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オアシスに生きる

「おお……! ほんまや、水や……!」


 やがて、岩盤の最後の薄い層をギデオンの鋤が貫通した瞬間ーー。


 プシュッ!


 空気の抜けるような音と共に、土の下から透明な液体がじわじわと滲み出してきた。


 ごく微かな、けれど確かな地下水脈からの流れ。


 井戸の上から微かに差し込むの朝日を反射して、どんな宝石よりも美しく煌めいた。


「やったあああああっ!! 水だ!!」


 リリアンは、泥だらけのギデオンに思わず抱きついて叫んだ。


「水だー! お兄ちゃーん! お姉ちゃーん!」


 井戸の上から、アッシュの割れんばかりの歓声が降ってくる。



 二人の歓声を聞きつけた若者が、我先にと集落から走ってきた。


「すげえ……本当に、飲めそうな水だ……」


 若者の一人が、泥水になった水たまりに顔を突っ込む勢いで、水を見つめる。


「おい、頼む。俺にも……俺にも、ツルハシを貸してくれ! 俺にも掘らせてくれ!」



 数日前まで、たった一人の戦場だった井戸の底は、その日を境に、熱気と活気あふれる採掘場と化した。


 集落の男たちが何人も、家から錆びたシャベルや鍬を引っ張り出し、採掘の列に加わっていく。ギデオンが現場監督として「シフト制」を導入するほどの盛況ぶりだった。


 女や子供たちも、掘り出した土を運んだり、石を洗って井戸側に積み上げる手伝いを、自発的に始めた。


 死んだようだった集落の空気が、劇的に変わっていく。人々の顔から無気力と諦めの色が消えていく。


 そして数日後ーー。

 井戸掘りの最終工程は、文字通り佳境を迎えていた。


 リリアンは井戸の縁に立ち、汗だくの男たちに向かって声を張り上げていた。アッシュがリリアンの計測データを読み上げる。集落の全員が、息を殺して見守っている。


「目標水位到達まで……あと三センチ」


 アッシュの声が震えた。


「二センチ」


「一センチ……」


 ーーゴポッ、と。


 井戸の底から、大きな気泡が破裂するような、力強い音が響いた。


「「「うおおおおおおおおっ!!!」」」

「「「完成だああーっ!!!」」」


 大気を震わせる歓声が、乾いた荒野に響き渡った。


 集落の人々は、身分も年齢も関係なく抱き合い、泥だらけの顔で涙を流し、大声で笑い合った。


 水飛沫がリリアンの顔に降りかかる。冷たくて、優しい。


「すげえな、嬢ちゃん!」


「本当に水が出るとは」


「ぼく……こんな綺麗なもの、みたことない……」


 リリアンの隣で、アッシュが泣いていた。声を上げず、唇を噛み締め、瞳から大粒の涙を溢れさせている。


 リリアンだって、泥だらけで、髪は乱れ放題で、服は血と汗でぐちゃぐちゃで。ーーなのに、気分は爽快だった。


(ーーああ。ここが、私の場所だ)


 誰かから与えられたのでもない。リリアン自身が血と汗で勝ち取った場所。


公爵家に継母と義弟が公爵家に現れてから、胸に大きく開いていた穴が――ずっと感じていた孤独感が、少しだけ癒えていく。


(この場所だけは、二度と、誰にも奪わせない)


 本当は、ずっと――淋しかったから。


 井戸の成功体験は、集落の人々を、少しずつ変えていった。


 彼らは前向きになり、十歳の少女であるリリアンの言葉に、真剣に耳を傾けるようになった。


 水というインフラが確保できた今、次なる目標は食料の自給自足化――荒野の緑化に、自然と関心は移っていった。


「リリアン、水が出たのはありがたいんやけど……この砂漠みたいな赤土じゃあ、種を撒いても風で飛ぶか、すぐに枯れるのがオチや」


「以前は緑豊かな土地だったと聞いたけど……」


「……前王時代に、王都のスキル持ちが、風向きを変えたらしい。そのとばっちりで荒れたんや。せやけど、俺等じゃ風なんざ戻せねえ」


「風は変えられなくても、土は変えられる。……まずは、土そのものを改造したらどうかしら」


 リリアンは、前世の知識と、今世で学んでいた農業の知識を総動員した。


「まずは、この荒野のあちこちに自生している、乾燥に強い藍藻類を採取して」


 リリアンは、砂漠の過酷な環境にひっそりと生息する、黒っぽいかさぶたのような微生物の塊を指差した。


「これらに井戸水と、微量の有機物を混ぜて培養液を作る。そして、農地にしたい場所に散布しましょう、きっと、この地に緑が満ちる」


「お姉ちゃんが言うなら、信じるよ」


 アッシュが、キラキラとした瞳で見上げてきた。


 いくつもの季節を、仲間たちと共に駆け抜けた。


 リリアンが王都を追放されてから、ちょうど二年ほどの月日が流れ。


 サラサラだった死の砂は、徐々に保水力を持った「生きた土」へと劇的な変容を遂げた。


 土地は豊かな緑を湛え、まるで砂漠に浮かぶオアシスのようだ。


 ボロをまとっていた人々は、上質な木綿の衣類を身にまとうようになっていく。


 いつしかこの希望の地は、『アークライト』と……リリアンが思いつきで名乗った苗字で、堂々と呼ばれるようになっていた。


 ある日の、昼下がり。


 勢いを落とさない太陽の下、リリアンは製粉風車に足を向けた。


 ゴオォオオォ、と、風車の羽の爆音が響いている。


 肩には、モモンガ妖精――フェイと名づけた、女の子だ――が、暑さにも負けず跳ねている。


 ――陽炎の向こうから、こちらへ向かって歩いてくる、二人の男性が見えた。一人は飛び抜けて背が高く、上質な旅装束を纏っている。体格のいい男性が、寄り添うように歩いている。


 二人は、リリアンと同じ方向――風車へと向かっていく。リリアンは思わず足を止めた。


(旅の商人にしては身なりが良い……? 貴族……? でもこんな辺境に貴族が来るものかしら……)


 やがて青年は、風車の巨大な羽根の下へと足を踏み入れた。砂漠の強烈な太陽光を、回転する巨大な羽根がくるくると遮る。青年の体に、光と影の動く縞模様が、映し出される。


――不意に、背の高い人影が、糸が切れた操り人形のように、バタリと倒れ込んだ。


「カイ様!」


 体格のいい、従者らしき男性が叫び、慌ててその場に膝をつく。



「えっ? 大丈夫ですか!?」


 リリアンは小走りで駆け寄った。


 倒れていたのは、十五歳前後の青年だった。


 サラサラとした、月の光を溶かしたような見事な銀糸の髪。そして、砂に伏せた横顔は、息を呑むほどの美貌だった。まつげが長く、どこか冷たい氷の彫刻のような静謐さを纏っている。



「近寄るな」


 従者が、低い声で威圧する。青年が、うめき声を上げる。


「……光が、音が……刺さる……っ」

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