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氷帝の足音

 勅書に書かれていたのは、有無を言わせぬ命令だった。


『辺境自由区・アークライト総監へ告ぐ。近日中に、皇帝カイゼル・ヴァン・アドラーが、当区の視察に赴く。万全の準備を以て、これを迎えよ』


 リリアンはすぐに、副総監であるギデオンや、各省のリーダーたちを招集した。


「皇帝自らが、視察に……?」


 農業省のリーダーが、青い顔で呟く。彼の動揺は、会議室に集まった全員の気持ちを代弁していた。


「リリィ……やない、総監。皇帝の狙いは一体何や? 俺らを反乱分子と見做して、潰す気か?」


 ギデオンの瞳に、警戒の色が浮かんでいる。


「その可能性もあるけど……私たちの経済規模から考えて、アークライトを帝国に正式に組み込み、システムの解体を目指すほうが、帝国にはメリットがある。工業式農業のノウハウも、おそらく帝国は欲しがっている」


「気の遠くなるほど、荒れ地に種を植え続け……緑にしたのは俺達や。 横取りしようってのかよ」


 苛立ったギデオンの声に、そうだ、そうだ、という賛同が重なる。


「帝国から見れば、荒れ地だったのをいいことに、いつの間にか『自由区』なんて呼ばれるようになった異分子。それが私たちの立場ね」


「弱気になんなよ、兄貴! 俺たちが、どれだけの思いでこの街を作ってきたと思ってるんだ! 皇帝だの辺境伯だのに、好きにさせてたまるか!」


 アッシュが兄に噛みついた。


「だが、相手はあの『氷帝』だぞ!」


 別の幹部が叫ぶ。



 カイゼル・ヴァン・アドラー。


 十五歳で帝位を継いだ天才的な統治者。わずか数年の治世において、腐敗した貴族を一掃し、硬直化した法を改正し、斜陽となっていた帝国の経済を立て直して、経済大国として復権させた。


 しかし一方で、彼の名は恐怖の代名詞として帝国全土に轟いていた。


 曰く、カイゼルは感情を持たない。その心は帝室に伝わる呪いによって凍りついているのだ、と。


 曰く、カイゼルは血も涙もない。少しでも意に沿わぬ者は、たとえ側近であろうと容赦なく切り捨てるのだ、と。



 そんな噂が、行商人たちによって、この辺境の地にもたらされていた。


 その人物像は、多様性を受容し個々の自由を尊重するアークライトの理念とは、対極にある。



 不安と恐怖が、会議室の空気を支配する。


(このままでは、士気が下がるだけ)


 リリアンは、パン、と手を叩いて皆の注意を引いた。


「小手先の誤魔化しは、切れ者で完璧主義者だという皇帝には通用しないでしょう。ありのままに見せてやりましょう、個々の『スキル』なんかに頼らない『システム』の力を。……絶対に、負けない。私たちの理念が問われる、戦いだから」


 リリアンの言葉に、幹部たちの顔が少しずつ明るくなっていく。


 そうだ。リリアンたちは、いつだってそうやって困難を乗り越えてきたのだから。


「……俺たちも、戦うよ。姉さ……総監の、隣で」




 そして、運命の日が来た。


 リリアンは、アッシュやギデオン、幹部たちと共に、アークライトの正門で来訪者を待ち受けた。


 自由区の門には、高らかにアークライトの旗を掲げた。同じ高さに、帝国の旗も掲げておく。


(帝国を軽んじているわけじゃない、というメッセージ……伝わるかしら。他国も尊重していることを示すために、万国旗も飾ろうかと思ったけど……前世の運動会みたいになりそうだし)


 緊張をほぐそうと、リリアンは下らない方向へ思考を飛ばす。


 見張り台から、到着を告げる鐘の音が鳴り響く。


 やがて、地平線の彼方から、空に黒い影が見えた。


「……空から来るのか!?」


 ギデオンが叫んだ。


 その影は、みるみるうちに大きくなった。


 空を覆い尽くすような翼。漆黒の鱗に覆われた巨大な体躯。帝国の最高位の騎士のみに与えられるという飛竜ワイバーンが、地鳴りのような羽ばたきと共に、アークライトの上空に姿を現した。


 後続には、数頭の飛竜に騎乗した、帝国の近衛騎士団。纏う鎧は太陽の光を鈍く反射し、威圧的な銀色の光を放っている。


 風圧で砂塵が舞い上がり、広場に並ぶリリアンたちの髪と衣服を、激しくなびかせた。


 先頭の飛竜が、正門のすぐ前に、翼を畳みながら急降下してくる。


 帝国最大級の飛竜の、圧倒的な威圧感。地面に着地した衝撃で、門柱が軋んだ。


 空気が、張り詰める。


 誰もが固唾を飲んで、飛竜の背を見つめた。


 やがて、飛竜の背から、一つの人影が軽やかに飛び降りた。


 舞い降りる雪のような、白銀に輝く髪。


 その人物が外套のフードを払い、顔を上げた瞬間。


――リリアンの心臓が、止まった。


 紫水晶の瞳。


 端正な容貌。


 知的で、冷たく、それでいて孤独を湛えた、あの眼差し。


(――嘘。カイ……?)


 息が、できなかった。


 カイゼル・ヴァン・アドラー。アドラー帝国皇帝。


 氷帝と恐れられる、帝国の支配者。


 その男は、リリアンが「旅人のカイ」として知っていた人間と、うり二つだった。


 沈黙の中、カイはゆっくりとリリアンに歩み寄った。


 リリアンの背後では、ギデオンの手が剣の柄にかかり、アッシュが青ざめた顔で身構えている。


「……リリアン・アークライト」


 カイの声は低く、帝国皇帝としての威厳を纏ったままだ。リリアンに笑いかけた時とは違う。


 リリアンの唇が、かすかに震えた。


(あの旅人が……あの、「呪われている」と怯えていた人が……帝国皇帝……?)


 皇帝の前で、カーテンシーはしないと決めていた。平民らしく振る舞おうと。けれど、事前に準備した歓迎の台詞など、完全にリリアンの頭から飛んでいた。


「……カイ。あなた、本当に……」


「ああ。俺の名は、カイゼル・ヴァン・アドラー。……全てを明らかにしに来た」

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