けかけ、東の空から差し込む陽光が屋根の端を金色に染め始めていた。穏やかな朝の光景とは裏腹に、ユリアの胸には不安が渦巻いていた。

 エルズリウムへの救援。それがどれほど深刻な事態なのか、まだ詳細は知らされていない。

 冷たい朝の空気には革と鉄の匂いが混じり、馬の息が白く立ち上っていた。兵士たちが剣の刃こぼれや鎧の留め具を入念に点検する金属音が響き、馬丁たちは馬具の調整に追われていた。伝令兵が部隊間を駆け回り、出発準備の進捗を確認する声が飛び交っていた。

 陽光が高くなるにつれて周囲の兵士たちの動きが慌ただしさを増していく。もうすぐ出発のようだ。

 城門の向こうから蹄音が響いてきた。


「ドレン子爵軍、到着です!」


 門番の声が中庭に響き渡った。

 遠目に見える騎馬の一団が、青い旗を掲げて石畳の道を進んでくる。旗印には幾何学的な紋様が描かれているようだが、距離があって詳細は見えない。隊列の先頭に立つ武骨な男が馬上から手綱を軽く引き、威風堂々とした姿で中庭へと駆け入った。


「おお、リディア様。お久しゅうございます。ご無事で何よりですぞ」


 豪快な笑みを浮かべながら、茶色の厚手の外套を肩に羽織った壮年の男――バルナバス・ドレン子爵が軽やかに馬を降りる。六十半ばを過ぎているように見える。

 その鎧には無数の傷が刻まれている。日に焼けた顔には深い皺が走り、しかしその瞳には若々しい活力が宿っていた。


「ドレン子爵も、お元気そうで何よりです」


 リディアが会釈を返すと、バルナバスは眉を上げ、いたずらっぽく笑った。

 ......リディアの旧知の仲、ってところね。

 ユリアは少し離れた位置から、二人のやり取りを静かに眺めていた。言葉の端々に長年の信頼関係が滲み出ている。幼い頃からの付き合いか、あるいは戦友なのだろう。


「おや? おじさんとは呼んでくれんのですかな?」

「もうそんな歳じゃありません!」


 即座の返しに、ドレンが腹を抱えて愉快そうに笑った。その笑い声は中庭に響き、周囲の兵士たちも思わず微笑みを浮かべた。


「わっはっは。......で、エルズリウムで異常事態だとか?」


 笑いを収めたバルナバスの表情が、急に真剣味を帯びた。軍人らしい鋭い眼差しで、リディアの顔を見据える。


「......ええ。父上と兄上はすでに先行して救援に向かいました。私は後詰を率いてこれから出発します」


 リディアの声にも緊張が混じった。エルズリウムからの救援要請――それがどれほど深刻な事態なのか、ユリアにも想像がついた。


「ワシも行くか?」


 バルナバスが即座に申し出た。


「心強いお話ですが......カラディンの守りをお願いします。一昨日の城内騒動で兵を失い、防衛が手薄です」

「ふむ、あい分かった。留守は任せろ。昔馴染みの城だ。指一本、触れさせんよ」


 力強い言葉に、リディアの表情がわずかに緩んだ。奥から現れた老執事エステヴァンが、バルナバスの姿を認めて声をかけた。


「なんだ、お前、まだ現役だったのか」

「ワシは生涯現役だ。死ぬのは戦場と決めておる」


 バルナバスの返答は急に砕けた調子になった。二人の間には、明らかに長い歴史があるようだ。


「殺されて死ぬ玉じゃないだろう......まだあの時の傷、痛むんじゃないのか?」


 エステヴァンが呆れたように言うと、バルナバスは肩を軽く回してみせた。


「おかげさまで雨の日以外は平気だ。お前こそ、まだ剣を振り回せるのか?」


 二人は戦場の古傷を気遣い合っている。戦友なのだろう。


「エステヴァン?」


 リディアが小さく目を細める。いつもと違うエステヴァンに戸惑っているようだ。


「これは失礼」


 エステヴァンが慌てたように一礼し直すと、すぐさま礼節ある声で言い直した。


「ではドレン子爵、防衛の任、よろしく頼みますぞ」

「すぐ化けの皮がはがれておるではないか、わっはっは!」


 バルナバスが得意そうに笑った瞬間、エステヴァンが無言で彼の肩を軽く小突いた。


「いたっ......わかったわかった......。ドレン子爵軍、カラディン防衛の任を拝命した!」


 家臣たちの仲が良いのは、この国の秩序が保たれている証なのだろう。


「貴族同士ってもっとギスギスしてるのかと思っていました......なんていうか......親戚のおじさん?」


 背後から瑞希の声がした。素朴な感想に、ルシアが穏やかに応じる。


「そんな感じがするわね。裏表がありそうには見えないわ」

「昔馴染って感じだったわね」


 ルシアが頷く。


「やはり戦友だと違うのかしら」


 ユリアが呟いた。


「はぁー......戦友......」


 瑞希が感心したように溜息をつく。


「ほら、準備を進めるわよ。その肩紐、緩いわよ」


 ユリアが瑞希の装備を確認すると、案の定、革の肩紐が正しく締められていなかった。


「え、どこ?」

「ここよ。見せて、私が結んであげる」


 ルシアが優しく声をかけ、慣れた手つきで紐を調整する。瑞希の表情が少し和らいだ。


「あ、はい......ありがとうございます」


 肩紐の調整が終わると、瑞希はわずかに震える指先で腰の剣をそっと触りながら尋ねた。


「この腰の剣って......いるんですか? ちょっと慣れないんですけど......」

「護身用に持っておきなさい。いざというときに、武器があるのとないのとではだいぶ違うわ」

「もしものときに備えるのは大事よ」


 ルシアも優しく付け加える。


「はーい......」


 瑞希は素直に頷きながらも、時折唇を軽く噛んでいる。

 ......武装が許される程度に信用されたのか。それとも、非武装の人員を護衛する余裕がないのか。

 ユリアは目を細めて周囲を観察した。兵士たちの配置、装備、視線の向き。カラディン軍の統制は見事で、短期間でこれだけの大規模な兵力を動員できる組織力には驚かされた。

 既に数千の兵が出発している中、この後詰部隊もしっかりと準備が整っている。辺境伯とは言うが、これは相当な軍事力を持つ大貴族だ。

 なんにしろ......まずはこの行軍で情報収集の手段を確保しないといけないわね。それと、瑞希が無事についていけるかどうか......。

 ユリアの視線が瑞希の方に向いた。慣れない装備に戸惑っている。この子を、守らなければ。

 そして地球に帰る手がかりを得るためには、まずはこの世界で生き抜く必要がある。

 遠くで部隊整列の号令が響いた。

 馬が嘶き、荷車の車輪が石畳を軋ませる。

 朝霧は完全に晴れ、青い空に白い雲が流れ始めていた。


【帝国紀元1799年3月30日 午前】

【南部街道・コラサン手前】


 草原を貫く街道には、カラディン軍後詰部隊の長い隊列が続いていた。空は抜けるような青さで、頬を撫でる風が心地よく、行軍には絶好の天候だった。三月末の陽気はもう春らしい暖かさを含み、草原の緑が濃くなり始めていた。街道の両脇には野花が咲き始め、遠くに見える丘陵地帯が穏やかな起伏を描いていた。

 兵士たちの足音は五日目とは思えないほど規則正しく、装備の金属音も統制がとれていた。馬蹄音と車輪の音が一定のリズムを刻み、時折、指令の声が響く。

 ユリア、ルシア、瑞希の三人は隊列のほぼ中央を歩いている。最初の日こそ不安そうだった瑞希も、今では他の兵士たちと同じように歩調を合わせて歩いていた。装備の扱いも慣れ、足取りもしっかりとしている。


「行軍にも慣れてきたみたいね?」


 ユリアが微笑みを浮かべて声をかけると、瑞希は歩きながら振り返り、少し照れたような表情を見せた。


「はい、私、自分が思っていたよりうんと体力あったみたいです」

「それはよかったわ」


 ユリアが軽く頷くと、瑞希は腰の剣を軽く触りながら、やや渋い顔になった。


「でも......野営がちょっと」

「まだ慣れない?」


 ユリアがクスッと笑うと、瑞希は苦笑いを浮かべながら手を振る。


「やっぱり外っていうのは......。キャンプだと思うようにはしてるんですけど」


 野営での生活は、現代日本で育った彼女には確かに大変だろう。


「この4日でそう思えるようになっただけでも、すごい成長よ」


 ルシアが歩調を緩めることなく、優しく微笑みながら言う。


「ですかね?」


 瑞希の顔がぱっと明るくなる。


「あ、でもごはんは思っていたより美味しかったです!」

「そういえば初日からいっぱい食べてたわね」


 ルシアが思い出したように言うと、瑞希が歩みを止めそうになって慌てて足を動かした。


「見てたんですか!?」

「あなた、結構図太いところあるのね......」 


 ユリアがやや呆れたように言った瞬間、前方から兵士の声が響いてきた。


「コラサンが見えたぞ!」

「よーし、あと少しだぞ!」


 隊列全体に安堵の空気が流れた。


「たしか中継地の町ね。今夜はいっぱい食べられるわよ」


 ユリアが軽く目を細めながら言う。コラサンはカラディンとエルズリウムを結ぶ街道上の重要な中継点で、ここからエルズリウムまではさらに三日ほどの道のりだった。

 ルシアが前方を見つめて首を傾げた。


「あら、他の軍がいるみたいね?」


 ユリアも視線を上げ、表情を真面目なものに変えた。町の手前に展開されている野営地の旗印を確認する。


「あれは......カラディン軍みたいね。お味方よ」

「へぇー、いっぱいいますね......」


 瑞希が驚いたように呟く。

 町の門前には既に大規模な野営陣地が展開されており、部隊の数は相当なものだった。馬の数も非常に多く、騎兵部隊もここにいるようだった。

 しかし、ユリアはその光景を見ながら疑問を抱いた。

 先遣隊も本隊も、救援に向かったはずよね? それなのに、ここで待機している?

 ユリアはしばらく黙って、町の様子を凝視した。本来なら先行していたはずの部隊が、なぜここに停止しているのか。

 エルズリウムへの救援は緊急事態だったはずだ。陥落していたなら撤退してくるだろう。でも待機しているということは、まだ戦える状況ということ。それなのに進軍しないのは――想定以上の強大な敵がいるか、何らかの異常事態が発生したか。

 歩兵なら三日の距離だが、騎兵のみなら一日で行ける距離だ。あれだけの騎兵がいれば、騎兵だけで先行してもおかしくなさそうだが......それなのに全軍がここで停止しているということは、相当な事情があるに違いない。

 少し......嫌な感じがするわね......。

 風が草原を渡って髪を撫でていく。穏やかな景色とは裏腹に、ユリアの胸には不安が立ち込め始めていた。

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