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終末の血族  作者: 天津千里
1章:異界に堕ちた日
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第10話 異界に堕ちた日VI

【同日 夜】

【カラディン城館・作戦会議室】(リディア視点)


 リディアは扉の前で立ち止まる。これから報告する内容の重さが、肩にのしかかっていた。深く息を吐いた。ユリアたちの尋問を終えたばかりで、頭の中に異界人と接したときの異質な感覚が居座っている。異界人──その響きが、意識の奥で重く沈んでいた。父や兄は、この報告をどう受け止めるだろうか。

 リディアは扉を押し開く。すでに三人の男たちが揃っていた。

 重厚な長机の向こうに座るのは父──カラディン辺境伯、ガリウス。灰色が混じった髪を短く整え、長年の軍務で鍛えられた体躯には威厳が宿っている。その隣には兄のユリウス。父に似た面差しだが、若々しい鋭さがある。軍装のまま立ち、地図に目を落としている。そして窓際に静かに佇む老執事、エステヴァン。


「遅くなりました」


 父が視線を上げて頷く。その表情には重い責任感が宿っている。辺境伯としての威厳が、そこにあった。


「来たか。城館内の暴動の対応、ご苦労だった」

「……多くの犠牲を出してしまいました」


 リディアは悔恨を隠せない。もっと早く現場に駆けつけ、適切な指揮を取っていれば。あれほど多くの犠牲は出さずに済んだのではないか。特に、戦いとは無縁であるはずの侍女たちまで巻き込んでしまった。胸が深く締め付けられる。


「あの状況では仕方あるまい」


 ガリウスの声は低く、揺るがぬ力強さを持っていた。それだけで、少しだけリディアの胸が軽くなる。


「負傷者の手当てと暴動の原因究明は急がせている。感染症か、獣人の呪術か……」


 ユリウスが口を開く。


「それによって引き起こされた感染症の線も疑っておりますが、如何せん確証がない状況です」


 リディアは兄と無言で目を合わせる。城館内で大規模な暴動が起きたことは、何らかの事態の予兆であることは間違いない。しかし、それだけではない。


「ただし──感染の拡散パターンが通常とは異なります。単発ではなく、同時多発的。まるで……計画的に配置されたかのような」


 エステヴァンが一瞬言い淀む。その表情には、さらなる懸念が浮かんでいた。


「以降の発生はないのだな?」

「はい。市街地も警戒させておりますが、異常はありません」

「そうか……。この件は調査待ちだな」


 父がひとつ頷き、沈んだ声で話題を切り替える。


「それよりも、エルズリウムからの救援要請がある。エステヴァン、詳細を」

「現在、エルズリウムからの緊急の救援要請が来ております」

「その隙に旧神殿の異常と、城館内の暴動が発生したわけだ」


 兄の言葉に、リディアはうなずく。まるで計ったようなタイミング──偶然では片づけられない。背筋に冷たいものが走る。


「はい。エルズリウムの東部方面軍司令部からの通信は以降途絶、こちらからの問い合わせにも応答がありません」

「応答がない?」


 ガリウスが鋭い視線をエステヴァンに向ける。


「通信機器の故障か?」

「……恐らくは、違います」


 エステヴァンは顔を曇らせた。


「実は、帝都の国防省との定期通信も、同時刻に途絶しております」


 その瞬間、室内の空気が凍りつく。ユリウスが地図から顔を上げ、父と視線を交わす。リディアは兄と無言で目を合わせる。


「同時刻に……だと?」


 ガリウスの声が低く唸る。一つの都市の問題ではない。帝国の軍事通信網そのものに、何かが起きている。


「破壊工作による通信施設の破壊が予想される。救援要請も出ているため、相当大規模な攻撃の可能性もある」

「国境の警戒線は無事なのですか?」


 リディアにとって自然な疑問だった。大規模な攻撃があったなら、国境で察知されるはずだ。

 ユリウスが地図に視線を戻し、指で国境線をなぞる。


「東部国境のヴァンティア要塞、バヤジド要塞、共に直前まで異常なしだ」


 一瞬だけ安堵したが、ユリウスの表情は晴れない。


「中継地のエルズリウムからの通信が途絶したため、現状は把握できん」


 ガリウスが腕を組む。長年の軍人経験が、異常事態の本質を見抜こうとしているように見えた。


「つまり、国境は無事だが、内陸の軍都で異常事態……」


 ユリウスの声に困惑が滲む。兄らしからぬ当惑だ。リディアの胸の奥に不安が湧き上がる。


「敵がどこから現れたのか、見当もつかん」

「現実として、通信途絶と救援要請があったわけですね」


 リディアは自分でも言いながら、言葉の重みを感じていた。誰かが──何かが、帝国の奥深くまで侵入している。その可能性が現実味を帯びてくる。戦慄にも似た感情が走る。

 ガリウスは無言のまま地図を見つめ、しばし考え込む。国境は無事、内陸で異常事態、通信網の遮断──すべての情報を頭の中で整理しているようだった。


「……作戦を決める」


 重い声が会議室に響く。


「私は騎兵五百を率い、直ちにエルズリウムに向かう。ユリウス、お前は歩兵主体の本隊で明日昼に続け」


 父の決断に一切の迷いはない。その声には深い重圧があった。


「リディア──お前は諸侯軍が到着次第、第三陣として後詰に回れ。兵站確保が最優先だ」


 父の声に、わずかな躊躇が感じられた。


「……無理はするな。出撃のタイミングは、お前の判断に任せる」


 リディアは父の真意を理解する。軍事的な信頼と、父親としての愛情。その両方を感じる。


「エステヴァン」


 ガリウスは老執事に向き直る。


「カラディンの守りを託す。万一に備え、住民の避難準備も整えておけ」

「承知いたしました」


 家宰エステヴァンの返答には、家宰としての厳格な忠誠と、元騎士としての主君への深い敬意が込められていた。


「ハッ」


 その声で、リディアも含め一同が背を伸ばす。この場にいる全員が、それぞれの役割を理解している。そしてそれぞれが動けば、少なくとも初動の混乱は抑えられるはずだ。


「それで、旧神殿の件はどうだった?」


 リディアは言葉を選ぶ。次の報告は、この場にいる全員にとって想定外のものになる。


「内部にいた民間人3名を保護しています。うち1名は昏睡」

「彼女らを城館に連行したのですが、そこで城館内の暴動が発生」

「ユリアという少女が……卓越した剣技で敵を制圧したと報告されています」


 室内に微かな沈黙が落ちる。ユリウスがわずかに目を細める。リディアは三人の反応を注意深く観察する。


「民間人ではないのか?」


 兄の疑問は当然だった。リディア自身も同じ疑問を抱いている。


「その後の尋問でも、特に兵士と思われる節はありませんでした。どちらかというと貴族的です」


 深く息を吸う。リディアはこれまでの経験すべてを賭けた判断を、父に告げなければならない。


「そして……ここが肝心なのですが」


 わずかな間を置く。


「彼女らは"異界人"の可能性が非常に高いです」


 この言葉を発した瞬間、室内の空気が一変する。三人の表情の変化を見つめる。

 ガリウスがゆっくりと身を乗り出した。その動作には、驚きを超えた何かがある。遠い記憶を手繰り寄せるような、深い思索に沈むような表情──辺境伯としての威厳の奥に、一族の長としての重い責務が宿っていた。


「異界人……だと?」


 父の声は低く、重く響く。その響きには畏敬にも似たものが混じっている。伝説上の存在とされる異界人の出現は、それほどまでに衝撃的なのだ。いや──それ以上の何かを、父は感じ取っているのかもしれない。


「それは……確実なのか?」


 ユリウスが慎重に問い返す。軍人らしい確証への要求。


「知識、服装、言動……どれをとっても異界人としか思えません」


 リディアは声に確信を込める。父と兄の重い視線を受けて、改めてその報告の重大さを実感する。

 ガリウスとユリウスが無言で視線を交わす。父子の間には、長年の軍事経験が築いた無言の理解が流れていた。


「このタイミングでか……」


 ユリウスが低く唸る。誰もがその意味を理解している。エルズリウムの件と重なるタイミングの不自然さを、リディアは痛感する。


「ついに、その時が来たということか」


 ガリウスの呟きには、深い感慨が込められていた。


「父上?」


 リディアは思わず問いかける。父の反応には、知られざる事実を知っているかのような響きがあった。それは単なる驚きではない。まるで予期していた何かが、ついに現実になったかのような──。視線を交わす父と兄の間に、自分の知らない何かが流れている。その感覚が、胸に小さな焦燥を生む。


「そうだな、いずれ話すときが来るだろう。まずは異界人を見極めねばなるまい」


 そう言って、父は軍人としての顔に戻る。


「その異界人はどれほど戦えるのか、明日以降、正確な戦力把握を行っておけ」

「承知しました」


 リディアは即答する。異界人である可能性もさることながら、あの剣技と気配は、明らかに異質なものだった。戦力としての価値と、脅威としての危険性──両方とも測定する必要がある。


「基本的に友好的にな。もし高い戦闘力がある場合は可能な限り軍に同行させよ」

「その際は客将待遇で構わん。決して目を離すな」


 父の方針。リディアには異界人をそれほど重要視する理由が、まだ完全には飲み込めずにいた。


「それほどにですか?」

「ああ、真偽に関わりなく異界人と勇者を結び付けられる可能性がある。神殿などが口をはさんでくるかもしれん」

「たしか、建国帝の正妃が勇者で異界人……でしたか」


 ユリウスが確認するように付け加える。その知識の深さは、さすが次期当主だと感じられた。


「そうだ。六百年前、建国帝と共に戦場を駆け、帝国建国の礎を築いた」


 ガリウスが頷く。


「勇者が持つ力は、時として歴史を動かす。その力は象徴としてでもいいのだ。だからこそ、様々な勢力が関心を示す」


 単なる戦力ではない。政治的な、そして象徴的な価値を持つ存在なのだ。


「そういうことですか……わかりました」


 リディアは納得と共に答える。


「うむ。では各自準備を。解散」


 父の一言で、会議は締めくくられる。父は無言で頷き、出口へと向かう。兄もその横を離れ、出口へと向かう。エステヴァンが最後に一礼し、静かに従う。

 リディアはその場に一人残り、しばし視線を机の上に落とす。"異界人"──ユリアと名乗った少女のあの目が 脳裏に焼き付いて離れない。彼女の警戒に満ちた瞳、それでいて理知的な佇まい。そして、報告で聞いた卓越した剣技……そのどれもが彼女がただの少女ではないことを示していた。

 エルズリウムの危機、異界人の出現、そして城館内の異常事態──それらが関連しているのか、はたまた偶然なのか。それすら分からぬ複雑な状況の中で、リディアはすでに世界が、何か大きな節目を迎えようとしているのを感じていた。


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