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きらきらの夜明け

 青い光が、馬車の周囲をすっぽりと覆った。


 猛烈な衝撃が全身を貫いたが、馬車と地面が激突・大破する瞬間は、いつまで経ってもやってこない。


 リリアンはゆっくりと、暗い谷の底に、馬車ごと着地した。


 安堵と同時に、意識が急速に朦朧としていくーー。


 目を覚ますと、谷の底だった。


 半壊した馬車。だが怪我はない。足元に、荷物が不自然なほど丁寧に置かれている。


——誰かが、助けてくれた。


「……優先順位は、現状把握」


 ひび割れた唇からこぼれたのは、自分でも驚くほど、冷静な声だった。



 一晩かけて谷から這い上がり、リリアンは動き出した。


 リリアンは『土いじり』のスキルで地下の水脈を辿り、蜃気楼の向こう側に小さな集落を発見した。


 廃材や日干しレンガを寄せ集めた掘っ立て小屋が数軒。


(村……?)


 骨と皮ばかりの子ども、生気のない瞳をした若者たちーー帝国に居場所を得られなかった底辺のスキルを持つ人々だろう。


(きっと、私と、同じ)


 リリアンが近づくと、彼らは警戒心を露わに背を丸めた。



「なんだ、見かけない嬢ちゃん。ここは地獄の底だぞ。とっとと他所へ行きな」


 腰の曲がった老人――ここの長老らしい――が、しわがれた声で追い払うように手を振った。


「ここを、私の次の居場所にしたい」


 自分の言葉に、自分で驚いた。けれど口に出してみれば、以前からの望みだった気さえした。


(私と同じ、スキルに恵まれなかった人々と一緒に。新しい居場所を、作りたい)


「役にもたたない子どもが、暮らせる場所じゃねえよ」


 長老はけんもほろろだ。


(子どもだからって、無条件に保護される環境じゃない。役に立つって、私の価値を――証明しなきゃ)


 ふと、リリアンの視線がある一点に止まった。集落の中心にある立派な石組みの井戸の前を、小さな子どもが――砂漠に咲く一輪の花のように、可愛らしい子だ――水瓶を抱えて素通りしていく。


「長老さん。あの井戸は、使われていないの?」


「あの井戸は五年前に完全に枯れちまってな。それ以来、半日かけて隣の谷の川まで水を汲みに行っとるよ」


(微かに水の気配がするーーこれだ!)


「私を、この井戸の底に降ろしてください。私のスキルなら、もう一度、水を出せます」


「もし水が出なかったら、アンタの路銀を全額貰う。それでいいな?」


「全額、差し上げます。ですがーー必ず、水は出します」



 ギシギシと縄が軋む音を立て、リリアンはゆっくりと暗い井戸の底へ降ろされていった。


 リリアンは穴の底でひざまずき、両の手のひらを硬い地面に力の限り押し付けた。


 ――スキル『土いじり』、最大出力で発動。


 ふわりと、温かいブラウンの光が手のひらに集まる。人を傷つけることも、圧倒することもできないけれど、優しい色だ。


 意識の波が、手のひらから大地へと、深く、深く、染み込んでいく。


(……あった。硬い層だ)


 分厚い粘土質と岩盤がミルフィーユのように混じり合った「難透水層」の圧倒的な防御壁。


 だが、その向こうに——


 水が。


(いや、違う!)


 水が「あった」痕跡があった。地質の記憶のようなものだ。かつてここを流れていた水脈の残響。


 リリアンは穴の底で、膝をついたまま動けなかった。


(水脈の残響を、現在の水脈と読み間違えた……? ううん、水自体はある。ただ、相当深い……土いじりスキルじゃ、水を出せはしない)


 前世では、電気探査法があった。水脈の深さを科学的に検証するための道具が、無数にあった。この世界には何もない。あるのは、リリアンの不完全なスキルと、前世の知識という名の思い込みだけだ。


 穴の上から、長老の声が降ってきた。


「どうだ」


「……水脈は、深くて。相当掘らないと、水は出ません」


 沈黙が、十秒ほど続いた。


「そうか」


 長老の声に、怒りはなかった。


「路銀、置いていけ。引き上げてやる」


(これで……文字通り無一文になる……)


「ねえお姉ちゃん。お水、出なかったの?」


 井戸の縁に、真昼の太陽を後光のように背負った、小さな少年のシルエットがひょっこりと現れた。以前、見かけたことのある顔だ。


 サラサラと輝くブロンドの髪。雲一つない夏空の色を切り取ったような、澄んだ空色の瞳。一瞬、女の子かと見紛うほど可愛らしい。


 アッシュと名乗った少年は井戸の縁から、リリアンの絶望した顔を、覗き込んでいた。


「……つまんないの。光に透けた水しぶきとか、水底で光る宝石みたいのとか。たった一度でいいから、ここで、キラキラしたものを見たかったのに」


 アッシュの瞳には、純粋な失望だけが宿っていた。


 リリアンの胸に、チクリ、と痛みが走った。この子は、この場所で、一度として美しいものを見たことがないのだろうか。


(子どもが希望を持てない場所なんて――存在していいはずがない)


 リリアンは井戸から引き上げられた。言葉を尽くして、『人力で、深く掘れば水は出る』と説明した。しかし、長老も集落の大人たちも、首を縦には振らなかった。


「分かりました。できるところまで、自分で掘ります」


 先の欠けたスコップを借り、リリアンは再び暗い井戸へ一人で降りた。


 ガンッ!


 硬い。たった数回掘っただけで手のひらの皮が破れ、血が滲む。


 泥まみれになりながら、リリアンは掘り続けた。


 日が傾きかけた頃、長老が険しい顔で井戸の縁からリリアンを見下ろした。


「……もう、よせ。こんな暑さで体を動かし続けたら、本気で死んじまうぞ」


「まだ……です。まだ水には……届いて、ない……」


「馬鹿野郎!! ガキが犬死にして、何になる! ここじゃ、夢を見た奴から、先に狂って死んでいく!」


 リリアンは、泥と血と汗に塗れた顔を、ゆっくりと上げた。


 木々の緑の瞳で、長老を真っ直ぐに射抜く。


「死にません。私、ここで生きると決めたから。……あなたたちと、一緒に」


 長老は、何も言わずに姿を消してしまった。


 日が暮れ、リリアンは這うようにして井戸の外に出る。


 長老が井戸のすぐ側で腕を組んで待ち構えていた。


 欠けた木の器を、無造作にリリアンの前に差し出す。なみなみと注がれた、澄んだ水だった。


「……飲め。死なれたら、死体の処理が面倒だからな」


「……いいんですか。貴重なものを」


「俺への礼なら、本当に水が出た後で、とびきり美味い水で払ってもらう。……死ぬ前にもう一度、信じてみたくなった」


 生ぬるい水が、ひび割れた喉を甘く潤していく。公爵家で飲んだどんな高級な果実水よりも、美味しく感じられた。


 翌日の早朝、井戸の縁に真新しい鉄のツルハシが置かれていた。周囲を見回すが、誰もいない。


 大きな朝日が、水平線の向こうから顔を出しはじめていた。空は澄んだ藍色から、黄金のグラデーションへと変化していく。


「なんか、昨日より綺麗に見えるね」


 リリアンは、肩乗りモモンガに笑いかけて、作業を再開した。


 道具のおかげで作業は進んだが、新たな壁にぶつかった。ある程度掘っては皮袋に土を入れ、縄梯子を登って地上へ捨てに行くのだが、これでは非効率だ。


(滑車をつくれないかな。それか、とりあえず積み上がった土を運び出す人手が欲しい)


「誰かー! 誰かいませんかー!」


 暗い穴の底から声を張った。現れたのは、アッシュだった。


「誠実で、時間があって、力もちの大人の人、紹介してくれない?」


「僕のお兄ちゃんは、すっごく暇人だよ?」

 

 アッシュの返事は、どこかズレていた。 


 アッシュに手を引かれ、しぶしぶとやってきた『お兄ちゃん』ーーギデオンは、野性的な青年だった。赤髪に、鋭い青の瞳。20歳前後だろうか。アッシュにはあまり似ていないが、美形だ。


「土を運び出して頂けませんかー? お礼なら……」


「……あほう! ここで金なんか絶対に見せたらあかん。寝首を掻かれるぞ」


 ギデオンは焦ったように、リリアンを遮った。ギデオンの言葉は、僅かに語尾が上がる訛があり、リリアンには前世の大阪弁に聴こえた。


 リリアンは、どうしていいか分からず、しばし黙る。公爵家の後ろ盾もないのだ……どうしたらこの、しぶしぶと連れられてきただけの青年を動かせるのか。


「……お願い、します。どうしても、この井戸から水を出したいんです。あなたたちの力が必要なんです」


 差し出せるものなどないリリアンは、ただ、深く頭を下げた。


「お兄ちゃん。水が出るまでは、僕、変な気は起こさない。約束するよ」


「……はぁ。俺も弟も、こういう一本気なバカには昔から弱いんや。少しだけ、手伝ってやる」


 ーーこれが、後にこの地を力強く支えることになる、兄弟との出会いだった。


 ギデオンの規格外の筋力と、リリアンの『土いじり』スキルの連携が始まると、作業効率は跳ね上がった。アッシュも頭の良い子で、滑車の理論を理解し、文字も読める。設計図さえ、書いてみせた。


 リリアンが土の結合を局所的に弱め、ギデオンが弱点に鋤を打ち込む。砕けた土砂をリリアンが皮袋に詰め、アッシュが地上で、新しく作った滑車を引き上げる。


 見事な労働「システム」だった。


 作業開始から一週間が経過した。


 日中は熱いため、薄明かりの中、早朝に作業をしていた時だった。


 深く掘り下げた穴の底の土が、スキルを使わずとも分かるほど明確に黒く変色し、じっとりとした湿り気を帯び始めた。


「……! ギデオンさん、これ!」

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