第12話 エルズリウムの銀光II
【帝国紀元1799年3月25日 14:30】
【カラディン辺境伯領・カラディン城館訓練場】 (リディア視点)
昼食を終えた訓練場に午後の陽光が差し込む。
石造りの広い空間に兵士たちの慌ただしい足音が響く。
訓練場の片隅に運び込まれた台車型の測定機。人が座れる椅子と一体になった装置で、肘掛けの部分に魔術回路が細かく刻まれている。金属の表面には使い込まれた鈍い光沢があり、回路の一部が淡い青白い光を放って独特の気配を漂わせている。
「これが魔力測定機よ。座って、楽にしてくれたらいいわ」
リディアがやや説明口調で語りかける。測定機を操作する技術兵が最終確認を進めている。
「こちらにどうぞ。順番にお願いできますか」
技術兵の呼びかけに、ユリアが無言で頷く。
静かな足取りで椅子に近づきながら、何かを小さく呟いた。リディアには聞き取れなかったが、その瞬間ユリアの右手の指先がわずかに光った気がした。
腰を下ろし、右手を測定台へ静かに載せる。その動作に迷う様子はなかった。
「少し力が抜けるような感覚があります。ご注意ください......測定、開始」
技術兵の合図と共に装置が低い唸り声を上げ始める。台座の周囲が淡く光を放ち、機械が規則正しい音を鳴らした。
「...... 出力 Cクラス、魔力量は......4200ジャウル。適性属性は衝撃ですね」
技術兵が確認するように数値を読み上げる。帝国軍の一般魔法兵は3000から5000ジャウル前後が標準的な数値だった。
出力C......?
リディアは内心で首を傾げる。魔法兵の平均値だが、これほど低い魔力でどうやってあの怪力を発揮したのだろう。魔力補強なしに、あれほどの破壊力を生み出すなど......
肉体そのものが異常なのかしら?
あるいは、測定結果そのものが偽りなのだろうか。
「次の方、お願いします」
技術兵の声に応じて、ルシアが静かに立ち上がる。
ユリアとは対照的に、散歩でもするかのような自然な足取りで椅子に向かった。同じ手順で椅子に座り、測定台に手を置く。貴婦人が茶会に参加するような優雅さが漂う。
装置が再び動作し、少し待つと数値が表示された。
「...... 出力 Cクラス、魔力量4200ジャウル、適性は熱と音、です」
技術兵が同じように淡々と数値を読み上げる。
まったく同じ...?
リディアの眉がわずかに寄った。魔力量が4200ジャウルで完全に一致するなど、偶然にしてはできすぎているわ。
姉妹とはいえ、普通はもう少し差があるものだ。計測機の異常を疑うべきか、それとも彼女たちは何か意図を隠しているのだろうか。違和感が胸に引っかかる。
「その測定機、ちゃんと動いているの?」
リディアは眉をひそめ、技術兵に声をかける。
「は、はい!でも念のため、調整しますか?」
技術兵が慌てて応じる。
「いいわ。私が試す。少し貸して」
リディアが椅子に座り、自ら右手を測定台に載せる。自身の大まかな数値は把握している。これで機器が正常かどうか判断できるはずだ。
装置の唸りが再び響き、少し待つと計測が完了する。
「...... 出力Bクラス、魔力量5900ジャウル、適性は衝撃です」
戦闘指揮官として標準的な数値だった。測定機は正常に動作している。魔力量の数値を操作するなど、普通は不可能なはずだが......。本当にただの偶然......?
疑問が消えない。
リディアは深く息を吐き、最後の少女へ視線を向けた。
「瑞希さん、だったかしら。あなたの番よ」
「は、はい......」
瑞希が緊張気味に返事をする。ぎこちない足取りで椅子に向かい、座る際に震える手を膝の上で握りしめて落ち着かせようとした。視線が落ち着かず、何度も測定台と自分の手を見比べている。
戸惑いながら手を台座へ置いた。冷たい金属の感触に、肩がわずかに強張った。
技術兵が測定を開始すると、いつものように装置が唸り始めた。
ところが、すぐに数値が勢いよく上昇し始める。
「なんだ!? こんな急に!?」
技術兵が慌てた声を上げた次の瞬間―――
「...... 出力Sクラス!? 魔力量は――12000を超えました!? 計測不能です!」
技術兵の声が訓練場に響いた。先ほどまでの淡々とした口調から一転、明らかな動揺を隠せずにいる。一般魔法兵の倍以上―――帝国でも滅多に見ない数値だった。
「え......?」
瑞希が困惑した声を漏らす。彼女の表情には、技術兵の動揺が理解できないといった当惑が浮かび、きょとんとしている。
瑞希の周囲の空気がわずかに揺らぎ始めた。
次の瞬間、ゆらりと揺れる陽炎が立ち上り、蒼い帯のような光が彼女を中心として四方八方に伸びていく。魔力の奔流で押しのけられた空気が微かな風音を立てて訓練場に響き始めた。
蒸気が逆流するように空気が不自然に揺らぎ、透明だった大気が魔力の影響で歪んで見える。蒼い光の帯は訓練場の壁まで達し、石造りの表面を淡く照らしていた。
「な、何なの... この気配は.....!」
リディアが目を見開いて呟く。これほど濃密な魔力を間近で感じるのは初めてだった。その魔力が放つ圧迫感が、肌に重く圧し掛かる。
「ま、魔力が...... 可視化されてる!? まさか本当に見られるなんて......!」
技術兵がうわずった声で叫ぶ。測定機の針は完全に振り切れ、計器盤が激しく点滅しながら「ピピピピ」という甲高い警告音を鳴り響かせていた。
「しっかりしなさい! 機器は!?」
リディアが鋭く問いただす。
「え?...... あっ 回路が......焼き切れそうです! 魔力が......止まらない......!」
場の空気が急速に重くなる。瑞希の蒼い光の帯と共に微かな風音が訓練場に響き、土の匂いですら魔力の奔流に塗りつぶされていく。
訓練場にいた他の兵士たちも、ただならぬ異変に振り返り、後ずさる。
「な、なんだこれは......」
「魔力が見えるなんて......」
ざわめきと驚愕の声が訓練場に広がる。
「中止よ!」
リディアは腰の剣に手をかけ、直感的に身構えていた。制御不能の魔力――下手をすれば、周囲を巻き込む災害になりかねない。
「停止できません! すごい勢いで魔力が流れ込んでる!」
技術兵が慌てた声で応じる。
瑞希の表情に困惑と恐怖が混じっている。
【同日 14:35】
【カラディン辺境伯領・カラディン城館訓練場】(瑞希視点)
わからない。わからないよ、これ......
瑞希の意識が淡く歪み始める。世界が揺れている。測定機の警告音が甲高く響く中、もう何も考えられなかった。
蒼く満ちた"何か"だけが見えていた――
わからない。何が起きてるのか、全然...... わからない。
指先が熱い。その熱さが、だんだん腕を伝って上がってくる。手のひらも、肘も、肩も、背中までも......身体中が、じんじんとしびれていた。痛みじゃなかった。熱いのに、怖いのに、どこか気持ちいい。
呼吸ができていない気がするのに、胸の奥がどんどん膨らんでいくような、そんな感覚。
目の前が、青く染まっていた。最初は光かと思ったけれど、違う。光じゃない。これは――何?
体の中の温かいものが、どんどん外に出ていく。ざあざあと波のように、押し寄せる何かが、どんどん漏れ出していく。止めようとしても、どうしていいか分からない。足が震えて、椅子から立ち上がることもできない。
誰かが叫んでる。「中止」とか「停止」とか、そんな言葉が聞こえる。警報が鳴ってる。でも、遠い。全部遠い。音が、霞んでいく。
私は...... どうすればいいの?
やめたい。こわい。とめて。――誰か、助けて。
そのときだった。誰かの手が、私の手を包み込んだ。
一つは冷たくて、もう一つは温かい。でも両方とも安心する手だった。
それと同時に、蒼い光がすうっと引いていくのが分かった。あの、どんどんあふれ出ていた温かいものが、急に静まっていく。水の流れがせき止められたみたいに。
私は......
自分の手を見た。誰の手かも、わからなかった。二つ。両側から、握られていた。
「......あ......」
声にならない声が、喉の奥から漏れた。
意識が、沈む。ひどく疲れて、もう全部どうでもよくなって、ただ眠りたい......そんな感覚。
一瞬だけ、訓練場が見えた気がした。石の壁、差し込む日光、心配そうな顔......
でもそれも、すぐに霞んでいく。
何も考えられなかった。蒼い世界が、ゆっくりとその輝きを失っていく。
そして、闇が静かに訪れた。
【同日 14:50】
【カラディン辺境伯領・カラディン城館訓練場】(リディア視点)
「彼女を医務室へ!」
リディアが短く命じると、担架を担いだ兵士たちが素早く動き、瑞希を慎重に担ぎ上げた。少女は深い眠りについており、規則正しい寝息を立てている。魔力の放出で疲れ果てているようだった。
測定機の警告音はようやく止まり、訓練場に重い静寂が戻る。
「私が付き添うわ」
ルシアが立ち上がり、担架の傍らに歩み寄る。
「わかったわ」
リディアが頷くと、ルシアは瑞希に付き添って訓練場を後にした。
その後ろ姿を見送りながら、リディアは考える。
あれはいったいなんだったのかしら......
機器の異常ではなさそうだけど......
瑞希にそれだけの魔力量が......? これが父の言っていた異界人......?
リディアは深く息を吐き、残されたユリアに向き直った。
「...... ユリアさん、模擬戦をお願いしてもいいかしら?」
まずは優先度の高いユリアからだ。ちょっと強引だけど、本題だけは進めさせてもらいましょう。
「ええ。いいわ」
ユリアの返答は淡々としていた。動揺した様子は見せない。
「あなたの腕力を見る限り...... それなりの腕がないとダメね」
「リディア様」
落ち着いた声が背後から聞こえた。振り返ると灰色の髪の武人が静かに歩み寄ってくる。家宰のエステヴァンだった。その剣の腕は老いてなお家中でも指折りで入る。
「先ほどの騒ぎは?」
「エステヴァン、いいところに。魔力測定で騒動があってね。もう解決したわ」
「左様ですか。いいところとは?」
「ちょうどユリアの模擬戦の相手を探しているところだったのよ。あなたなら申し分ないわ」
エステヴァンが眉をわずかに上げる。
「構いませんが...... 少女といって良い年齢ですよね?」
「そこの訓練かかしを見てちょうだい。...... あれを一撃よ」
リディアが指差した先に、真っ二つに両断されたかかしの残骸があった。
「......あの両断されたかかしですか?...... ほんとに?」
エステヴァンの声に明らかな驚きが混じった。
「ええ。兵士だけだと腕力だけで押し切られそうでね......」
「......承知しました」
エステヴァンが一礼すると、リディアはユリアに向き直る。
「ユリアさん、複数人相手でいいかしら?」
「構わないわ」
エステヴァンが軽く準備運動をしながらユリアと正対する。鎧を着込んだ近接兵3名も、それぞれ構えをとった。訓練場の空気が、再び緊張に包まれる。
「では、いきますよ」
「ええ」
合図と共に近接兵3人が扇状に展開し、ユリアへ一斉に斬りかかった。
その瞬間――ユリアが右端の兵士に一気に肉薄し、剣を横薙ぎに払う。兵士が素早く防御の構えをとったが、ユリアの一閃で剣ごと弾き飛ばされた。
その一瞬の隙をついて、残り2人の兵士がユリアの左右から迫る。だが、凄まじい速度でユリアが後方に飛んで回避し、左から斬りかかってきた兵士の横に回り込み、一人を打ち据えた。
そこをエステヴァンが素早く逆袈裟に斬りかかるが、それを軽く受け止めるユリア。
速すぎる......防御も完璧......
リディアは息を呑んでその動きを見つめていた。
エステヴァンが連続で斬りかかり、それを受けているユリアの側面に、最後の兵士が隙を突いて斬りかかる。その瞬間、ユリアがエステヴァンの攻撃を凄まじい速度で弾き、反撃の切り返しでエステヴァンが距離をとって躱す。
同時に、ユリアの切り返しの勢いがそのまま横に伸び、側面から迫っていた兵士を突き飛ばした。
あれを回避して反撃ですって?
残ったエステヴァンが再度斬りかかるが、ユリアがカウンターで斬りかかる。エステヴァンが受け止めた瞬間、ユリアの髪が、微かに蒼く光った。見間違いではない。
魔力? 測定値はCクラスのはずなのに。まさか、あの瞬間に魔力補強を......?
その直後、エステヴァンの剣が強引に叩き伏せられ折られた。
その次の瞬間には、エステヴァンの首元に剣が突きつけられていた。
誰もが息を呑み、言葉を失っていた。リディアはその沈黙が、恐れによるものだと直感する。
「...... お見事」
エステヴァンが静かに降参の意を示す。わずかに息を荒げているのが見て取れた。
あの人が息を荒げるなんて滅多にないことよ......
相当本気で戦っていたのね。
「お眼鏡にかなったかしら?」
対照的に、ユリアは汗一つかいておらず、息も全く乱れていない。平然としていた。
「それはもちろん」
「それまで! いいものを見させてもらったわ、ユリアさん。みんなもありがとう」
リディアが手を打って模擬戦の終了を告げる。
「あんな動き、見たことない......」
近接兵の一人が呟いた。
「エステヴァン様を子ども扱いって......」
別の兵士が小声で応じる。
兵士たちの表情は硬く、視線が泳ぐ。折れた剣を片付け、倒れていた仲間たちを助け起こす動作もどこかぎこちない。重い空気が訓練場を包み、誰も直視できずにいるようだった。
「老体には厳しい相手でした」
エステヴァンが苦笑いを浮かべながら言った。
「あなた相手にあんな戦いができる人間がいるなんて思わなかったわよ......」
リディアが溜息混じりに応じる。
「ユリアさん、あなたの実力は本物ね......」
「ありがとう」
ユリアが淡々と応じる。
「これで測定は終わりよ。ありがとう。夕食後に少し皆とお話させてもらってもいいかしら?」
「ええ。瑞希が目を覚まさなかったら私だけでもいいかしら?」
「もちろんよ。時間はそんなにとらせないわ」
「わかったわ。ではまた後で」
ユリアが一礼して訓練場を後にすると、リディアは再び考え込む。
瑞希の異常な魔力、ユリアの一騎当千の戦闘力、そしてあの髪が光る謎の現象。ルシアも何かを隠している。彼女たちの戦術的価値は計り知れないが、同時に恐ろしいほどの脅威だ。
リディアは深く息を吐いた。
これから自分たちが出陣で城内が手薄になる中、もしこの三人が敵に回れば、残された兵力では制圧は不可能だろう。瑞希の体調を盾にされたときの説得方法......父への報告も含めて、夕食までに今後の対応を整理する必要があった。
この異界人たちとの関係が、カラディン家の、そして帝国の運命を左右することになるかもしれない。




