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追放令嬢は希(こいねが)う

 夜。


 王都の玉座に、リリアンは文字通り囚われていた。


 玉座に陣取る皇帝が、リリアンを膝に載せて離さないのだから、仕方ない。


「明日の朝には、アークライトに帰らないと。南区の灌漑計画の最終確認が――」


「……二度と太陽が昇らないよう、新しい法でも作りたいところだが……、リリアン。いつか――俺の腕を、帰る場所にしてほしい」


 不器用な声とともに、後ろから抱きしめる腕が、強くなった。


「……ふふ、2度目のプロポーズ?」


「定義としては、近似している。正確には6度目だが」


「……近似って」


 リリアンは笑った。目尻に涙が滲んでいるのは、皇帝からは見えていないはずだ。



「あと――3つめの贈り物がある」


「だから、宝石も魔道具も、要らないのに……」


 皇帝が指を鳴らすと、玉座の間の天窓が音もなく開いた。


 冷たい夜風が吹き込む。同時に――巨大な翼の影が、月を横切った。


 風圧。


 天窓から舞い降りてきたのは、全身が瑠璃色の鱗に覆われた騎竜だった。翼を畳み、つぶらなフォレストグリーンの瞳でリリアンを見上げる。鱗の一枚一枚が、月光を受けてオパールのように青から緑、かすかな白へと、色を変えた。


「騎竜?!」


「星竜だ。この瞳の色は、この世界に一頭しかいない」


 皇帝の声が、少し早口になった。リリアンはそれが、無表情な皇帝なりの「興奮」の表出だと知っている。


「航続距離は騎馬の二十倍。高度三千メートルまで安定飛行可能。アークライトの全領域を数時間で視察できる。……君が、効率的に領地を見たがっていたから」


 覚えていたのだ。リリアンが何気なく漏らした一言を。


「……いいの? こんな高価な」


「俺が狩った。帝国の予算ではない。好きな名をつけるといい」


 リリアンは立ち上がり、騎竜の首筋にそっと手を伸ばした。星竜が鼻先をリリアンの掌に押しつけ、低い喉音で鳴いた。まるで、ずっと前から彼女を待っていたかのように。


 リリアンの肩の上で、守護妖精である、モモンガの姿をしたフェイが翼膜を広げた。星竜に向かってキキキ、と威嚇している。


「フェイ、大丈夫。新しい仲間だよ。名前……何がいいかな」


 リリアンがウキウキと、星竜に触れる。


 モモンガのフェイは警戒を解かず、リリアンの髪の中に潜り込んだ。


「……ありがとう。ずっと、空から見たかった。……砂漠だった場所に、緑が広がってるの」


皇帝が立ち上がり、リリアンを再度、後ろから抱きしめた。温かく大きな胸に、リリアンは全身を預けた。


「一緒に見たいものだな。――君が、変えた景色だ」


 静かな夜だった。月光と、決して離れていかない体温。


 ――八年前のリリアンは、知らなかった。


 こんなにも満たされる日が、来るなんて。




 八年前――。


 朝早くベッドを抜け出したのは、ワクワクで一睡もできなかったから。


 リリアンは寝巻きのまま窓枠に足をかけ、公爵邸の屋根に這い上がった。十歳の少女の細い足が、宙に揺れた。


 肩に乗った六匹のモモンガ――次期領主を守る守護妖精が、具現化した存在――たちが、寝ぼけ眼でリリアンにしがみつく。ふわふわ尻尾たちが揺れる。


 夜明け前の王都が、眼下に広がっていた。


 教会の尖り屋根。石畳の大通り。蛇行する運河。


 美しい。――でも。


「——また屋根ですか、お嬢様。何回言っても、やめないんだから」


 侍女で、リリアンの乳母姉妹でもあるアリスが、屋根に登って来ていた。


 アリスは文句を言いながらも、リリアンの隣に腰を下ろした。



「……で、今朝は何を睨んでいたんです?」


「あの水路」


 リリアンは、運河の分岐点を指差した。


「勾配の設計がおかしい。あの分岐点、流量係数が合ってない。大雨で下町が浸かるの、たぶんあそこが原因。……たった一箇所直せば百世帯が救えるのに、なんでやらないの? スキルが決まったら……」


 リリアンが指差す先。暗い水面に、街灯の光がちらちらと揺れている。


「また数字ですかぁ。……でも、スキルの授与式、楽しみですね。リリアン様のお母様もお祖母様も『豊穣』のスキルでしたものね」


「――うん! あの水路、スキルで直せたら。お父様も、褒めてくれるかな。そうしたら、継母様も、アレンも……みんなで、家族になれる気がする」


 アリスは何も言わなかった。ただ、リリアンの小さな肩に、そっと手を置き、抱き寄せた。



 ――リリアンの視線が、ふと、アリスの袖口に止まった。


 何度も洗って毛羽立った、薄い木綿。


 リリアンは、自分の寝巻きの袖を見下ろした。上質の絹だ。


「……ね。アリスは毎朝、私より二時間も早く起きてる。私の服を準備して、朝食の配膳を確認して。……同い年なのに、私より、ずっとたくさん働いてる」


 リリアンは、アリスの木綿の袖と、自分の絹の袖を、交互に見つめた。


「なんで……たくさん働いてるアリスが木綿で、あんまり働いてない私が絹なの」


「今のリリアン様は、お勉強がお仕事と、母が言ってました。それに、リリアン様は将来、領民の命を預かるお立場になるのです。それはとても重い責任で……この絹は、その覚悟への対価なんだって」


「……じゃあ、約束する。私が領主になったら、アリスにも絹の服を作る。ちゃんと働いた人が、ちゃんと報われる領地にする。……それが、この絹を着ていい理由でしょ?」


「……楽しみにしておりますね、リリアン様」


 アリスが、顔をくしゃっとして、笑った。



 同時に――東の空が、白み始めた。


 最初の一筋の光が、屋根の上の二人を照らした。リリアンの茶色の髪が、金に染まる。


「お母様が愛した領地……私が、守り抜く」


 リリアンは、背筋を伸ばした。


 モモンガたちが、リリアンの寝間着の裾に飛び乗り、絹の上で嬉しそうに転がっていた。



「アレン・エヴァンス。汝に授けられしスキルは、『氷槍』である」


 大神官・ゼファニウスの声が、神殿の厳かなドーム状の天井を震わせた。


「やった!」


 同い年の義弟アレンが、快哉を叫んだ。アレンの全身を、鮮やかな青い光が包み込む。アレンの頭上で、無数の幻影の槍が荒々しく舞った。


 見守る貴族たちから、歓声が湧き上がる。継母も、満面の笑みで頷く。



「次の者――、リリアン・エヴァンス」


 リリアンが大神官に呼ばれたことに、注意を向ける大人はいなかった。


(エヴァンス家の長女は、私なのに。……アレンが来てから、皆アレンのことばかり)


 つい浮かんでしまう思考を、小さな頭を振って逸らす。


(私は、次期領主となるのだから。人を羨んだりしない。心を、透きとおる湖のように。木漏れ日のさざめく木々のように……)


 リリアンは領地の湖畔を思い浮かべながら、冷たい祭壇へゆっくりと進む。


「――リリアン・エヴァンス。汝に授けられしスキルは……『土いじり』である」


 大神官の声は一転、冷酷な響きを帯びた。 リリアンの足元から、くすんだ茶色の霧が、力なく立ち上る。 アレンのように、周囲を眩しく照らし出す力はない。


(――え? 今、なんて?)



 守護妖精のモモンガたちは一斉にリリアンから離れていった。モモンガたちは誘い込まれるように、アレンの周りへ群がる。 リリアンの細い肩から、ささやかな温もりが消え去る。


(あ、待って……)


 思わずモモンガたちの行く末を見るけれど、引き留める権利も術も、きっとない。アレンは嬉しそうに、モモンガたちに触れている。


 やがて。くすくす、と、押し殺した嘲笑が水面の波紋のごとく広がる。


 リリアンの全身が、見えない無数の針に刺されたように深く痛む。


「辺境送りが妥当か。外れスキル持ちが、王都の清らかな空気を汚してはならない」


「立派なフォレストグリーンの瞳も、中身が土塊では魅力半減ですな」


「さて、次期領主は、愛人の子のアレン様かね」


(領主のスキルが『土いじり』で、民は守れるの……? お母様みたいな女領主に、なれるの……? お父様は)


 父に目線を向けると、眉間にしわをよせ、睨みつけるようにリリアンを射る視線とぶつかった。


 急に、両足に力が入らなくなって、リリアンはその場に座り込んだ。



(立たなきゃ)


 両足を無理やり踏ん張り、祭壇から降りる。ふと、絹のドレスの裾が目に入った。


 自分が領主にならないのなら――妖精が離れていったのがその証左だ――ただ公爵家に生まれただけの自分に、高価なドレスは分不相応だ。


「お、とうさま。私、ドレスとかいらない。お願い、大きくなったらアレンの補佐官にしてください。もっとお勉強頑張ります。だから」


 だから、捨てないで――。


 声にならない願いは、届かなかった。



 儀式の神殿から、屋敷に戻って数日後。


「リリアン。お前をエヴァンス家から除名し、帝国西部の辺境区への追放を命ずる」


 父が自室に訪れ、予測どおりの宣告が下された。


 父の声には、何の感情も浮かんでいなかった。かつてリリアンを力強く抱き上げてくれた温かい腕も、優しい眼差しも、今の父とは全く別の存在のようだった。


(ああ、やっぱり)


 涙は、一滴も出なかった。


 ただ、心臓がぎゅっと鷲掴みにされたように激しく痛んで、息がうまくできない。



 意識が遠のき――パチン、と。


 脳内で火花が散ったような、強烈な衝撃が生じた。


 視界を焼き尽くす白光。激しい頭痛と共に、脳裏に、知らない光景が濁流のように流れ込んできた。


 ガラス張りの、天を突くような高層ビル群。アスファルトの道を埋め尽くす鉄の箱の群れ。夜空を昼間のように照らす、無数の人工の光。知らない文字。知らない人々。


 リリアンは、見た。


 白い研究室で、モニターに向かい、複雑な図形や数式を組み立て――ひどく焦った顔で、キーボードを叩いている白衣の『自分』を。


 『――システムの根幹に異常発生。フェイルセーフが機能していません! まずい、爆発する!』


 『だから言ったのに。個人の天才的な能力に依存したシステムは、いずれ必ず破綻する……!』


 けたたましい警報音。崩壊していくプロジェクト。そして、全てが白に染まる強烈な光。


(これは……私が日本でみた、最後の記憶……)


 前世のリリアンは社会インフラ設計の研究者・コンサルタントだった。資源管理や人材管理――システムを成り立たせるための基盤技術を、横断的に扱っていた記憶の断片が、ぼんやりと蘇る。



「……わたし、日本で、死んで。でも今、生きてて。えっと、だから」


 リリアンの混乱に、けれど父は気づかない。


「連れて行け」


「へえ」


 傭兵らしき男が、十歳の細い腕を無造作に掴む。


 屋敷の外へ連れ出される。泥と水溜りが、絹のドレスを容赦なく汚していく。


 降り続く冷たい雨の中、用意されていたのは幌が破れた粗末な馬車だった。


(そっか、私――二度、居場所を喪ったんだ)



 馬車がゆっくりと動き出す。


 リリアンは小さな窓から、王都の景色を眺めていた。壮麗な教会が、遠ざかっていく。


「バチが当たったのかな……」


 かすれた呟きが、馬車を打つ雨音に溶ける。今更、涙が、とめどなく溢れた。


「お仕事を頑張れば……もう一度、暖かい家が手に入る気がしてた」


 100%の、綺麗な心ではなかった。領主は領民のことを一番に考えなくてはいけないと――教わったのに。



 ふと、肩に温もりを感じ、視線を向けると……たった一匹の、他の個体よりも大分小さなモモンガが、居眠りをしていた。


「寝坊して、主を選び損ねたの……? 私は辺境に行くんだよ?」


 モモンガが両目を開けた。リリアンの首筋にふかふかの頭を押しつけ、ぐりぐりと動かす。まるで、自分がリリアンを選んだとでも言いたげだ。


「もう、分かったよ。あなたにまで愛想つかされたくないし……辺境の領主様に頼んで、モモンガの姿の維持、できるかな……」


 領主、と口にすると、少し全身に力が戻った。


「生まれた場所で死ななくたって、いい。私は民を守れ、と育てられたのだから。どこにいたって、組織も領地も、存在する。そこの民の……力になれれば」


 リリアンは、強がりを口にした。本当は、本当はエヴァンス領以外の場所など、想像もついていなかった。


「預けられる予定の辺境伯は、コトなかれ主義と聞いているけれど、それでも噂でしかないのだし……」



 ふと、先ほど蘇ったばかりの記憶の断片が、囁いた。


 『個人の能力に、過度に依存すれば――』


 どんなに強大な魔法スキルがあろうと、個人に依拠する限り、国家は常に不安定だ。


(前世の記憶を活かせば、もっと良い組織づくり・領地づくりができるはず。そして、誓う……次に居場所を得られたなら、全力で守り抜く。何があっても、手放さない)



 王都を出てから七日。景色は赤茶けた大地に一変していた。乾いた熱風が砂塵を巻き上げ、容赦のない太陽がぎらぎらと照りつけている。


 護送は、粗暴な傭兵だった。


(この乾燥した土の下……少しだけ、水の気配を『感じる』)



 ふと、空気が止まった。直前まで吹き荒れていた風が、嘘のようにぴたりと止む。


「……おいおい、冗談だろ。大砂嵐かよ」


 数百メートル規模の象牙色の「壁」が、一瞬でリリアンたちの乗る馬車を、飲み込んだ。


 凄まじい突風が馬車を横から殴り、車体が大きく揺れた。恐怖に駆られた馬がパニック状態で駆け出し――巨大な渓谷へと向かっていく。


「悪いな、『土いじり』! 実は辺境伯からも、途中で捨ててこいって、言われてたんだ!」


 傭兵は馬車をあっさりと見捨て、飛び降りていった。



 リリアンは必死に扉を叩いた。しかし蝶番が歪んだのか、ピクリとも動かない。


 次の瞬間、ふわり、と浮き上がる無重力感。馬車が崖の縁を踏み外したのだ。


 落ちていく。加速していく。


(せめて、この子だけでも……)


 守護妖精のモモンガとはいえ、物理的な衝撃を受けないわけではないだろう。リリアンはモモンガを、胸元に抱きしめた。


 次の瞬間。


 ――カッ、と。


 世界が、激しく蒼く光った。

21日まで、1日数話ずつ、ストックを放出いたします。

20話(全体を読むのに90分くらい)で小休止となります。

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